第8話 救出の奇策

 救出隊きゅうしゅつたいがポンペイに潜入せんにゅうしてから四日がった。

 ホークは毎日まいにちのようにたかを肩に乗せて外出がいしゅつし、ポンペイの様子ようすさぐっていた。

 そのあいだアリウスの苛立いらだちは日々ひび高まり、そばにいるダンツとマリスははらはらしながらアリウスを見守みまもった。


 その日の昼間ひるま、ある事故じこが起きた。

 食事しょくじ材料ざいりょう調達ちょうたつする為にりょうに出かけたマリスが、あしを引きずりながらかく舟小屋ふなごやに戻って来た。

「どうしたのだ!何があった?」

 マリスの姿に驚いたアリウスが問いかけると同時どうじに、マリスは小屋こやの中に倒れ込んだ。

面目めんぼくないです。岸壁がんぺきの上で釣りをしている時に突風とっぷうあおられたんです。下が海だったんで、そのまま飛び込んだんですが、運悪うんわるくそこに岩礁がんしょうがあって…。あしをやられてしまいました。」

 直ぐにダンツがマリスのかたわらに座り込むと、落ち着いた声でたずねた。

「痛みはあるか?」

「そりゃ、猛烈もうれつに痛いです。此処ここまで戻って来るのが精一杯せいいっぱいでした。」

 マリスの右脚みぎあしは、左脚ひだりあしの倍ほどにれ上がっていた。

 すると、ダンツが右手みぎて自分じぶん右眼みぎめおおった。

 そして左眼ひだりめを、マリスの腫れた脚へと近づけた。

 しばらくしてから、ダンツが眼から右手を下ろして口を開いた。

骨折こっせつはしていないな。打撲だぼくだけだ。しかし、これはひどいな。少し我慢がまんしていろ。直ぐに楽にしてやる。」

 そう言うと、ダンツは腫れたマリスの右脚を両のてのひらで包み込んだ。

 ダンツがその姿勢しせいのままで時間じかんを置くと、マリスの顔がゆがんだ。

「ダ、ダンツさん…。なんか猛烈もうれつに脚が熱いんですが…。何をしてるんですか?」

「もう一寸ちょっとだ。じっとしていろ。」

 やがてダンツは、てのひらを脚から離すとマリスに声を掛けた。

「立ってみろ。」

 言われるままに立ち上がったマリスは、きつねにつままれたような顔になった。

「痛くない。普通ふつうに歩ける…。これは一体いったい、どうして?」

 横で一部始終いちぶしじゅうを見ていたアリウスが、ダンツに尋ねた。

「これがお前の力か?」

ダンツは、両方りょうほうてのひらり合わせながら立ち上がった。

「そうです。先ほど片目かためふさいだのは、『診眼しんがん』を発動はつどうする為です。俺の診眼は、身体からだの中の状態じょうたいる事が出来ます。骨が折れていた場合ばあい厄介やっかいでしたが、幸い打撲だぼくだけでした。だから『掌療しょうりょう』で治療ちりょうしました。」

「掌療?」

てのひらから気を発して治療ちりょうをします。俺独自おれどくじ治療法ちりょうほうです。」

 それを聞いたアリウスは感嘆かんたんの息を吐き、その後思い付いたようにダンツに尋ねた。

「しかし、無闇むやみに自分の力を人前ひとまえさらしてはならぬというおきてがあるではないか。お前の場合ばあいは良いのか?」

「力を隠したままでは、患者かんじゃ診断しんだん治療ちりょう出来できないですからね。女王様じょうおうさまとネレウス様からも、そう言う事なら仕方しかたがないと了承りょうしょうを頂いています。」

 成程なるほど納得なっとくしながら、アリウスは思った。

 アトランティスのたみの力というのは、本当ほんとう多種多様たしゅたようなのだな。

 ネレウス様はこの力が必要ひつようと思って、ダンツに同行どうこうを命じたのか。

 ならば、こちらの男の力とは何なのだろうか?

