第6話 アネモネのペンダント

 ローマの戦隊せんたいがアトランティスの沖合おきあい全滅ぜんめつした話を聞いて、アグリッピナは怒り狂った。

「ゴレイアス、何という醜態しゅうたいなのです。ローマから戦闘艦隊せんとうかんたい派遣はけんしながら、散々さんざんに打ちのめされてしまうなどとは...。」

 アグリッピナの言葉ことばに、ゴレイアスは冷静れいせい口調くちょうとなえた。

貴女あなたは負けず嫌いなのですな。しかし、今回こんかい結果けっか自然しぜんが起こした嵐と渦巻うずまききによるもの。貴女が言うローマ軍がアトランティスに惨敗ざんぱいしたなどという言葉ことばは、まとはずれています。」

 ゴレイアスにそう言われても、アグリッピナの言葉の勢いは止まらない。

自然しぜんだろうが何だろうが、ローマ軍が追い払われてしまった事は事実じじつではありませんか。このような屈辱くつじょく、そのままにして良いのですか?やはり、アトランティスには常人じょうじんには知り得ぬ何かがあるのです。一刻いっこくも早くその力を手に入れなければなりません。」

 アグリッピナの言葉ことばを聞いたゴレイアスが、あきれた声を出した。

貴女あなたは、ローマを憎んでいるのではなかったのですか?確かに、今回こんかいの事は、ローマ軍にとっては屈辱くつじょくです。しかし、貴女ならば喝采かっさいするところではないのですか?」

 それを聞いたアグリッピナは、顔面がんめんに怒りをみなぎらせた。

「私もローマの女です。あのような辺鄙へんぴな島にローマ軍が追い返されるなど、決してあってはなりません。蛮族ばんぞくというのは、ローマにかしず存在そんざいなのです。貴方あなたはローマ人として、このような屈辱くつじょくを許せるのですか?」

 その言葉ことばに、ゴレイアスは半分はんぶん納得なっとくした。

 ローマを憎んでいると思っていたが、それは今の皇帝こうていとそれを囲む者達ものたちを憎んでいるという事か。

 この女にとっては、島に住むアトランティスとは蛮族ばんぞくなのだな。

 その蛮族にローマ軍が屈するのは許せぬと言う事か。

 それにしても、ローマ艦隊かんたい全滅ぜんめつに怒り狂ったかと思えば、今度こんどはまたアトランティスの力だと。

 自然をあやつれる力など、この世にあるはずはない。

 この女、一体いったい何を考えているのだ。


 アグリッピナにどう対応たいおうしたものかとゴレイアスが考えあぐねている時、部屋へやの扉が叩かれた。

 そして、ローマからゴレイアスに随行ずいこうして来た一人の部下ぶか入室にゅうしつして来た。

 部下の真剣しんけん表情ひょうじょうを見たゴレイアスは、アグリッピナを振り返った。

「何かあったようです。この話は、此処ここまでにしましょう。貴女あなたはご自分じぶん部屋へやに戻っていて下さい。」

 部屋から退出たいしゅつするアグリッピナの後姿うしろすがたを見て、ゴレイアスはやれやれと胸をで下ろした。

 そして部下を振り返った。

「何かあったのか?」

 部下は、右手みぎてで自分の胸を叩いて拝礼はいれいした。

今朝けさポンペイの海岸で、漂着ひょうちゃくして来た女の身柄みがら確保かくほました。この後の取り扱いについて、執政官しっせいかんのご判断はんだんあおぎたく…。」

 部下の報告ほうこくを聞いたゴレイアスの肩から、一気いっきに力が抜けた。

「そんな漂流者ひょうりゅうしゃの扱いなど、どうして私が決めねばならぬのだ。女ならば、娼館しょうかんに送るなり、奴隷どれいとして売るなり、お前達で決めれば良いではないか。」

