ポンペイからの脱出

第15話 ポンペイの実態

 闘技場とうぎじょう到着とうちゃくしたホーク達は、ダンツが準備じゅんびしていた幌馬車ほろばしゃの奥にシャリオン達を隠すと、アリウスの帰りを待った。

 やがて戻って来たアリウスは、直ぐに馬達うまたち戦車せんしゃを、幌馬車におさめた。

 荷台にだいの奥にシャリオンの他に二人の娘がうずくまっているを見て、吃驚びっくりした顔になったアリウスだったが、直ぐにおびえた表情ひょうじょう娘達むすめたちに笑いかけた。

「馬達と一緒いっしょ狭苦せまくるしいが我慢がまんしてくれ。女性じょせいに対しては大人おとなしい馬達だから心配しんぱいはいらんよ」


 その後、アリウス達は、直ぐに出発しゅっぱつした。

 幌馬車ほろばしゃ御者台ぎょしゃだいにホークと共に座ったアリウ向かって、ポンペイ議長ぎちょうが声を掛けた。

御無事ごぶじに島に戻られるよう祈っておりますぞ。是非ぜひ、また貴方あなた勇姿ゆうし闘技場とうぎじょうたいものですな。」

 ホークが幌馬車ほろばしゃを引く二頭の馬をうながして、馬車ばしゃを進め始めた。

 遠ざかる馬車ばしゃ見送みおく議長ぎちょうの後ろから、一人ひとりの男の声が掛かった。

「ご苦労くろうだった。おかげ追跡ついせき準備じゅんびととのったよ。」

 そう言ってにんまりと笑ったのは、ゴレイアスだった。

 議長ぎちょうは、ゴレイアスに向かって強い口調くちょう確認かくにんした。

執政官殿しっせいかんどの約束やくそくですぞ。ポンペイ市民しみんの前で、彼らに手を出してはなりませんぞ。これは、貴方あなた議会ぎかい名誉めいよかかわわる事です。しかしまちを囲む城壁じょうへきの外に出れば話は別です。街の外でなら何をしようと、我らは目をつむります。それと、あの娘を取り戻して頂けるとの事。よろしくお願い致します。」

 議長のその言葉に、ゴレイアスが了解りょうかいしたとうなずいた。

「分かってっている。奴等やつらおそうのは、港に向かうとうげの先だ。市民達しみんたちの眼がある間は、手を出したりはしないさ。しかし、峠の先での事は、お前の言うようにポンペイ議会ぎかいにはかかわりのない事だ。心配しんぱいするな。娘は必ず連れ戻す。しかしあのアリウスという男にだけは容赦ようしゃはしない。俺にはじをかかせた男だ。彼奴あいつの首だけは叩き切る。恥をかかされたまま引っ込むほど、俺は腰抜こしぬけではない。他の三人の男も、娘の確保かくほ邪魔じゃまするようなら、その場でいきを止めてやる。」

 ゴレイアスの怒気どきみなぎらせた言葉ことばに、議長はおびえた眼を見せた。

「分かりました。今のお言葉ことばは聞かなかった事にします。しかし、アトランティスの者をあやめたりすると、後々のアトランティスとの交渉こうしょう難儀なんぎしますぞ。」

「そのような事、百も承知しょうちだ。しかし、あの娘さえ手のうちに置いておけば、交渉こうしょうは続けられるのだろう?多少の軋轢あつれき覚悟かくごの上で言っている。これは、俺の自尊心じそんしん問題もんだいなのだ。」

 そこでようやく平静へいせいを取り戻した議長ぎちょうは、もう一度いちどゴレイアスに向き合った。

「娘を取り戻して頂いた後なのですが…。娘の身柄みがらは、直ぐに我らへとお引き渡し下さい。」

 それを聞いたゴレイアスは、まゆり上げた。

「どうしてだ?確かに先日せんじつ、お前達まえたちに娘を渡すとは言った。しかし、もう状況じょうきょうが違うのだ。俺のやかたに連れ帰って、何の問題もんだいがあるのだ?」

 すると、議長ぎちょうが首を横に振った。

「問題は大有おおありです。執政官殿しっせいかんどのが館に娘を連れ戻したりすれば、貴方あなた強引ごういんに娘を奪い返したと、市民達しみんたちは思うでしょう。それは契約違反けいやくいはんですよ。まずいとは思われませんか?」

