第3話 ゴレイアスの策謀

 ポンペイの執政官のやかたに身を寄せたアグリッピナは、半年はんとしほど経ったある日、ゴレイアスに提案ていあんをした。

「もう腹のさぐり合いはやめませんか。私が今のローマを憎んでいる事は、貴方あなた承知しょうちしているでしょう?私の方も、貴方が強い野心やしんを持ってポンペイに来た事は分かっています。此処ここは手を組みませんか?私の利用価値りようかちというのは、帝母ていぼだったという経歴けいれきなのでしょう?貴方なら、それを上手うまく使えるのではないですか?前にも言ったでしょう。私は、貴方を助けて差し上げると…。」

 それを聞いたゴレイアスは思った。

 自分じぶん価値かち何処どこにあるか、ちゃんと分かっているのだな。

 確かにこの女ならば、ポンペイの長老達ちょうろうたちにそれなりの影響力えいきょうりょくを及ぼす事も出来できそうだ。

 一旦いったんは話に乗ってやるのも手かも知れぬ。

 しかし、この女のローマへの憎しみの程度ていどは、いずれ確かめねばならぬな。

 女の怨念おんねんというのは恐ろしいからな。


 こうして、ゴレイアスはポンペイの長老達との話し合いに、時々ときどきアグリッピナを同席どうせきさせるようになった。

 長老達の何人かは、かつてポンペイを保養ほようおとずれたアグリッピナの顔を覚えていた。

 最初さいしょにアグリッピナを見た長老達は、すでに死んだとされているネロの母親ははおやが生きていた事に一様いちように驚きを見せた。

 しかも、アグリッピナが今のローマに対して痛烈つうれつ批判ひはん言葉ことばつらねるのを眼にして、長老達は首をひねった。

 そして、アグリッピナの同席の意図いとについて、何度なんども話し合いを重ねた。

 「アグリッピナ様のあの言動げんどう。ネロ陛下へいかがクーデターで亡くなった事に、余程よほどうらみがあるのでしょうな。」

「そんなアグリッピナ様を、執政官しっせいかんはどうして我々われわれとの話し合いに呼ぶのだ? しかも執政官自身も、ローマには批判的ひはんてきだ。ローマへのご機嫌取きげんとりに余念よねんがなかった前の執政官とは雲泥うんでいの差だな。就任前しゅうにんまえから我らに接触せっしょくして来た事も考え合わせると、あの新しい執政官はただのローマのいぬとは違うようだな。」

「ローマからの要求ようきゅうが更に強まると心配しんぱいをしていたのは、杞憂きゆうであったという事ですね。ならば、利用価値りようかちがあるというものではないですか。あの執政官を上手うまく使えば、ローマからの独立どくりつも果たせるやも知れません。」


 ある日、やかたの一室で、アグリッピナがゴレイアスに話しかけた。

「ゴレイアス。執政官に就任しゅうにんして、最初さいしょに何をするかと思ったら、闘技場とうぎじょう改築かいちく娼館しょうかん増設ぞうせつですか。貴方あなた中々なかなか策士さくしですね。ローマにびを売ると同時どうじに、ポンペイの者に向けてもしっかり人気取にんきとりを行うとは...」

 アグリッピナにそう言われたゴレイアスは、小さな笑みを浮かべた。

「私をようやく認めて頂きましたか。血と女は、誰もが求めるものです。 まずは此処ここから始めます。今のローマに正面しょうめんから立ち向かうのはですからな。」

 アグリッピナは、ゴレイアスに同意どういするようにうなずいた。

「ふふ...私が認めた人だけの事はあるわね。これでローマは、ポンペイを地中海ちちゅうかいきっての観光地かんこうちとして認めるでしょう。ローマを油断ゆだんさせると同時に、ローマの高官達をの地におびき寄せるとは見事みごとな策ですね。今、各地かくちから美女びじょを娼館に集めているとか...。それなら私にも良い男を手配てはいしておくれではないかい。私もだ老け込んではいないのよ。」