 アリウスは、不思議ふしぎそうな表情ひょうじょうで自分のあしを眺めるマリスに眼をった。


 夕刻ゆうこく舟小屋ふなごやに戻って来たホークが三人を集めた。

まずい事になっています。アネモネがアトランティスのたみだという事が知られてしまっています。それともう一つ、オリハルコンがポンペイの手に渡っています。ポンペイの長老達ちょうろうたち会合かいごうたかを忍ばせて分かった事です。」

 ホークの言葉ことばに三人は驚いた。

「どうしてだ?アネモネが、自分じぶんしゃべったのか?」

 アリウスの問いに対して、ホークは首を横に振った。

「違うようです。アネモネが何時いつも身に着けていたペンダント。あれはオリハルコンで作られたもののようです。それにポンペイの長老の一人が気付きづいたようです。」

 アリウスは、アネモネのペンダントの事を思い出した。

「あれか…。確か失踪しっそうした父親ちちおやとおそろいのものだと、アネモネに聞いた事がある。そこから推察すいさつされてしまったのか…。しかし、どうしてあのペンダントがオリハルコンで作られていると分かったのだろう?」

 アリウスに聞かれたホークは肩をすくめた。

流石さすがにそこまでは分かりませんでした。しかし、ポンペイの者達ものたちがアネモネをアトランティスの民と知ったからには、直ぐに救出きゅうしゅつせねばなりません。以前いぜんから、アトランティスにしきりに探りを入れようとしていた者達ですから。」

そこまで言って、ホークはもう一度いちど三人を見回みまわした。

「それともう一つ、一番大事いちばんだいじ情報じょうほうです。ポンペイから、アトランティスに向けて、伝書鳩でんしょばと海流かいりゅうに乗せたふみが届いています。」

 アリウスが、ホークを見据みすえて尋ねた。

「何を言って来たのだ?」

「アネモネが執政官しっせいかんやかたにいる事を、彼方あちらから伝えて来ました。アネモネを島に戻す代わりに、オリハルコンを引き渡せと言って来ています。発信人はっしんにんは、執政官のゴレイアスです。この事から、ポンペイとゴレイアスは、すでに同じ穴のむじな断定だんていできます。」

 それを聞いたアリウスの眼に、怒りが満ちた。

「アネモネを人質ひとじちにして、オリハルコンを奪おうというのか!何という卑怯者ひきょうものだ!」

 立ちあがろうとするアリウスを、ホークがめた。

「アネモネは、執政官やポンペイの者達に、オリハルコンの事を安易あんいに話すような者ではありません。これは執政官が仕掛しかけた牽制けんせいだと、ネレウス様はおっしゃっています。アトランティスにどのくらいのオリハルコンがあるのかをさぐる為だろうと。しかし、アネモネは一刻いっこくも早く救出きゅうしゅつせねばならぬと連絡れんらくを受けました。」

 アリウスは、あせった眼でホークを見詰みつめた。

「それで、どうすれば良いのだ? 何か手段しゅだんは見つかったのか?」

 かすように言うアリウスに向かって、ホークが語り始めた。


執政官しっせいかんに、アネモネをやかたから連れ出すように仕向しむけるしかありません。その為には、我々われわれが彼らの前に姿を見せる事も必要ひつようでしょう。しかしのこのこと出て行くだけでは、直ぐに捕縛ほばくされてしまいます。我々は絶対ぜったい逮捕たいほされず、しかもゴレイアス達がアネモネを我々に引き渡さざるを得ない策を講じましょう。」

 ホークの言葉ことばにアリウスが首をひねった。

「どうしたら、そのような事が可能かのうになるのだ?」

「執政官のゴレイアスは、戦車競争せんしゃきょうそうに眼がないそうです。元々もともとゴレイアスは、ネロにつかえる近衛兵このえへいでしたからね。ネロも戦車競争が趣味しゅみで、しょっちゅう競技会きょうぎかいを開いていたので、其処そこで腕を磨いたのでしょう。ネロの場合ばあいは、出場しゅつじょうした試合しあいには何時いつ八百長やおちょう優勝ゆうしょうしていたようですが、ゴレイアスの方の腕は本物ほんものらしいです。」

 それを聞いたアリウスの顔に、理解りかい表情ひょうじょうが浮かんだ。

「ふむ....。そいつは利用りよう出来るかもしれんな。戦車競争好きで、しかも腕に覚えがあるとなれば、歯ごたえのある相手あいて何時いつも探しているだろう。それに戦車競技せんしゃきょうぎには、常にけが付き物のはずだ。」

