第13話 戦車競走

 戦車競争せんしゃきょうそう当日とうじつ、ポンペイにある闘技場とうぎじょうには、朝早あさはやくから多くの市民達しみんたちが詰めかけた。

 ゴレイアスとアリウスの他、各地かくちのローマ植民地しょくみんちからも腕自慢うでじまん選手達せんしゅたちが集まり、出走しゅっそうする戦車数せんしゃすう十車じゅっしゃとなった。

 闘技場の中央ちゅうおうには、岩壁いわかべで囲われた分離帯ぶんりたい(スピナ)があった。

 スピナの真ん中には高いとうもうけられ、その上部じょうぶ周回数しゅうかいすうを示すうまかたどった十体じゅったい標識ひょうしきが据え付けられていた。

 競争前きょうそうまえ闘技場とうぎじょうのコーナー手前てまえに、スタートの装置そうちであるカルケレスが引き出されて来た。

 この装置は、1つ1つ順次じゅんじにゲートが開く仕組しくみになっていた。

 外側そとがわから順次に出走しゅっそうする事で、出場者しゅつじょうしゃ公正こうせいにスタート出来できるようになっていた。

 カルケレスは、全ての戦車せんしゃ出走後しゅっそうごには速やかにコース広場ひろばから撤収てっしゅう出来できるように、現代競馬げんだいけいばのスタートゲート同様どうよう移動車輪いどうしゃりんが備えられていた。


 観客席かんきゃくせき正面中央しょうめんちゅうおうには、豪華ごうか椅子いす貴賓席きひんせきが数十席ほどしつらえられ、その真ん中近くにアネモネが座らされていた。

 そしてその横には金刺繍きんししゅうの布をった台座だいざが置かれ、その上にはオリハルコンのけんたてが飾られていた。

 今回のけの事は、事前じぜんにポンペイ市民達しみんたちに広く知らされていた。

 あちこちから、観客達かんきゃくたちが伸び上がるようにして、賭けの褒賞ほうしょうとなっているアネモネとオリハルコンの剣と盾を見つめた。

 貴賓席の上部じょうぶはしの席では、アグリッピナが肘掛ひじかけ片手かたてを置いて、鋭い視線しせん闘技場とうぎじょう見下みおろしていた。

 それに気付いたゴレイアスの副官ふくかんカイアが、アグリッピナのそばに歩み寄った。

「アグリッピナ様。このような端の席でなく、もっと中央ちゅうおうに座られれば如何いかがですか? あの褒賞ほうしょう展示席てんじせきの横がいておりますぞ。」

此処ここ結構けっこうです。目立つ場所は、ゴレイアスも嫌うでしょう。」

 そう言ったアグリッピナは、カイアの顔をにらみ付けた。

「それとも、あのアトランティスの娘のそばに座って、私に老醜ろうしゅうさらせと言いたいの?」

「いえ....決してそのような意味いみでは....」

「まぁ良い。この競争きょうそうが終われば、事態じたいは大きく動く。そうなれば、すぐにでもアトランティスの女王じょうおうを私の前に引き出してくれる。女王の生肝なまぎもを食せば、私の若さも取り戻せるというものだ。その時が、今から楽しみでならぬ。」

 アグリッピナのつぶやきを聞いたカイアは、底知そこしれない恐怖きょうふを感じた。


 やがて、貴賓席きひんせき中央ちゅうおうから、一人ひとり老人ろうじんが立ち上がった。

 それは今回こんかい戦車競争せんしゃきょうそうを取り仕切るポンペイ議長ぎちょうだった。

偉大いだいなるローマ皇帝こうていの名の下に、ポンペイ議会ぎかい主催しゅさいによるチャリオット(戦車競走)の開催かいさい宣言せんげんする。今回こんかい競技きょうぎには、特別とくべつにアトランティスが出走しゅっそうし、ゴレイアス執政官しっせいかんとの勝負しょうぶのぞむ事となった。ここに集まった市民達しみんたちが、その勝負の見届みとどけ人である。」

