第9話 オリハルコンの剣と盾

 

 アトランティスの救出隊きゅうしゅつたい一行いっこうは、翌日よくじつポンペイのまちに足をみ入れた。

 四人は旅の商人しょうにんよそおい、東門ひがしもんで多くの人々の検問けんもんの列に並んだ。

 検問の兵は、ホークから提示ていじされた通行証つうこうしょう木札きふだをちらりと見ると、四人の姿を見回みまわした。

「旅の商人か。荷物にもつはそれだけか?あきないの品は何処どこだ?荷馬車にばしゃを引いて来ているのなら、それも調べさせて貰う事になっている。」

 四人は、皆が背嚢はいのうを背負っていた。

「いえ、荷馬車はありません。あきな品物しなものは背嚢の中です。」

 ホークはそう言って、横に立つダンツをうながした。

 ダンツは背から背嚢を下ろすと、中から口にふたをした小さなひさごを取り出した。

「これがあきないの品です。」

 ひさごの口を開けて、その中身なかみてのひらに取った兵は、眼を丸くした。

黒胡椒くろこしょうか!これほど粒のそろったものは見た事がない。極上品ごくじょうひんだな。四人共、同じものを背にしているのか?」

「いえ、それを持つのは二人だけです。残りの品はこちらです。」

 ホークが、背嚢から取り出した別のひさごから中身をてのひらに取って、兵の目の前にさらした。

「こちらは塩か!真っ白で全くにごりがないな。この塩といい、先ほどの胡椒といい、良くこのような極上ごくじょうの品が手に入ったな。」

 感心かんしんする兵に向かって、ホークが愛想笑あいそわらいを見せた。

「そりゃあ、我らも商売人しょうばいにんですからね。どうです?ポンペイでは、高く売れますかね?」

飲食街いんしょくがいに持ち込めば、いずれも高値たかねで買い取ってくれるだろう。ところで、最後さいごの一人が背にしているのはけんではないか?商人が、何故なぜ剣などをびているのだ?」

 検閲けんもんの兵は、マリスを指差ゆびさした。

 マリスは、他の三人より一回ひとまわり大きな背負せおい、その荷の横には剣が入っているとおぼしき細長ほそなが布袋ぬのぶくろくくられていた。

 兵の指摘してきを受けて、ホークが直ぐに兵のかたわらり寄った。

「そりゃ、今お見せしたような品を持ち歩いていれば、旅の途中とちゅうは何かと物騒ぶっそうですからね。お目溢めこぼしをお願いします。」

 ホークはそう言いながら、兵のてのひらに小さな布袋ぬのぶくろを押し付けた。

「先ほどの胡椒こしょうです。」

 ホークのささやきを聞いた兵が、にんまりと笑った。

「まぁ良いだろう。四人とも通って良し。それ程の品々しなじななら、ちょっとした小金持こがねもちになれるな。帰りには皆が娼館しょうかんで遊べるぞ。ポンペイの娼婦達しょうふたちは、他の都市としと比べて質が良いと評判ひょうばんなのだ。もうけるだけでなく、ポンペイにも金を落としていってくれ。」

 こうして四人は、無事ぶじ検問けんもん通過つうかした。


 門の通行つうこう許可きょかされたのち、アリウスはホークから通行証つうこうしょうを受け取ると、それをまじまじと見詰みつめた。

 通行門つうこうもん検閲けんえつの兵に差し出した通行証は、当然とうぜんながら偽造ぎぞうである。

偽物にせものとはいえ、見事みごとなものだな。ダンツ。これは、お前が作ったものだったな。医術いじゅつだけでなく、贋作がんさく得意とくいだったのか。」

 アリウスの感心かんしんした声を聞いて、ダンツは小さく笑った。

手術しゅじゅつに比べれば簡単かんたんなもんです。俺は刺繍ししゅう得意とくいなんです。手技しゅぎ鍛錬たんれんになりますからね。」

 その横で、マリスが頭を振った。

「それにしても、胡椒こしょうと塩がそんなに高値たかねで売れるものなんですね。アトランティスでは、皆が当たり前のように料理りょうりに使ってるもんなのに…」

 それを聞いたホークが説明せつめいした。

「確かにアトランティスでは珍しいものではない。しかしローマでは、胡椒も塩も貴重品きちょうひんなのだ。我らが背負せおっている全ての品を売りに出せば、きん三袋さんふくろほどになるだろうな。」