 アグリッピナのけな要望ようぼうに、ゴレイアスはまゆひそめた。

貴女あなたにはかないませんな。早速さっそくにも男漁おとこあさりですか。此処ここだけの話ですが、貴女は息子むすこのネロ陛下へいかとも、あってはならぬ関係かんけいがあったと言われてますぞ。」

 そう言われても、アグリッピナは一つの動揺どうようも見せなかった。

「ネロには女を見極みきわめる眼が無かったのですよ。奴隷女どれいおんなに恋したり、ポッパエアのような下劣げれつな女にだまされたり...。私は、ネロに女というものを教えてあげようと思っただけですよ。」

 アグリッピナは、不敵ふてきな眼でそう答えた。

 アグリッピナの鉄面皮てつめんぴ表情ひょうじょうを見たゴレイアスは、彼女の心にひそやみに言いようのない嫌悪けんおを覚えた。

 そんな嫌悪の感情かんじょうを胸の底に押し殺したゴレイアスは、直ぐに話題わだいを変えた。

「アグリッピナ様のローマへの復讐ふくしゅうの想いは、分かっておりますよ。しかし、今の皇帝こうてい地位ちい不安定ふあんていです。それを支える元老院げんろういんにも、過去かこのような力は有りません。帝国ていこくは、遠からず弱体化じゃくたいかするでしょうな。」

 ゴレイアスの言葉ことばを聞いたアグリッピナの顔に、興奮こうふんの色が満ちた。

「その通りです。いずれ今のローマの栄光えいこうなど、やみの底にほうむってやるわ。ゴレイアス、貴方あなたを新しい帝国の皇帝の座に付けて差し上げるわよ。」

 それを聞いたゴレイアスは、わきの下に汗がにじむのを感じた。

 この女、やはり帝国の転覆てんぷくを考えているのだな。

 流石さすがに俺は、そこまでは望まぬ。

 ポンペイを独立どくりつさせ、それを統治とうちするだけで十分だ。

 しかしこの女、何をどころにそのような途方とほうもない事を考えるのだ?

 ゴレイアスは、アグリッピナにさそみずを向けた。

「私は、皇帝の地位ちいなど夢みた事すらありませんが…。アグリッピナ様は、帝国の転覆てんぷくなどというとんでもない事が、本当ほんとう可能かのうと思っておられるのですか?」

 するとアグリッピナは、眼に野望やぼうをぎらつかせた。

「ポンペイの長老達ちょうろうたちが言っていたではありませんか。ポンペイの近くにある島があり、其処そこには途方とほうもないものが存在そんざいすると。それを手に入れられれば、今のローマなど、簡単かんたんに倒せるのではありませんか?」

 アグリッピナの言葉ことばに、ゴレイアスは思い当たったように顔を挙げた。

「アトランティスの事ですな。確かにあれは謎に満ちた島です。あそこに住む民達たみたちは島に閉じこもって、決して外に出て来ようとはしないと聞いています。だからこそ、長老達の想像そうぞうふくらむのでしょうな。ポンペイからも何人なんにんもがあの島に潜入せんにゅうを試みたそうですが、誰も成功せいこうしていないと聞いています。しかし、貴方あなたの言うような途方とほうもないものなど、いまだに誰も確認かくにんしてはいないのですよ。」

 ゴレイアスにそう言われても、アグリッピナの眼のぎらつきは収まらない。

貴方あなたは、軍人ぐんじんだったからかがくが足りませんね。アトランティスについては、ネロのそばに仕えていた哲学者てつがくしゃのセネカから話を聞かされた事があります。最初さいしょにアトランティスの事をしるしたのは、ギリシャのプラトンと言う哲学者です。アトランティスは、我々の想像そうぞうを超えた様々さまざまな物を持つそうです。中でも、彼らが使うオリハルコンという金属きんぞくで作ったけんは、どんなたても突き通し、オリハルコンの盾はどんな剣もね返すとか。そんなものが本当ほんとう存在そんざいするならば、それを手にする者はまさ無敵むてきではありませんか。」