 投げやりな口調でそう言ったゴレイアスに向かって、部下ぶか真剣しんけんな顔のまま言葉ことばを続けた。

「それが…。女が身に付けていたペンダントを見たポンペイの長老ちょうろうが言うのです。この女は、アトランティスのたみ相違そういないと…。」

 それを聞いたゴレイアスの顔色かおいろが変わった。

「アトランティスだと…。直ぐにその女を此処ここに連れて来い。その女をアトランティスの民と言った長老も一緒いっしょに呼ぶのだ。」


 執政官しっせいかんの館に連行れんこうされたアネモネは、蒼白あおじろ表情ひょうじょうでゴレイアスの前に立った。

 見たところ怪我けがをしている様子ようすはない。

 しかし、長時間ちょうじかん海の中にいたせいか、顔には疲労ひろうの色が濃かった。

 そんなアネモネの顔を見たゴレイアスは、ほぅと息を吐いた。

 これは、素晴すばらしい上玉じょうだまではないか。

 これほどの女、ローマの都でもそうそう見つける事はむつかしい。

 そう思いながら、ゴレイアスはアネモネの横に立った男に眼を向けた。

 それは、ポンペイの長老ちょうろうの一人だった。

 ゴレイアスは、早速さっそくその長老に尋ねた。

「この娘をアトランティスの民と言ったそうだな。どうしてそのような事が分かるのだ?」

 そうたずねられた長老は、ゴレイアスの前に一つのペンダントを差し出した。

 それは、赤銅色しゃくどういろをした小さなペンダントで、表面ひょうめんには家紋かもんらしき彫刻ちょうこくられていた。

 ペンダントには、細い革紐かわひもが取り付けられていた。

「この娘が身に付けていたものです。実はこれと同じものを見た事があります。このペンダントは、恐らくオリハルコンという特殊とくしゅ金属きんぞくで作られています。オリハルコンは、アトランティスにしかないものです。」

