第19話 火砕流

 アリウスは、皆の前に立って声を挙げた。

「俺たちは、これから港の東にあるがけに向かう。そこに辿たどり着いた時だが…。マリス。ネレウス様からの指令しれいだ。そこでお前の力を使え...。そうネレウス様は、おっしゃっておられる。」

 それを聞いたマリスは、眼を丸くした。

「で、でも....。島以外しまいがいの人の前では、決して自分じぶんの力を使ってはならない....。そう日頃ひごろからおっしゃっているのは、ネレウス様ですよ...。ホークさんのたかなんかは、普通ふつうの人が見ればホークさんがあやつっているなんてわからない。アリウス隊長たいちょうやアネモネにしても、偶然ぐうぜん自然しぜん産物さんぶつと言う事が出来る。でも俺の場合ばあいは...。もしやネレウス様は、シャリオン達が俺達おれたち一緒いっしょなのをご存知ぞんじないのではありませんか?ご存知ならば、そのような指令しれいはあり得ないと思います。」

 マリスの言葉ことばに、ホークが首を横に振った。

「シャリオン達の事は、ネレウス様はもうご存知ぞんじだ。助け出した経緯けいいも、俺が鷹を使ってお知らせした。」

 ホークにそう言われてもまだ躊躇ちゅうちょするマリスに向かって、アリウスが言った。

「俺も、お前の持つ力がどんなものかは知らん。しかし、ネレウス様が、お前にえて力を使えとおっしゃってるのだ。此処ここはネレウス様を信じるしかあるまい。」

「でも、いつ、どのように使えば良いのです?」

「その時が来たら、ネレウス様が直接ちょくせつお前に伝えるそうだ。」

 それを聞いて、マリスは呆気あっけに取られた顔になった。

直接ちょくせつ伝える....? どうやって...?」

「そんな事、俺にわかるか。かくおっしゃる通りにするしか無いのだ。」

 やがてアリウス達は、南のがけの上に達した。

 沖に手をかざしたホークが、はるか先の海上かいじょう指差ゆびさした。

「海の先に、アトランティスの船が見えるぞ。」

「し、しかし、どうやってあの船に辿たどり着くのです....」

 そう言ったダンツの頭の中に、ネレウスの声が木霊こだました。

『ダンツ。馬達うまたち目隠めかくしをせよ。これからする事に、馬がおびえないように....』

 思いがけない言葉ことばにダンツは立ち尽くしたが、直ぐに言われた通りの行動こうどうを起こした。

「ネレウス様に言われた通りに、馬達うまたちの眼をふさぎました。でも、この後どうすればいいんでしょうか?」

 その時、一行いっこうの後ろに騎馬きばとどろきが聞こえて来た。

 その気配けはいに、ダンツがあせった声を挙げた。

追跡ついせきの軍に発見はっけんされたぞ。先はがけだ。どうすれば良いのだ。」

 その時、今度こんどはマリスの頭の中に、ネレウスの言葉ことばが響いた。

『マリス。全員ぜんいんがけべと伝えよ。そして全ての馬が跳んだ瞬間しゅんかん、お前の力を馬達うまたちに伝えよ』

 ネレウスからの心の声を聞いたマリスが、アリウスに向かって叫んだ。

「ア、アリウス隊長。ネレウス様が、がけを跳べとおっしゃってます。」

 アリウスは、崖のはしから下を見下ろした。

 はるか下の海面かいめんには、波が岩壁がんぺきに打ち付ける光景こうけいが見えた。

 それをじっと見詰みつめた後、アリウスは直ぐに決意けついを固めた。

「全く分からぬが、きっとこれの為にネレウスは俺達おれたちをこの場所ばしょみちびいたのだ。よし、おくするな。一斉いっせいにあのがけを跳ぶのだ。後ろに乗る娘達むすめたちは、前の男にしっかりとしがみついて眼を閉じろ。」

