第5話 アリウスとアネモネ

 遠ざかって行くいかだむれを、島の岬の突端とったんからじっとながめていた二つの人影ひとがげがあった。

 一人はアリウス。

 そしてもう一人は、強靭きょうじん大柄おおがら容姿ようしのアリウスとは正反対せいはんたい華奢きゃしゃ小柄こがらな娘だった。

 その娘は細面ほそおもての顔に緑の瞳をまたたかせると、アリウスを見上みあげた。

「アリウス様、もう大丈夫だいじょうぶです。あの筏の群れは、このまま進めば無事ぶじにポンペイの近くの岸にたどり着くでしょう。」

 娘の言葉ことばを聞いたアリウスは、安堵あんどした表情ひょうじょうを見せ、その後に娘に向けた感謝かんしゃ言葉ことばを口にした。

「アネモネ、良くやってくれた。これで、女王様じょうぷさまやネレウス様からの更なるお説教せっきょうまぬがれる事だ出来できそうだ。お前のお陰だ。どうも俺は手加減てかげんというものが苦手にがてのようだ。」

 そう言ったアリウスは、アネモネと呼んだ娘の横に並ぶと、その肩を抱き寄せようとして手を伸ばした。

 その気配けはいに、アネモネは素早すばやく身を引いた。

「いけません、私のような者に、そうした真似まねはおし下さい。」

 アネモネから拒絶きょぜつを受けたアリウスは、懇願こんがんする表情ひょうじょうをアネモネに向けた。

「アネモネ。お前への俺の想いは、もうお前も分かっているはずだ。俺は主人しゅじん立場たちば利用りようして、お前を自分のものにするつもりは無い。俺の想いをお前が受け入れてくれて、その上でお前を妻に迎えたいと心底しんそこ思っている。」

 アネモネは、その言葉に悲しげに眼を伏せた。

「アリウス様。私は、貴方様あなたさまからそんな言葉ことばを掛けて頂ける身分みぶんではありません。私は罪人ざいにんの娘なのです。」

アリウスは、そんなアネモネを見て思った。

いまだに、その事にこだわっているのだな。

俺も父母も、そのような事、すでに問題と考えてはいないのに…。

アネモネは、アリウスのあきらめをさそうように口を開いた。

「私の父は、島を出てはならないというアトランティスのおきてそむいて、単独たんどくギリシャに出奔しゅっぽんしました。そこでプラトンという哲学者てつがくしゃと出会い、彼の筆によって、アトランティスの秘密ひみつ一端いったんが世に出る事になってしまったのです。掟を破った父の親族しんぞくは、島の民から村八分むらはちぶとされました。祖父母そふぼと母はみずから命を絶ち、残された私だけが、女王様の慈悲じひで貴方様の家に預けられたのです。」

 アネモネは、そう言ってアリウスに頭を下げた。

「私は、罪人の娘です。そしてアリウス様の家の使用人しようにんとして生きる身なのです。アトランティスと家族をてた父をうらんだ事もありました。しかし、女王様はそんな私に言って下さったのです。『父をうらんではなりません。恨みの心は、決して貴女あなたを幸せにはしません。それどころか迷いの道にみちびくだけです。周囲しゅういが何を言おうと、貴女だけは父をゆるしてあげなさい。私も、表立おもてだって貴女の父にゆるしを与える事は出来ません。貴女の父を心底しんそこから赦せるのは、娘である貴方だけなのです。それが出来できなければ、貴女は決して幸せにはなれないのですよ』。そう言って下さったのです。」

そう言ったアネモネは、胸に付けたペンダントを握りしめた。

それは、出奔しゅっぽんした父が、まだ母の胎内たいないにいたアネモネに向けた、最初さいしょ最後さいごの贈り物だった。

「それから、私は思い悩みました。必死ひっしに考えました。そしてようやく、女王様のおっしゃる通りに、父をゆるす気持ちが芽生めばえました。でもそうなったからといっても、私が罪人の娘である事実は変わらないのです。そんな罪深つみぶか血筋ちすじである私に対して、アリウス様の家の方々は本当に良くして下さってます。私はとても有難ありがたいと思っています。女王様がおっしゃった私の得る幸せとは、この事なのだと悟りました。」

アネモネの言葉ことばを聞いたアリウスは、あせったような表情を浮かべた。

「お前が、今までどのように苦しんで今に至ったかは良く分かった。しかし、先ほど言った通り、今ではお前の父の事など、家の誰もが問題もんだいとは思っていないのだぞ。お前は、もう家族同然かぞくどうぜんなのだ。だからこそ、俺は、お前を…」