 それを聞かされて、マリスは眼をいた。


 マリスはその後、街の周囲しゅういめぐらせている城壁じょうへきに眼を向けた。

 盗賊とうぞくなどの出入しゅつにゅうはばむために、城壁には特殊とくしゅ工夫くふうがされていた。

 城壁の高さは人の背丈せたけ三倍以上さんばいいじょうに達し、その上部じょうぶ内側うちがわに向かって湾曲わんきょくする構造こうぞうになっていた。

 しかも、城壁じょうへきの外も内も構造は同じである。

 それを見たマリスは思った。

 成程なるほど、これはアリウス様やホーク様であっても、乗り越えるのは難しい。

 ましてや、アネモネでは到底とうてい無理むりだろう。

 ホーク様がポンペイの中の情報じょうほうを知り得たのは、たかのお陰なのだろうな。

 しかし、俺なら…。

 そう思ったマリスは、ついひとごとつぶやいた。

 「俺なら、あっという間にこの四人だけでなく、アネモネも城壁じょうへきの向こうに連れ出せるな。」

 そのつぶやきをアリウスが聞きとがめた。

 「マリス、それはどう言う意味いみだ。壁の上部じょうぶ内側うちがわらせたあの城壁じょうへきの向こう側に、一瞬いっしゅんで行けるだと?お前、壁抜かべぬけでもやるのか?それがおまえの力なのか?」

 マリスはあわてて自分の口を押さえた。

「今のは、聞かなかった事にして下さい。ネレウス様からも強く言われているんです。島の者の前であっても、自分の力の事は決して口にするなと。忘れて下さい。すみません。」

