第17話 噴火の予兆

 ポンペイの沖合おきあい停泊ていはくするアトランティスの船上せんじょうでは、ネレウスが憂鬱ゆううつそうな表情ひょうじょう波間なみまながめていた。

 ネレウスの暗い表情ひょうじょうを見た船長せんちょうが声をかけて来た。

「ネレウス様、どうされたのです?」

「アリウス達の到着とうちゃくが遅すぎる。恐らく、出発しゅっぱつを遅らせなくてはならない事態じたいが生じたのだろう。あのポンペイのみなと様子ようすてみよ。ポンペイの兵士達へいしたちが、すで港湾こうわんに集まって来ている。恐らく、アリウス達を捕縛ほばくに来たのであろうな。」

 船長せんちょうは、ネレウスの横に立って、港湾こうわん方角ほうがくに手をかざした。

戦車競走せんしゃきょうそうでは、アリウス殿が正々堂々せいせいどうどう勝利しょうりされたのでしょう?捕縛ほばくなどに及べば、執政官しっせいかんもポンペイも面目めんぼくを失うでしょう?」

 船長せんちょうの声に、ネレウスは大きく息を吐いた。

表向おもてむきはそうだ。だが、まちを離れて港に向かうアリウス達を、大人おとなしく帰すような連中れんちゅうではない。彼らの追跡準備ついせきじゅんびととのう前に、アリウス達には港に到着とうちゃくしてもらいたかったのだが....」

 その時、大空おおぞらから一羽いちわ大鷹おおたか飛来ひらいして、ネレウスの腕に舞い降りた。

 ネレウスは腕にまった鷹の眼をじっと見つめ、やがて大きな嘆息ためいきを付いた。

 それを見た船長せんちょうが問いかけた。

「ネレウス様、何かあったのですか?」

「やはり、ポンペイの者共ものどもは、アリウス達に追っ手を差し向けている。アリウスが今それを打ち払っていると、ホークが知らせて来た。」

「それでは、アリウス殿達は、もうすぐ此処ここ到着とうちゃくされるのですね?」

 それには答えず、ネレウスの表情ひょうじょう一層いっそう暗さを増した。

「アリウス。いつもお前には、おのれの力を使い過ぎるな...と言い聞かせていたのに.....。お前の力は、お前が思っている以上いじょう結果けっかを引き起こす。女王様じょうおうさまも私も、それを懸念けねんしていたのだが.....」

 ネレウスは、小さくそうつぶやくと、陸にそびえるヴェスヴィオ火山かざんに眼をやった。

山容さんよう変化へんかが見える.....。これ以上いじょうの事が起こらなければ良いのだが....」

「それで、ネレウス様。これからどのように致しましょう? このまま此処ここで、アリウス殿達を待てば良いのですか?」

 船長せんちょうが問いかける声にわれに帰ったネレウスは、一時いっとき考え込むように眼を閉じた。

 そして眼を開くと船長せんちょうに顔を向けた。

「港の東にがけが見えるな。あの沖合おきあいに、船を移動いどうさせよ。」

 そして、腕の鷹に向かって語り掛けた。

「ホーク。私のくちびるの動きが分かるな? 今から言う事を、皆に伝えよ。」


 ゴレイアスとの死闘しとうを終えたアリウスがホーク達の隊列たいれつに追い付くと、全身血ぜんしんちだらけのアリウスを全員ぜんいんが驚いた表情ひょうじょうで迎えた。

隊長たいちょう一寸ちょっと馬から降りて下さい。」

 ダンツはアリウスの全身ぜんしんの傷を素早すばやく調べると、自分じぶんの馬のくらに付けた背嚢はいのうから小さな革袋かわぶくろを取り出した。

 そして中の液体えきたいを口に含むと、アリウスの手の傷口きずぐちに吹き付けた。

 その途端とたんに、アリウスの顔が大きくゆがんだ。

「何だ、これは….猛烈もうれつみるぞ。たまらん痛さだ。」

 アリウスの顔を見て、ダンツがもうわけなさそうな顔になった。

みますよね。済みません。でも効果こうか保証ほしょうします。俺が作った特製とくせい消毒止血薬しょうどくしけつやくです。こいつなら、しばらくは包帯ほうたい不要ふようです。ただし、右手みぎてこう骨折こっせつしてますね。添木そえぎをしましたが、アネモネを乗せて手綱たづなは握れますか?」