 議長ぎちょう言葉ことばに、ゴレイアスは息を呑んだ。

「しかし、議会ぎかいが娘をあずかっても同じ事ではないか。そうではないのか?」

 そう言うゴレイアスの顔を、議長がのぞき込んだ。

「あの娘。アトランティスでは罪人ざいにんだった事にします。島から脱走だっそうはかって、ポンペイの海岸かいがんに流れ着いた。それを追跡ついせきして、あの者達ものたちがやって来たと言う事にします。戦車競走せんしゃきょうそうの結果、また島に連行れんこうされる事をきらった娘が、ポンペイに逃げ帰った。そう市民達しみんたちには説明せつめいします。その場合ばあいは、議会ぎかいに助けを求めたと説明せつめいした方が、市民達の納得なっとくは得られるのではないですか?」

 それを聞いたゴレイアスは、思わず鼻を鳴らした。

「お前達まえたちは、何とも悪賢わるがしこいな。そのような小賢こざかしいところにだけには知恵ちえが回るのだな。よかろう。この件は、後ほど相談そうだんしよう。」

 そこに副官ふくかんのカイアが姿を見せた。

「ゴレイアス殿。とうげの先には、すで兵達へいたち派遣はけんしてあります。港に向かう街道かいどう封鎖ふうさしました。庶民達しょみんたち通行つうこうしようとした時は追い払います。」

 カイアの報告ほうこくを聞いたゴレイアスは、満足まんぞくそうにうなずいた。

「それで良い。ところでお前はやかたに戻ってくれ。」

何故なぜです?」

「あの女....。アグリッピナが勝手かってな動きをしないように見張みはってくれ。って置くと、怒りにまかせて暴走ぼうそうしかねんからな。」

 ゴレイアスの言葉ことばに、カイアはうなずいた。

「あの女のことだから、今頃いまごろはヒステリーを起こしてるはずだ。お気に入りの男娼だんしょうでも呼んで、気晴きばららしをさせてやってくれ。後で俺が、アトランティスの連中れんちゅうの首を土産みやげに持って帰ってやる。」

 敬礼けいれいして立ち去るカイアの後姿うしろすがたを見ながら、ゴレイアスはこぶしを握りしめた。

「アトランティスの連中れんちゅうめ。俺に恥をかかせてただで済むはずが無い事を、直ぐに分からせてやる。」


 カイアがゴレイアスのやかた門前もんぜんに戻ると、館の中からは、アグリッピナの甲高かんだか怒声どせいが外にまでひびき渡っていた。

「ゴレイアスも口程くちほどにも無い。直ぐに館にいる兵を、アトランティスの者共ものどもの元に差し向けなさい。市民達しみんたちの目の前で、全員をきにするのだ。」

 カイアは直ぐに館に入ると、アグリッピナの前に立った。

「アグリッピナ様。勝手かって言動げんどうつつしんで頂きたいですな。」

 カイアの顔を見て、アグリッピナの怒声どせいが更に大きくなった。

「何を言ってるのです。大観衆だいかんしゅうの前で、大恥おおはじをかかされたのですよ。その恥をそそがなくては、執政官しっせいかん権威けんいなどたもてる筈がないではないか。」

「だからと言って、市民達しみんたちが見ている前で彼等かれらを殺すなど、それこそ恥の上塗うわぬりですぞ。貴女様あなたさまがこれ以上いじょう勝手かって言動げんどうをされるようなら、拘束こうそくしてローマに送り返せ、というのが執政官のご命令めいれいです。」

 その言葉ことばを聞いて、アグリッピナは沈默ちんもくした。

 そして、しばらくの後に口を開いた。

「ところでゴレイアスは、何処どこに行ったのです?」

執政官殿しっせいかんどのは、兵を連れてアトランティスの者共ものどもを追っております。街の城門じょうもんまでは手は出せないが、そこから出た後は自由じゆうにはさせないと....。ずはあの娘を取り戻すと言われていました。それ以外の者は、全員ぜんいんを殺してしまう事をお考えだと思います。」

 それを聞いたアグリッピナが、ようやく納得なっとく表情ひぃうじょうを見せた。

当然とうぜんね。あのような赤恥あかはじをポンペイ市民達しみんたちの前で受けて、そのままにするようなら、執政官しっせいかんとは言えません。捕えるなど不要ふよう。さっさと殺して仕舞しまえばいいのです。」

