第6話「悪い予感」(あさひside)
「どういうこと、犯人が出頭したって」
愛花がそう言うと、ワトソンさんが首を横に振る。
昨日、一連の事件の犯人と思われる人物が出頭したことで、各社マスコミによって注目を浴びている。私と愛花はその日電話をし、そして今日慌ててワトソンさんと会うことになった。
「僕でも分からん。なぜ急に出頭してきたのかが、分からん」
ワトソンさんが頭を抱えて悩み始める。
確かにそう。未だ多くの謎を抱えたまま、事件は急展開を迎えているのだから。
「まだ謎は解決できていないよね」
私が言うと、愛花が頷く。
「そう。大量の遺留品に、被害者が元交際相手ばかり。そして、急に出頭・・・・・・。意味が分からない」
皆が思考の海に耽っている中、私はあることを思い出す。
「・・・・・・そう言えばさ、あの蟻のことってどうなったの?」
「蟻? 急にどうしたの」
「やっぱり、何かの偶然なのかなって考えなかったんだけど、どうしても遺体が綺麗な状態に保っていることが気になってて」
私がそう呟くと、ワトソンさんが何か机に出してきた。
「この前言われた通り、一応その蟻のことについて調べてきた」そう言って、ワトソンさんは書類のある項目に指を指す。「現場で死んでいた蟻から、蟻酸が検出された、とのことだった」
「蟻酸? 何それ」
愛花が首を傾げる。
「僕は理系ではないし、そこまで詳しいことは知らないが、まあ蟻が出す無色で刺激臭のある液体だと思った方が良い、のかな」
「ふーん、でも蟻酸でも珍しくは無いんじゃない?」
「ところが」ワトソンさんは机にもう一つ、書類を出し、指を指す。「現場で見つかった蟻はフタフシアリ亜科の仲間であり、蟻酸を出さない」
「蟻酸を出さない?なのに、どうして」
「あっ」
「どうしたの? あさひ」
「酸化したんじゃない?」
「酸化? ・・・・・・でも、あり得なくはないし、あさひの言う遺体の綺麗さに説明がつく」
私と愛花はお互いを見つめ合う。
「もしかしたら、これまでの被害者の死亡推定時刻がひっくり返るかもしれません」
「じゃあ、また明日」
そう言い、私は愛花と別れる。
帰り道を歩きながら、今日のことを振り返る。
昨夜、犯人と思われる人物が警察に出頭、事情を説明し数日間拘留されることになった。その間私たちは事件について考えたりしたが、まだ結論を出しそうにならなかった。だが、この前見た現場で死んでいた蟻について、ワトソンさんが調べたところ蟻酸が検出。その蟻は蟻酸を出さないフタフシアリ亜科の仲間であり、その蟻酸は酸化してできたものではないか、と仮説立てた。その仮説通りになれば、その蟻酸はホルムアルデヒド、つまりホルマリン水溶液が使われたことになり、今までの事件の被害者たちの死亡推定時刻がズレることになることを意味していた。
私はふと、空を見上げる。
結局、犯人は何がしたいの。
何で、元交際相手ばかりを狙っているの。
何で、いきなり出頭してきたの。
そう思っていると、背中から視線を感じた。
後ろを振り返ると、そこに立っていたのは黒いスーツを着た女性だった。
「悩んでいるみたいだね」
女性は言う。
「誰、ですか」
「名乗るほどでもないよ。ただ、あなたたちが解決しようとしている一連の事件の、真犯人、と言った方が良いかしら」
私は固唾をのむ。
真犯人。
「それは、どういう意味で」
「さぁね。ただ、あなたたちの会話を全部聴く限り、真相に辿り着くのは時間の問題かもね」
女性は「そういうことで」と言い残し、その場を立ち去った。
彼女は、何がしたかったのだろう。
そう思っていると、路上に何かが落ちていた。
――本?
しかもこれ、愛花に勧められた、『容疑者Xの献身』じゃん。
どういうこと?
私はその女性が落としていった、本について考えていた。
自宅に帰ると、やっぱり家族が恋しいなって思う。
部屋の電気をつけ、ベッドに横たわる。
何となく携帯を触り、時間を過ごしていく。
そして、何となく眠気が私を襲う。
ふわぁ・・・・・・。
ふと目を覚ました時には、既に午後十時を回っていた。
疲れていたのかな、私。
とりあえず、簡単なものでも作るか。
さっきまで寝ていた身体を起き上がらせ、台所に向かう。冷蔵庫を開けて、そこから冷凍食品を取り出す。レンジで暖めている時間、眠気を噛み殺す。
ご飯が出来上がると、テレビをつけて食べ始める。
最近は勉強で忙しくて、全然テレビを見ていない。最低限、学生が知るべきニュースは知ってはいるものの、自分の中で時差が発生しているので正確には追えていない。
食器を片付け、お風呂に湯を沸かす。
その時間が暇でかつ、眠気に襲われそうになるので、携帯をボーッと見る。
ふわぁ・・・・・・。
一瞬寝落ちしそうになったが、何とかして目を覚まさせる。
すると、愛花から着信がくる。
何だろうな、そう思って着信ボタンに触れ、耳に携帯を当てる。
「愛花、どうしたの?」
『ううん、何でも無い。ただ、電話がしたくなっただけ』
「何それ、愛花らしくないじゃん」
二人で何気ない会話を弾ませ、自然と笑みがこぼれる。
「そういや、帰る時に黒いスーツの女性が話しかけてきたんだけど」
『黒いスーツの女性? てか、どういう内容の?』
「何かね、自分は一連の事件の真犯人だ、とか、真相に辿り着くのは時間の問題、とか言ってたな」
『何だそれ、またあさひの妄言じゃないの?』
愛花が笑って私を弄ってきたので、私も愛花を弄り返す。
『でも、その女性が言っていたことがもし本当なら、あさひは本当の犯人に出会えたってことになるよね』
「そうよね。あ、あと、あの女性、本を落としていったみたいなんだよね」
『どういう本?』
「確か・・・・・・、『容疑者Xの献身』っていう、愛花がこの前勧めてくれた本なんだけど・・・・・・」
そう言うと、愛花が急に返事を返さなくなる。
「愛花?」
『あ、ごめんごめん。ボーッとしちゃって』
「大丈夫なの、それって?」
『多分、大丈夫だと思う・・・・・・』
「なら、良いけど・・・・・・」
その後も他愛の無い会話が続き、キリの良い段階で通話が終わる。
――どうしたんだろう、愛花。
私はお風呂が沸く音を聞くと同時に、私の勘が働いた。
何か、悪い予感がするみたいに。
◇幕間
あさひとの通話を終えた私は、どこかボーッとしていた。
何でだろう。
何で、この気持ちになるんだろう。
きっと、あさひが会った女性は、裕子のことだろう。
だとしたら、なぜ裕子はあさひのことを知っているんだろう。
なぜ、裕子は私たちが事件を調べていることを知っているのだろう。
まさか、盗聴?
まさか。
そんな。
ねぇ。
私は鞄の中をまさぐり、中を調べる。
ーーやっぱ、ないよね。
裕子に限って、そんなことをするわけ、ないじゃん。
ふと、ある風景を思い出す。
それは、裕子が解決して欲しいと頼まれた事件の仮説を説明したときの。
あの光景。
裕子のあの呟きは、何だったの。
まさか。
私の勘が、悪い予感に触れる気がした。
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