第四幕 旅立ちの前

 白革羽織しろかわばおりの剣士ハモンが赤茶ショートジャケットのイチヨの家に宿泊して三日がった。

 初日は巨虫きょちゅうガムリ、二日目は虫獣むしけものアムリを駆除くじょしたが三日目は虫に遭遇そうぐうする事は無かった。


 雪道を歩き回った疲労に定食屋の客室で脚をみ、夕暮れの村を見下ろしていると今日もイチヨがやってきた。ただ夕食の時間には早く彼女もぼんを持っていない。代わりに手拭てぬぐいの掛かったおけを持っていた。

 ふと、雪の冷たさに備えたタイツを穿いていない事に気付く。


「どうした?」

「今日は湯浴ゆあみの日なのっ」

「ん? そうか」

「剣士様も行かない?」


 村に来る数日前から湯浴みはしていない。就寝前に手拭てぬぐいに雪をかし、つめたさに耐えながら体をいて済ませていた。

 確かに連日に渡り雪道を歩き回っていたので湯舟ゆぶねに入れるなら有難ありがたい。


「風呂が有るのか?」

「うんっ。村長さんがおいえのお風呂を貸してくれるの」

有難ありがたい」

「やった! ウチ、トト様とカカ様に言ってくるね」


 あわただしく下の階に走っていくイチヨを見送ってハモンはふと気付いた。

 村長とはいえ個人宅の風呂が男女別に用意されているとも思えない。その割にイチヨはハモンの風呂に同行するような口ぶりだった

 とおたない幼子おさなごとは言え娘は娘。父親である店主ににらまれるのは避けたい。少し焦ったハモンがイチヨを追って一階にりれば危惧きぐした事態には成っていなかった。


「いやぁ、娘が無理を言ってすみません。お邪魔でなければ連れて行ってやって貰えませんか?」

「ああ。自分は村長宅の風呂の作法さほうは知らんが、イチヨに聞けば良いか?」

「はい。何度か家族で使っていて娘も慣れております」


 風呂から戻る頃に夕飯を用意するとの提案を快諾かいだくし、おけ手拭てぬぐいを二枚持つイチヨと村長宅を目指し定食屋を出た。

 すでに日は暮れ西の空だけが茜色あかねいろに染まるが頭上ずじょうは夜空だ。家々が軒先のきさきるす提灯ちょうちんと二重丸の月明りを頼りに村長宅へ歩く。


「村長さんのおいえのお風呂ねっ、すっごく大きくてねっ」

「そうか。イチヨ、前を見て歩け。危ないぞ」

「え~」

「ならば手でもにぎるか? おけも自分が持とう」

「良いのっ?」


 直ぐに桶を渡してくるイチヨに少し驚いたハモンだが素直に桶を受け取り右手でイチヨの左手を握った。

 身長差が有るのでイチヨは腕を肩の高さ程度まで上げている。何が楽しいのか大股おおまたで踊るようにいんんだ歩調ほちょうに変わった。彼女がねるたびにワンピースのすそが大きくひるがえる。


 そんな幼子おさなごの姿にハモンはふと妹を思い出した。

 最後に妹を見たのは彼女がここのつの頃。ハモンの誕生日を間近まぢかひかえた頃、隠れておくり物を用意している様子だったのが今はなつかしい。


 イチヨの手を握る右手に無意識に力を込めないように気を付け、村長宅に到着した。

 戸を叩いて来訪らいほうを告げるイチヨを好々爺こうこうやな笑みを浮かべた村長がむかえ入れた。ハモンの同行も知っていたらしく二人まとめての歓迎かんげいだ。

 風呂場を知っている事を自慢じまんしたい様子のイチヨを見て村長もハモンへの説明は彼女に任せる事にしたらしい。


 握った手を引っ張るイチヨに連れられて村長宅の奥、脱衣所に入る。風呂が楽しみなのかイチヨが興奮した様子でワンピース、ショートジャケット、ショーツをいで浴室につながる引戸ひきどを開く。

 湯舟ゆぶね手拭てぬぐいを入れないという作法さほうが有る。何も身に付けないイチヨの奔放ほんぽうさに苦笑しつつハモンも羽織、ジーンズ、シャツ、下着を脱いで浴室に入る。流石に気恥きはずかしいので手拭いで股間こかんを隠すが目敏めざといイチヨがほほふくらませた。


「お風呂に手拭い入れちゃいけないんだよ」

「湯舟には入れないから問題無い」

「そうなの?」

銭湯せんとうではよく見る姿だ」

「銭湯ってなぁに?」


 説明しながら浴室よくしつ観察かんさつすれば大きなますを思わせる木組みの四角い浴槽よくそうに湯がられている。一家いっか四人でも入れる大きさに作られておりハモンとイチヨの二人だけではあます広さだ。

 思った以上の大きさに驚きつつおけで湯をすくいイチヨの頭上ずじょうから掛けてやる。水浴びをした犬の様に頭を体ごと振って湯を払ったイチヨが笑いながら湯舟に跳び込んだ。


行儀ぎょうぎが悪いぞ。湯が減ってしまう」

「ごめんなさい~」


 口だけのイチヨだがハモンもそれ以上はしかる事はせずに自分に湯を掛けて湯舟に入った。子供向けなのか少しぬるい湯だと感じたが満足気なイチヨの顔を見てこのままで良いと思い直す。

 手拭てぬぐいはたたんで頭に乗せる。

 あごと湯の高さが同じなので顎を上げているイチヨの頭を思わずでてしまった。


 最初は何をされているのか分かっていなかったイチヨも撫でられている事を理解してほほゆるめた。


あったかいねっ」

「そうだな」


 旅を始めてからここまで人と触れ合ったのは初めてかもしれない。

 今まで知り合って来たのは業物わざもの集めと性欲以外を考えられない女剣士、武器破壊が平和を作ると信じて疑わない破戒僧はかいそう皇帝こうてい統治とうちを裏から操る者だと自称じしょうする詐欺師さぎし

 思い出すだけでもろくな連中ではない。


 そう考えるとあたたかくはながたえんが出来てしまったと思う。

 人恋ひとこいしさからもう数日滞在たいざいしようかと思ってしまうが旅を止める訳にもいかない。

 明後日あさってには村を出る支度したくも整う。下手に長居ながいすればわかぎわうし髪引がみひかれるけだ。


「旅の前にに入れたな」

「……剣士様、どこかに行っちゃうの?」

「帝都を目指している」

「……そうなんだ」


 元々ハモンが滞在たいざいするのは数日だとイチヨには話してある。年に数回はおとずれる旅人や商人も居るだろう。別れはイチヨも初めての経験ではないはずだ。それでも歳が近く夕飯を共にしたり風呂まで付き合う者は居なかったのかもしれない。


「帝都での用がめばまたこの村に来る事も有る」

「ほんと? 本当に?」

「ああ。その時にはイチヨの作った飯を食べさせてくれるか?」

「うんっ」


 再会がいつに成るかなど約束できない。本当に村を再訪さいほうするとちかう事もできない。

 それでもイチヨが笑えるなら悪い約束ではないだろうと思いハモンは頭をでてやった。

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