 そう言って足早あしばやに歩き出したマリスの背中せなかに眼をって、アリウスは思った。

 やはりこの男も、途方とほうもない力を持っているな。

 ネレウス様がわざわざ指名しめいしたくらいだから、相当そうとうな力の持ち主なのだろう。

 見た目は、せっぽちなだけの若造わかぞうなのだが…。


 やが一行いっこうは、娼館しょうかん飲食店いんしょくてんが立ち並ぶ一角いっかくに足を踏み入れた。

 石畳いしだたみかれた広い街路がいろ左側ひだりがわ娼館街しょうかんがい右手みぎて飲食街いんしょくがいである。

 どれもが石造いしづくりの二階建にかいだての建物たてもので、それが街路がいろはるか先まで立ち並んでいる。

 娼館しょうかん一階いっかいには、どこにも男女のまじわりを描写びょうしゃした壁画へきがが並んでいた。

 二階にかいの窓の外は、大きなバルコニー型の作りになっており、上方じょうほう屋根やねにはブランケットがたたまれていた。

 バルコニーには幾つもの椅子いすが並べられ、そこには多くの娼婦達しょうふたちが並ぶ。

 これが、向かい合う飲食店いんしょくてんに対してのショーウインドウの役割やくわりを果たしていた。

 飲食店の方も、二階にかいは同じようなバルコニー形式けいしきで作られており、テーブルから向かい側の娼館しょうかんの二階をながめる構造こうぞうとなっていた。

 昼間ひるまだというのに、娼館しょうかん飲食店いんしょくてんも、二階にかいには多くの人が群がっている。

 娼館では、二階の席に座った娼婦達しょうふたちが、飲食店の二階にいる男達おとこたちびを売り、飲食店の二階からは、娼婦を揶揄からかう男達の声が飛んだ。

 退廃的たいはいてきなその光景こうけいに、アリウスはまゆひそめめた。


 一行いっこうは、一軒いっけん飲食店いんしょくてん軒先のきさきで足をめた。

「ほう、此処ここがゴレイアスが何時いつも通い詰めている料理屋りょうりやか。」

 アリウスがそうつぶやきながら、飲食店の店内てんないのぞき込んだ。

 店の一階いっかい広間ひろまには、様々だまざま料理りょうりの皿が並ぶテーブルを中心ちゅうしんに、刺繍ししゅうほどこされた厚手あつでの布を敷いた長椅子ながいす円形えんけい配置はいちされていた。

 そして多くの男達おとこたちが長椅子に寝そべったまま、テーブルの食材しょくざいや酒を手に歓談かんだんしていた。

「ローマの食事しょくじ作法さほうというのは、ころがって飲み食いをするのか...。何とも無作法ぶさほう習慣しゅうかんだな。」

 あきれたようにつぶやくアリウスの耳元みみもとでホークがささやいた。

此処ここ散々さんざん飲み食いした後に、近くのテルマエ(大浴場だいよくじょう)でくつろぐのが、上流階級じょうりゅうかいきゅう連中れんちゅう日常にちじょうらしいです。給仕きゅうじをしてる女達おんなたち娼婦しょうふです。金を積めば、隣の部屋へやにいつでも連れ出せるらしいですよ。二階にかいの席で娼婦の品定しなさだめをしてから、娼館しょうかんに向かう者達ものたちも多いそうです。二階の席は物見席ものみせきなので、出されるのは酒だけです。」

 それを聞いたアリウスが首を振った。

「何とも堕落だらくした連中れんちゅうだ。」

 そんなアリウスにホークがささやいた。

「この退廃たいはい利用りようするのが、今回こんかい作戦さくせんです。先ずは此処ここでゴレイアスを挑発ちょうはつしなければなりません。今日きょうはポンペイの長老達ちょうろうたち同席どうせきしています。役者やくしゃそろっているので、上手うまくお願いしますね。」

 ホークのささやきにうなずいたアリウスは、ゴレイアス達が歓談かんだんするたくの近くに歩み寄ると大声おおごえを挙げた。

執政官しっせいかんのゴレイアス殿が此処ここられるとうかがった。我々われわれは、ゴレイアス殿の戦車競争せんしゃきょうそう腕前うでまえについて聞き及び、此処ここにやってきたのだ。」

 アリウスの声に、食卓しょくたくを囲んでいた面々めんめん一斉いっせいに振り向いた。

 そこにはゴレイアスとその部下達ぶかたち、そしてポンペイの長老ちょうろうらしき数人すうにん老人ろうじんの姿があった。

 アリウスの呼びかけに、ゴレイアスが直ぐにおうじた。

「俺がゴレイアスだ。戦車競争と言ったな。見たところ屈強くっきょう身体からだと、いい面構つらがまえをしている。俺に勝負しょうぶいどみに来たのか?」

「その通りだ。貴方あなた腕比うでくらべする為に、わざわざ島から出て来たのだ。」

 その言葉ことばにゴレイアスのまゆが上がった。

「今、島...と言ったな?」

 ゴレイアスの問いに対して、アリウスは堂々どうどう宣言せんげんした。

我々われわれはアトランティスの人間にんげんだ。」

 アリウスの答えを聞いて、ゴレイアスを囲む人々ひとびとの顔が強張こわばった。

 そして、ゴレイアスの部下達ぶかたちが立ち上がって一斉いっせい身構みがまえた。

 部下達の様子ようすを見たアリウスがせせら笑った。

「何を殺気立さっきだっているのだ? 言っただろう。執政官殿しっせいかんどの戦車競争せんしゃきょうそう腕前うでまえを試しに来たと...。それにポンペイは、ずっと俺達おれたちに会いたがっていたのではないのか?」