 ダンツにそう言われたアリウスは、右手みぎてこうに息を吹き掛けた。

「うむ。お陰で痛みが収まって来た。これなら何とかなりそうだ。」

 応急処置おうきゅうしょちが終わるのを待って、ホークがアリウスに向かって口を開いた。

「ネレウス様の元に鷹を飛ばして、ご指示しじあおぎました。合流地点ごうりゅうちてんを、当初とうしょの港から変更へんこうしろとおっしゃっています。」

 それを聞いたアリウスが、ホークの顔を見返みかえした。

「何...?ネレウス様は、何処どこに行けとおっしゃっているのだ?」

 その時ホークは、シャリオンや他の娘達むすめたちが、不安気ふあんげな顔で自分達じぶんたち見守みまも様子ようす気付きづいた。

 ホークはアリウスの肩を抱き、少し離れた場所ばしょ移動いどうすると、アリウスの耳元みみもと何事なにごとかを報告ほうこくした。

 それを聴いて最初さいしょは驚いた表情ひょうじょうを浮かべたアリウスだったが、やがて大きくうなずき、鞍上あんじょうでアネモネが待つ馬にまたがった。

「ようし、全員出発ぜんいんしゅっぱつするぞ。」


 一行いっこうが馬を進め始めてしばらくした時、大地だいちが大きく揺れた。

 そして、たった今下って来たヴェスヴィオ火山かざんから、不気味ぶきみ地鳴じなりが伝わって来た。

 それを耳にしたホークが顔をしかめた。

「これはまずい。火山噴火かざんふんか予兆よちょうです。追っ手を止める為に先ほど隊長たいちょうが起こした溶岩流ようがんりゅう噴出ふんしゅつが、火山活動かざんかつどう刺激しげきしたようです。」

 馬を停めたアリウスは、眼を閉じて気を集中しゅうちゅうした。

 やがて眼を開けたアリウスは、うつむきながら暗い声を発した。

「この様子ようすでは、直ぐに大噴火だいふんかが起こるな。しかもこの感じは、半端はんぱでは無い規模きぼだ。」

 アリウスの声を聞いたアネモネが、蒼白そうはく表情ひょうじょうになった。

 ホークが、自分が乗る馬をアリウスの馬の横に並べた。

隊長たいちょうの力で、何とか噴火ふんかを止める事は出来できないのですか?」

 その問いかけに対して、アリウスは力なく答えた。

如何いかに俺でも、一旦いったん動き始めた火山かざんおさえ込むのは無理だ。」

 その時、アリウスの背から、アネモネが大きな声を挙げた。

早急そうきゅう住民じゅうみん避難ひなんを呼び掛けねばなりません。噴火ふんかが起これば、多くの人達ひとたち被害ひがいが及びます。多くの死者ししゃが出ます。ポンペイに残して来た娘達むすめたちも、否応いやおうなしに巻き込まれてしまう。少しでも被害ひがいを減らす為には、一刻いっこくも早い避難ひなん必要ひつようです。」

 アネモネの言葉ことばに、全員ぜんいんうなずいた。

「でも、どうやって知らせるのです? 街道かいどうには、追っ手の兵達へいtsちがうろうろしてますよ。其奴そいつらと小競こぜり合いなどしてる余裕よゆうはないでしょう?」

 マリスがそう言った時、ホークが口を開いた。

たかを使いましょう。鷹に、危険きけん避難方向ひなんほうこうを知らせるふみを持たせるのです。恐らく集落しゅうらくの中で一番いちばん大きな家が、村長そんちょうの家でしょう。村長そんちょうならば、字も読めるはずです。」