 興奮こうふんすると後先あとさきを考えられなくなるのは、アグリッピナの何時いつもの事である。

「ゴレイアスは、アトランティスと交渉こうしょうするなどと手緩てぬるい事を言っていたが、ようやく腹を固めたようですね。どのみち屈服くっぷくさせるべき相手あいてです。交渉など考える必要ひつようは無かったのです。ローマの船団せんだんが追い払われたのは、油断ゆだんしていたからでしょう。本気ほんきのぞめば、あのような小さな島など直ぐに征服せいふく出来ます。その手始てはじめに、逃げたあの者共ものども血祭ちまつりに挙げ、宣戦布告せんせんふこくとすればよい。」

 それを聞いたカイアは、アグリッピナに向けて怒気どきを強めた声で応じた。

「それが出過ですぎていると言うのです。何度なんど執政官殿しっせいかんどのからくぎを刺されているというのに、だお分かりにならないのですか?執政官もポンペイ議会ぎかいも、もはや貴女あなた言葉ことばなどに耳は貸しません。もう貴女の役目やくめは終わったのです。これからは、このやかたの中で大人おとなしくしているのが賢明けんめいです。執政官殿しっせいかんどのから言われております。興奮こうふんした貴女あなたに最もく薬は、男娼だんしょうだと。今から呼んで差し上げましょうか?」

 アグリッピナは、カイアの言葉ことば自尊心じそんしんを傷つけられて歯噛はがみをした。


 街中まちなかを進む幌場所ほろばしゃ御者台ぎょしゃだいでは、ホークがアリウスに話し掛けていた。

「さて、どうします? 先ほどたかを飛ばして、様子ようすを観に行かせました。やはり港に向かう街道かいどうの先には、軍勢ぐんぜいが集まって来ています。」

 それを聞いたアリウスは、予想通よそうどおりと言った顔でうなずいた。

「やはりそうか....。城門じょうもんを抜けたら、途中とちゅう脇道わきみちれるようにしよう。」

何処どこに向かいますか?」

直接ちょくせつ港に向かおうとすると、兵が待ち構えているだろう。一旦いったんは、逆方向ぎゃくほうこうのヴェスヴィオ火山かざんに向かおう。火山の中腹ちゅうふく辿たどって、とうげの向こうに抜けるのが良いだろう。」

 城門じょうもんを抜けてとうげに向かう街道かいどうを進んだアリウス達は、ヴェスヴィオ火山の麓近ふもとちかくに到達とうたつすると、ふもとに広がる林の中に馬車ばしゃ停止ていしさせた。

此処ここで馬達を降ろす。山腹さんぷくの道は、四頭よんとうも馬を積んだ馬車での通行つうこう無理むりだ。荷台にだいには、アネモネやシャリオン達だけを載せる。幌馬車ほろばしゃを引く二頭にとうは、マリスがあやつれ。俺を含む他の三人は、降ろした馬に乗って先に進む事にする。」

 こうして、マリスを除く男達おとこたち幌馬車ほろばしゃから降り立った。

 男達は三頭さんとう金色こんじきの馬にまたがり、幌場所を前後ぜんごはさむ形で先に進み始めた。

 幌馬車ほろばしゃ荷台にだいに座るのは、女達おんなたちだけとなった。

 シャリオン、そして共に救い出された二人の娘は、自分達じぶんたちの身に起こった事柄ことがらいまだに信じられない様子ようすで、荷台にだいすみで身を寄せ合っていた。

 そんな娘達むすめたちに、アネモネが声を掛けた。

突然とつぜんの事で驚いたでしょうね。でももう娼館しょうかんで働かされる事は無いのよ。」

 その優しい声音こわねを聞いた娘達が、すがるような目をアネモネに向けた。

 その中の一人が、おずおずと口を開いた。

貴女あなたは、シャリオンが言っていたアネモネという人ですね。シャリオンは、貴女とアトランティスの人達ひとたちが、たすけに来てくれるかもって言っていた。誰も信じなかったけど.....。本当ほんとうに来てくれたんだ。」