 主催者しゅさいしゃである長老ちょうろう宣言せんげんに、満場まんじょう観衆かんしゅうから大きな歓声かんせいいた。

 出場しゅつじょうする選手達せんしゅたちが、四頭よんとうの馬に引かれた戦車せんしゃに乗って、次々つぎつぎ入場にゅうじょうして来た。

 選手達は二輪にりんの戦車の上に立ち、観衆かんしゅうに向かって手を振った。

 選手達は、各々おのおのが皮のヘルメットをかぶり、キスティスと呼ばれる競技用きょうぎよう衣装いしょうを身にまとっていた。

 アリウスが四頭の金色こんじきの馬に引かれた戦車で入場にゅうじょうすると、闘技場とうぎじょうには一層いっそう大きな歓声かんせい渦巻うずまいた。

見事みごと馬達うまたちだな。あんな小さな島にも、このような馬達がいたのか。まるで黄金おうごんで作られた像のようではないか。」

「それに図体ずうたいがでかい。他の馬達より頭二つは抜けているぞ。こんな馬は見た事がない。」

「それに、あの戦車せんしゃを見ろ。車輪しゃりんが他の戦車とは違うぞ。車軸しゃじく部分ぶぶんにバネのようなものが見える。どんな仕組しくみになってるんだ?」

 それはアリウスが、アトランティスの鍛冶屋かじや特注とくちゅうした戦車だった。

 当時とうじの戦車は、現代げんだいでいうサスペンションをそなえていなかった。

 アリウスは、鍛冶屋かじやに対して、戦車の両輪りょうりん衝撃しょうげき吸収きゅうしゅうするバネを装着そうちゃくするように求めた。

 それによって、戦車の安定性あんていせい操縦性そうじゅうせいいちじるしく向上こうじょうさせていた。

「あのアトランティスの御者ぎょしゃは、手にむちも持ってないな。手綱たづなだけで馬達と戦車をあやつ自信じしんがあるのか?」

 そして最後さいごにゴレイアスが登場とうじょうすると、観衆かんしゅうからは一際ひときわ大きな歓声かんせいが起こった。

 ゴレイアスは、四頭の青毛あおげの馬に戦車を引かせて登場した。

 戦車の周囲しゅういは薄い鉄板てっぱんおおわれ、両車軸りょうしゃじくからは、鋭利えいり刺又さすまたが、左右さゆうに突き出ていた。

 それを見た観衆かんしゅうが息をんだ。

「ギリシャ戦車せんしゃだ。最強さいきょう闘技戦車とうぎせんしゃだな。」

 ギリシャ戦車とは、戦場せんじょうに於いて相手あいての戦車と歩兵ほへい蹂躙じゅうりんする為に作られた戦車である。

 その鋭利えいり刺又さすまたは、横に並んだ戦車の車輪しゃりんけずり、馬のあしを傷付ける。

 戦車戦せんしゃせんに於ける最強装備さいきょうそうびと呼ばれるものだった。

 アリウスの戦車を見た他の選手せんしゅの顔に、おびえの表情ひょうじょうが走った。

「あれは、やり過ぎじゃないのか。確かに戦車競走せんしゃきょうそうでは、道具以外どうぐいがいならどんな装備そうびを使っても反則はんそくにはならない。そうは言っても、戦車競走は実戦じっせんとは違うのに…。」

 出場選手達しゅつじょうせんしゅたちは、最初さいしょ貴賓席きひんせきの前で一列いちれつに並んだ。

 そして、一斉いっせい両腕りょううでを顔の前で組み、栄誉礼えいよれい姿勢しせいを取った。

 アリウスの横に並んだゴレイアスが、アリウスに向かって、不敵ふてきな笑みで語し掛けた。

「この俺に勝つと言うことは、此処ここ優勝ゆうしょうすると言うことだぞ。俺は、ポンペイではいま無敗むはいだ。ローマでも、俺に勝ったのはネロ皇帝こうていだけだ。もっともあれは、俺が負けてやったんだがな。」