 アリウスの言葉ことばに、ゴレイアスの部下ぶかが応じた。

「今まで何度なんど呼び掛けても無視むしをしておきながら何を言う。それなのに、戦車競争の為だけに出て来たと言うのか?」

「その通り。さぁどうする? 勝負しょうぶを受けるか?それとも、勝負から逃げる為に俺たちを捕縛ほばくするのか?」

 アリウスにつかみ掛かろうする部下達ぶかたちを、後ろからゴレイアスが制止せいしした。

「ふん。今まで何があっても姿を見せなかったアトランティスが、堂々どうどうあらわれるとは。これは、何か裏がありそうだな。しかし.、売られた勝負しょうぶは受けて立つのが俺の流儀りゅうぎだ。俺に無礼ぶれいを働いた事については、闘技場とうぎじょうの土の上でいつくばらせてやる事で、心底しんそこから後悔こうかいさせてやろう。」

 ゴレイアスの言葉ことばを受けて、アリウスは不敵ふてきな笑みを浮かべた。

流石さすが執政官殿しっせいかんどのですな。しかし私は、貴方あなたがそう簡単かんたん屈服くっぷくさせられる相手あいてではありませんよ。」


 その時、ゴレイアスと食卓しょくたくを囲んでいた長老ちょうろう一人ひとりが口を開いた。

面白おもしろいですな。闘技場とうぎじょうでも、最近さいきんきょうをそそるものが少なくなり、観客かんきゃく退屈たいくつしていたところです。伝説でんせつのアトランティスの戦士せんしが、無敵むてき執政官殿しっせいかんどのいど戦車競技せんしゃきょうぎとなれば、久々ひさびさに盛り上がる事でしょう。」

 その言葉ことばを聞いたゴレイアスが、高々たかだか宣言せんげんした。

「よし、決まりだ。アトランティスが俺に打ちのめされる光景こうけいを、ポンペイの皆に見せてやる。」

 すると、アリウスの横からホークが進み出た。

「戦車競走には、必ずけが付き物と聞いておりますが…。」

 それを聞いたゴレイアスは、当然とうぜんとばかりにうなずいた。

 そして、自分じぶんが勝った時に何がもらえるのか、それを期待きたいする表情ひょうじょうを見せた。

 そんなゴレイアスを見たアリウスが、周囲しゅうい者達ものたち見回みまわした、

「それならば、賭けの品には、お互いにそれなりの物を差し出さねばなりませんな。私はこれを出そうと思いますが、如何いかがですか?」

 アリウスはそう言うと、後ろにいたマリスを呼んだ。

 前に進み出たマリスは、一振ひとふりのけん全員ぜんいんの前にさらした。

「アトランティスだけにあるオリハルコンで作った剣です。貴方達あなたたちの持つどんなたても突き通しますよ。お疑いなら試してみればよろしいでしょう」

 オリハルコンという言葉ことばを聞いて、ゴレイアスの表情ひょうじょうが変わった。

 それはゴレイアスだけでなく、ポンペイの長老達ちょうろうたちも同じだった

 ゴレイアスは、食卓しょくたくを共に囲んでいた部下ぶかに命じると、表面ひょうめん紋章もんしょうられた盾を持って来させた。

「これは、我家わがやに伝わる家宝かほうの一つだ。店の飾りに借り受けたいと言われて、あずけていた物だ。今迄いままでどんな剣もね返して来た銘品めいひんだ。その剣で突き破る事が出来るかな?」

