第21話 マリス達の船出

 アリウス達が島に帰還きかんしてから半年はんとしが過ぎたある日、ネレウスが救出きゅうしゅつされた娘達むすめたちを島の王宮おうきゅうに呼び出した。

 娘達は島の一角いっかくに小さな家を建て、アネモネに機織はたおりの技術ぎじゅつを習って、日々ひび布を織って暮らしていた。

 マリスが定期的ていきてきに、その布を食品しょくひん日用品にちようひん交換こうかんしに出掛でかけていた。


 ネレウスは、自分じぶんの前に立った娘達むすめたちに、柔らかな微笑びしょうで問いかけた。

日々ひびの暮らしに不自由ふじゆうはないか?」

 優し気なネレウスの眼差まなざしを受けた娘達むすめたちは、一様いちように頭を下げた。

 娘達を代表だいひょうして、シャリオンが前に進み出た。

「お陰様かげさまで、何一つ不自由ふじゆうはありません。朝に小鳥ことりさえずりと共に目覚めざめて水を汲み、昼は無心むしんに布を織っていると、心が洗われる気持きもちになります。最初さいしょのうちは娼館しょうかんでの事を夜毎悪夢よごとあくむに見る者もおりましたが、今は落ち着いております。アトランティスの皆様みなさまには心から感謝かんしゃしています。」

「それは良かった。」

 ネレウスはそう言うと、ずまいをただして娘達むすめたちに向かい合った。

 娘達に付き添って来たマリスが、心配気しんぱいげ表情ひょうじょうでそれを見守みまもっていた。

「お前達まえたち此処ここに来て貰ったのは、お前達の今後こんごについて話をする為だ。実はな...。女王様じょうおうさま相談そうだんを重ねた結果けっか、我らはこの島をてる事になった。」

 ネレウスの言葉ことばに娘達は驚き、皆が胸の前で手を組んだ。

「島を棄てる....?どうしてです?」

「戦いやいさかいからのがれる為だ。アトランティスは、ポンペイだけでなく、昔から様々さまざまな国や都市としから干渉かんしょうを受けてきた。都度つどそれをね付け、時には防衛ぼうえいいくさも行った....。しかしいくさなど、アトランティスが望むものではない。我らの前に最後さいごに立ちはだかって来たのがポンペイだった。しかも軍事力ぐんじりょくではなく、極めて陰湿いんしつ手段しゅだんを講じて来た。それが何かは、今ではお前達まえたちも分かっているであろう。」

 ネレウスは、んでふくめるように、娘達むすめたちに語りかける。

「ポンペイは滅んだが、アトランティスには、今後こんご様々さまざま者達ものたちが手を伸ばそうとするだろう。特にローマが....。今までこの島は、ローマにとっては謎に満ちた神秘しんぴの島だった。しかしローマがその領土りょうど拡大かくだいして地中海ちちゅうかい制圧せいあつして行く中、いつまでも今迄いままでのようにはられぬだろう。我々は争いを好まぬ。ならば、もはやこの島にはれぬ。新しい故郷こきょう目指めざす旅に出る事にする。」

 その言葉ことばを聞いた娘達は、今後こんご自分達じぶんたちがどうなるのかという不安ふあんの眼をネレウスに向けた。

 そんな娘達を一人ひとりひとり見回みまわしながら、ネレウスは言葉ことばを繋げた。

「その旅には、お前達まえたちは連れては行けぬ。お前達は、アトランティスのたみではない。それぞれの故郷こきょうから、おのれの意に反してポンペイへと連れ去られたのだ。ならば、お前達は故郷に戻りなさい。シャリオンのように、家族かぞくを殺された者もいる。だから故郷こきぃうに戻るのはつらいかもしれぬ。しかし故郷にはまだ多くの知己ちきがいるだろう。そこで良き伴侶はんりょを見つけ、幸せを手に入れるのが良かろう。」

 故郷こきょうに戻るという言葉ことばを聞いて、娘達むすめたちは互いの顔を見合わせた。

 すると、ネレウスの言葉ことばを聞いたマリスが前に進み出た。

「ネレウス様。それならば、この娘達むすめたちを送り届ける役目やくめ是非ぜひとも俺にやらせて下さい。それと、折り入ってお願いがあります。」

 そう言うマリスのかたわらに、シャリオンがひしと寄りった。

 それを見たネレウスが言った。

「やはりそういう事か....。シャリオンと共に、異国いこくで暮らしたいと言うのだな?」

 ネレウスの問いに、マリスは深々ふかぶかと頭を下げた。

「島を出てはならぬというおきては、痛いほどに理解りかいしています。しかし、俺はシャリオンを幸せにしてやりたい。しかも、俺自おれみずからの手で。シャリオンと出会であってから、この思いをずっと胸にして来ました。シャリオン達が、いつかはこの島を離れねばならない事も分かっていました。でも俺は、シャリオンのそばから二度にどと離れたくはないのです。」

 そう言うマリスの胸に、もう一度いちどシャリオンがすがりついた。

 そんなマリスとシャリオンを見たネレウスは、おごそかな声で伝えた。

「マリス。それならば、今ここで二つの事をちかえ。一つは、決してアトランティスの事を異国いこくで口にせぬと....。同時どうじに、お前の持つ力を決して他人たにんには明かさぬと...」

 マリスは、ネレウスの前でひざまづいた。

「命にかけて誓います。それで、もう一つは何ですか?」

「このシャリオンを、一生いっしょうを通じて幸せにすると誓え。この娘の命ある限り、そばでこの娘をまもいとおしむ事を、此処ここで誓うのだ。」

 ネレウスの言葉ことばを聞いたマリスは、涙をぼろぼろ流しながらうなずいた。

「誓います。誓います。」

 マリスの肩に、シャリオンがすすり泣きながら抱きついた。

「アトランティスのおきてに照らせば、本来ほんらいは許せぬ事だ。しかしこのたびばかりは、女王様じょうおうさまもきっとご理解りかい下さるだろう。人の幸せは、誰もさまたげることは出来できぬ。」