  競走開始きょうそうかいしの時が近付くに連れて、場内じょうない歓声かんせいが高まりを増した。

  そして陶酔とうすい空気くうきが、闘技場全体とうぎじょうぜんたい支配しはいして行った。

 観客席かんきゃくせきでホークの横に立つマリスが、思わず身震みぶるいした。

「何なんです。これは....?」

「どいつもこいつも、これから血をるのがうれしくてたまらないのだ。競技きょうぎとは言っても、殺し合いと紙一重かみひとえだ。こんな見世物みせもの熱狂ねっきょうするのがポンペイなのだ。」

 そう言いながら、ホークは周囲しゅうい見回みまわした。

「ところで、ダンツはどこに行った?」

隊長たいちょうの馬の様子ようすを見ています。試合しあいが始まった後は、スピナ(中央分離帯ちゅうおうぶんりたい)の岩陰いわかげ見守みまもるそうです。何かあった時には、直ぐに飛び出して行って、救出きゅうしゅつ治療ちりょうに当たると言っていました。」

「ダンツは医者いしゃだったな....。人はともかく、馬の治療ちりょうも出来るのか? 」

「ダンツさんになおせない生き物は無いですよ。ゴキブリの治療ちりょうだって出来できるんじゃないかな。」


 やがて出走準備しゅっそうじゅんびの為、各選手かくせんしゅと馬達の元に付き人が駆け寄り、カルケレスと呼ばれるゲートに馬を誘導ゆうどうして行った。アリウスの馬達を誘導しながら様子ようす確認かくにんしていたダンツが、アリウスにささやいた。

「馬達の状態じょうたいは、はっきりと良いです。闘気とうきみなぎってます。ただ最内さいうちの馬が、多少たしょうイレ込み気味ぎみなんで、いきなり岩壁いわかべ内沿うちぞいに持って行くのは止めて下さい。」

「分かった。有難ありがとう、ダンツ。」


 出場選手しゅつじょうせんしゅの馬達と戦車が、次々つぎつぎとカルケレスのゲートに収まった。

 やがて貴賓席きひんせきでポンペイ議長ぎちょうが立ち上がり、右手みぎて出走合図しゅっそうあいずのマッパ(白布しろぬの)をかかげた。

 同時どうじ闘技場とうぎじょう喇叭らっぱが鳴り響き、競争きょうそう開始かいしを知らせた。

 満場まんじょう熱狂ねっきょうの中、議長が手から布を落とすと、一番外いちばんそとのゲートが開かれた。

 それに続いて次々つぎつぎと内に向かってゲートが開き、ゲートが全て開いた時点で競技開始きょうぎかいしとなった。


 最初さいしょ一番内側いちばんうちがわに馬を誘導ゆうどうして行った戦車せんしゃの直ぐ後方こうほうに、ゴレイアスがピタリと付けた。

 戦車競争せんしゃきぃうそうは、内側うちがわ小回こまわりで廻るのが絶対的ぜったいてき有利ゆうりとされている。

 多くの戦車が、中央ちゅうおうもうけられた分離帯ぶんりたい(スピナ)の岩壁沿いわかべぞいギリギリに馬を寄せ、朦々もうもうとした土埃つちぼこりを舞い上げて疾走しっそうした。

 大外おおそとからスタートしたアリウスは、馬達をコース中央ちゅうおうみちびき、うち競合せりあいからは距離きょりを置いた。

「アリウス隊長たいちょうは、内に寄りませんね。あれで良いのですか?」

 疑問ぎもんを口に出したマリスに、ホークが顔を向けて言った。

「マリス。競技きょうぎ十周勝負じゅっしゅうしょうぶだぞ。最初さいしょから内でり合っても、馬が消耗しょうもうするだけだ。序盤じょばんは、馬達との折合おりあいに専念せんねんするのが良策りょうさくだ。」

