第六幕 旅の中止

 早朝そうちょう、定食屋一家と村長に別れを告げてハモンは白革の羽織をひるがえして村を出た。

 雪解けの時期らしく南下する街道は雪道でありながら地面や雑草がまばらに顔をのぞかせる。


 背負う荷物の中には定食屋が最後に用立ようだててくれた握り飯が入っている。

 最後まで世話になった店だ、旅の目的を果たしたあかつきにはイチヨと約束した通り再びおとずれるのも悪くない。

 そう思う程度には気に入った。


 一刻一時間近く歩けば分かれ道が見えてくる。

 南に位置する帝都から北西と北東に分かれる道だ。イチヨたちの村は北東の分かれ道の先に位置している。


 あと三刻三時間も歩けば関所せきしょと帝都の防備を兼任けんにんする防衛都市が見えてくるはずだ。大葉おおば米粒こめつぶで小石を張り付けた非常に簡素かんそな地図を取り出し、まだ東に位置する太陽を見て南の方角を再確認する。


 太陽が南の頂点に達するまで一刻半一時間半程だ。

 ついつい握り飯に向く意識を抑え付けハモンは分かれ道を南下するつもりで大葉の地図をふところ仕舞しまった。


 ただ分かれ道の直前で足を止める。

 村やイチヨへの未練みれんは有るが、それ以上にハモンの心をみだす音が雪道に響く。それもハモンの背後、北の村からだ。


 思わず振り返れば商人らしき長身痩躯ちょうしんそうくぜに模様もようの革羽織を肩に掛けた男が荷車と共に走ってくる。馬程度の大きさの鳥、荷鳥にどりホァンが荷車を引いているのだがなだめる様に背に手を置き走る先を誘導していた。

 ハモンが村に居る間に見た顔ではない。そもそも定食屋以外に宿は無いと聞いているので商人が宿泊していれば定食屋で顔を合わせていたはずだ。


 嫌な予感にしたがったハモンは商人の前に飛び出す。荷鳥ホァンに衝突されれば大怪我はまぬがれないが、商人は急制動きゅうせいどうを掛けて止まった。

 荒い呼吸で肩を上下させる商人ににらまれるがハモンもそれどころではない。


「おい、お前は北の村から来たのか?」

「あ? ああ、そうだ。今朝けさいて、いざ商売だって時に、いきなり山賊が来やがった! くそっ、逃げてる最中に荷が落ちちまって大損おおぞんだ! ガムリの牙は落ちてねえだろうな!」

「ちっ」


 商人とそれ以上話しているひまは無い。

 ハモンは野宿のじゅく用の寝袋ねぶくろが入った荷物を商人に押し付け体を軽くし元来た道を走り出す。


「好きに使え」


 ただの寝袋では商人にとって大した商売には成らないだろう。ただ少しでも体を軽くしたいハモンと少しでも損を補填ほてんしたい商人とで利害は一致するだろうと押し付けただけだ。

 背後から困惑しつつも静止する声が聞こえ悪辣あくらつな男ではないと分かるが、そんな感想を抱く間もしい。


 ここまで徒歩で一刻を使った。商人が村に居たのがどれほど前か分からない。

 ただ途中まで荷鳥ホァンに乗っていたのだとすれば四半刻十五分も経っていない筈だ。


 焦りながらも最短最速で北の村を目指し走るハモンは自分の足跡と商人が作った荷車のあとを見た。

 荷車が作る痕は直線というには左右に荒く揺れており商人と荷鳥ホァンの焦りがうかがえる。

 ハモンは自分が残す足跡も似た様な物だろうと自嘲じちょうしたつもりだが表情は上手く変わっていなかった。


 そんな風に自分を笑っている内に村が見えてきた。

 溶け始めた雪に包まれた村。屋根から落ちる雪で遊ぶ子らに雪が直撃して泣き、助け合って笑い、親にしかられてまた泣く、普通の村。


 悲鳴が聞こえた。嘲笑ちょうしょうが聞こえた。

 耳障みみざわりな、自己満足を満たす者に特有のあの嘲笑あざわらう声がハモンを酷く苛立たせる。

 記憶の棚の奥へ強引に詰め込んだ物が姿を現そうと棚を揺らしている。

 そんな幻は頭を振って無理に見なかった事にする。


 走りながら罅抜ひびぬき鯉口こいぐちを切る。

 村の入口が見えてくると商人の言っていた通り見覚みおぼえの無い男たちが居た。各々が荒い作りの斧や手入れの行き届いていない刃毀はこぼれ刀を持っている。森の中や洞窟どうくつでの戦闘を考慮こうりょしてか槍のような長い得物えものを持つ者は居ない。