 アネモネは、その娘に対して優しく微笑ほほえんだ。

「そうなの?シャリオンは、みんなにそんな話をしてたのね。でも私達わたしたちが助けに行った時、大部屋おおべやには十人近くの娘達むすめたちがいたわよね。どうして貴女達あなたたち二人だけしか一緒いっしょに来てくれなかったのかしら?」

 アネモネの問いに、一人の女が顔を挙げた。

「逃げるのがこわかったんだと思います。娼館しょうかんから逃げ出した女達おんなたちが、連れ戻されてひど折檻せっかんを受けるのを、皆が眼にしていますから。」

 それを聞いたアネモネは、眼に涙を浮かべた。

「みんな、酷い目にっていたのですね。それならば、残された人達ひとたちも、必ず救い出さねばなりませんね。」

 シャリオンがそんなアネモネを見て、娼館しょうかん状況じょうきょうについて語り始めた。

娼館しょうかんに送られて驚きました。娼館にいる娘達むすめたちは、皆ポンペイ以外いがい土地とちからさらわれたり、買われたりしてやって来た者達ものたちです。望んであそこにいる者など、誰もいません。ポンペイには、五十ごじゅうを超える娼館があって、私達わたしたちのような女達おんなたち五百人ごひゃくにん近く働かされてます。」

 それを聞いたアネモネが驚いた。

「五百人!そんなに沢山たくさん....」

娼館しょうかんは、ポンペイにとって重要じゅうよう財源ざいげんなんです。」

 口元くちもとを手でおおうアネモネを見ながら、シャリオンが言葉ことばつなげた。

娼館しょうかん女達おんなたち目当めあてに、様々さまざま場所ばしょから多くの金持かねもちが集まって来ます。娼館の客というのは、そんな人達ひとたちばかりです。真面目まじめに働く普通ふつうの人が来る事は滅多めったに有りません。ポンペイの娼館しょうかんは、法外ほうがい値段ねだんを取るからです。それでも客が集まるのは、娼館しょうかん女衒達ぜげんたちを使って、各地かくちから見目麗みめうるわしい娘達むすめたちを集めているからです。ポンペイの繁栄はんえいは、娼姫達しょうきたちで支えられているのです。」

 アネモネは、娘達むすめたちの顔を見回した。

「それでは、闘技場とうぎじょうに集まっていた多くの観客かんきゃくも、そういう人達ひとたちなの?」

 するとシャリオンの隣に座っていた娘が首を横に振った。

「ううん。そういう人も居るけど、ほとんどどは普通ふつうの人よ。闘技場とうぎじょうというのは、執政官しっせいかん議会ぎかいが、庶民しょみん不平不満ふへいふまんらす為に作ったの。日々ひび生活せいかつ鬱憤晴うっぷんばららしの為ね。闘技場に来てる観客かんきゃくの多くが、腹の底ではポンペイに不満ふまんを持ってるわ。」

 すると、横にいた別の娘が更に言葉ことばを重ねた。

「さっきシャリオンが言ったように、元々もともとポンペイには娼館しょうかんが多かった。それが程度ていどを超えるようになったのは、ゴレイアスという男が執政官しっせいかんになってからよ。彼奴あいつは、女はきんを産むにわとりだと思ってるの。だから人身売買じんしんばいばい積極的せっきょくてきすすめて、娼館しょうかんの数もどんどん増やしていった。私が此処ここに来て三年だけど、ゴレイアスが来てからの一年で、娼館しょうかんの数はそれまでの二倍以上にばいいじょうになってるわ。でもそれをこころよく思わない人も増えてる。女達おんなたちを連れ去られた他の地域ちいきから、うらみを買ってるのが分かってるから。昔からポンペイに住むお客から、愚痴ぐちを聞く事が多くなった来ていたわ…。」

 その娘の言葉ことばに、アネモネはある事に思い当たった。

「それで、アリウス様が競技きょうぎに勝った時に、多くの人が喝采かっさいおくったのね。パレードにも沢山たくさんの人が集まってたし.....」

「そう! 戦車競走せんしゃきょうそうで、ローマ以外いがいの人が、あの執政官しっせいかんに勝つなんて信じられなかったわ。しかもその人達ひとたちが、私達わたしたちを救いに来てくれるなんて....。」

 そんな娘達むすめたちを、アネモネがはげました。

「もう少しの辛抱しんぼうよ。アトランティスからのむかえの船に乗れれば、貴女達あなたたちはみんな自由じゆうの身になれるわよ。」




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