 アリウスはその盾を食卓しょくたくそば長椅子ながいすに立てかけさせると、剣を手にして盾に向かい合った。

 そして無造作むぞうさに剣を突き出すと、剣のさきは盾の紋章もんしょうの真ん中を深々ふかぶかと貫いた。


 まるで藁束わらたばつらぬくように、楽々らくらくと盾を突き破った光景こうけいを見て、場にいた一同いちどうはどよめいた。

 アリウスは軽く剣を振ってさやおさめると、ゴレイアスを振り返った。

折角せっかく家宝かほう台無だいなしにしてしまいましたな。それでは、わりとして此方こちらも一緒にしなとしましょう。」

 そう言っアリウスは、今度はホークに赤銅色しゃくどういろの盾を持って来させた。

「こちらの盾もオリハルコンで作られています。貴方達あなたたちの持つ剣では、決して突き破る事は出来ませんよ。」

 すると、ゴレイアスが意地いじの悪い笑みを浮かべてアリウスに尋ねた。

「ある女性じょせいが同じ事を言っていた。それではその剣で、その盾を突くとどうなるのだ?」

 ゴレイアスの問いに、アリウスはなんなく答えた。

「オリハルコン同士どうしがぶつかり合う場合は、武具ぶぐ優劣ゆうれつは有りません。雌雄しゆうを決するのは、剣と盾を持つ各々おのおの人間にんげん技倆ぎりょうです。突く者の技倆が勝れば盾は貫かれ、防ぐ者の技倆が勝れば剣は跳ね返されます。」

 アリウスの答えに、ゴレイアスは納得なっとく表情ひょうじょうを見せた。

成程なるほど。それでは武技ぶぎきわめた者がその剣と盾を持てば、まさ無敵むてきという事だな。いやぁ、これは見事みごとな品だ。我家わがや家宝かほうが、また増えるというものだ。」

 満悦まんえつの笑みを浮かべるゴレイアスに、アリウスが強い眼を向けた。

「ご自分じぶんけに勝つのが当然とうぜんという言い方ですな。ところで執政官殿しっせいかんどのが出されるしなについては、私に要望ようぼうがあります。貴方達あなたたちがアトランティスからさらった若い娘。それをぐさに出して頂きたい。」

 アリウスの言葉ことばに、ゴレイアスは顔に怒りをみなぎらせた。

さらったなどと、言いがかりはめろ。遭難そうなんして海岸かいがんに流れ着いていたところを、我らが救った。今は私のやかた手当てあてをしているのだ。その事、アトランティスにも知らせたはずだが…。」

「ほぅ、ただ知らせて来ただけのふみではなかったと聞いています。そういう事なら、わざわざけなどする必要ひつようはありませんな。即刻そっこく我らが引き取らせて頂きます。この剣と盾は、娘を救って頂いた御礼おれいとして進呈しんていします。」


 にらみ合う二人ふたりの間に、先程さきほど長老ちょうろうが割って入った。

「アトランティスのお人。執政官殿しっせいかんどの侮辱ぶじょくしてはなりませぬぞ。貴方達あなたたちの島の娘がポンペイの海岸かいがんに流れ着き、それを執政官殿が引き取ったのは事実じじつです。それをさらったなどと言うのは、どう見ても侮辱ぶじょくです。それに戦車競技せんしゃきょうぎ最初さいしょに言い出したのは、貴方達の方だ。それでは、こうしましょうかな。その女性と、此処ここにある剣と盾は、ポンペイの議会ぎかい責任せきにんを持ってあずかりましょう。戦車競走で勝った方に、その場で、ぐさは引き渡す事で如何いかがですかな? 申し遅れたが、わしはポンペイ議会の議長ぎちょうつとめる者です。」

 議長の申し出に、アリウスは同意どういした。

「議長である長老様ちょうろうさま提案ていあんとなれば、お受けしなくてはなりませんな。執政官殿は同意どういされますか?」

 ゴレイアスも、自信じしんに満ちた表情ひょうじょう肯首こうしゅした。

無論むろんだ。異存いぞんなど無い。売られた喧嘩けんかは、しっかりと買ってやる。」

 二人の様子ようすを見ていた議長が宣言せんげんした。

「決まりですな。それでは、二週間後にしゅうかんごに行われる恒例こうれい戦車競技せんしゃきょうぎ勝負しょうぶの場と致しましょう。アトランティスのお方は、それまでに戦車と馬をそろえられますかな?」