 数は見渡しただけでも十を超えている。

 如何いか頑丈がんじょう罅抜ひびぬきを持ってしてもハモンだけで対処できる人数ではない。


 詩人しじんかたる伝説のさむらいは見渡す限りの山賊を刀一本で切り伏せたという。


 そんな伝説は夢物語だと理解しつつハモンに背を向けている山賊に突撃する。

 雪を踏むブーツの足音で突撃は察知さっちされる。不意打ちではあるが完全に無防備な相手を斬るという有利は無い。

 それでも物心ついた頃からきたえた剣術がハモンを動かした。


 異常を察知して振り返る山賊に切り掛かる。疾走しっそうの勢いを乗せた上段からの振り下ろしで左肩から右脇に向けて罅抜ひびぬきを振り抜く。

 飛び散る血肉が白革羽織をまだらけがし、ハモンを御伽噺おとぎばなしに現れる雪山の鬼の様にいろどった。

 人を斬ったのは初めてではないが、この感触に慣れる日が来るとはとても思えない。


 慣れる必要も無し。

 一人目の絶命を見届ける。


 残心ざんしんしながら村を見渡せば予想通り村中に血が飛散していた。

 今も周囲から断末魔だんまつまが聞こえ、その中には耳障みみざわりな男の嘲笑が混ざっている。抵抗する力の有る男が優先的に狙われているのか村の中には特に男たちの死体が目立つ。

 今も数人の男たちがなたや手斧で山賊に抵抗している。


 一刻も早く山賊の数を減らす為、村の男と刃を交え隙だらけの山賊に切り掛かった。

 真横から罅抜ひびぬきを脇腹に突き刺し、背中に向けて振り抜く。

 男の安否を確認する間も惜しんで定食屋に走った。


 途中で見た引戸ひきどが壊された平屋ひらや。その室内おくないで山賊が村娘のシャツやスカート、タイツをいでいるのが見えた。


 怒りから歯を食いしばり、あごの力が強過ぎて視界が明滅めいめつする。

 その怒りに任せて背後から山賊の首を横にねた。

 目の前で人の首が斬り飛ばされるという光景に村娘が悲鳴を上げるがなだめるいとまは無い。山賊の死体を蹴って退かし直ぐに平屋を飛び出す。


 戦闘の興奮と暴挙を目の当たりにした怒りから心臓が早鐘はやがねを打つ。


 定食屋は平屋ひらやから三軒さんげん隣。

 走れば直ぐに着くと自分に言い聞かせながら定食屋に走り、ハモンに気付いた山賊に道をふさがれた。


 舌打したうちする気にもならずハモンは左手中指の鎧を山賊に向け、火球を放つ。

 遠距離攻撃を想定していなかった山賊の胸に着弾した火球は破裂し山賊の胸を半分ほどえぐった。


 それを見た他の山賊が叫ぶ。


理法りほう使いだ!」

ばしたぞ!」


 その声に反応したのか定食屋から二人の山賊が飛び出して来た。

 手にした斧には血が付着ふちゃくしている。


 最悪の想像をしていたハモンの前で、想像通りの結果が起きた。

 急速に頭が冷えた様な感覚と共に罅抜ひびぬきを持つ右手の力が抜けた。かろうじて重さを感じる事から手放してはいない事だけは分かる。


 ただ、定食屋から出てきた山賊以外に焦点が合わなくなった。

 幼い時分じぶんから父に習得させられた摺足すりあしにより足の動きは小さくとも広い歩幅で山賊に迫る。国でははかま穿けば足の動きを隠す事も可能と教えられたが今はジーンズ、あくまで間合いを合わせる歩法ほほうとしてあつかう。


