第11話 決戦の準備

 アリウスの戦車競走せんしゃきょうそうへの参加さんかが決まった翌日よくじつ

 アトランティスの島では、ネレウスが東の林に広がる牧場ぼくじょうおとずれていた。

「シリウス。先日せんじつ依頼いらいした馬達をに来たのだが...」

 ネレウスの前に現れたのは、老齢ろうれいながらもいまだ矍鑠かくしゃくとした精悍せいかん人物じんぶつだった。

「これはネレウス様。御心配ごしんぱいされなくても大丈夫だいじょうぶですよ。わしの牧場の中でも最高さいこう組合くみあわせの馬達を選びました。ローマの馬など足元あしもとにも及びません。しかし、我らが育てた馬達が、ローマの馬達ときそうなど…。この眼で見れぬのが残念ざんねんです。」


 シリウスは牧童ぼくどうに命じて、ネレウスの前に四頭の馬を連れて来た。

 馬達はネレウスの姿を眼にすると、前足まえあしひづめき、耳をたたんで威嚇いかく姿勢しせいを見せた。

 大陸たいりくの馬に比べてたてがみが大きくむらがり、何よりも馬体ばたいの大きさが違った。

 馬の毛色けいろも大陸の馬とは違う。

 ネレウスの前に馬体をさらした馬達は、全身ぜんしん金色こんじきに輝き、そのきらめきが馬達に威容いようえていた。

「これは....。見事みごとな馬達だな。」

 感嘆かんたんするネレウスに、シリウスは自慢気じまんげな眼を向けた。

「儂の自慢の馬達です。こいつは速力そくりょく自慢、こちらは持久力じきゅうりょく自慢、そして折合おりあいを調整ちょうせいするのがこいつ。そして全体を統率とうそつするのが此奴こいつです。」

 そう言いながら、シリウスは、一頭一頭いっとういっとうの馬の顔をいとおしそうにかかえていった。

つな配置はいちももう決めてあります。御者ぎょしゃがアリウスなら、今まで何度なんども乗ったことがあります。思うがままにあやつれるでしょうな。」

 馬達の威容いよう見惚みほれるネレウスを見たシリウスは、更に自慢じまんを重ねた。

「何と言っても馬の気質きしつが違います。大陸たいりくの馬というのは、基本的きほんてき臆病おくびょうと決まっています。それに比べて此奴こいつらは、闘争心とうそうしんが先に立っています。猛獣もうじゅうと言っても良いくらいですよ。」

 それを聞いたネレウスが、興味深きょうみぶかげに尋ねた。

「この馬達、まさか肉も喰うのではあるまいな?」

 その問いに、シリウスはあっさりと答えを返した。

「喰いますよ。大陸の馬は草食そうしょくですが、俺の牧場ぼくじょうの馬は全てが雑食ざっしょくです。だからなんでしょうな。いのしし程度ていどなら、平気へいきで立ち向かってり倒しますよ。しかしこの馬達は、アリウスには従順じゅうじゅんです。毎日まいにちのようにこいつらに戦車せんしゃを引かせて、島の道をけ回っていましたからね。それに自分達じぶんたちよりも弱い者には手は出しません。そのようにしつけてあります。こいつらは特に若い女性じょせい大好だいすきのようです。うちの女房にょうぼうには、見向みむきもしませんからね。アネモネにも、とてもなついていましたな。」

 それを聞いたネレウスは、感嘆かんたんの息を吐いた。

「こんな馬達を、よくも人がぎょせるように調教ちょうきょう出来るものだ。お前にしか出来できぬ事だな。」

 すると、シリウスは天をあおいだ。

「天と、天よりたまわったわしの力を見出みいだして下さった女王様じょうおうさま感謝かんしゃしております。それと、わし能力のうりょくを高める為に、ひそかに儂を大陸たいりくへと修行しゅぎょうに出して下さった先代長老せんだいちょうろうのガイア様にも。」

 それを聞いたネレウスは、思わず天に眼をった。

「ガイア様か。私のだ。島を出てはならぬというおきての取り扱いについても教えて下さった。かたくなにおきてを守るだけでは、世の動きが見えなくなると教えられた。」

 天をあおぐネレウスに向かって、シリウスが問いかけた。

「ところで、ゴレイアスという男は、何時いつ競争きょうそうでは、残忍ざんにん狡猾こうかつ手段しゅだんを使うそうではないですか。しかもそうした手段を使うのは、ローマ以外いがい相手あいてだけらしいですな。先月せんげつ競技会きょうぎかいでは、自分の戦車せんしゃりかけて来た植民地出身しょくみんちしゅっしんの相手を、むちで打ちえて転倒てんとうさせたと聞きました。相手を鞭で打つのは本来ほんらい反則はんそくなんですが....。観衆かんしゅう他所者相手よそものあいてだと、大目おおめに見るようですね。」

