第二幕 西色通りの中

 馬鹿げた話だが、遊女ゆうじょ春売はるうりとさげすむ男は一定数存在する。

 皇帝のお膝元ひざもとである帝都で、皇帝が認めた職業をさげすむ行為。おかきや軍人に見つかればその場で打首うちくびに成る。


 だがハモンとイチヨを含めた通行人の前に居るシャツのすそが擦り切れた男は罪深つみぶかい行為に手をめていた。着飾った遊女ゆうじょ怒鳴どなり、彼女を春売りと蔑む。

 怒鳴られる遊女が余裕よゆうの態度を崩さない為に服の違いからも遊女の方が高い身分みぶんの様に見える。


「たかが体売って稼ぐ女が客選ぼうってのか!」

「ええ、ええ。ワッチも金に成らない相手を客にする程に酔狂すいきょうじゃないんえ。金も無いうつものが客を自称するなんて、ああ、芸人の間違いでしたかえ?」


 外野がいやとして聞く限り遊女にの有る話ではなさそうだ。

 金の無い男が、それでも女を買おうと馬鹿をしている。

 その程度の話らしい。


 イチヨをかばう為にハモンは反射的に彼女の肩を抱いていた。

 そのまま自分の影にイチヨを隠す。男が何かの拍子ひょうしに彼女を見ない様に移動させる。


 遊女ゆうじょは夜の妓楼ぎろうの中、蝋燭ろうそくの頼りないでも存在感を主張しゅちょうする為に派手はでな赤い着物を身にまとう。髪も素人目しろうとめに高価なかんざしげており、周囲の遊女と比べてもくらいが高いと予想が付く。


 そんな遊女に男の忍耐にんたいが限界をむかえたのがハモンには分かった。

 イチヨの肩を軽く叩いて家の影に隠れる様に押し、ベルトから納刀のうとうされたままの罅抜ひびぬきを抜く。


 遊女と男まで九歩。

 意図的に足音を鳴らして真横から接近したハモンだが、男は遊女への怒りでハモンに気付かない。


 あと二歩。罅抜ひびぬきの間合い。

 男が遊女に拳を振り上げる。

 ここに来てハモンは後先あとさきを考える事をめた。ここで遊女を見捨てる事はハモンには出来ない。女を見捨てる事は出来ない。


 罅抜ひびぬきは街中では抜刀しない為につばさやひもで縛り付けている。

 そんな鞘で男の拳を受け止めた。


 驚くべき事に遊女は男に拳を振られながら目もつむらない。大の男でも拳が眼前がんぜんに迫れば目を瞑るか、反射的に防ごうとする。

 だが遊女は拳が自分に振るわれるのを認識しながら意図的に無抵抗を示してみせた。

 その証拠に目は正確に男の拳を追い、横槍よこやりを入れた罅抜ひびぬきには驚いて目を見開いている。


「女を殴る気か?」


 ハモンが感情をおさえた声で男に問う。

 男の顔色を見るに酒に酔っている訳ではない。素面しらふ暴挙ぼうきょおよべるならば狂人と判断する事に成る。


小僧こぞうが、邪魔する気か!」


 頭に血がのぼった男はハモンの質問には応えない。

 最初から想定した反応ではある。

 それでも幾分いくぶんかの落胆らくたんが有る。


 これ以上は男に時間をく必要性を覚えず、ハモンは罅抜ひびぬきらした。受け止めた拳を上にはじき鞘の先端を男の眼前がんぜんに突き付ける。


せろ」


 男は丸腰まるごしだ。

 納刀しているといえ刀を持つハモンが危険だと理解は出来る。

 どの様な台詞ぜりふこうとも立ち去るならハモンは見逃す。

 戦闘意思の無い相手を背中からつ趣味は無い。


 男もハモンの視線にたじろぎ、下手は捨て台詞は無く舌打ちだけで去って行った。

 遊女ゆうじょたちの冷めた目を避ける為かハモンたちが居た西色通りの入口に逃げていく。

 イチヨも察しが良く男に見られない様に顔をそむけていた。お陰で男はイチヨに気付く事も無く大通りに向けて去って行く。


 男を見送ってハモンは罅抜ひびぬきをベルトにし直した。

 直ぐにイチヨも駆け寄って来て腰に抱き着いて来る。今度は周囲の目を気にせずにハモンもイチヨの頭をでた。

 ハモンが喧嘩けんかで大怪我をえばイチヨは再び一人に成ってしまう。そんな不安は理解できた。


「あらあら、お礼に一晩ひとばん、と思いましたけど、お兄さんには先約がったんえ?」

めろ。行くぞ」

「うんっ」

「ちょいちょいちょい」


 遊女ゆうじょを助けたのはハモンの都合つごうだ。特に賞賛しょうさんを求めて横槍よこやりを入れた訳ではない。

 この場から離れ様としたハモンがイチヨの背を押し西色通りを離れようとすると遊女に白革羽織のはしつかまれた。

 先程から笑みをやさない姿はハモンの警戒心をあおり立てる。


「おん? そろいの羽模様? あ、許嫁いいなずけやった?」

「何でも良いだろう。離せ」

「ああ、堪忍かんにんえ」

兄様にいさま、行こう?」

「ほぉん。兄様、ねぇ」


 イチヨの言葉に何かを察した遊女が笑みを深くした。

 面倒な予感がして直ぐに離れようとしたが遊女が先に気に成る事を口にする。


「お兄さん、ここはワッチの話、聞いた方がえで」

「……何だ?」

「実はこんなもん出回でまわっとるんです」


 そう言った遊女は露出ろしゅつさせた胸元むなもとから一枚の紙を取り出した。

 肩を抱いている手からイチヨが体を硬直こうちょくさせたのが分かる。本当なら顔色をのぞいてやりたいが、今はこの遊女から目を離すのは危険だと判断した。


 内容は珍しくも無い人探し。安価あんか木簡もっかんでなく貴重きちょうな紙が使われている事から御上おかみが出した物らしい。

 読めば北の防衛都市で軍を統括とうかつする貴族の惨殺ざんさつ死体が見つかったという。その為、下手人げしゅにん探しの沙汰さたが出回っているらしい。


「……これが何だ?」

「実は防衛都市には伝手つてが有ってな、貴族さんが軍人を連れて白革羽織の若い男を追ってたって聞いとるんよ」

「それが自分だと?」

「そこまでは知らんえ。ただ、帝都の軍人さんがこの話聞いたら、間違い無くお兄さんは疑われると思わん?」


 思わずイチヨの肩を抱く手に力が入ってしまった。赤茶のジャケットにしわが生まれ、手の中でイチヨが肩を揺らした為にあわてて力を抜く。

 イチヨには軍人に追われたと伝えてある。遊女の指摘してきで思い出したらしく手の中で彼女の肩が震えた。見下ろせば顔に不安を張り付けている。


「分かった。話を聞こう」

「いやぁ、話の分かる人で嬉しいわぁ」

「ただ先に言っておく」

なんえ?」

「この子に手を出すな」


 視線には出来る限り殺気を込めた。

 遊女もハモンの意図いとは理解したらしい。余裕よゆうの有る笑みはなりひそめ静かにうなずいた。

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