成程なるほど、そんなものですか....」

 半信半疑 《はんしんはんぎ》の様子ようすのマリスに向かって、ホークが言葉ことばを重ねた。

「それに、内側うちがわというのは岩壁いわかべや他の戦車せんしゃ激突げきとつする危険きけんとも隣合となりあわせだ。最初さいしょからあせる事はない。」


 戦車競争せんしゃきょうそうのコースは、細長ほそなが中央分離帯ちゅうおうぶんりたい(スピナ)のはしからほぼ直角ちょっかくに折れ曲がり、反対側はんたいがわに折り返して行く設計せっけいとなっていた。

 その為、ゆるやかなコーナー設計せっけい現代競馬げんだいけいばに比べると、極めて危険きけんであった。

 戦車せんしゃ車輪しゃりんは、直線方向ちょくせんほうこうにしか進めない。

 そんな戦車を曲げて進むには、御者ぎょしゃたくみな手綱捌たづなさばきが必要ひつようだった。

 御者は、現代げんだいで言うドリフト走行そうこうのように車輪しゃりんすべらせて、コーナーの入口いりぐちで戦車を回す。

 この折り返し地点ちてんを曲がりそこなって、外に振られた戦車が転倒てんとうしたり、戦車同士せんしゃどうし激突げきとつする事故じこがいつも多発たはつした。

 中央分離帯ちゅうおうぶんりたいはしの二ケ所は、戦車競技せんしゃきょうぎにおいて、観客かんきゃく興奮こうふんを最も誘う地点ちてんだった。 

 先頭せんとう戦車せんしゃ最初さいしょ一周いっしゅうを終えた時、中央分離帯ちゅうおうぶんりたいにあるとう最上部さいじょうぶ設置せっちされた十体じゅったいの跳ね馬の像の中の一つが回転かいてんし、つな沿って下降かこうして行った。

 これが残りの周回数しゅうかいすうを示す仕組しくみだった。


 最初さいしょ周回しゅうかい見詰みつめていた一人ひとりが、隣の観客かんきゃくの男に声を掛けた。

「おい。アトランティスの戦車せんしゃなんだが、周回がやけになめらかに見えないか?曲がる時の土埃つちぼこりが、他の戦車よりもずっと少ない。」

 声を掛けられた男は、次のコーナーで目をらした。

「こりゃあたまげた!車輪しゃりん内側うちがわに向かって動いたぞ!あれが、滑らかな走行そうこう秘密ひみつだ。」

 これもアトランティスの鍛冶屋かじや親方おやかたが、戦車にほどこした工夫くふうだった。

 一定いってい負荷ふかを与えると、車輪しゃりん内側うちがわに向けて角度かくどを作る。

 それによって、コーナーを回りやすくしていたのである。

 しかし、アリウスの手元てもとにハンドルなどはない。

 アリウスは、手綱捌たづなさばきと戦車上せんしゃじょうでの体重移動たいじゅういどうだけで、進行方向しんこうほうこうあやつっていた。


 最初さいしょ事故じこは、競技きょうぎ三周目さんしゅうめに差し掛かった時に起こった。

 中団位置ちゅうだんいち内側うちがわを走る隊列たいれつの中の一台が、コーナーで大きく外側そとがわに振られ、後ろからせまった別の戦車せんしゃと激しく接触せっしょくした。

