episode 020
右寄りの考え方を持った父に育てられた私が、なぜアメリカへ留学したかというと、特にこの分野の勉学に励みたいというわけではなく、むしろ歴史上唯一原子爆弾を実際に使い、日本を唯一の被爆国にした相手の国の実情を自分の目で見てやろうと思ったからだ。
アメリカ人が歴史的な事実をどのように捉えているのか、自分と同じ年代の若者はどの程度関心があるのか、またその相手国と同盟関係を結んでいる現状をどう考えているのか、など実際のアメリカが日本に対してどのような感情を抱いているのか興味があった。
ネットや本で情報を集めることもできるが、やはり実際に見て、感じることに勝るものはない。
だが実際には、アメリカは太平洋戦争以降もベトナム、湾岸、アフガニスタンと戦争を繰り返していて、本土には戦争の影が忍び寄ることはなくてもテロや帰還兵の問題に苦慮しており、日本に原子爆弾を投下し何世代にも何万人にも及ぶ人々を苦しめたことなど遠い昔の出来事で、気にしている者などいない国だった。
太平洋戦争を体験している世代が少なくなっていることもあるだろうが、近代史を研究している教授でさえも、原子爆弾の投下は戦争を集結するために必要な手段だったと明言していた。
立場が変われば考え方も信じるものも変わる。
自分の正義は、相手にも正義とは限らないのだ。
プーチンがウクライナとの戦争を収束させるために同じことを言ったとしたら、アメリカ人はどう思うのか?
見知らぬ男からこの国のために働く気はないかと声をかけられた時、自分が知らないこの国のこともっと深く知ることができるかもしれない、そうでなくても考え方を知るにはチャンスなのではないか、という思いが浮かび興味本位で男の話に乗ってしまった。
その時点では、CIAではなく政府機関のどこかで日本との架け橋となるような仕事を想像していたのだが、まさか後戻りできない道に足を踏み入れてしまうとは思はなかった。
翌朝、私は黒いキャップ、黒い長袖Tシャツ、黒のスリムジーンズという格好でホテルをチェックアウトし、名古屋市営地下鉄東山線の伏見駅から地下鉄に乗り、一駅隣りの栄駅で地下鉄名城線に乗り換え市役所駅で降り県知事公舎付近の植え込みに向かった。
ホテルからは20分ほどの道のりで、8時には目的地へ到着することができた。
県知事公舎から30mほど南にある植え込みの陰に身を潜めていると、予定どおり8時30分を少し回ったところで、公舎の門から町田とSP二人が歩いて出てきた。
襲われるとは全く思っていない様子で、SPさえ警戒していない。
日常となりすぎたルーティーンなのか、なんと町田が先頭を歩き、SP二人が付き従っている。
これではSPではなく、秘書だ。
襲う意志を持った人間なら、誰でも簡単に襲える。
しかし私は引退したとはいえ元プロなので、いきなり正面から刃物で町田の腹を刺すような真似はしない。
きっちり仕事をして、しっかり逃走して初めてプロの仕事だ。
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