 それを聞いたネレウスは、思わずシリウスの顔をのぞき込んだ。

「どうして、そのような事を知っているのだ?」

 ネレウスの指摘してきを受けたシリウスは、口をてのひらおおった。

「バレましたか。大陸たいるくでの修行しゅぎょうの時に知り合った者から、時々情報ときどきじょうほうもらってるんです。馬に関する事だけですから、お目溢めこぼしをお願いします。」

 目配めくばせをするシリウスを見て、ネレウスは苦笑にがわらいをした。

「分かった。くれぐれも、その相手あいてにアトランティスの秘密ひみつを知られぬように注意ちゅういしてくれ。ところで、馬を運ぶ際に帯同たいどうするダンツだが、もう此方こちらに着いているのだろうな。」

 それを聞いたシリウスが、ぽんと手を打った。

「ネレウス様、ありゃあ大変たいへん医者いしゃですね。屈腱炎くっけんえんあしを引きずっていた馬を、あっという間に直しちまったんですよ。人間にんげんの医者には勿体無もったいないですね。」

 それを聞いたネレウスはあきれた顔になった。

「馬の医者には勿体無もったいないと言うのが普通ふつうではないのか?」


 シリウスの牧場ぼくじょうしたネレウスは、次は鍛冶屋かじやに向かった。

「どうだ。アリウスが求めるものは作れそうか?」

 声を掛けられた鍛冶の親方おやかたが、ほっとした顔でネレウスに向き合った。

「作れるは作れるんですがね。ただ、このバネを支える部分ぶぶんにはとんでもない負荷ふかが掛かる。此処ここにはオリハルコンを使わなきゃならないと思っていた所でした。ネレウス様が来て頂いて丁度ちょうど良かった。使って良いですかね?」

 ネレウスは、親方に向かってにこやかにうなずいた。

「何の問題もんだいもありません。アリウスの望む通りのものを作ってもらいたいのです。よろしくお願いします。」

 それを聞いた親方は、ほっとしたように息を吐いた。

「それなら良かった。オリハルコンは、簡単かんたんに使って良いもんじゃないですからね。しかしこの設計せっけいは、御者ぎょしゃ様々さまざまな動きで馬をあやつった時に、馬の動きに戦車せんしゃが付いて行けるようにしてありますね。。馬の走りをさまたげないように考えてある。今までアリウス殿からは、何度なんども戦車の改良かいりょうを頼まれましたが、今回こんかいのは一番いちばん出来できじゃないですかね。その分だけ複雑ふくざつですが、まぁまかせて下さい。オリハルコンが使えるなら、完璧かんぺきな物を作ってみせます。」

 そう言って胸を張る親方おやかたを、ネレウスは頼もし気に見た。

「オリハルコンを使うとなると、親方以外の人はいません。オリハルコンを自在じざい成形せいけい出来るのは、親方しかいないのですから。」

 それを聞いた親方が、天をあおいだ。

「この力をたまわった天と、その力を認めて頂いた女王様じょうおうさま先代せんだい長老ちょうろうガイア様のお陰です。でも、今のまんまじゃまずいとも思ってました。わしが死んだら、後継者こうけいしゃがいなくなっちまいますからね。それを知ったネレウス様が、オリハルコンをあやつる力を持つ新しき者を見出みいだして頂いた事にも感謝かんしゃしております。近々、儂の元に派遣はけんして頂けると聞いております。しっかりとわざを引き継ぎたいと思っております。」


 王宮おうきゅうに戻ったネレウスは、馬と戦車が順調じゅんちょう仕上しあがっている事を女王じょうおう報告ほうこくした。

「それは何よりです。馬の輸送ゆそうも、ダンツがそばに付いているなら体調たいちょうくずす事はないでしょう。そうなると気掛きがかりは帰りですね。」

 女王の言葉ことばに、ネレウスはうなずいた。

おっしゃる通りです。ゴレイアスもポンペイの長老達ちょうろうたちも、ゴレイアスの勝利しょうり前提ぜんていとして先を考えています。 アリウスが勝った場合、執政官しっせいかんやポンペイ議会ぎかい連中れんちゅうは、大人おとなしくアリウスやアネモネ達を帰してはくれぬでしょうね。」