 バランスをくずした二台にだいの戦車は、共に大きくちゅうい、馬達が次々と横転おうてんした。

 戦車から投げ出された御者ぎょしゃの一人は、直ぐに立ち上がって、後方こうほうから来た戦車をかろうじて避けた。

 もう一人の御者は内側うちがわに宙を飛び、コース上でころがった。

 地に転がった御者ぎょしゃは、後方こうほうから来た戦車の馬達に次々とられ、血とほこりまみれて横たわった。

 それを観た観客達かんきゃくたちは、一斉いっせいに手を振り上げて、熱狂ねっきょうの叫びを挙げた。

 中央分離帯ちゅうおうぶんりたい岩壁いわかべ隙間すきまから、直ぐに男達おとこたちが飛び出し、倒れた御者と馬を岩壁いわかべの内側に引きり込んだ。

「あの選手せんしゅ即死そくしだろうな。息があったとしても手足てあしの1、2本は切断せつだんしなければ助かるまい。」

 ホークのつぶやきを聞きながら、マリスがひたいの汗をぬぐった。

「何とも心臓しんぞうに悪いです。こんな競技きょうぎ熱狂ねっきょうする連中れんちゅうの気がしれませんよ。アリウス隊長たいちょう最後さいごまで無事ぶじに走り切ってくれる事を、俺は心底しんそこから天に祈りますよ。」


 隊列たいれつ中段ちゅうだんを走るアリウスの戦車せんしゃに向けて、内側うちがわを走る別の戦車から挑発ちょうはつの声が掛かった。

「おい、アトランティス。お前、このような競走きょうそうに出た事はあるまい。それならきなど知らぬだろう。戦車競走せんしゃきょうそうでは、こんな事も起こるんだぞ。」

 そう言った御者ぎょしゃは、手綱たづなを開くと、アリウスの馬に向けて自分の馬をりかけた。

 それを横目よこめに見たアトランティスの馬達の眼に闘気とうきみなぎった。

 一番内側いちばんうちがわにいた馬の金色こんじきたてがみがぶわっと逆立さかだった。

 そして競りかけて来た馬に向かって、駆けながらうしあしを振って、横蹴よこげりをり出した。

 横蹴りが脚をかすった相手あいての馬の眼におびえが走り、逃げるように減速げんそくした。

 四頭よんとう隊形たいけいが乱れ、あわてた御者ぎょしゃむちふるった。

 その時、馬達はコーナーへと差し掛かっていた。

 鞭を受けた馬が加速かそくし、それにられて残りの三頭もあしを速めた。

 コーナーで馬達の加速かそくを受けて、御者の制御せいぎょが乱れ、戦車せんしゃはコーナーを大きくはずれて転倒てんとうした。

 その内側うちがわを、アリウスの戦車がすり抜けて行った。

 それを見ていたマリスが、大きな息を吐いた。

「危なかったですね。しかしあの御者ぎょしゃ。なんであんな事をしたんでしょうね?よりによってアトランティスの馬に対して、喧嘩けんかを売るような真似まねをするなんて…」

 その問いにホークが答えた。

きの積もりだったのだろうが、コーナーの手前てまえでこのような真似まねをするとは、馬鹿ばかな事をしたな。コーナーを曲がる時には、馬達の手綱捌たづなさばきに集中しゅうちゅうせねばならない。それなのにむちで馬をあおってしまうなど。戦車せんしゃというのは、横からの衝撃しょうげきに弱い。走路そうろはずしかけて、あわてて戦車を曲げようとすれば、転倒てんとうするのは当然とうぜんだ。」

