第六幕 貴族と、刀と

 防衛都市は周囲を煉瓦れんがの城壁と山や崖に囲まれた天然と人工が混在こんざいする要塞ようさいだ。城壁内には崖に近い場所も有り崖崩れを懸念けねんして周辺に建築物の無い森に成っている。


 ハモンは建物や人混みで軍人たちの視線を切りながらこの森に逃げ込んだつもりだった。

 だが実際には誘導ゆうどうされたと言った方が正しい。


 木の陰に身を隠したハモンが木々の隙間すきまから都市部を見れば森との境目さかいめ十士将じゅうししょうガレアと部下らしい十人の軍人が居た。森での追走ついそうを想定していたらしく厄介やっかい面倒めんどうと考える様子が無い。


 その背後には金箔きんぱくをあしらった着物を着た筋肉が異常に発達はったつした大男の貴族も居る。長槍ちょうそうを背負っている為に木々が乱立する森や都市部では満足に動けないはずだ。

 だが腰に一般的な刀も差している。持主が大き過ぎて旅人の護身用である道中差どうちゅうざしにしか見えないが長槍を捨てれば森の中でも戦えるだろう。


「白羽織の。森に逃げたのは分かっている。それがしらが貴殿きでんをここに追い込んだ。大人しく森から出ろ」


 自分に関係が無ければハモンは軍人をめただろう。流石さすがは軍という集団戦闘の為に鍛錬たんれんを積んでいる組織だと尊敬そんけいしているところだ。


 ただめていても状況は好転こうてんしない。

 森とは言っても崖と都市部にはさまれたせまい空間だ。子供の足でも一刻一時間も歩けば全周を周れてしまう。目の良い者なら位置さえ良ければ都市部から崖を木々の隙間から見る事もできるだろう。


 ハモンが出て来ないと判断しガレアが軍人たちに森へ踏み込む様に指示を出した。まるで山狩やまがりだ。

 軍人たちの様子を見てハモンはより森の深い位置に移動するが相手は十人。人探しの訓練くんれんを積んだ集団を相手にせまい森では簡単に見つかってしまう。

 特に影の差す暗い森の中で白革羽織が目立つ。


「発見! 発見しました!」


 一人の軍人の声が響き、ガレアを押し退けていかつい貴族が森に跳び込んだ。長槍ちょうそうはやはり邪魔らしく直ぐに森の外に向けて投げ捨て左手はいつでも鯉口こいぐちを切れるよう刀にえられている。


 ハモンの位置からそんな貴族の動きは見えない。

 ただ軍人たちの慌てた声から貴族の動きは想像できた。

 反射的に振り返れば金箔きんぱくという姿を隠すのに致命的に向かない着物の大男を見る事が出来る。

 自分が見えるという事は、相手からも見えるという事だ。


 遠目にも視線が合ったのが分かる。

 獰猛どうもうに笑みを浮かべた貴族が抜刀ばっとうし、ハモンに迫る。

 筋力も、足の長さも違う。貴族の速力なら直ぐにハモンに追い付く。


 意を決しハモンは地面をすべるように制動せいどうを掛けて振り返った。

 貴族を相手に一介いっかいの剣士が刃を向ければ首を落とされる。下手にあらがいイチヨにまでとがが向くのは防がなければならない。


 その姿をいさぎよいと感じたのか貴族と軍人たちは武器を構える事無く歩み寄って来た。ただ瀟洒しょうしゃな軍服の軍人たちは最低限の警戒は必要と考えているらしく右手はサーベルのつかえている。