 その時、アリウス達の後方こうほうには、ポンペイの軍勢ぐんぜいが姿をあらわしてせまって来た。

 兵をひきいる隊長たいちょう大声おおごえを挙げた。

「もう逃げられんぞ。」

 その声を聞いたアリウスが、全員ぜんいんに向かって叫んだ。

「来たな!もう後ろには引けぬ。何処どこかに逃げる事も出来できぬ。迷うな!臆するな!ネレウス様が言われた通りにするのだ!」

 アリウスの言葉ことばに従い、男達全員おとこたちぜんいん一斉いっせいに馬の腹をった。

 八人を乗せた四頭よんとうの馬は、真っ直ぐにがけに向かって疾走しっそうした。

 そして、全馬ぜんばがけを跳んだ瞬間しゅんかん、マリスが大きな咆哮ほうこうを挙げた。

 マリスの叫びと共に、全ての馬が宙に浮かんだ。

 ペガサスが空を舞うように、馬達うまたちはを宙を滑空かっくうした。

 その時、マリスの頭の中に、再びネレウスの声が木霊こだました。

海面かいめんに、黒く太い線が見えるであろう。それが船に続く道だ。そこに着水ちゃくすいして、船に向かって馬を駆けさせよ。』

 海面を見詰みつめたマリスの眼に、沖に浮かぶ船につながる黒々くろぐろとした線が見えた。

 空中くうちゅうを大きく旋回せんかいした後、馬達は海面かいめん着水ちゃくすいした。

「こ、これは....。海の上なのに沈まない!」

 海面かいめんに立った四頭よんとうの馬達は、すぐさま海の上を疾走しっそうし始めた。

「何がどうなってるんだ。」

 誰もが唖然あぜんとして、自分達じぶんたちの乗る馬達の脚元あしもとに目をった。

 すると、海面かいめんには無数むすうの魚の背びれが見えた。

「スーパーポッド(魚の大群たいぐん)だ。ネレウス様があやつってるんだろう....」

 アリウスの声に、全員が改めて海面かいめんにひしめきあう魚群ぎょぐんに眼を向けた。

「ネレウス様は、海の生き物の全てをあやつれると聞いた事がある。我らがうやまうクラーケンも、ネレウス様の友と言われてる。」

 海上かいじょうに走る魚の道にみちびかれた四頭よんとうの馬達は、アトランティスの船に向かって真っしぐらに駆けて行った。

 アリウス達を追って来たポンペイの軍勢ぐんぜいは、目指めざ相手全員あいてぜんいんがけを跳んだのを見て唖然あぜんとした。

「逃げられぬと覚悟かくごして、自決じけつしたのか....」

 がけはしにたどり着いたポンペイの兵達へいたちは、崖下がけした見下みおろして更に目をいた。 

「これは......どうした事だ。どうして奴等やつら海上かいじょうにいるのだ。しかも、海の上を走っているとは....。どうして海を走るなどという事ができるのだ。」

 その時、崖上がけうえにいた兵達へいたち後方こうほうから、大きな地響じひびきが起こった。

 振り返った兵達へいたちの目の前に、轟音ごうおんと共に火砕流かさいりゅうが押し寄せて来た。

 火砕流かさいりゅうは、たちどころに兵達全員へいたちぜんいんを呑み込むと、火柱ひばしらとなって崖下がけしたへと雪崩なだれ落ちていった。


 それから数時間後すうじかんご、アグリッピナは、地下室ちかしつの中で癇癪かんしゃく破裂はれつさせていた。

「いつまで、こんな所に閉じこもっているのです。火山かざん噴火ふんかしたくらいで大騒おおさわぎするようでは、今後こんごローマに対抗たいこうするなど、とても無理むりですよ」

 そう言って立ちあがろうとするアグリッピナを、カイアが押しとどめた。

「外に出てはなりません。先ほど様子ようすを観に行きましたが、外では火山灰かざんばいが降り続いています。毒の煙も押し寄せており、道は市民達しみんたち死体したいで埋め尽くされています。」

 カイアの言葉ことばに、アグリッピナはまゆり上げた。

「ではこれから、どうしろと言うの?」

此処ここでじっとしているしか有りません。幸い毒の煙は、もう収まっている様子ようすです。しかし夜に外を歩き廻るのは危険きけんです。今は、じっと救出きゅうしゅつを待つしかありません。」

