第16話 逃避行

 アリウス達の一行いっこうは、やがてヴェスヴィオ火山かざん中腹ちゅうふくに差し掛かった。

 一行いっこう進路しんろには最初さいしょのうちは木々や草花くさばなが目立ったが、細い坂路さかみちを進むに従って、草木くさきは姿を消した。

 周囲しゅういは、岩肌いわはだだらけの光景こうけいとなった。

 そして山の中腹ちゅうふくめぐる道に出ると、あちこちの岩肌いわはだ隙間すきまからは、白い煙が立ち昇っていた。

 その煙に混じって、周囲しゅういには硫黄いおうの匂いが立ち込めて来た。

 硫黄の匂いが充満じゅうまんする道を、アリウス達は進んでいった。


 馬車ばしゃの中で、一人の娘がアネモネに尋ねた。

私達わたしたちがこれから向かうアトランティスとは、どのような所なのでしょうか?」

 アネモネは、娘達むすめたち安心あんしんさせるように優しい声で語った。

「小さな島だけど、とても素敵すてきな所です。季節毎きせつごと様々さまざまな花が咲き乱れて、花の香りが島一杯しまいっぱいあふれます。島の畑では、香辛料こうしんりょうれる草木くさき沢山たくさん植えられています。その香辛料を使った島のお料理りょうりは、とても美味おいしいですよ。私は、ローズマリーを使って焼いたお肉や、黒胡椒くろこしょうを使ったお魚料理さかなりょうりが大好きです。みんなも、きっと気に入りますよ。」

 それを聞いたもう一人の娘が、眼をまたたかせた。

黒胡椒くろこしょうって、とんでもなく高価こうかなものじゃないですか。アトランティスの人は、そんなものを使った料理りょうり普段ふだんから食べているんですか?」

 アネモネは、娘の言葉ことばに首をかしげた。

黒胡椒くろこしょうがそんなに高価こうかなものだという事は、私は初めて知りました。アトランティスの島の料理りょうりは、素朴そぼくだけれど、自然しぜんの恵みをふんだんに使ったものが多いのですよ。」

 アネモネの言葉ことばに、二人の娘は期待きたいに眼を輝かせた。

 その時、シャリオンが不安気ふあんげ様子ようすでアネモネに尋ねた。

「でも、アトランティスの人達ひとたちは、島以外しまいがい人間にんげんは受け入れないと聞きました。島に近づく事さえ出来ないと。そんなアトランティスが、私達わたしたちを受け入れてくれるのでしょうか?」

 アネモネは、シャリオンの手の上に自分の手を重ねた。

大丈夫だいじょうぶです。アトランティスには、女王様じょうおうさまがいらっしゃいます。とても聡明そうめいで、お優しい方です。確かにアトランティスは、外界がいかいとの接触せっしょくっています。でも今回こんかいのような時に、貴女達あなたたちを突き放すような事はしません。女王様におまかせすれば良いのです。安心あんしんしていて下さい。」