 ホークの解説かいせつに、マリスは成程なるほどうなずいた。

「しかし、あの転倒てんとうした戦車の御者。無事ぶじで良かったですね。ちゃんと立ち上がって、歩いていますよ。」


 競技きょうぎ七周目ななしゅうめに入った時、先頭集団せんとうしゅうだん変化へんかが起きた。

 先頭で内側うちがわ疾走しっそうする戦車せんしゃ外側そとがわに、ゴレイアスが並びかけた。

 そしてさま自分じぶんの戦車を相手あいてにぶつけるように寄せて行った。

 ゴレイアス戦車の車軸しゃじくから突き出た刺又さすまたが、相手戦車の外側そとがわにいた馬の後脚うしろあしけずり、馬はたまらず棹立さおだちとなった。

 それによって、四頭よんとう足並あしなみが一気いっきくずれた。

 相手戦車あいてせんしゃ御者ぎょしゃ転倒てんとうを防ごうと、直ぐに手綱たづなを絞って減速げんそくした。

 相手あいて急減速きゅうげんそくすきを付いて、ゴレイアスはまんまと先頭せんとうおどり出た。

 そして、戦車上せんしゃじょうで勝ち誇った雄叫おたけびを挙げた。

 そこに一台いちだいの別の戦車が、一気にゴレイアスの内にりかけると、岩壁沿いわかべぞいに先頭を目指して馬にむちふるった。

 馬と戦車がゴレイアスの内をり抜けて先頭を奪取だっしゅしたと思われた瞬間しゅんかん、ゴレイアスが鬼のような形相ぎょうそうで、内を突く戦車の御者ぎょしゃに向かって怒鳴どなった。

