第三幕 妓楼の中

 ハモンとイチヨは助けた遊女ゆうじょの案内で西色通にしいろどおりを歩いていた。行先ゆきさきは彼女のつとめ先である妓楼ぎろう西表楼いりおもてろうだと言う。

 あまりイチヨの様なわらべ色町いろまちや妓楼といった夜の店に近付けたくはない。

 ただ彼女だけ商人に教えられた宿やどあずけるのも気が引ける。またイチヨがハモンのかたわらを離れない為に同行させるしかなかった。


此処ここ西表楼いりおもてろう。ワッチの……つとめめ先でありんす」


 業界用語では伝わらないと思ったらしく遊女が言葉を選んでいる。特に返答する気も無いハモンは肩をすくめて先をうながした。

 彼女が紹介した店は看板かんばん以外は他の妓楼と見分けが付かない二階建ての店だ。西色通りは全て二階建てで同じ様な外観がいかんの建物がつらなっているので見分けもむずかしい。


 玄関げんかんから店内に通された。壁や床、ふすまから甘いこうの匂いがする。まだ日中なのでこうかれていないが毎晩の様に焚かれる為に染み付いたのだろう。


 その匂いに思わずハモンはまゆせた。イチヨも似た様な顔をしており慣れないと鼻につくかおりだと分かる。

 ただ職場と言うだけあって遊女はぎ慣れているらしく平然としていた。


 案内された客間、ハモンは警戒心を隠さずにイチヨを手の届く範囲に座らせて遊女と向き合う。

 ハモンの警戒心を理解している遊女は座布団ざぶとんからり、たたみに頭を付けて話始めた。


「先程はお礼も言えぬ無作法ぶさほう、大変に失礼しました。ワッチはスイレン、此処ここ西表楼いりおもてろうにて遊女ゆうじょをしております」

「……ハモンだ」

「ウチはイチヨ」


 いくら警戒している相手とはいえ丁寧ていねいに頭を下げる相手に無作法はできない。ハモンが名乗ったのを見てイチヨも名乗り自己紹介が完了した。

 遊女スイレンも最低限の礼儀れいぎは果たしたと判断したらしく頭を上げて座布団ざぶとんに座り直す。

 ハモンより少し年上、十代後半に見えるが化粧けしょうをしている為に正確なところは分からない。


「さっきも言うた通り、ハモンお兄さんは北の防衛都市で起きた貴族軍人死亡の下手人げしゅにんと特徴が似とる。今は話しが出回っておらんからえけど時間の問題や。例え下手人でなくとも軍は白革羽織の若い男をかたぱしからつかまえるはずえ」


 しかもハモンが北の防衛都市から来たというのは荷鳥車にどりぐるまに同行した商人たちに聞けば分かる話だ。スイレンはそこまでは知らない筈だが偶然にも状況が合致がっちしてしまっている。


「そこで、ワッチからの提案ていあんや。此処ここ用心棒ようじんぼうに成ってくれへん?」

「……初対面の自分をか?」

「まあ疑問はごもっともや。ワッチも初対面にこないな事を言われたら裏をうたがう。なんで、今回は色々と特典とくてんを付けさせて貰いますえ」


 どれだけ良い条件でも疑念ぎねんぬぐえる事は無い。むしろ条件が良ければ良いだけ疑心暗鬼ぎしんあんきが深まるだけだ。

 ただ聞かない事には話が進まない。ハモンの視線で先をうながされたと判断したスイレンを離しを続けた。


「まずお兄さんに声を掛けたのは見ない人やから旅の剣士様と考えたからや。みの用心棒なら宿代やどだいを浮かせられるしワッチらも直ぐに助けて貰えるしおたがいに悪い話やないと思たんよ」


 ハモンは基本的に相槌あいづちを打つ事もせずに話を聞くだけだ。イチヨもハモンの決定に口をはさむなど考えもしないので彼の返答を待つ。

 ただそんな事情を知らないスイレンは二人とも反応が悪い為に少し焦ったらしい。


「実は最近の帝都はちっとあぶのうて、夜道を女が歩くのは不安なんよ。そこに西表楼いりおもてろうの用心棒は強いて噂が有れば店の娘らも安心して商売が出来る。色町いろまちで軍人さんが仕事する事は少ないしお兄さんが身を隠すのには持ってこいの場や。悪い条件と違うんちゃいます?」