「貴様が白革羽織の剣士か」


 金箔きんぱく着物の貴族が断定的な言葉を口にする。

 権力的強者に特有の態度を前にハモンはうなずくだけだ。


「部下から業物わざものを振るうと聞いた。どれ程の物か見せてみろ」

「……どの様に?」


 長槍をひろったガレアが追い付いて来る。

 軍人たちが安堵あんどするのを見たハモンは貴族と軍人たちの間柄あいだがらに当たりを付けた。

 力は有るが厄介やっかいで面倒な上役うわやく

 めずらしい話でもない。


 ハモンの質問に貴族は軍人の一人へあごを振って応えた。

 包囲ほういする為にっていた軍人の一人が前に踏み出しサーベルを抜刀する。


「自分は明日あすには街をつ。大怪我は避けたい」

「なら兵に力を見せてみろ。お前の力が見れれば直ぐに済む」


 貴族らしいと言えば貴族らしい。

 平民の都合つごうには興味が無いと言う。

 しかもハモンの事を一方的に知りながら名乗りもしない。


 貴族にめいじられた軍人が抜刀を迫るように一歩前に出る。

 既に上段構えからの長い踏み込みであれば両断できる間合いだ。遠い西方の流派りゅうはには初撃しょげきに全力をそそわざが有るという。

 この軍人がその流派をおさめていれば、とハモンは少しだけ危惧きぐした。


 ただこの立ち合いはハモンの罅抜ひびぬきを貴族が見たいという我儘わがままから始まっている。

 貴族の背後でガレアが苦虫にがむしつぶしたようにハモンから視線をらしている。


 小さな動作で抜刀したハモンは罅抜ひびぬき正眼せいがんに構え軍人に対峙たいじした。


 ここは道場ではなく、軍人と旅の剣士という実戦を前提ぜんていにした者同士の立合たちあいだ。誰かが合図あいずを出す事も見届け人が立つ事も無い。

 軍人がハモンに抜刀をうながした事すら異例と言える。


 だから、軍人もそれ以上に実戦から外れた真似まねはしなかった。

 正面からのむすび等という戦術を軍人は選ばなかった。右足で雪と砂を蹴り上げてハモンの視界を奪いに掛かる。


 実戦にいて先手を取る事は優位を取る為にもっとも分かり易い手段と成る。

 軍という集団戦闘を前提ぜんていにした組織の訓練にせんという概念がいねんは無い。一対一さしという構図を想定した訓練は最低限におさえ集団で効率良く戦力を発揮する為の訓練に注力する。


 ハモンも対人剣術にはあかるくない。剣のである父に教わったのは刀をるうのに最適な歩法ほほうと力の入れ方だけ。

 国では野獣や虫獣むすけものの様な人外を相手にする為に剣を覚えた。父のげんでは対人剣術の型は肉体操作を確認する為の物でしかない。

 ハモンもその教えに納得している。剣は対人ではなく対人外を想定した護身用、めしたねと認識している。


 だから不意打ふいうちにも対処できた。


 あががる雪と砂に視界を奪われる前に踏み込む。身を低くして両腕を頭部の前で重ね突撃する。扇状おうぎじょうに広がる雪と砂が最大限に広がる前に小さく左に体をらして蹴り上げられた軍人の右足を狙う。

 腕だけでは守り切れない可能性を考慮して右目だけは閉じ細かいつぶが目に入るのを防ぐ。


 右足を蹴り上げた軍人は即座そくざに踏み下ろして踏み込むと計画していたのだろう。既に左足で地面を蹴り右足を踏み下ろそうとしている。

 ハモンが前に出てきたのは意外だった様だが迷いは見られない。距離が近過ぎてサーベルの間合いの内側に入っている。柄頭つかがしらでハモンの背を打ち下ろそうと腕を振り上げた。


 ただ、ハモンの方が早い。

 頭部の前で重ねた腕で半端に浮いた右足のすねに体当たり、軍人を背後にらせた。

 日常的に訓練している軍人は簡単には転倒てんとうしない。地面をめられなく成った軍人が左足を地面から短く浮かせて背後に飛ぶ。着地に両足を使い姿勢を取り戻す段取りだ。


 だがそれでは致命的に遅いと理解しているらしい。


 体当たりしたハモンが姿勢を整える方が早い。

 低くした体を持ち上げるしんで更に踏み込み柄頭で軍人の腹を突く。


「ぐっ」


 短くらされた呼気こきが軍人の動きを止める。

 宙に浮いた状態での追撃によって姿勢は完全に崩れ着地も出来ないと自覚したようだった。

 背中から倒れた軍人に罅抜ひびぬきを突き付ける。


「……見事だ」


 模擬戦ならばここまでだろう。

 どちらかが大怪我をえば互いに引けなくなる。

 貴族もそれは分かっているらしくハモンと軍人に得物えものを下げる様に指示した。


「だが不満だ。俺は業物わざものがどれ程か見せろと言ったはずだ」

「木人形でも斬れば良いのか? それともわらか?」

「それではまらん」


 貴族らしい傲慢ごうまんさにハモンは大きく息を吐いた。

 十士将じゅうししょうガレアも息を吐いている事からハモンと同意見らしい。


「その刀、めいが無いと聞いたぞ」

「……」

業物わざものが銘を持たぬ不名誉ふめいよは許せん。俺が決めてやろう。刀匠とうしょうに銘を切らせてやる」

「断る」


 自覚できる程に顔がゆがんだハモンを貴族は見ていない。

 とても貴人きじんに向けるのは許されないハモンの怒気どきにガレアの方が場を収めようと頭を悩ませている程だ。


「野犬も賊もいくらでも両断すると聞いている。そうだな、貴様の羽織、羽の模様もようから、千羽切せんばきりというのはどうだ?」

「断ると言った」

「……二度は許さぬ」


 自分に陶酔とうすいしていた貴族がやっとハモンを見た。

 興奮して耳が聞こえなくなったかと思っていたが外面そとづら胸中きょうちゅうを切り分けられる理性は有るらしい。


 少しだけ見直したハモンだが、状況の悪化は理解している。

 軍内部でも十人の兵の指揮権を持つ十士将が部下を総動員し護衛する相手だ。防衛都市の最高権力者と予想できる。


 既に旅の剣士の手にあまる状況だ。

 せめてイチヨにとがおよぶ事は避けたい。だが罅抜ひびぬきもまたゆずれない。


 二兎にとを追う者は、そんなことわざを思い出してハモンは息を吐いた。

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