 先頭せんとうを行くアリウスに、後方こうほう幌馬車ほろばしゃからマリスの声が掛かった。

此処ここから先は、馬車ばしゃ無理むりです。」

 マリスからの声を聞いたアリウスは、直ぐに決断けつだんをした。

「やむを得ん。馬車ばしゃは捨てよう。男四人おとこよにんが女を一人づつ馬に乗せろ。」

 マリスは幌馬車ほろばしゃから馬を切り離すと、馬車を引いて来た二頭を放馬ほうばした。

 そして馬車ばしゃから降ろした一頭の金色こんじきの馬にまたがると、シャリオンに手を差し出して馬に引っ張り上げた。

 アリウス達も、各々おのおの自分の乗っていた馬に、一人づつ娘達むすめたちを引き上げた。

女達おんなたちは、馬をあやつ男達おとこたち背中せなかに手を回して、しっかりとしがみ付け。俺が様子ようすを見ながら先導せんどうする。」

 そう言って、アリウスは自分の乗る馬を全員ぜんいんの前に出した。

 その時、アリウスの背に手を回していたアネモネが、アリウスに問いかけた。

「アリウス様。おかしな気配けはいを感じませんか? 私は、本来ほんらい地脈ちみゃくを感じる事は出来ません。それでも何処どこか嫌な感じがします。」

 アネモネからの問いかけを聞いて、アリウスは馬の歩みをめた。

「お前も、これを感じるか? 確かに地脈ちみゃく異常いじょう気配けはいを発している。これは、火山かざん噴火ふんか前兆ぜんちょうかも知れぬ。」

 アリウスの背に回したアネモネの手が、緊張きんちょう強張こわばった。

「このヴェスヴィオ火山かざんがですか? この火山が噴火ふんかすれば、どのような被害ひがいが出るのです?」

「そうだな。この火山が本格的ほんかくてきな噴火を起こせば、麓近ふもとちかくにあるポンペイは、業火ごうかに飲まれて壊滅かいめつするだろうな。」

 それを聞いたアネモネは、アリウスの背に回した手に力をめた。

「ならば、アリウス様の力を使って、この地脈ちみゃく蠢動しゅんどうを止めて下さい。」

 その言葉ことばを聞いて、アリウスは後ろに乗るアネモネを振り返った。

「アネモネ。俺達おれたちは、今は逃避行とうひこう最中さいちゅうなのだぞ。何故なぜそのような事を気にするのだ。」

 すると、アネモネが背に回した力を更に強めた。

「アトランティスの民は、民を安んじる事になら迷わずおのれの力をふるえと言うのが、女王様じょうおうさまからの教えではありませんか。それはアトランティスの民にのみに使うものなのでしょうか?ポンペイの民とて、同じ人間にんげんです。」

 アネモネの言葉ことばを聞いて、アリウスは項垂うなだれた。

「お前はすごい。お前をあれほどの目にわせたポンペイを、お前はすくおうと言うのだな。しかし…。それは出来できぬ。」

「どうしてです? ポンペイには、私達わたしたちが救い出せなかった娘達むすめたちが、まだ残されているのですよ。あの娘達を助けなくてはなりません。此処ここでアリウス様が力を使って下さるのなら、私は何でも致します。これまで以上いじょうにご奉公ほうこうしますから…」

 そんなアネモネを見ながら、アリウスがうつむいたまま答えた。

「やりたくないのではない。出来できぬのだ。確かに俺は自然しぜんあやつれる。しかし自然の意志いしを操れるわけではないのだ。自然しぜんおのれの意思で動き出してしまった時には、俺でもどうしようもないのだ。」


 アリウスを先頭せんとうとした四頭よんとう隊列たいれつが、岩肌沿いわはだぞいの細い道をしばらく進んだ時、崖下がけした方向ほうこうからくうを切り裂くような音が響いた。

 アリウスは、咄嗟とっさに腰に付けていた剣を抜いて横に払った。

 アリウスの足元あしもとに、剣で払い落された一本いっぽんの矢が転がった。

「追っ手の襲撃しゅうげきだ。全員ぜんいん前方ぜんぽうの岩のかげまで走れ。」

 全員が駆け出すと同時どうじに、頭上ずじょう何本なんぼんもの矢が飛来ひらいして来た。

 アトランティスの男達おとこたちは剣を振るって矢を払い、馬の後方こうほうに乗る女達おんなたちかばいながら、前方ぜんぽうにあった大岩おおいわの陰に駆け込んだ。

 岩陰いわかげから矢が飛来ひらいして来た下の方角ほうがくのぞくと、山腹さんぷくがけ百人ひゃくにん近い兵が取り付き、じりじりとよじ登って来るのが見えた。

 それを見たマリスが叫んだ。

隊長たいちょう、どうします?これでは身動みうごき出来ませんよ。」

「このまま此処ここにじっとしていれば、下の兵達へいたちが這い上って来るな」

 アリウスは馬を降りると、岩砂利いわじゃりの上で両脚りょうあしを踏ん張った。

 そして、胸の前で両腕りょううで交差こうささせて眼を閉じた。

 それを見たホークが、アリウスに声を掛けた。

隊長たいちょう、危ない。矢が来ますよ。何をする気です....?」

 アリウスは岩砂利いわjysり小径こみちの上で仁王立におうだちとなると、組んだ両手りょうてを大きく天に突き出し、口の中で何かをつぶやいた。

 その瞬間しゅんかん、山の斜面しゃめんが大きく揺れた。

 そして地鳴じなりと共に、下方かほうにいた兵達へいたちが立つ斜面しゃめんのあちこちから、赤い奔流ほんりゅう蒸気じょうきと共に吹き上がった。

 それを見たホーク達は、眼をみはった。

「こ、これは、溶岩流ようがんりゅう噴出ふんしゅつ.....」

 地肌じはだを割って吹き上がった溶岩ようがん噴水ふんすいは、周囲しゅうい兵達へいたちに向けて赤いほのおき散らした。


 突然とつぜん異変いへんに、斜面しゃめんを登っていた兵達へいたちは、あわてふためいた。

 皆が手にしたやりや弓を放り出して、降りかかる炎から身を守ろうと頭をかかえた。

 そして、ころげ落ちるように、ふもと目指めざして駆け出した。

「ホーク、今だ!あの先に見えるななみちくだれ!とうげの向こうに通じる道だ。お前達まえたちが先に行け 。俺はしばら此処こことどまって、あの兵達へいたち様子ようす確認かくにんしてから後を追う。急げ!」