 その問いに対して、アリウスは大きくうなずいた。


「それでは、約束やくそく証文しょうもんを取りわしましょうかな。これは多くの証人しょうにんの前が良いでしょうな。近くのテルマエ(大浴場だいよくじょう)で如何いかがです?この時間じかんなら、大勢おおぜい市民達しみんたちがいるでしょうからな。」

 議長にうながされたアリウス達は、その足でテルマエへと向かった。

「何とも贅沢ぜいたく浴場よくじょうだな。大浴槽だいよくそうが三つに、水風呂みずぶろ蒸気風呂じょうきぶろまであるとは。しかも、市民しみん無料むりょうでいつでも入浴にゅうよく出来るとはな....」

 贅沢ぜいたく浴場よくじょうの作りに眼をみはるアリウスに、ホークがささやいた。

無料むりょう入浴にゅうよく出来るのは、市民権しみんけんを持つ者だけです。此処ここに入りびたってるのは、ポンペイの富裕層ふゆうそうやかたや、ローマ人の別荘べっそうで働いている連中れんちゅうだけですよ。農民のうみん職人しょくにんは、まちを囲む城壁じょうへきの外にいて、日夜にちや働きづめです。街がにぎやかなのは、ローマ各地かくちから金持かねも連中れんちゅうが遊びに来てるからです。庶民しょみんは遊んでる余裕よゆうなどありませんよ。」

「アトランティスのお方達おかたたち一汗ひとあせ流したら、此方こちらにどうぞ。」

 議長にうながされて談話室だんわしつに入ったアリウス達は、そこで多くの市民達しみんたちに取り囲まれた。

「それでは、証文しょうもんを取りわしましょう。印章いんしょうはお持ちですな?」

 議長ぎちょうの問いを受けて、アリウスは指にめた家紋かもん指輪ゆびわを目の前にかかげた。

 そして議長が差し出した粘土ねんどを貼った板に、まずゴレイアスが、次にアリウスが、指輪ゆびわを押し当てて刻印こくいんした。

結構けっこう。これでけについては、多くの証人しょうにんの前で、ポンペイ議会ぎかい責任せきにんを持ってあずかりました。戦車競争せんしゃきょうそう恒例行事こうれいぎょうじですので、お二人だけでなく、各地かくちから参加者さんかしゃが集まります。しかし証文しょうもんにも書いた通り、このけはあくまでお二人ふたり勝負しょうぶですぞ。そうは言っても、伝説でんせつのアトランティスが参加さんかとなれば、多くの観客かんきゃくが集まるでしょうな。ポンペイもうるおうというものです。」

 議長ぎちょうはそう言って、顔をほころばせた。

 その場から立ち去ろうとしたアリウス達に、ゴレイアスが背後はいごから声を掛けた。

折角せっかくだから娼館しょうかんに立ち寄ったらどうだ?島では滅多めったにお目にかかれないような美女びじょがいるぞ。もっともあのアトランティスの娘は中々なかなかのものだ。あれならポンペイ一番いちばん娼姫しょうきになれるぞ。賭けの対象たいしょうにしたからには、俺が勝った時は、あの娘をどうしようと俺の自由じゆうということだからな。」

 高笑たかわらいするゴレイアスに向かって思わずつかみかかろうとしたアリウスを、横からホークがあわてて押しとどめた。

「アリウス隊長たいちょう此処ここ勝負しょうぶの場ではありませんぞ。戦車競技せんしゃきょうぎの日まで、無闇むやみいさかいはいけません。」

 その後、ポンペイの街中まちなかをホーク達と共に歩むアリウスが、こぶしを握りしめながら言った。

「何と卑劣ひれつな奴だ。一刻いっこくも早く、あのようなやからの元からアネモネを救い出さねばならぬ。」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る