 その様子ようすを見ていた娘達むすめたちの一人が、横から声を掛けた。

「やっぱりね。こういう風になると思ってたのよ。シャリオンは綺麗きれいだし、マリスさんのシャリオンを見る目が、最初さいしょから違ってたもの。シャリオンが、どうしてマリスさんを好きになったのかは、よく分からないけど....」

 娘の言葉ことばに、マリスが涙をきながら問い返した。

「それは、どういう意味いみだ?」

 マリスに問われた娘は、あっけらかんとした表情ひょうじょうで答えた。

「だって、マリスさんって、一寸ちょっと頼りない所があるじゃない。私なら絶対ぜったいにアリウス様ね。アネモネさんがいるから、絶対ぜったい無理むりだけど....」

 恋人選こいびとえらびの空気くうきになった場を察して、マリスが娘達に問い掛けた。

「おいおい、じゃあホークさんやダンツさんはどうなんだ?」

 するとアリウスしの娘が、直ぐに返事へんじを返した。

「お二人ふたりともとっても素敵すてきよ。でも、もうおじさんだから…。お父さんだったら最高さいこうね。」

 するともう一人の娘が、夢見ゆめみるような眼で言った。

「私は、断然だんぜんネレウス様ね。格好かっこいいし、何時いつでも冷静れいせいだし....。それにさっきマリスさんに言った言葉ことば。私、感激かんげきしちゃったわ。」

 そう言った娘は、熱い眼差まなざしをネレウスに送った。

 ネレウスは苦笑くしょうしながら、その娘にさとすように言った。

うれしい事を言って貰えて光栄こうえいだ。しかしお前は、これから新たな地で、お前に最も相応ふさわしい伴侶はんりょを見つけるのだ。お前が真心まごころを尽くして相手あいてに接するならば、一生涯いっしょうがいを共に支え合える男がきっと見つかるだろう。」

 ネレウスにそう言われた娘が肩を落とした。

「やっぱり駄目だめよね。ネレウス様は、女王様以外じょうおうさまいがいには見向みむきもしないもの。ネレウス様の頭は、女王様で一杯いっぱいなのよ。」

 そう言われたネレウスの顔に、初めて動揺どうようが浮かんだ。

「何を言う。私は、女王様に全てをささげている。決して色恋沙汰いろこいざたなどではないのだぞ。」

 そう言うネレウスに向かって、その娘が胸に手を組んだ。

可愛かわいい〜。そういう所が素敵すてきなのよ。」

 その様子ようすを見ていたマリスが、思わぬものを見たという表情ひょうじょうでネレウスに言った。

「ネレウス様といえども、女子おなごにはかなわないのですね。良いものを見せて頂きました。」


 女王じょうおうの元に向かったネレウスは、マリスとシャリオンの事を女王に告げた。

「あの二人ふたりの事、どうか許してやって頂ければと思います。あの二人を引き裂くのは、流石さすがに心が痛みます。」

 それを聞いた女王は、祝福しゅくふくの笑みを浮かべながらネレウスに命じた。

「お前の言う通り、人の幸せを引き裂く事など誰にもできません。ただ、マリスがずっとシャリオンと共に過ごす事など出来できないのですよ。その時を迎えたマリスがどうすべきかは、しっかりと伝えてあげるのですよ。」

 その後、ネレウスはマリス一人ひとりだけを呼び出した。

「お前の事は信じている。お前は、きっとシャリオンに幸福こうふくもたらすであろう。しかし、お前はアトランティスのたみだ。シャリオンが先にってしまうことだけはけられぬ。お前は、シャリオンき後、ひとりだけの人生じんせいには耐えられぬであろう。そうなった時には、アトランティスに戻って来るがよい。アトランティスの民は、常に女王様や私とつながっている。直ぐに、新しきアトランティスの場所ばしょを感じ取る事が出来るであろう。」


 数日後すうじつご、アトランティスの島の岸壁がんぺき一艘いっそう帆船はんせん準備じゅんびされた。

 二人の娘に手を差し伸べて船にみちびいたマリスは、最後さいごにシャリオンを抱き上げて共に船へと乗り移った。

 見送みおくりに来ていたネレウスに向かって、シャリオンが言った。

皆様みなさまから受けたご恩は生涯しょうがい忘れません。皆で相談そうだんしたのですが、私達わたしたちは共に、私の故郷こきょうに行く事としました。大切たいせつ仲間達なかまたちとは、これからも一緒いっしょたいですから。」

 シャリオンの言葉ことばうなずいたネレウスは、次にマリスに向き合い、最後さいご言葉ことばを掛けた。

「マリス。頼んだぞ。お前がこの娘達むすめたちまもるのだ。シャリオン以外いがい二人ふたりにも、良き伴侶はんりょを探してやってくれ。お前は、この二人の父であり兄であると思え。」



 後日譚ごじつたんである。

 シャリオンの故郷こきょうで、マリスとシャリオンは幸福こうふくな日々を過ごした。

 二人の娘も、良き相手あいてと巡り合って幸せを手に入れた。

 マリスとシャリオンの間には男子だんしが生まれた。

 二人は、その子をサーサーンと名付けた。

 サーサーンは後に東の地へとおもむき、そこで部族ぶぞくおこした。

 このサーサーンの子こそが、後にローマの東の地にペルシャ帝国ていこく復興ふっこうさせ、その大王だいおうとして君臨くんりんしたアルダシールである。






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