「俺に並びかけるとは、いい度胸どきょうだ。命が惜しくないのだな。」

 そう叫んだゴレイアスは手綱たづなを動かし、並び掛けた戦車せんしゃに向けて自らの車体しゃたいを寄せた。

 ゴレイアス戦車の車軸しゃじくから突き立った刺又さすまたが、相手あいての戦車の車輪しゃりんに激しく当たり、けむりを挙げながら木屑きくずが散った。

 あわてた相手選手あいてせんしゅが直ぐに手綱たづなおさえたが、ゴレイアスは構わず、更に車体しゃたいを相手に向けて突っ掛けた。

 ゴレイアス戦車の刺又さすまたが、あっという間に相手戦車の車輪しゃりん木軸きじくを全て突き破り、車輪全体しゃりんぜんたい粉砕ふんさいされた。

 片側かたがわの車輪を失った相手戦車は、大きくかたむくと、半回転はんかいてんしながら地面じめんを滑った。

 直後ちょくごに、広場中央ひろばちゅうおうのスピナ(分離帯ぶんりたい)の岩壁いわかべ激突げきとつし、木端微塵こっぱみじんくだけ散った。

 その衝撃しょうげきで宙に投げ出された御者ぎょしゃは、コース上の地面じめんに叩きつけられた。

 その御者は、後続こうぞくを走る戦車せんしゃの下にき込まれ、全身ぜんしんをズタズタに引きかれてころがった。

 その様子ようすたりにした他の選手達せんしゅたちは、一斉いっせいに戦車を大きく外側そとがわ逃避とうひさせて、ゴレイアスから距離きょりを取った。

 それを後方きうほうに見たゴレイアスがせせら笑った。

「ふん、臆病者揃おくびょうものぞろいめ。戦車競争せんしゃきょうそうで外ばかりを回って、勝負しょうぶに勝てると思ってるのか。」


 その時、ゴレイアスの後方内側こうほううちがわから猛然もうぜんせま一台いちだい戦車せんしゃがあった。

 その気配けはい後方こうほうを振り向いたゴレイアスの眼が不敵ふてきに光った。

「来たか、アトランティス。こうでなくては面白おもしろく無いのだ。」

 ゴレイアスは手綱たづなあやつり、自分じぶん戦車せんしゃ岩壁いわかべの間に空間くうかんを開けた。

「さぁ、俺のうちを突いて見せろ。お前にその度胸どきょうがあればだがな....」

 ゴレイアスの挑発ちょうはつに対して、アリウスはまよう事なく、ゴレイアスと岩壁いわかべの間の狭い空間くうかんに馬と戦車を突っ込ませた。

馬鹿ばかめ。これで、お前も終わりだ。」

 ゴレイアスは手綱たづなをぐいと横に開くと、アリウスの戦車に向かって、車軸しゃじく刺又さすまたを突き出した。

 その瞬間しゅんかん観客席かんきゃくせき一斉いっせいにどよめいた。

 アリウスが手綱たづな回転かいてんさせるようにあやつると、戦車せんしゃ内側車輪うちがわしゃりんが宙に浮き、岩壁いわかべに張り付くように乗り上げた。

 アリウスのあやつる戦車は、内車輪うちしゃりんが岩壁に張り付き、外車輪そとしゃりんは地に着いたまま、なな姿勢しせい疾走しっそうしていた。

 四頭よんとうの馬達は、壁際かべぎわぎりぎりに並んで、速度そくどを落とす事なくけている。

 その曲芸きょくげいのような操縦そうじゅうを眼にした観衆達かんしゅうたちは、驚愕しょうがく感嘆かんたんじった歓声かんせいを送った。

「あのバネのような物は、こんな事をする為だったのか!」

 斜め姿勢しせいのままたくみに馬と戦車せんしゃあやつるアリウスを見て、ゴレイアスは流石さすがに驚いた表情ひょうじょうになった。

 しかし、直ぐに眼に憎悪ぞうおみなぎらせると、アリウスに向かって怒鳴どなった。

小癪こしゃく真似まねを。それなら、車輪しゃりんではなく、お前自身を串刺くしざしにしてやろう。」

 ゴレイアスが、アリウスの身体からだに向かって車軸しゃじく刺又さすまたを寄せた。

隊長たいちょう!危ない!」

 観客席かんきゃくせきで、マリスが悲鳴ひめいのような叫び声を挙げた。

 他の観客かんきゃくからは、その先の惨劇さんげき期待きたいする歓声かんせいが挙がった。


 その瞬間しゅんかん、アリウスは身体からだひねると、眼前がんぜんせま刺又さすまた目掛めがけて手刀しゅとうを放った。

 アリウスの手刀は、刺又を装着そうちゃくした車軸しゃじく根元ねもとを打ち、あっという間に刺又は車軸から折れ飛んだ。

 アリウスは、再び体勢たいせいを立て直すと、今度こんど戦車せんしゃちゅうに飛ばした。

 そして、ゴレイアスの前方ぜんぽうに降り立つと、あっという間に加速かそくした。

 塔上部とうじょうぶここのの像が回転かいてんして下降かこうした。

 ついに残るは一周いっしゅうだけとなった。


「これでアトランティスが絶対有利ぜったいゆうりとなったぞ。」

 観客席かんきゃくせきからき上がる歓声かんせいを受け、最内さいうち疾走しっそうするアリウスの後方こうほうを、ゴレイアスが鬼のような形相ぎょうそうで追った。