 オリハルコンという名を聞いて、ゴレイアスのまゆが上がった。

「どうして、これがオリハルコンで作られていると分かるのだ?」

「私が以前いぜんに見たペンダントと意匠いしょうが全く同じだからです。それがオリハルコンで作られたものでした。」

 その言葉ことばとなりで聞いていたアネモネが、驚いた表情ひょうじょうを見せた。

 そして、長老ちょうろうが手にするペンダントにじっと眼をらした。

 長老の前で、ゴレイアスがかすように尋ねた。

「どう言う事だ。くわしく話せ。」

 ゴレイアスに問われた長老は、経緯けいい説明せつめいを始めた。


 それが持ち込まれたのは、ポンペイのある娼館しょうかんでした。

 そこに長期ちょうき逗留とうりゅうした男が、支払しはらいの段になって金が足りないと言い出したのです。

 そして金の代わりにと差し出したのが、これと同じペンダントでした。

 このようなものでは金の代わりにならぬと言う娼館の者とその男が言い争う場に、たまたままち視察しさつに来ていた私が出会でくわしたのです。

 店先みせさきいさかいを起こされては困ると感じた私は、男の勘定かんじょう支払しはらい、そのペンダントを対価たいかとして受け取りました。

 その後、その男からペンダントの由来ゆらいを聞いたのです。

 そのペンダントは、その男の家でずっと保管ほかんされていたものだと男は言いました。

 その男の家は、昔からそれなりの学者がくしゃ排出はいしゅつして来た家柄いえがらでした。

 ペンダントは、男の先祖せんぞ古代こだいギリシャの哲学者てつがくしゃから贈られたものだと言うのです。

 そして、これはオリハルコンという希少きしょう金属きんぞくで作られたものだと言いました。

 オリハルコンと言えば、アトランティスにしかない特殊とくしゅ金属きんぞくと伝えられています。

 私は、ペンダントを金属加工きんぞくかこう職人しょくにんの元へと持ち込みました。

 金属職人きんぞくしょくにんはペンダントを点検てんけんすると、これに使われている金属きんぞくが何なのかさっぱり分からないと言いました。

 やすりっても、のみを立てても、ペンダントには傷ひとつ付かぬと言うのです。

 私は、ペンダントがオリハルコンで作られたものと確信かくしんしました。

 そのペンダントと全く同じものを、この娘が身に着けているのを見た時には驚きました。

 しかもこの娘は、海の向こうから流されて来たのです。

 それで、きっとアトランティスの民に相違そういないと考えました。


 長老ちょうろうの話を聞いたゴレイアスは、腕組うでぐみをして考え込んだ。

 オリハルコンとは、実在じつざいしたのか。

 しかも、目の前にあるこのペンダントがオリハルコンで作られたものだとは…。

 ゴレイアスはけんを抜いて、その刃先はさきをペンダントの表面ひょうめんに突き立ててみた。

 ペンダントには、傷ひとつ付かなかった。

 それを見たゴレイアスは、何故なぜポンペイが執拗しつようにアトランティスに潜入せんにゅうしようとしたのかの理由わけを悟った。

 オリハルコンを手に入れようとしたのだな。

 どうしてオリハルコンを欲したのかについても、おおよその検討は付く。

 ゴレイアスは、目の前に立つ長老に向かって言った。

「この娘、我がやかたで預かる。それから、先程さきほどお前が言っていたこのペンダントと同じもの。まだ手元てもとにあるのであろう? 直ぐに私の元に持って来るのだ。」

 それを聞いた長老に、不安気ふあんげ表情ひょうじょうが宿った。

「心配するな。漂流ひょうりゅうした民に無体むたい真似まねはせぬ。仮にも私は執政官しっせいかんだぞ。きちんと部屋へやも与えて、客としてぐうする。」

 そう言ったゴレイアスは、長老の顔をのぞき込んだ。

「それに、ポンペイの考えている事。俺が今後こんごは力を貸してやっても良いのだぞ。」


 ゴレイアスの元をした長老は、直ぐにその足で仲間なかまの所へと向かった。

「何、アトランティスの民が海岸かいがん漂着ひょうちゃくしただと…。しかも執政官しっせいかんやかたに連れて行かれたのか。さらにはオリハルコンのペンダントまでが、執政官の手元てもとにあるのだな?」

「うむ。ペンダントの事を口にしたのはまずかったかもしれん。しかしわし海岸かいがんに駆けつけた時には、すでに執政官の部下ぶか到着とうちゃくしていたからな。やむを得なかったのだ。しかし、執政官から興味深きょうみぶかい話が出た。」

「何なのだ?」

「漂着した娘の事も、オリハルコンの事も、ローマには一切報告いっさいほうこくはしないと言っていた。」

「どうしてだ?ローマの艦隊かんたいが、アトランティスの沖で全滅ぜんめつしたのだぞ。原因げんいん大渦巻おおうずまきという事だが、ローマとてアトランティスの事は気にしているはずだ。」

「ローマにそれを知らせても自分にははない…そう言っていた。それよりもポンペイに手を貸す方が旨味うまみがあるとも。どうやら、我らの隠されたねらいに気づいている様子ようすだ。」

「ローマからの独立どくりつ協力きょうりょくする方が良いと言うのだな。それでアトランティスの事も伏せておきたいと考えたのか。あの執政官しっせいかん、中々の野心家やしんかなのだな。それで、我らはこれからどうするのだ?」

「執政官の本意ほんい確認かくにん出来るまでは、余計よけいな動きはしないのが賢明けんめいだ。しばらくは様子ようす見守みまもろう。」


 執政官しっせいかんやかたへと連れて行かれたアネモネは、館の一室いっしつへと案内あんないされた。

ずは、少し休め。そのようにあおい顔をしていては、話も聞けぬ。一眠ひとねむりするが良い。その後でじっくりと話を聞かせてもらおう。」

 そう言ったゴレイアスは、アネモネを残して部屋へやを出ていった。

 しばらく立ち尽くしていたアネモネだったが、やが寝台しんだいに倒れ込むと、直ぐに眠りに落ちた。


 暫くして目覚めざめたアネモネは、寝台のはし腰掛こしかけたまま呆然ぼうぜんとしていた。

 自分じぶんが今置かれている状況じょうきょうが、いまだ良く理解りかい出来ない。

 しかし、どうも此処ここはポンペイらしい。

 しかも、自分が今いるのは執政官しっせいかんやかたであるという。

 自分は、とんでもない所に来てしまったようだ。

 すると、部屋へやの扉が開かれ、その執政官という人物じんぶつが姿を見せた。

 アネモネは寝台のわきに立ち上がり、警戒けいかいする眼をその人物に向けた。

 すると、その人物がアネモネの前に歩み寄り、口を開いた。

「少しは顔に血の気が戻ったな。俺はポンペイの執政官で、ゴレイアスと言う。今から、お前の取り調べを行う。正直しょうじきに話せば、お前の身に危害きがいは加えない。分かったならば返事へんじをしろ。まさか言葉ことばが通じないはずはないな?」