 それを聞いたゴレイアスは、小さく肩をすくめた。

「アグリッピナ様、それこそ矛盾むじゅんというものですぞ。それではオリハルコンの剣で、オリハルコンの盾を突くと、どうなるのです?」

「話の足取あしとりはやめなさい。いずれにしても、我々われわれ武器ぶきとは比べ物にならないという事でしょう。プラトンはアトランティスを大陸たいりくと言ったそうですが、小さな島なのに大陸と言ったのは、あそこには強大きょうだい軍事力ぐんじりょくがあるからでしょう。外部がいぶからの侵略しんりゃくにはびくともしない隠された力を持っているのでしょう。私は、その力はオリハルコンによるものだと思っています。」

 それを聞いたゴレイアスの顔に、ようや興味きょうみの色が芽生めばえた。

 ふむ、そのような話が伝わっていたのか。

 オリハルコンか…。

 しかしどのような武器ぶきも歯が立たぬ金属きんぞくなど、本当ほんとう存在そんざいするものなのか?

 しかし考えてみれば、ポンペイから何人なんにんもの者が潜入せんにゅうを試みても、誰一人だれひとりとして成功せいこうしていないというのも奇妙きみょうな話だ。

 周囲しゅういを海に囲まれた島など、いくらでも潜入せんにゅう可能かのうであるはずなのに…。

 ポンペイの長老達ちょうろうたちに、さぐりを入れてみるか…。

 問い合わせを受けた長老達は、誰もがが用心深ようじんぶか目付めつきでゴレイアスを見た。

「今になって、何故なぜそのような事を問いあわせて来られるのです?」

 そう聞かれたゴレイアスは、長老達の態度たいど不審ふしんを持った。

「俺に話すと、何か都合つごうの悪い事でもあるのか?」

 そう聞かれた長老達の顔に、あきらめが浮かんだ。

「分かりました。お答えしましょう。あの島は、自然しぜん要害ようがいで囲われているのです。島の周辺しゅうへんには、巨大きょだいさめむれが常に回遊かいゆうしています。更に、不定期ふていきに小さな嵐が発生はっせいしています。その為、小舟こぶねで島を目指めざした者は、誰もが引き返さざるを得なかったのです。あの島には、大型船おおがたせんでなければ近づけないでしょう。ところが、ポンペイには大型船などありません。そう言う事です。」

 それを聞いたゴレイアスは納得なっとくした。


 ゴレイアスはその事をアグリッピナに伝えたが、アグリッピナはまるで納得の色を見せなかった。

「それは、島に近づけなかったというだけではありませんか。それを持って、アトランティスに軍事力ぐんじりょくがないとは言えません。」

 一度いちど言い始めると、それに執着しゅうちゃくするのがアグリッピナの性格せいかくである。

 そして、事あるごとにゴレイアスに対して、ローマから大型船おおがたせん派遣はけんさせて島を調べるように要求ようきゅうして来た。

 アグリッピナの余りのしつこさに、ゴレイアスは辟易へきえきした。

 うるさくてかなわん。

 オリハルコンとやらの事を気にしているのであろうが、そのような魔法まほうもどきの金属きんぞくなどこの世に存在そんざいするはずがない。

 何とかならないものか…。

 そんなゴレイアスの元に、ローマの一個艦隊いっこかんたい外洋訓練がいようくんれんを行うという情報じょうほうが入って来た。

 それを知ったゴレイアスは、ある策謀さくぼうめぐらせた。


 ゴレイアスの話を聞いたアグリッピナは、両手りょうてで口をおおって立ち尽くした。

「何ですって!ローマの艦隊かんたいにアトランティスを襲撃しゅうげきさせるですって…。何故なぜそのような事をするのです?」

 アグリッピナの動揺どうようを眼にしたゴレイアスは、それ迄の溜飲りゅういんを少しは下げた。

「アトランティスの軍事力ぐんじりょくを見たいと言っていたのは貴女あなたでしょう。本当ほんとうの力を知ろうとするなら、一個戦隊いっこせんたいくらいで掛からねばその実力じつりょくは分かりません。そうではないですか?」