 女王も心配気しんぱいげな顔で宙を見詰みつめた。

「多くの市民達しみんたちの前で証文しょうもんを作ったのですから、市民がている前では手は出せないでしょう。まちを出た後が問題もんだいですね。何か手は打つのでしょう?」

競技会きょうぎかい当日とうじつに島から船を出して、ポンペイ沖合おきあい待機たいきさせます。アリウス達が無事ぶじ海岸かいがんまで辿たどり着いてくれれば救出きゅうしゅつする事が出来ます。救出の指揮しきは、私がみずかります。」

 そう言って、ネレウスは女王に頭を下げた。


 戦車競走せんしゃきょうそう開催かいさいの三日前。

 アトランティスの四頭の馬と戦車を搭載とうさいした船が、ポンペイの近くの港へと入港にゅうこうした。

 馬達と戦車を馬車ばしゃせた後、ダンツは一緒いっしょにやって来た牧童ぼくどう達に声を掛けた。

「お前達は、乗って来た船でアトランティスへと戻れ。ポンペイにまで入ってしまうと、適当てきとう理由りゆうをつけて拘束こうそくされる危険きけんがある。それはけたい。」

 牧童の一人が、不安気ふあんげな眼をダンツに向けた。

「しかし、帰りはどうするのです?」

「ネレウス様が、むかえに来て下さる。心配しんぱいするな。」

 牧童達は、ダンツと馬達に向けて口々くちぐち激励げきれいの声を掛けると、船に戻って行った。


 ポンペイの闘技場とうぎじょうにダンツの馬車ばしゃ到着とうちゃくすると、そこではアリウス達が待ちかまえていた。

「馬達の様子ようすはどうだ?」

 アリウスに尋ねられたダンツは、自信じしんの笑みを返した。

問題もんだいありません。初めて船に乗せるんで心配しんぱいしたんですが、体調たいちょうくずした馬はいません。多少たしょう興奮気味こうふんぎみですが、競技きょうぎの日迄には落ち着かせてみせますよ。」

 馬車から引き出された馬達が、アリウス達に引かれて馬房ばぼうに向かう姿を見て、闘技場とうぎじょうで働く者達ものたちは眼をいた。

「何だ、あの馬達は。全身ぜんしん金色こんじきに輝いている。たてがみや尾は、まるで金糸きんしのようだ。しかも、で、でかい…。」

「馬達の脚元あしもとを見ろよ。皮の装具そうぐが付けられている。こんな物は初めて見るな。それにひづめも違うぞ。ひづめ全体ぜんたいが薄い金属きんぞくおおわれている。」

 当時とうじのローマの馬達の装蹄そうていというのは、鉄板てっぱん革紐かわひもを通してサンダルのように馬にかせて結ぶのが普通ふつうで、ヒッポサンダルと呼ばれていた。

 周囲しゅういざわめきを耳にしながら、アリウスは心の中でつぶやいた。

 整地せいちされた闘技場とうぎじょうしか走った事がないローマの馬とは違うのだ。

 何時いつ砂利道じゃりみちやでこぼこ道をけている。

 馬のあしひづめを守る為には、この程度の馬装ばそう当然とうぜんではないか。

 馬達のひづめおお金属きんぞくは、赤銅色しゃくどういろに輝いていた。

 それは、オリハルコンをうすく打ち伸ばして加工かこうした物だった。

 馬達を馬房ばぼうおさめたアリウスは、自分達じぶんたちに与えられたひかしつに入った。

 そこには、マリスによって戦車せんしゃが運び込まれていた。

 ローマの戦車のような派手はで装飾そうしょく一切いっさいない、一見いっけんすると無骨ぶこつな戦車である。

 ローマの者が見れば、二輪にりん荷車にぐるま見間違みまちがうかも知れない作りだった。

 アリウスは、早速さっそく運ばれた戦車の点検てんけんを始めた。

 しばらくすると、アリウスの顔に満足まんぞくそうな笑みが浮かんだ。

完璧かんぺきだ。流石さすがにアトランティスの親方おやかただ。」


 その晩から、アリウス達は闘技場とうぎじょうに泊まり込んだ。

 四人が交代こうたい馬房ばぼう見回みまわり、馬達の様子ようす細心さいしん注意ちゅういを払った。

 












 

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