 馬から降りたホークは、直ぐにふみ準備じゅんびを始めた。

 それを見たマリスが肩をすくめた。

一刻いっこくも早く脱出だっしゅつしなければいけないというのに、此処ここ人助ひとだすけですか…。でもまぁ、これがアトランティスの民ですよね。」

 アリウスはアネモネを自分のかたわらに呼び、他の娘達むすめたちに聞かれないように小さな声で尋ねた。

火山かざん噴火ふんかした時だが…。風を呼べるか?噴煙ふんえん避難ひなん方角ほうがくに達しないように....。お前なら何とか出来るのではないか?」


 しばらく後、ポンペイ周辺しゅうへんの村のおさの家々に、一羽の大鷹おおたか次々つぎつぎおとずれた。

 鷹は庭先にわさきで鋭い鳴き声を挙げ、あしにいくつも結びつけられた小枝こえだひもを、一本いっぽんずつ喰いちぎっては落としていった。

 大鷹おおたかの鳴き声に驚いて庭先にわさきに出た村長そんちょうは、小枝こえだに結ばれた布の文字もじを見ると、直ぐに火山かざんを見上げて顔色かおいろを変えた。

「確かに、火山の様子ようすが変だ。ふみに書かれた通り、噴火ふんかが起こりそうだ。」

 ポンペイ周辺しゅうへん村々むらむらに住む人々ひとびとは、おさの呼びかけに応じて、一斉いっせい避難ひなん開始かいしした。

噴煙ふんえん火砕流かさいりゅうを避けるのは、西の方角ほうがくだ。皆、西の方角を目指して逃げろ。おい!そんな大荷物おおにもつ背負せおって、何をするつもりだ。逃げ遅れれば、そのような荷物にもつ、何の役にも立たなくなるぞ!」

 おさ怒鳴どなられた村人が、泣きそうな顔になった。

「村の倉庫そうこにあった麦の実です。此奴こいつがなけりゃ、次の植え付けが出来できなくなる。噴火ふんかからのがれる事が出来ても、その後食うものがなけりゃじにですよ。」

 それを聞いたおさは、男の肩を叩いた。

「分かった。それは良くやった。しかし、お前一人でそんなに背負せおい込んでも、到底とうてい運べんだろう。おい。みんなで手分てわけして麦を運べ。」


 大鷹おおたかは、ポンペイのまちにも飛来ひらいした。

 物見ものみとうの上を旋回せんかいして鋭い鳴き声を発した鷹は、物見台ものみだい小枝いえだを落として飛び去っていった。

「どうした?」

 見張みはりの兵の一人が、ふみの布を開いたもう一人の兵に尋ねた。

「何だ、こりゃ....。ヴェスヴィオ火山かざん大噴火だいふんかすると書いてある。直ぐに西の方角ほうがくに逃げろ...と。」

 それを聞いた兵は、眼前がんぜんそびえ立つ火山かざんを見上げた後に首を振った。

「手の込んだ悪戯いたずらだな。確かに先ほど大きな地震じしんはあったが、火山かざんには何の変化へんかも無いじゃないか。ほうっておけよ。妙な報告ほうこくをして、後で叱責しっせきを喰らうのは御免ごめんだ。」

 その頃、ポンペイの街中まちなかには戦車競走せんしゃきぃうそう余韻よいんが残り、多くの市民達しみんたちがおまつさわぎとなっていた。

「いやぁ、まさかアトランティスが勝つとはな。あんな島に閉じもっていた者が、いきなり無敵むはい執政官しっせいかんを破るとは…。今回の勝負しょうぶについてのけの倍率ばいりつは、どのくらいになってたんだ?」

百倍ひゃくばいを越えてるそうだ。アトランティスに賭けておけば、ひと月は娼館通しょうかんがよいが出来できたな。しかし、そうそう賭けられるもんじゃないよな。」

「しかし、初出場はつしゅつじょうでいきなり優勝ゆうしょうとは…。あの馬と言い、あの戦車せんしゃと言い。アトランティスの連中れんちゅうというのは、俺たちの知らない物を沢山たくさん持っているに違いないぞ。」

 飲食店いんしょくてんのテーブルを囲んで騒ぐ市民達しみんたちを見ながら、長老ちょうろうの一人が不安気ふあんげ表情ひょうじょうを見せた。

「ゴレイアス殿は、首尾しゅびよく娘を取り返せただろうか?あの娘がいなければ、今後こんごのアトランティスとの交渉こうしょう手詰てづまりとなってしまう。」

 それを聞いたもう一人ひとり長老ちょうろうが、固い表情ひょうじょうのまま、眼の前に置かれた酒杯しゅはいを口に運んだ。

「ゴレイアス殿が戻るのを待つしかあるまい。しかし、市民達しみんたちが言うように、アトランティスには、まだまだ我らが知らぬものが隠されていそうだ。一刻いっこくも早く、その全てを知る必要ひつようがあるな。」











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