 ゴレイアスは戦車せんしゃをアリウスの戦車の直後ちょくごに付けると、手にしたむちを持ち替えて、アリウス目掛めがけて鞭を飛ばした。

 それを見た観客かんきゃくから、「反則はんそくだ、反則だ。」の声が上がった。

 すると、すぐに別の声がその非難ひなんの声に重なった。

「殺せ、殺せ」

 その罵声ばせいの波にマリスが顔色かおいろを変え、声を挙げるとなり観客かんきゃくつかみかかった。

「お前、何を言ってる!選手せんしゅ鞭打むちうつのは、反則はんそくではないか!」

 すると、その観客かんきゃくはマリスの手を振り払うと、てるように怒鳴どなった。

他所者よそものなどに、優勝ゆうしょうなどさせてたまるか。勝負しょうぶは、勝てば良いのだ。」

「お前、何て事を言う。この卑怯者ひきょうものめが..」

 その観客かんきゃくに殴りかかろうとするマリスを、ホークが背後はいごから押しとどめた。

市民しみんに手を出すな。 隊長たいちょうを信じろ。」

 ゴレイアスに鞭打むちうたれて、アリウスのひたいうでから鮮血せんけつほとばしった。

「とどめだ。」

 罵声ばせいと共に、ゴレイアスが大きく鞭をかぶった時、アリウスはその鞭の先端せんたん咄嗟とっさに掴んだ。

 そして、自分の腕に鞭を巻き取るように手繰たぐり、ゴレイアスから鞭を奪い取った。

「何という真似まねをする。お前の頭の中には、正々堂々せいせいどうどうという言葉ことばは無いのか。」

 アリウスは、ななうしろを走るゴレイアスに、怒りの眼を向けた。

「お前のような男は、いたい眼に会わないと眼がめないようだな。」

 そう叫んだアリウスは、馬達をおさえて速度そくどを落とし、ゴレイアスの横でうばった鞭を手にかまえた。

 それを見たホークがさけんだ。

「アリウス隊長たいちょう駄目だめだ!ゴレイアスを、鞭打むちうってはいけない。」

 そのホークの言葉ことばに、マリスが反発はんぱつした。

「何を言ってるんです。 先に仕掛しかけたのは、ゴレイアスですよ。やり返して、何で悪いんです。」

「ここは敵地てきちだ。ゴレイアスが何をしても、多くの者達ものたちは見て見ぬりだが、アリウス隊長が同じ事をすればただでは済まない。」

 怒りに顔を紅潮こうちょうさせたアリウスが、ゴレイアスにむちを振るおうとした、その時......。

 突然とつぜん一羽いちわ大鷹おおたか大空おおぞらから急降下きゅうこうかして来た。

 大鷹は、鞭を振るおうとしたアリウスの目の前をかするようにり抜け、再び急上昇きゅうじょうしょうして飛び去っていった。

 それに気づいたアリウスは、直ぐに鷹の正体しょうたいさっした。

「今のは、ホークがあやつる鷹か? そうか....。済まぬ、ホーク。また俺は、自制心じせいしんを失っていたようだ。お前の言いたい事は良くわかったよ。」

 アリウスは手にした鞭を、背後はいごに投げ捨てた。

 刺又さすまたを折られ、むちを奪われ、そして最後さいご周回しゅうかいでアリウスに内側うちがわを取られたゴレイアスには、最早もはやなすすべは無かった。

 アリウスのあやつ四頭よんとうの馬と戦車せんしゃが、最後さいご周回しゅうかいを終えて先頭せんとう決勝点けっしょうてんを駆け抜けた瞬間しゅんかん満場まんじょう観客かんきゃくから怒涛どとうのような歓声かんせいが挙がった。

 ホークが高々たかだか右手みぎてを空に向かって突き上げて咆哮ほうこうした。

 ホークのとなりでは、マリスが腰が抜けたように座り込んだ。


 観客かんきゃく喝采かっさいの中、手を振りながらゆっくりとコースを廻るアリウスの元に、ダンツがけ寄って来た。

隊長たいちょう鞭傷むちきず大丈夫だいじょうぶですか? 直ぐに応急処置おうきゅうしょちをしますよ。」

 そう言ったダンツに、アリウスは笑顔えがおを返した。

「この程度ていどの傷、大した事はないさ。馬達に怪我けがはないか?」

歩様ほよう問題もんだいはないですね。レース直後ちょくごですから、皆まだ興奮こうふんしてますね。厩舎きゅうしゃに戻したら、落ち着くようにしてやります。」


 ゴレイアスは、敗北はいぼく瞬間しゅんかん、馬を停めて戦車せんしゃを降りると、放心ほうしんしたように天をあおいだ。

 その後、満場まんじょう歓声かんせいに手を振りながら場内じょうないを廻るアリウスをにらみつけると、その視線しせん貴賓席きひんせきの方に移した。

 そして貴賓席に立つアネモネとアグリッピナを交互こうご見遣みやった。

 その後、何かを決意けついしたようにこぶしを握り締めながら、場内じょうないはしにある出入り口に向かって歩みだした。



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