 そう言ったアリウスに、ホークがご名答めいとうといった顔を見せた。

「そうです。ずは、ゴレイアスを挑発ちょうはつして戦車競走での勝負しょうぶ仕掛しかけます。そして、その賭けの対象たいしょうとして、アネモネを引き渡す事を要求ようきゅうするのです。これをポンペイの長老達ちょうろうたち同席どうせきの場で行えば、ゴレイアスは拒否きょひする事は出来できないでしょう。長老達の前で、勝負しょうぶに後ろを見せて我々われわれ逮捕たいほするなど、彼の沽券こけんに関わりますからね。ただし、こちらから何を賭けに差し出すかが問題もんだいです。ゴレイアスが、アネモネを差し出してでも欲しがるもの。出来できれば、ポンペイの長老達も興味きょうみを持つ物が良いですね。」

 それを聞いたアリウスは、思い当たる物があるという顔をした。

「それなら、ゴレイアス達が絶対ぜったいに飛びついて来るものがあるぞ。女王様じょうおうさまとネレウス様に了承りょうしょうを頂かねばならぬが…。ゴレイアスに挑発ちょうはつ仕掛しかける方法ほうほうについて考えはあるのか?」

公衆こうしゅう面前めんぜんが良いですな。多くの市民達しみんたちの前で勝負しょうぶを申し込まれれば、ゴレイアスは益々ますます後には引けないでしょう。後は競技きょうぎ結果次第けっかしだいですが、如何いかにゴレイアスが腕が立つと言っても、まともな勝負ならアリウス隊長たいちょうの勝ちでしょうね。」

 ホークの言葉ことばに、アリウスは自信じしんあり気な表情ひょうじょうを見せた。

競技会きょうぎかいなど当然とうぜん出た事はないが、手製てせい戦車せんしゃを作って島の中を走り回るのは、俺の最大さいだい気晴きばらしだからな。アネモネを横にせて走った事も何度なんどかある。島の道は何処どこもがでこぼこ道だから、そこで走らせる戦車の工夫くふうも、幾度いくども重ねて来ている。整備せいびされた闘技場とうぎじょうでしか走った事がない者になど、決して負けぬ。」

 それを聞いたホークは、頼もし気な眼でアリウスを見た。

「そうですね。隊長が戦車を馬に引かせて走り回る姿を、俺は何度なんども見てますからね。気晴らしとはいえ、何故なぜあんな危険きけん真似まねをするのかと何時いつも思ってました。それで、この策を思いついたのです。」

アリウスは、ホークに向けて右手みぎて親指おやゆびを上に立てて見せた。

「それに馬が違う。ローマの者達は、アトランティスの馬など見た事はあるまい。アトランティスの馬は、大陸たいりくの馬のように臆病おくびょうではない。調教ちょうきょうには手が掛かるが、闘志とうしあふれている。大観衆だいかんしゅうの前でもおくする事などないだろう。ところで、競技きょうぎに使われる戦車の馬の数は何頭なんとうだ...?」

四頭立よんとうだてです。もし戦車競争をやるなら、島のシリウスが所有しょゆうする馬達うまたちが良いですね。シリウスが調教ちょうきょうした馬達なら、どれも隊長は乗り慣れていますから。」

 アリウスは、決意けつい表情ひょうじょうで立ち上がった。

「決まりだな。直ぐに島に鷹を飛ばして、女王様とネレウス様から了承りょうしょうを頂いてくれ。その上で、相手あいて此方こちら挑発ちょうはつに乗って来た時には、シリウスに馬を派遣はけんさせよう。その場合ばあい輸送時ゆそうじの馬の状態管理じょうたいたんりの為に、ダンツには一度いちど島に戻ってもらいたい。お前には獣医じゅうい心得こころえもあるのだろう?」

 アリウスにそう言われたダンツは、アリウスにならって親指おやゆびを上に立てた。


 アトランティスの王宮おうきゅうでは、ホークのたかが知らせて来たアネモネの救出策きゅうしゅつさくについて、女王じょうおうとネレウスが話し合っていた。

「人の眼を盗んでこっそりと救出すると思いきや、公衆こうしゅう面前めんぜんに顔をさらすとは…。アトランティスの歴史れきし始まって以来いらいですね。」

 ネレウスがそう言うと、女王は苦笑にがわらいを見せた。

「アトランティスの民が他国たこくとらわれるというのも前代未聞ぜんだいみもんではないですか。今回こんかいばかりはやむを得ないでしょう。ポンペイの執政官しっせいかんからも、牽制けんせいふみが届いているのですから。こうなれば、出来できるだけ早くアネモネを救い出さねばなりません。」

「しかしオリハルコンのけんたておとりに使いたいなどと…。しかもぐさですよ。私には理解りかいがたいですが、これもやむを得ないですのですね?」

「なまじオリハルコンのペンダントなどを手に入れてしまっているのなら、オリハルコンの剣と盾など見たらよだれが出るでしょう。おとりとして、これ以上いじょうのものはないでしょう。」