「……一つ聞きたい」

「はい。何なりと」

「自分はかく、イチヨはどうする? この子に遊女の真似事まねごとをさせると言うなら論外ろんがいだ」


 ほとんにらむ様なハモンの視線にスイレンが表情を軟化なんかさせた。

 先程からハモンがイチヨを大切にしていると分かり、彼女に対してうらやましさの様な感情も覚えていた。


「大切にされとるんやね」

「えっと、はぃ」


 顔を赤くして視線を落とすイチヨだがハモンには当然の事なので理由が分からない。一瞬だけ不思議そうな顔をしたが直ぐにスイレンに向き直る。


「まず、帝都の妓楼ぎろうで客を取って良いのは十五を超えてからや。イチヨちゃんはとおにもたないようやし遊女の仕事はさせへんよ」

「自分に隠れて、また違法にさせる事は出来ると思うが?」

「思たよりも疑り深いなぁ。そこは信用して貰うしかないし、基本的にお兄さんがイチヨちゃんとべったりでえ。それならワッチらはイチヨちゃんに違法な事も妓楼の仕事も手伝わせられへん。どないや?」

「……良いだろう。それと、仮にイチヨが何かしたいと言えば何がさせられる?」

「はい?」

「イチヨは読み書き算盤そろばんができる。何もする事が無いというのにイチヨがいた時に出来る事が有るなら知っておきたい」

「……許嫁いいなずけでも兄妹でもなくて、おとんの間違いやったか」


 想定しなかった要望にスイレンが苦笑する。

 確かにイチヨはハモンに大事にされている様だが、イチヨの表情を見るに望んだ方向性ではないらしい。少し残念そうに肩を落としている。


勘定場かんじょうばはどないです? 男客は暴れる事も有るから裏で算盤そろばんはじいてもろて表の子に教える事に成りますけど」

「良いだろう」

「それと、読み書きが出来るならこっちからお願いしたい事が」


 何か言いづらそうなスイレンを不思議に思いハモンとイチヨが先を待つ。

 今までの態度では何でも率直そっちょくに口にする印象だったが違うらしい。


「店の子供らに読み書き、教えたって貰えませんか?」


 今度こそ意味が分からずにハモンもイチヨも顔に疑問を浮かべた。

 ここは妓楼ぎろう寺子屋てらこやではない。親無しの遊女ゆうじょに読み書き算盤そろばんを教えてくれと言うなら分かるが子供と言われると話が読めない。


「実は、西表楼いりおもてろう孤児こじ、親無しの子供が結構居まして。彼女らが遊女に成るかは本人にゆだねてますが、読み書き算盤そろばんが出来て困る事はあらへんでしょ?」

「まあ、そうだな」

「そんな訳で、読み書き算盤そろばんを教えはってくれる子がるんは有難ありがたいんです」

「お前は出来ないのか?」

「ワッチ含め遊女たちの仕事の合間あいまじゃ教えてあげる時間も足りんし、子供らも遠慮えんりょしてしまてな」


「……イチヨ、教えてやれるか?」

「うんっ」

「分かった。スイレン、最後に一つ」

「何でっしゃろ?」

妓楼ぎろうの遊女が用心棒ようじんぼうや読み書き算盤そろばんを探すのは普通の事なのか?」

「ちと変わった話かもしれへんね。ただ西表楼いりおもてろう楼主ろうしゅが女やから花車かしゃつとめとるんよ。で、手が足りんから用心棒探しはワッチがしとったの」


 ハモンもイチヨも楼主、花車という職業に聞き覚えは無い。

 楼主は妓楼の店主であり、花車はその妻で遊女の面倒見役である事が多い。ただしゅという単語から店主の様な職業だと判断して聞き流した。


「イチヨ、自分はこの話に乗るつもりだ。お前が望むなら普通の宿やどに連れて行くし毎日顔も出すが」

「一緒!」

「……そうだったな」


 すがる様に引っ付くイチヨに野暮やぼだったと自戒じかいして彼女の頭をでる。


「スイレン。お前の提案、受けよう」

「おおきに。それにしても、同室がえですか?」

「ああ。頼む」


 スイレンとしては否定か慌てる事を想定していたがハモンは何の恥ずかしも無くうなずいた。イチヨは少し恥ずかしそうだが同意見らしい。

 ハモンとイチヨは同室というのは彼らの間で共通認識だ。だからこそハモンは先程のイチヨへの発言を間違った気遣きづかいだと自戒している。


「で、では給金きゅうきんの話でもしましょか」

「ああ。頼む」


 少しの想定外は有ったがハモンとイチヨは宿と仕事を、スイレンは妓楼ぎろう用心棒ようじんぼうと読み書き算盤そろばんを手に入れた。

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