第3話 友達ができない
入学したばかりの小学校は、とても大きな建物に見えた。
どこまでも続く廊下。両手と両足の指を合わせても数え切れない教室。100人で走り回れそうな、広い体育館とグラウンド。
だけど、期待していた学校生活は、予想よりずっと退屈だった。
聞いていた「みんなで勉強する」とは、ただ同じ教室で机を並べるだけのことなのだ。
話し合ったり、教え合ったりするわけではない。
それでも、休み時間になれば誰かとお話しできるかもしれない。
チャイムが鳴って先生が職員室に帰るとすぐに、私は隣の女の子に話しかけた。
「私、前田朱莉っていうの。よろしくね」
「よろしく」
彼女はそれだけ言って、すぐに前を向いてしまった。
入学したばかりだから、まだ緊張しているのだろうか。そう思って、再び話しかける。
「名前、何て言うの?」
すると、彼女は鬱陶しそうに顔をしかめた。
「名札を見ればわかるでしょ」
「あ、ごめんね」
きつい言い方に、胸がちくりと痛む。
きっとこの子は、他の子よりも人嫌いなのだろう。そう思って、諦めるしかない。
今度は、左隣の男の子に声を掛ける。
「私は前田朱莉よ。よろしく。名前、何て言うの?」
「
素っ気ないけれど、ちゃんと答えてくれた。
たったそれだけのことで嬉しくなった私は、森下くんに次の質問をぶつけた。
「どこに住んでるの?」
「東町1-2-3」
「あはは。それじゃわからないよ」
律儀に住所を答える森下くんがおかしくて、私は笑った。
静かな教室に笑い声が響いて、何人かが振り返る。
森下くんは笑う私を見て、怪訝そうな顔をした。
やってしまったことに気づいて、口を閉じる。
森下くんは私を笑わせようとしてわざと生真面目な返答をしたわけではないのだ。
住所を聞かれたから、住所を答えただけ。
そんなことで笑ったら、変な人だと思われてしまう。私は慌てて言い直した。
「ごめんね。住所を言われてもわからないかな。近くに何がある?」
「郵便局」
「あ、わかるかも。駅から近いよね」
「うん」
「電車に乗っていっぱい遊びに行けそう」
「電車に乗るの、嫌い」
「じゃあ、おうちで何して遊ぶの?」
「本を読む」
「へぇ、えらいね。どんな本が好き?」
「恐竜の本」
「それって図鑑とか? 私、図鑑はあまり読まないんだ。おもしろいの?」
「うん」
「どんなところが?」
「うーん」
森下くんは、なんと答えるべきか悩んでいるようだった。
会話が途切れると、教室がしんと静まりかえる。
そこで私は我に返った。
森下くんが質問に答えてくれるのが嬉しくてたくさん話しかけてしまったけれど、教室の中で会話をしているのは私たちだけだ。
ほかのみんなは、本を読んだり、ぼんやりしたりと、思い思いの時間を過ごしている。
ひとつの教室に30人も人がいて、誰もひと言もしゃべらずにいるのは、不気味だった。
「わからないけど、好き」
森下くんは、それだけ言って、机の中から本を取り出した。
恐竜の図鑑だった。
学校では、漫画を読んではいけないけれど、図書室にあるような小説や図鑑なら自由に持ってきていいことになっている。
本を開いてすぐに、森下くんの頬に笑みが浮かんだ。私と話しているときはにこりともしなかったのに。
彼にとっては、誰かと話すより図鑑を読んでいる方が楽しいのだろう。
私は急に、ひとりでしゃべっていたことが恥ずかしくなった。
悪目立ちしただろうか。うるさい奴だと思われてしまっただろうか。
まだ小学校に入学した最初の日なのに、こんなことで嫌われたくない。
私はみんなの真似をして、ただひたすら休み時間が終わるのを待った。
だけど、おしゃべりはいつまでも我慢できるものではない。
両隣の子が話に乗ってくれなければ、前後の席の子に。
それでもうまくいかなければ、席を立ってまで、私はみんなに話しかけてまわった。
誰か友達になってくれないだろうか。そう願う一心からの行動だった。
30人の中で1人くらい、おしゃべり好きの子がいるかもしれない。
その子はきっと引っ込み思案で、誰かに声を掛けてもらえるのを待っているんだ。
なんて、私の妄想だった。
「前田さんって変な子だよね」
誰かが直接言っているのを聞いたわけではない。
でも、クラスの中には、いつの間にか私を避けようとする雰囲気ができていた。
何気ない話題で声を掛けたときの反応でわかる。
私が「関わりたくない変な奴」だと思われている雰囲気。
気づかなければいいのに、私は人間関係において妙な鋭さを持っている。
相手の表情や仕草から、思っていることを少しだけ読み取れてしまうのだ。
だから、一瞬嫌な顔をされただけでも、見逃さない。
表情を読んで傷ついてしまうこともあるけれど、相手が嫌そうにしているのを察して会話をやめることもできる。
そうやって、うまく距離を取っていたつもりなのに。
「前田さんと目が合ったら話しかけられるよ。気をつけようね」
クラスの女子たちがそう言い合っているのを聞いたのは、入学してしばらくたった頃だった。
友達が欲しくて積極的に声を掛けたのが、あだになってしまったのだ。
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