第22話 新しき世界を求めて

 遠ざかって行くマリス達の帆船はんせんを、ネレウスは岸壁がんぺき見送みおくった。

 船影せんえい波間なみまの向こうに消えると、ネレウスはきびすを返して歩き始めた。

 そして島の浜辺はまべに達すると、そこには多くのアトランティスの民達たみたちが集まって、ネレウスを迎えた。

 民達の中央ちゅうおうに立つ女王じょうおうに向かって、ネレウスは深々ふかぶかと頭を下げた。

「それでは、我等われら出発しゅっぱつする事に致しましょう」

 ネレウスの声と共に、海面かいめんに大きな水飛沫みずしぶきが吹き上げた。

 民達たみたち見守みまもる中、巨大きょだい触腕しょくわん海面かいめんに姿を現し、その持主もちぬしであるダイオウイカに抱えられた岩礁がんしょう波間なみま浮上ふじょうした。

「『クラーケンの』だ。我らを新たな故郷こきょうへと運ぶ船だ。」

 ダイオウイカ。

 それは、深海しんかい生息せいそくする巨大きょだい無脊椎動物むせきついどうぶつである。

 二本の長い触腕しょくわんを含めると、全長ぜんちょうは20メートル近くに達し、二十一世紀の現代げんだいでもその生態せいたいいまだに謎が多い。

 ネレウスが呼んだクラーケンは、そのダイオウイカの中でも帝王的存在ていおうてきそんざいである。

 全長ぜんちょうはゆうに200メートルを越え、通常つうじょうのダイオウイカにはない固く強固きょうこ表皮ひょうひと、強靭きょうじん筋力きんりょくを持つ。

 アトランティスに於いては、深海しんかいつかさどる神としてうやまわれていた。

 そのクラーケンが抱えて来たのは、直径ちょっけいが300メートルにも達するの平たい円盤状えんばんじょう岩礁がんしょうだった。

 女王の後ろでアリウスと共に立つアネモネが、ポンペイの闘技場とうぎじょうにも匹敵ひってきする威容いようを持つ岩礁がんしょうを見て、女王に尋ねた。

「これがクラーケンの地…。私達わたしたちは、これにって新たなるアトランティスを目指めざすのですね。世界せかい何処どこかかに、あらそいもいさかいもない地が本当ほんとうにあるのでしょうか?」

 女王じょうおうは澄んだ眼でアリウスとアネモネを見つめ、静かな声で答えた。

「そういう世界せかいが必ずあると信じましょう。それは私達わたしたちの新たな希望きぼうです。私達は希望を探しに行くのです。」

 民達たみたちに向かって、ネレウスが高々たかだか宣言せんげんした。

「我らは、これから新しき住処すみかへと向かう。しかし、それは地ではない。深海しんかい奥深おくふか場所ばしょだ。」

 それを聞いた民達たみたちから、逡巡しゅんじゅんが混じったざわめきが起こった。

「海の底なんですか。じゃぁ、俺達おれたちは二度とお天道様てんとうさまおがめないんですね。」

 そう言って項垂うなだれる民達たみたちを、ネレウスが元気付げんきづけた。

其処そこには、新しき太陽たいようがある。決して人を邪道じゃどうにはさそわぬ太陽だ。人をやすらげる太陽だ。皆、行こう。その太陽たいようもとに。」

 ネレウスの言葉ことばを聞いた女王が、思わず苦笑にがわらいした。

「何とも凄い演説えんぜつですね。これでは、私の出番でばんなどなさそうですね。」

 それを聞いたアネモネが、改めて女王に向かって拝礼はいれいした。

「何をおっしゃるのです。アトランティスの新しき場所ばしょたみみちび最初さいしょ言葉ことばなど、女王様しか語れません。どうか、是非ぜひお言葉を。」

 アネモネにうながされて、女王が民達たみたちに向けて言葉ことばを発した。

「我らのむかう新しき場所ばしょ。それは、いま未開みかい大陸たいりく沖合おきあいです。その大陸は、人よりも動物達どうぶつたちが多い地です。住む人は、皆が動物達との共存共栄きょうぞんきょうえい心得こころえています。ローマのようなよこしまな心の者はいません。しかもネレウスが選んでくれた我らの新しき住処すみかは、決して人が踏み込む事の出来でき場所ばしょ。きっと新しき希望きぼうが見つかるでしょう。皆、安心あんしんして従って下さい。新しき場所ばしょで、我らは永遠えいえん安寧あんねい平和へいわを得るのです。」