 女王の言葉ことばにネレウスは嘆息たんそくした。

「それほどに欲しがる物なら、アネモネと引き換えにくれてやっても良いのですが…。しかし、相手あいてがそんな取引とりひき簡単かんたんに応じるはずもないですね。」


 ゴレイアスのやかた軟禁なんきんされているアネモネの部屋へやの前には、警備兵けいびへいが二名貼り付けられるようになっていた。

「俺と俺の同行者以外どうこうしゃいがいは、絶対ぜったいに部屋に入れるな。特にアグリッピナ様には注意せよ。帝母ていぼだった事の権威けんいなどかざして来ても取り合ってはならんぞ。」

 そしてゴレイアスは、館の執事しつじも呼んだ。

「ポンペイの長老達ちょうろうたちがアグリッピナ様に面会めんかいを求めて来ても、絶対にぐな。書簡しょかんたぐいの受け渡しも禁ずる。あの女が怒り狂うかもしれぬが放っておけ。余りにわめき散らすようなら、贔屓ひいき男娼だんしょうを呼んでなだめておけ。」

 このゴレイアスの判断はんだんは正しかった。

 アグリッピナは、何度なんどもアネモネの部屋の扉の前をおとずれては、都度つど警備兵に追い返された。

 ポンペイの長老を呼び出す事も何度なんどか試みたが、ことごと不成功ふせいこうに終わった。


 しびれを切らしたアグリッピナは、ついにゴレイアスとの直談判じかだんぱんに乗り込んできた。

何故なぜ、あの娘に会わせてくれないのです。あの娘はアトランティスの情報じょうほう数多かずおおく知っているのですよ。それを聞き出そうとするのを、貴方あなたはどうして邪魔じゃまするのです。」

 ゴレイアスは、アグリッピナに冷たい視線しせんを向けた。

「前に貴女あなたが、あの娘に何をしようとしたかもうお忘れですか。恫喝どうかつし、の果てには男娼だんしょうをけしかけるなど。あの娘は、我らとアトランティスをつな大切たいせつな糸なのです。あのような真似まねをした貴女と会わせるなど、出来できはずがないではありませんか。」

 それを聞いたアグリッピナは、ほお痙攣けいれんさせた。

「あれは…やり過ぎたと思っています。しかし、アトランティスの力を手にする事が出来できれば、今のローマに対抗たいこう出来る可能性かのうせいがあるのですよ。だから私は…。」

 アグリッピナの言葉ことばを、ゴレイアスは途中とちゅうさえぎった。

「それは前にもお聞きしました。しかし貴女あなたの考えている事は危険きけんすぎる。如何いかに今のローマが憎いといっても、帝国ていこく転覆てんぷく目論もくろむなど…。私でさえも、そのような大それた事は考えてもいません。貴女は、私に無断むだんでポンペイの長老達ちょうろうたちとも接触せっしょくしようとしていましたね。私の邪魔じゃまをしないで頂きたい。私は私なりにアトランティスの使い道を考えているのです。これ以上余計いじょうよけいな事をするなら、貴女をローマに送り返す事も考えなければなりません。」

 ゴレイアスの言葉ことばを聞いたアグリッピナは、眼をまたたかせた。

貴方あなたに、そのような事が出来できるのですか?ローマに戻った私が、貴方がアトランティスの情報じょうほうをローマに隠している事を吹聴ふいちょうしたら、その後どうなるか位は分かるでしょう。」

「分かっていますよ。それは貴女あなたの言う通りです。どんな形であれ、今のローマにアトランティスの事が知れるのはまずい。だからこそ、今まで貴女をポンペイに留め置いたのです。それに、直ぐに貴女をローマに送り返すのも危険極きけんきわまりない。それが分かる貴女はかしこい。ならば大人おとなしくしていて下さい。気晴きばらしの男娼だんしょうくらいなら、直ぐに呼んで差し上げます。」


 自分じぶん部屋へやに戻ったアグリッピナは、地団駄じだんだを踏んだ。

「おのれ、ゴレイアス。私を誰だと思っているの。昔は、私が足をめろと命じたら、直ぐにその通りにしたがう男だったのに。しかも私が、次の皇帝こうていにんじてあげると迄言ってやったのに。このままでは駄目だめだ。何とかせねば…。」


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