 周囲の山賊の顔に焦点しょうてんが合わない為に彼らが人質ひとじちを取らない理由は分からない。

 理法使いという特殊な相手に人質は無意味と考えているのか、驚愕きょうがくしてその発想に至っていないのかも判断できない。


 奇妙な程に引き延ばされた感覚の中でそんな事を考えながらハモンは山賊の腹に右手だけで罅抜ひびぬき突き出し、同時に隣の山賊に左手を向け火球を放つ。

 刺突を防ぐ斧により軌道が逸れ罅抜ひびぬきは山賊の左肩をぐ。火球は山賊が後退あとずさった為に右肩に着弾し右腕を千切ちぎり意識を刈り取る事に成功した。


 今、ハモンが見渡して認識できるのは七人。

 肩を削られた痛みで動きのにぶい斧使いの首をねる。噴き出した血が雨の様に降り白革羽織が赤まだらから不均一ふきんいつに赤い羽織へ変わっていく。


 残り、六人。


 いくら理法が使えようと火球を放つには数泊の間をようする。

 囲まれて迫られれば満足な抵抗も許されずに切り殺されるだろう。

 だから定食屋の壁を背にして左手を山賊たちに向けた。


「焼き殺す」


 その宣言せんげんだけで充分な脅しに成ったのだろう。

 最初から山賊に強い連帯感れんたいかんは無い。数人が死ぬ事を覚悟してハモンを囲み突撃するという自己犠牲を必要とする戦いは思い付きもしないらしい。


 右肩を焼き壊された山賊を見て恐怖に耐えられなくなった最初の山賊が逃げ、残りの山賊たちも同様に逃げ出した。

 まだ屋内に山賊が居るかもしれないが二人ふたり三人さんにんならばハモンでも対処できる。


「勝った! 俺たちの村は俺たちが守ったんだ!」


 一人の村人が勝鬨かちどきを上げた。

 元々五十人程度の村だ。十人近い武装した山賊に襲われれば壊滅する。

 それでも勝利宣言に続く声が有れば潜伏せんぷくする山賊に恐怖を与えられる。

 数少ない生き残りが勝利宣言に続いて声を上げていく。


 そんな村人たちを尻目にハモンは定食屋に急ぐ。

 念の為に罅抜ひびぬきはまだ納刀のうとうしない。

 潜伏している山賊は出合であがしらで切り殺すと決め、定食屋の暖簾のれんくぐる。


 酷い血の匂いに満たされた店内、台所に近い客席に店主の死体が有った。

 うつ伏せに倒れた死体は背後から叩き切られたらしく左肩に大きく鈍い切傷が走っている。傷の深さから心のぞうに刃が届いているようだ。

 歩み寄って顔を見る為に体を引っ繰り返せば事切こときれた店主の顔が有った。

 静かに目を閉じさせ、のちに正しく埋葬まいそうすると決意し台所に向かう。


 糞尿ふんにょうの匂いがする台所に頭部を砕かれた女将の死体が倒れていた。

 正面からの襲撃にも恐怖心が邪魔をして満足な抵抗ができなかったのだろう。殺された事で大の字に倒れたのか頭部付近の床には脳漿のうしょうこぼれている。とてもイチヨに見せられる姿ではない。

 昼食に向けて料理の途中だったのだろう。火事を防ぐ為にもかまどの火に水を掛けて消火した。

 合掌がっしょうして死をいたみ、台所の手拭てぬぐいで大きく崩れた顔を隠してやる。


 少しだけ吐気はきけおぼえ反射的に口に手を当てた。

 だがまだイチヨの姿を見ていない。下手に呼んで彼女が飛び出した時に山賊が潜伏していては危険にさらしてしまう。

 胃液が逆流しのど吐瀉物としゃぶつが上がってくる嫌な感覚を我慢がまんし二階へ向かう。


 イチヨを傷付ける可能性を考慮し罅抜ひびぬきを納刀し、階段は意図的に足音を立てて登る。

 最も階段に近い宿泊時に使わせて貰っていた客室のふすまを引いた。たった数日の宿泊に使っただけの部屋を妙になつかしく感じてしまう。


 今はそんな場合ではないと部屋に踏み込み押入れの襖を開けようとすると内側から勢い良く開いた。

 山賊が潜伏していたかと罅抜ひびぬきに手を伸ばしそうになるが腰に抱き着いた赤茶ショートジャケットの少女の姿に慌てて手を止める。


 数日で見慣れたイチヨの頭が見える。

 肩を震わせて泣く彼女に掛ける言葉が思い付かず背中を叩いてやる事しかできない。

 少しの自己嫌悪を覚えつつ、ただ彼女の無事に安堵あんどしてハモンは大きく息を吐いた。


 赤く成ってしまった白羽織を見て初めて斬った男を思い出す。

 大きな手に、乱暴だが優しく頭を撫でられた記憶が脳裏のうりぎる。


 ハモンが初めて斬り殺したのは、父親だった。

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