 その時、大きな激震げきしんひびき、地下室ちかしつ天井てんじょうから土煙つちけむりが舞い降りて来た。

「な、何なのです、これは....カイア、救出きゅうしゅつはいつになったら来るのですか....?」

 しかし、本当ほんとう地獄じごくは、この後にやって来る。


 シャリオン達が脱出だっしゅつした娼館しょうかんでは、先ほどまで泣きじゃくっていた娘が立ち上がり、一緒いっしょにいる娘達むすめたちに声を掛けた。

「逃げましょう。此処ここにじっとしていても、誰も助けになど来てはくれません。ならば、自分達じぶんたちの足で逃げるしかないのです。私達わたしたちは、シャリオンのさそいをことわって此処ここに残った。私は、今それをとても後悔こうかいしています。もう一度後悔いちどこうかいを繰り返したくありません。みんなもそうでしょう?」

 その娘の言葉ことばに、場の全員ぜんいんうなずいた。

 一人の娘が窓辺まどべに近づき、窓をおおうブランケットのわきから、外をのぞき見た。

「今なら、毒の煙は収まっているわ。」

 娘達むすめたちは、そっと部屋へやを抜け出すと裏口うらぐちへと向かった。

 娘達むすめたち脱走だっそうに、一階いっかいにいた娼館しょうかん男達おとこたちが直ぐに気付きづいた。

 三人の男達おとこたちが、直ぐに娘達むすめたちの後を追った。

 娘達は、火山灰かざんばいが雪のように降り積もった道を必死ひっしに駆けた。

「足が熱い!くつなんか全然役ぜんぜんやくに立たないじゃない!」

 悲鳴ひめいを挙げる娘達むすめたちに、男達おとこたちが追いすがった。

「お前ら、ふざけた真似まねをしやがって!後でたっぷりとお仕置しおきをしてやる。」

 三人の男達おとこたちが、それぞれ娘を押し倒して馬乗うまのりとなった。

 それを振り返った他の娘達むすめたちの眼が、男達おとこたちの後ろにあるものをとらえた。

 娘達の表情ひょうじょうが、恐怖きょうふこおりついた。

 そして、そのまましゃがみ込むように崩れ落ちた。

 娘達むすめたちの姿を見た男達おとこたちは、一斉いっせいに後ろを振り向いた。

 そこには、巨大きょだい地獄じごく業火ごうかせまっていた。


 アグリッピナ達が閉じこもるゴレイアスのやかたは、ヴェスヴィオ火山かざんから押し寄せた火砕流かさいりゅうによって押しつぶされていた。

 溶岩流ようがんりゅう土砂どしゃおおい尽くされた館は、濛々もうもうたる熱気ねっきに包まれた。

 その熱気は、直ぐに地下室ちかしつにまで達して行った。

 地上が火砕流かさいりゅうおおわれた地下室ちかしつは、完全かんぜん外気がいきから遮断しゃだんされ、徐々じょじょ酸欠状態さんけつじょうたいおちいって行った。

 中にいたアグリッピナ達は、熱地獄ねつじごく呼吸困難こきゅうこんなんさらされた。

 灼熱しゃくねつ息苦いきぐるしさにあえぎながら、アグリッピナは断末魔だんまつまの叫びを挙げた。

「こんな所では死なぬ。今一度いまいちどローマを、我が手に納めるまでは死ねぬ。この世界せかいは、わらわの為にあるのだ。ローマなどに屈したまま死ねるか.....断じて死ねるか....」

 アグリッピナは、そううめきながら、そばにあった胸像きょうぞうすがり寄ってその顔に爪を立てた。

「死ねるものか....死ねるものか。断じて死ねぬ....このままでは.....」


 深夜しんやにヴェスヴィオ火山かざんで起こった最大規模さいだいきぼ二時噴火にじふんかによって生じた火砕流かさいりゅうは、ポンペイのまちの全てを呑み込み、あらゆるものをほのおの中に消し去って行った。

 街のあった地域は、すでに降り積もった火山灰かざんばいおおい尽くされ、白い煙と灰が立ち込める荒野こうやに変わっていた。

 その白い荒野こうやの上を火砕流かさいりゅうが襲い、溶岩ようがん土砂どしゃおおかぶさった。

 こうして、ポンペイは地上ちじょうから完全かんぜんに姿を消した。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る