 アネモネは仕方なく、黙ったまま小さくうなずいた。

 するとゴレイアスは、部屋の中にあった椅子いすに座って、質問しつもんを始めた。

「先ほどの長老達ちょうろうたちとの会話かいわは、お前も聞いていたな?お前は、アトランティスの民に相違そういないな?」

 先ほどの会話を頭に浮かべたアネモネは、観念かんねんしたように答えた。

「はい。私はアトランティスの者です。島の浜辺はまべで引き波にさらわれ、此処ここに流されて来ました。」

 するとゴレイアスは、ふところからアネモネのペンダントを取り出した。

「これは、お前の持ち物に相違そういないな?」

 ポンペイの浜辺で発見された時に、自分が身に付けていたので、これも否定ひていしようがない。

「はい…。私のものです。」

 アネモネの返事へんじうなずいたゴレイアスは、椅子いすから身を乗り出した。

「では、これから大事だいじな事を聞く。このペンダントがオリハルコンで作られている事を、お前は知っているな?」

 その問いに対しては、アネモネは首を横に振った。

「いえ、そのような事、何も知りません。先ほどの長老ちょうろうの方のお話で、初めて知りました。」

 すると、ゴレイアスは椅子から立ち上がると、怒鳴どなり声を挙げた。

うそを言うな!自分の持ち物であろう!知らぬはずはない!」

 ゴレイアスの怒鳴どなり声に、アネモネはびくりと身をすくませた。

「何も知りません。オリハルコンとは何なのです。聞いた事がありません。」

 するとゴレイアスが、声にこも怒気どきを強めた。

「アトランティスの民が、オリハルコンの事を知らぬはずはなかろう!正直しょうじきに全てを話せ!」

「知りません。私は何も…」

 そう言うと、アネモネは貝がふたを閉ざしたように黙り込んだ。

 そんなアネモネを見て、ゴレイアスは再び椅子いすに座り込んだ。

「いつまでも黙り通せるものではないぞ。まぁ良い。時間じかんいくらでもある。正直しょうじきに話す気になるまで、じっくりと待ってやる。今の自分の置かれている立場たちばを良く考える事だ。このままでは、いつまでっても島に戻る事は出来んぞ。」

 ゴレイアスは椅子から立ち上がると、部屋へやの扉に向かった。

 そして、扉を開ける前に、もう一度いちどアネモネに顔を向けた。

「お前が島に戻れる方法ほうほうを教えてやる。オリハルコンについて、お前の知っている事を全て俺に話す事だ。俺はオリハルコンを欲している。アトランティスに大量たいりょうのオリハルコンが埋蔵まいぞうされているのなら、それと引き換えにお前は島に戻してやる。話をする気になったら直ぐに知らせろ。心配しんぱいするな。お前はアトランティスとの交渉こうしょうには必要ひつような人間だ。指一本ゆびいっぽん触れたりはせぬ。三度の食事しょくじもちゃんと運んでやる。部屋へやの中で良く考える事だな。」


 アネモネの部屋を出たゴレイアスは、自分の執務室しつむしつに戻ると、椅子いす身体からだうずめて考えをめぐらせた。

 あれだけ言っておけば、いずれ自分から話を始めるだろう。

 しかし、あの娘が俺の手の内にある事を、アトランティスにも知らせておく必要があるな。

 さて、その手段しゅだんだが…。

 大型おおがたのガレー船も近づけぬ島に、使者ししゃ派遣はけんするのは無理むりだ。

 伝書鳩でんしょばとを飛ばしてみるか。

 海流かいりゅうに乗せて、文書ぶんしょを届けるのも手かもしれぬな。











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