第2話

 雷門若葉は婚約者のパーシーの服を抱きしめて泣いた。磯子駅前の喫茶店で知り合ったイギリス人だ。 頑張り屋だが、いたずら好きでおっちょこちょいである。 怖がりで幽霊などを苦手とする。

 

 事件は彼の住んでる洋光台2丁目のマンションで起きた。犯人は、パーシーの部屋の玄関ドアの外側にドアストッパーを置き、パーシーが逃げられないようにした上で、ベランダに梯子をかけて登り、ベランダの窓を割って侵入した。犯人はパーシーをバールで殴ったり包丁で刺したりし、120カ所以上の刺し傷や切り傷を負わせた。パーシーの悲鳴を聞いた周辺住民が110番通報し、パーシーは病院に搬送されたが、後頭部の粉砕骨折と左太ももの動脈損傷により失血死した。室内は玄関周辺まで大量の血痕が付着していたという。

 木製の棒(長さ約60cm)の先に包丁を固定した手製の槍のようなものや、バールがパーシーの部屋のベッドの上で発見された。

 また、パーシーが逃げられないように、玄関ドアの外側にはドアストッパーが差し込まれ、接着剤で止められていた。


 パーシーは坂東セミナーって塾に通っていたことが分かった。雷門の部下の財前大輔が潜入している。雷門は40歳、財前は35歳だ。

 坂東セミナーでは英語、ロシア語、スペイン語、中国語などを教えている。パーシーを殺した犯人が講師や生徒である可能性は捨てきれなかった。

 

 財前は休憩スペースでホットの缶コーヒーを飲んでいた。

 最上ゼミの生徒である中年の男性に「僕、パーシーというここの生徒の紹介でここに来たんですが。そいつと最近連絡が取れないんです」と、カマをかけた。

「パーシーなんて人知らないなぁ」

 パーシーは最上ゼミの生徒ではないのだろうか?


 お次は英語の授業だ。先生はイーサンってイケメン外国人。

 errはアーという読み方で、罪を犯すって意味があるらしい。

 aiはミツユビナマケモノを意味するらしい。

 ナマケモノ(樹懶)は、哺乳綱有毛目ナマケモノ亜目 (Folivora) の総称。ミユビナマケモノ科とフタユビナマケモノ科が現生し、他にいくつかの絶滅科がある。

 Outwitは裏をかくって意味らしい。

 ashにはトネリコ、灰、遺骨、廃墟、灰色という5つの意味があるそうだ。

 講義の後、財前は例の手段でイーサンにカマをかけた。

「パーシーはおちゃらけてた奴だった。あっ、前に久良伎公園前で見かけたんだが、ひどく暗い表情をしていたな」


 勤続20年の刑事、君津市郎が磯子駅近くのバーで飲んでいると、夫を亡くした桜庭民子と出会う。自身も妻を亡くしていた君津は彼女と親しくなる。


 2月20日の夜、友人宅で開かれたパーティーを娘、虹子と共に楽しんだ民子は、自宅へ帰る途中に武藤たち4人のチンピラにキャンピングカーへと連れ込まれレイプされてしまう。被害を免れた虹子は近くを偶然通りかかった君津に発見され、重傷を負った民子は病院へと搬送されていく。4人のチンピラはその日の内に逮捕されたものの、武藤の親が雇った敏腕弁護士・秋坂によって数日後には保釈されてしまう。退院した民子はPTSDに苦しみながらも審問に臨むが、狡猾な弁護士の弁舌や心ない裁判長の対応によって症状が悪化する。君津はヨットハーバーで投身自殺しようとする民子を思いとどまらせると彼女を家へと送り届け、虹子に自身の連絡先を渡す。


 桜庭家への嫌がらせを行うチンピラの1人、竹内洋は、バーで民子の恋人、長沼春樹と軽いトラブルを起こすが、マスターに止められて店から去っていく。その後、店の外で帰ろうとする長沼を背後から襲撃する竹内だが、そこに彼をマークしていた君津が現れる。君津は躊躇せず竹内を射殺すると自ら通報し、2人の正体に気付かなかったと嘘の報告をする。一方、裁判長と通じている秋坂弁護士は裁判の準備で有利に立ち回り、検事に取引をもちかけて軽い刑で済ませようとしていたが、武藤たちは無罪に拘っていた。


 君津は裁判員と偽って武藤と工場長の瀬島をヨットハーバーに呼び出すと、彼を射殺して遺体を海に落とす。2人が姿を消したことは「海の外へ逃亡したのか」というニュースとなり、桜庭家にも明るさが戻ってきた。しかし、チンピラの最後の1人、松岡康之が密かに虹子に接触し、嘘の証言をするように彼女を脅してくる。民子の秘密を知っているという電話で松岡をモーテルに誘い出した君津は、自殺に見えるよう遺書を書かせた上で彼を射殺する。


 2月27日、秋坂弁護士が君津の前に現れて警官による報復は違法であると非難するが、君津は怯まず「真実は闇の中だ」と返す。

 

 同じ日の夕方、講義を終えて財前は久良伎公園に向かった。

 久良岐公園は、横浜市港南区と磯子区にまたがる、横浜市立の都市公園(総合公園)。

 面積は、約23万m2。汐見台団地の造成にあわせて整備され、1973年(昭和48年)に開園した。名称はこの一帯の古い地名である久良岐郡から採られ、公募により決定した。中央付近に池があり、北側は散策路のある雑木林の先に久良岐能舞台がある。南側は運動広場や芝生広場、桜の林、横浜市電の保存車両などがあり、春には花見客でにぎわう。

 久良岐能舞台は見事だった。

 園内の北側にある能舞台。1917年(大正6年)に東京日比谷の帝国ホテル裏に建てられ、1931年(昭和6年)に東京芸術大学の前身である東京音楽学校邦楽科に寄贈された。同大学には1964年(昭和39年)に能舞台が新設されたため解体保存されていたが、宮越賢治が譲り受け、当地に移築した。1984年(昭和59年)に横浜市に寄贈され、市民の能楽・茶道・日本舞踊などの活動に使われている。鏡板には、日本画の大家平福百穂による老松が描かれている。


 横浜市電1156号はロマンチックだった。

 1972年に廃止された横浜市電の車両。園内の休憩所の近くに保存されている。1952年に製造された  1150型のうち、2012年現在現存している唯一の車両である。長年老朽化や盗難被害などにより荒廃していたが、2012年に神奈川新聞の呼びかけによるボランティアの手により修復された。現在は定期的に車内公開などが行われている。


 財前はいろんな人に聞き込んだが収穫はなかった。

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