アグリッピナは最初さいしょ動揺どうようを直ぐに押し隠して、ゴレイアスを見た。

「しかし、その為に一個戦隊を動員どういんするなど…。良くそんな事が出来ましたね。」

「アトランティスの軍事力がどうのと言った事は、全く伝えていません。ポンペイの周辺しゅうへんたむろするならず者の集団しゅうだんがあの島を根城ねじろにしているので、それを討伐とうばつして欲しいと伝えただけです。戦隊かんたい司令官しれいかんからは、格好かっこう訓練くんれん標的ひょうてきが見つかったと喜ばれましたよ。」

 落ち着きを取り戻したアグリッピナは、見直したような顔つきでゴレイアスを見た。

「やはり貴方あなたは、中々なかなか策士さくしですね。しかし、ローマ軍の攻撃こうげきでアトランティスが壊滅かいめつしてしまえば、アトランティスの謎は、永久えいきゅうに闇にほうむり去られると言う事ですね。」

「そうなった時はあきらめて下さい。貴女あなたほっするアトランティスの力など、その程度ていどであったということです。そもそも単なる調査ちょうさだけの為に大型船おおがたせんを差し向けろなど。如何いかに私でも、そのような事をローマに求める事は出来ないのです。」

 ゴレイアスの言葉に、アグリッピナは渋々しぶしぶながらもうなずいた。


 ゴレイアスとアグリッピナが話し込む様子ようすを、窓の外から見守みまもる者がいた。

 それは、庭の大木たいぼくの枝で羽を休める大鷹おおたかだった。

 鷹は、部屋へやの中の二人の挙動きょどうにじっとと眼をらしていた。

 そして、ポンペイから遠く離れたアトランティスの島にある王宮おうきゅう一室いっしつでは、一人の男が黙想もくそうするように眼をつむってたたずんでいた。

 その男のかたわらで、別の男が問いかけた。

「ホーク。『鷹の目』が、何か伝えて来たのか?」

ネレウスからの問いかけを受けたホークが眼を開けた。

「ゴレイアスとアグリッピナが、アトランティスに軍隊ぐんたい派遣はけんする事を話し合っています。前々から、アグリッピナがゴレイアスに対して、アトランティスに大型おおがた調査船ちょうさせんを差し向けるようにせまっていました。それに対して、ゴレイアスが一個艦隊いっこかんたい派遣はけんをローマに打診だしんしたようです。ただし、調査ではありません。アトランティスを盗賊とうぞく根城ねじろいつわって、島を攻撃こうげきするように求めたようです。」

 それを聞いたネレウスが嘆息たんそくした。

「そのような事を考えているのか。愚か者共ものどのが...。おのれ都合つごうの為なら、なんでもすると言うのだな。直ぐに女王様じょうおうさま報告ほうこくせねばならぬな。」

 ネレウスは、座っていた椅子いすから立ち上がり、部屋を出ると歩みを早めた。

 女王の居室きょしつおとずれたネレウスは、ホークが鷹の目を通じて得た情報じょうほうを女王に伝えた。

「ローマから、アトランティスに向かって艦隊かんたいがやって来ます。以前にお伝えしたような調査目的ちょうさもくてきではありません。島を攻撃こうげきして、壊滅かいめつさせるつもりです。」

 それを聞いた女王は、まゆくもらせた。

おろかな事を…。いきなり攻撃して来るというのですか。そうであれば、打ちかかる火のは払わねばなりませんね。しかし一度いちどあきらめてくれるかどうか....。そうなった時には、いよいよこの島をてる事も考えねばなりませんね。」

 ネレウスは、女王のその言葉ことば並々なみなみならぬ意志いしを感じた。

承知しょうちしました。そちらの準備じゅんびにも取り掛かります。」



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