 クラーケンの地をあやつつえを手にしたネレウスが、最初さいしょ岩礁がんしょうの上に立っち、足下あしもとの岩礁に向かって杖を打ち付けた。

 すると、そこに大きな穴が開き、穴の向こうには広大こうだい空間くうかんが広がった。

 民達たみたちは、その入り口から、次々とクラーケンの地へと乗り移った。

 クラーケンの地の内部ないぶ暖色だんしょくの光に満たされ、民達たみたちはそこに広がる光景こうけいに眼をみはった。

すごい。我ら全員ぜんいんが立ってもまだ余裕よゆうがあるほどの広場ひろばがある。しかも広場の周囲しゅういには岩壁いわかべ仕切しきられた部屋へやが、幾つも並んでいる。ネレウス様。新しい住処すみかおもむく旅の間、我らはあの部屋に住むのですか?」

「そうだ。手狭てぜまではあるが、旅の間は我慢がまんをして欲しい。クラーケンの地の内部ないぶには、何時いつ新鮮しんせん空気くうきが満ちている。広場ひろば井戸いどからは、真水まみずを汲み上げる事が出来る。旅の間の食事しょくじは、海でれる魚介ぎょかい海藻かいそうまかなう。しかし、長い旅の間、体調たいちょうを崩さぬように、柑橘かんきつは運び込んでおかねばならぬ。」

 ネレウスの説明せつめいうなずきながら、民達たみたちはクラーケンの地の内部ないぶ探検たんけんを始めた。

「これから、民達たみたち部屋へやを割り当てる。家族かぞくには一室いっしつを与える。一人暮ひとりぐらしの者達ものたちは、済まぬが相部屋あいべや我慢がまんしてくれ。皆、部屋へや荷物にもつを運んだら、動物達どうぶつたち植物しょくぶつ種子しゅし内部ないぶへと運び入れてくれ。」

 こうして、アトランティスの民と島に動物達どうぶつたちは、全てがクラーケンの地に収容しゅうようされた。

 全ての準備じゅんび完了かんりょうしたのを確認かくにんしたネレウスは、出入でいり口の穴に向かってつえを振った。

 出入でいり口が閉ざされ、それと同時どうじ民達たみたちが立つ足元あしもとが揺れた。

 巨大きょだい触腕しょくわんあし岩礁がんしょうを包み込んだクラーケンは、海面かいめんに一度大きな水飛沫みずしぶきを上げ、その後岩礁がんしょうを抱えて静かに潜航せんこうして行った。



 ローマにアトランティスの事が伝わる事はなかった。

 ヴェスヴィオ火山かざん噴火ふんか直前ちょくぜんにポンペイをおとずれていたローマの者達ものたちは、全員ぜんいん噴火当日ふんかとうじつ戦車競走せんしゃきょうそう観戦かんせんしていた。

 その為、全員ぜんいん火砕流かさいりゅうに呑み込まれ、地の底へと沈んだ。

 この事によって、オリハルコンの事も、戦車競走せんしゃきょうそう結果けっかも、全てがやみほうむり去られた。

 アトランティスの事は、ローマの歴史れきし記述きじゅつには一切登場いっさいとうじょうしない。

 ゴレイアスが、アトランティスに関しての全てを隠蔽いんぺいした事で、ローマに残るポンペイ執政官報告しっせいかんほうこくにも、アトランティスへの言及げんきゅうは見当たらない。

 アトランティスの島の沖合おきあい一個戦隊いっこせんたい全滅ぜんめつした事も、その事実じじつ上層部じょうそうぶ秘匿ひとくした事で、軍事日誌ぐんじにっしにもその記録きろくは残らなかった。

 後にアトランティスの島を訪れた者達ものたちは、島に人の住んだ形跡けいせきを何一つ発見はっけんする事が出来なかった。

 こうして、アトランティスは、永久えいきゅう歴史れきしの中から姿を消した。


 アトランティスの民達たみたちが向かった先は、誰も知る者はない。

 しかしその後の世界せかいで、時として異能いのうの人が現れて奇跡きせきを行った話は、各地かくちで多く伝えられている。

 二十世紀後半にじゅっせいきこうはんになって、北米大陸ほくべいたいりくのフロリダ沖合おきあいで、海底かいていに長く続く石畳いしだたみ発見はっけんされた。

 それはクラーケンの地の発着場所はっちゃくばしょなのかも知れない。

 もう一つ。

 フロリダから遠く離れた海には、海域かいいきと呼ばれる場所ばしょがある。

 その海域かいいきではしばしば磁気嵐じきあらし発生はっせいして、二十世紀にじゅっせいきになっても多くの船舶せんぱく航空機こうくうき行方不明ゆくえふめいになっていた。

 人々は、その海域かいいきをバミューダトライアングルと名付なづけて恐れた。

 その海域かいいきとアトランティスとの関係かんけいは、いまだに謎のままである。




 





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