そのアリウスの言葉をさえぎって、アネモネは眼を伏せた。

「アリウス様は、女王様の血脈けつみゃくに繋がるお人です。そもそも私などとは身分みぶんも違います。そんな私に、そのような事をおっしゃってはなりません。」

「アネモネ。女王様の真意しんいは、決してお前達の家族かぞくさばくことではないのだぞ。確かにお前の父はおきてを破った。しかし、その事で一部の民がお前の親族しんぞく村八分むらはちぶにした事に、女王様は心を痛めておられたのだ。お前の祖父母そふぼと母がみずから命を絶った時、女王様は民全員たみぜんいんを集めておっしゃった。『掟を破った罪は大きい。でも親族の者達ものたちに、何の罪が有ると言うのです。お前達には慈悲じひは無いのですか』。女王様は、お前が幸せをつかむ事を願っておられる。」

 思い出したくない過去に耳をふさごうとするアネモネに、アリウスは言葉ことばを重ねた。

「女王様の言葉に応えて、お前を引き取ったのが俺の両親りょうしんだった。お前の心映こころばえの優しさを、両親は直ぐに認めた。俺のお前への想いは、父母ふぼも分かってくれている。そしてお前を妻に迎える事にも、二人共に賛同さんどうしてくれているのだぞ。お前が初めて家に来てくれた時、俺はお前に直ぐに魅せられた。それは、時をた今になっても変わらない。アネモネ、この俺の想いを分かってくれ。」

それでも、アネモネは首を横に振った。

「アリウス様。貴方様あなたさま、そして貴方の父上様ちちうえさま母上様ははうえさまの優しいご慈悲じひは、本当ほんとうに有り難く思っております。しかし、私を妻になどとは、決して考えてはなりません。貴方様のご命令めいれいなら、私は、喜んで貴方様に身をささげます。私は、決してアリウス様を嫌っているわけではありません。むしろ、おしたいしています。それでも、貴方様の妻になるなどという大それた事は出来できません。どうか、それだけはお許し下さい。私は罪人の娘に違いはないのですから」

 そこ迄アネモネに言い切られて、アリウスは引き下がざるを得なかった。

「アネモネ、分かった。俺はお前を困らせる積もりは無いのだ。だが今後こんご、罪人の娘などという自分をおとしめるような言葉は、絶対ぜったいに口にするな。」

 語調ごちょうを強めたアリウスに向かって、アネモネは顔を挙げた。

「それは...アリウス様のご命令めいれいですか?」

 その問いに、アリウスは同じ強い口調くちょうで答えた。

「そうだ、俺の命令だ。」

「アリウス様のご命令であれば、仕方しかたありませんね。おおせの通りに致します。」

 そう言って哀しげな顔でうなずくアネモネを見て、アリウスは目の前に立つ娘を力一杯ちからいっぱい抱きすくめたい衝動しょうどうにじっとえた。


 全滅ぜんめつしたローマ艦隊かんたい搭乗員達とうじょういんたちを乗せたいかだは、その日のうちにポンペイの海岸かいがん到着とうちゃくした。

 艦隊壊滅かんたいかいめつ状況じょうきょうを搭乗員達から聞いたポンペイの長老ちょうろう溜息ためいきいた。

大型おおがた戦艦せんかんならば、島に接近せっきんして上陸じょうりく可能かのうと思っていたが…。我らが、今まであの島にどうしても辿たどり着けなかったのも当然とうぜんという事か。しかし、間違まちがいなくあの島には人が住んでいるはずなのだが…。人だけでなく、我らが欲してまぬオリハルコンも恐らくあそこに…。」


 ゴレイアスも、艦隊全滅かんたいぜんめつほう驚愕きょうがくした。

「アトランティスの島を囲む自然しぜん要害ようがいというのは、これほど凄まじいものだったのか。これでは、あの島から誰一人として外に出る者がいない事もうなずける。しかしあのような島、盗賊達とうぞくたちも近づく事など出来ぬではないか。盗賊の根城ねじろがあるなどと報告ほうこくしたのはまずかった。」

 考えあぐねたゴレイアスは、アトランティスが盗賊の根城という情報は虚報きょほうだったと、ローマに向けて報告ほうこくを出した。


 ローマでも、一個艦隊いっこかんたいが嵐と渦巻うずまきに巻き込まれて全滅ぜんめつしたとの報告ほうこくに驚きが拡がった。

 海軍かいぐん統括とうかつする軍部首脳ぐんぶしゅのうは、直ぐに一個艦隊の出動しゅつどう経緯けいいについて、調査ちょうさに乗り出した。

「なに?軍事演習ぐんじえんしゅうを兼ねて、盗賊とうぞく討伐とうばつに向かったというのか?」

「そうです。ただし、向かった島が盗賊の根城ねじろというのは虚報きょほうであったと、ポンペイ執政官しっせいかんのゴレイアスから陳謝ちんしゃが届いています。」

 その報告ほうこくを聞いた大総督だいそうとくは、しばら沈思黙考ちんそもっこうした後に口を開いた。

「この一件いっけん。一個艦隊の司令官しれいかんに非があるな。状況じょうきょうをよく確認かくにんもせずに艦隊かんたい出撃しゅつげきさせたのだからな。しかも、島の周囲しゅうい自然しぜん要害ようがいに囲まれているという事前情報じぜんじぃうほうはあったというではないか。前もっての海域調査かいいきちょうさもせずに、いきなり全艦ぜんかんを島に向かわせるなど無謀むぼうが過ぎる。司令官は罷免ひめんだな。」