 アリウスの指示しじに、ホークが皆を振り返った。

全員ぜんいん、馬にまたががれ!あわてるな。急ぎ過ぎると、馬があしを取られて転倒てんとうするぞ。慎重しんちょうに歩みを進めるんだ。」

 ホーク達が馬を進めて行く後姿うしろすがた見詰みつめた後、アリウスは、再び下方かほうに眼を転じた。

 吹き上げた溶岩流ようがんりゅうは、白い噴煙ふんえんと共に、赤いへびがうねりうようにふもと方向ほうこうに流れ落ちて行く。

「これで、彼処あそこから登って来るのは、もう無理むりだろうな....」

 その時、アリウスの耳に大きな怒声どせいが伝わって来た。

「アトランティス!簡単かんたんに逃げられると思うな。今度こんどこそ決着けっちゃくを付けてやる。」


 声のぬしはゴレイアスだった。

 ゴレイアスは黒馬くろうままたがり、アリウス達が辿たどって来た小径こみちを、アリウスを目指めざして真っ直ぐに疾走しっそうして来た。

 アリウスの立つ岩陰いわかげに達したゴレイアスは、馬の背から宙を飛び、アリウス目掛めがけておどり掛かった。

 アリウスとゴレイアスはもつれ合って倒れると、がけ斜面しゃめんみ合いながらころがった。

 その時、また地面じめんが大きく揺れた。

 アリウスとゴレイアスが揉み合う直ぐ横の斜面しゃめんに大きな亀裂きれつが走り、そこから白い蒸気じょうきが吹き上がった。

 アリウスを組み伏せたゴレイアスは、腰の剣を抜き、アリウスの顔に向かって剣を突き立てた。

 アリウスは、首をねじってかろうじてさきけた。

 そして、ゴレイアスの身体からだを脚でけ、斜面しゃめんに立ち上がった。

 再度さいど剣を振り上げたゴレイアスに向かって、アリウスはまわりを放った。

 アリウスの蹴りが剣のみねを打ち、ゴレイアスが手にした剣をばした。


 剣を無くしたゴレイアスに向かって、アリウスが怒鳴どなった。

「さぁ、これでおのれ肉体にくたいだけの勝負しょうぶだな。お前のような権力けんりょくだけにすがってきた男に、俺が倒せるか?」

 アリウスの挑発ちょうはつを受けたゴレイアスは、天に向かって咆哮ほうこうした。

 そして、アリウスに向かって、遮二無二しゃにむに突進とっしんして来た。

 アリウスはその突進とっしんかわすと、振り返ったゴレイアスの顔に強烈きょうれつこぶしを浴びせた。

 アリウスの拳をあごに受けたゴレイアスは、たまらず後ろ向きに転倒てんとうした。

 ゴレイアスにのしかかろうとしたアリウスにの顔に、ゴレイアスが手元てもと砂利じゃりを投げ付けた。

 目潰めつぶしを受けたアリウスがひるすきに、ゴレイアスが再びアリウスを押し倒した。

 そして斜面しゃめん亀裂きれつにアリウスの顔を押し付け、その首に手を掛けた。

 その時、轟音ごうおんひびき、二人の直ぐ横の亀裂きれつが大きく広がった。

 亀裂からは大量たいりょう蒸気じょうきが噴き出し、亀裂きれつの底には灼熱しゃくねつを発する真っ赤な溶岩ようがんの流れがあった。

 それを見たゴレイアスは、アリウスの首から手を離すと、足を使ってアリウスの身体からだをを亀裂きれつへと押しやった。

 そして、アリウスを亀裂へととした。

 アリウスは、大きく割れた亀裂きれつ崖端がけはしかろうじて右手みぎてで握り、転落寸前ついらくすんぜん身体からだを支えた。

 そこにゴレイアスが立ちはだかり、勝ち誇った怒声どせいを挙げた。

「これで終わりだ。地獄じごくかまで、全身ぜんしんを焼かれるがいい。」

 ゴレイアスは片足かたあしを上げて、亀裂きれつはし身体からだを支えるアリウスの右手みぎてみにじった。

 その時また大地だいちが揺れ、体勢たいせいくずしたゴレイアスの足首あしくびをアリウスの左手ひだりてとらえた。

 アリウスは、渾身こんしんの力をめて、ゴレイアスの足首あしくびを引っ張った。

 ゴレイアスの身体からだが宙に浮き、その眼が大きく見開みひらかれた。

 そして、断末魔だんまつま悲鳴ひめいと共に、灼熱しゃくねつ溶岩流ようがんりゅうの中に落下らっかして行った。

亀裂きれつはしつかまったアリウスは、やがて力をしぼって両手りょうて岩肌いわはだを掴み、自分じぶん身体からだを引き上げた。

 水蒸気すいじょうきが吹き上げる亀裂きれつわき斜面しゃめんで、アリウスはしばらく横たわったまま大きな息をかえした。



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