「ポンペイ執政官のゴレイアスの責任についてはどうされます?」

虚報きょほうと分かった後に、直ぐに謝罪しゃざい報告ほうこくを送って来たのであろう? ならば、今回こんかい大目おおめに見てもよい。ただし、アトランティスの島の事については、今後こんご何かあれば直ぐに報告するように伝えておけ。それにこの一件いっけん大袈裟おおげさにはしたくない。皇帝陛下こうていへいかのお耳にでも入ると厄介やっかいだ。軍の内部ないぶ秘密裏ひみつり処理しょりしろ。その危険きけん海域かいいきには、今後こんごは船を近づけるな。」


 ローマの艦隊かんたいを打ち払ったアトランティスには、しばらくぶりの平穏へいおんが戻っていた。

 別の艦船かんせん到来とうらい警戒けいかいして、数週間すうしゅうかん厳重げんじゅう監視かんしが続いたが、それもようや解除かいじょされた。

 王宮おうきゅうの庭に出た女王じょうおうは、空を見上げて深呼吸しんこきゅうをした。

 王宮と言っても、石と木材もくざいで組まれた質素しっそ平屋ひらや建物たてものである。

 大きな建物ではあったが、建物の外側そとがわ豪奢ごうしゃ装飾そうしょくなどは一切いっさいない。

 内装ないそうも全て、木の家具かぐが並ぶだけだった。

 しかし、それらの木の家具の表面ひょうめんには、職人達しょくにんたちの手によって入念にゅうねんうるしほどこされ、美しい光沢こうたくを放っていた。

 王宮の居間いまで女王が座る椅子いすにも、金銀きんぎんの装飾はない。

 その代わり、磨き抜かれたオリハルコンの板に細かな模様もようられ、椅子の肘掛ひじかけに貼られているのみである。

 多くの花が咲き誇る庭には、王宮に預けられている十数人の子供達こどもたちが姿を見せていた。

 「子供達も、ずっと閉じこもったままでつらかったでしょうね。今日きょうは、久々ひさびさ海岸かいがん散策さんさくすると良いですよ。」

 女王の声掛こえがけに従って、女達が王宮で預かる子供達を海岸へと連れ出した。

 その中には、アネモネの姿もあった。

 海岸には白い砂浜すなはまが広がり、そこに打ち寄せる波もそれほど高くはなかった。

 波打ちぎわで遊ぶ子供達を見ながら、付き添いの女達おんなたちも久々の平穏へいおんに心をなごませていた。

 そんな時、子供達に付きう女達の一人から悲鳴ひめいが上がった。

「引き波です!しかもかなり大きい。子供達を避難ひなんさせねば危険きけんです!」

 その声に全員ぜんいんが立ち上がった時には、引き波にさらわれた数人すうにんの子供達の姿が皆の眼に映った。

 緊急きんきゅうの報を聞き付けて、直ぐに救援きゅうえん者達ものたち海岸かいがんに向かった。

 その中には、アリウスの姿もあった。

「皆、無事びじなのか?姿の見えぬ者はおらぬか?」

 そう声を掛けるアリウスに向かって、一人の女が叫んだ。

「子供達は、全員無事ぜんいんぶじです。でも、アネモネの姿がありません。先程さきほど、引き波にさらわれた子供の一人を助けようとして、海に飛び込んだところまでは眼にしたのですが…。」

 それを聞いたアリウスの顔が引きった。

 そんな馬鹿ばかな…。

 アネモネは、海流かいりゅうと風をあやつれるのだぞ。

 それなのに何故なぜ…。

 もしや、術を使う前に引き波にまれたのか…。


 報告ほうこくを受けた王宮おうきゅうでは、直ぐにネレウスが捜索そうさく指揮しきした。

「海流をあやつれる者は、直ぐに島に流れを向けよ。それとかもめあやつる事の出来できる者達は、島以外の海岸かいがんにも鴎を飛ばせ。一刻いっこくも早くアネモネを発見はっけんせよ。」

 しかし、その日のうちにアネモネを見つけ出す事は出来なかった。


 その翌朝よくあさ、アトランティスの島の海岸かいがんには、アネモネの姿を求めて彷徨さまよい歩くアリウスの姿があった。

「アネモネ。どうか無事ぶじでいてくれ。お前が俺の前から居なくなるなど考えたくもない。この世界せかいの全ての神々かみがみに祈る。アネモネを、無事に俺の元に戻してくれ!」







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