皇宮警察学校
はるより
本文
時は四月一日。
帝都中の桜が一年を通して最も美しく咲き乱れると言われるこの日に、皇宮警察学校の入学式は行われる。
すり鉢状になった講義ホールで、正面の教壇に立つ初老の男性は皇宮警察学校校長。
長々とした式辞を述べ始め、既に半刻が過ぎようとしている時だった。
それは若者にとっては余りにも退屈な時間。
ホールに詰められた殆どの新入生たちは、必死に睡魔に抗っている有様である。
朝夕紡も例外なくその一員であり、重くなる瞼を必死で持ち上げていた。
校舎に集められたのが朝の五時であるということも眠気の一つの要因である。
あまりに早すぎるその集合時間は皇宮警察所属とはいえ、軍人としての意識を持たせるためとの事だが……ほとんどの若者にとっては、面倒な取り決めに他ならない。
正直、早く終わってほしい。
終わる様子のない式辞に、紡が辟易していると……隣の人物が、こっくりこっくりと船を漕いでいるのが視界に入った。
彼が教師に見つかって叱られようと、自分には関係のない事だと無視しようとしたが……気持ちよさそうにいびきまでかかれると、流石に黙ってはいられない。
紡は隣に座るあどけない寝顔の青年の腿を軽くつねり上げる。
「い゛……っ!?」
青年は目を白黒させて飛び起き、唖然とした様子で紡の方を見た。
紡はそれを見もせずに正面を向いて、背筋を伸ばす。
「おい、痛いじゃんか……!?」
「うるさい、黙って聞いていろ」
そんな紡の態度など気に留めず、青年は小声で話しかけてきた。
紡は同じく囁き声で返すと、無視を決め込む。
それ以上は反応を返さなくなった紡に、青年も諦めたのか……ため息をついて教団の方へと視線を向けた。
*****
「よっ!さっきは悪かったな〜、別に寝るつもりはなかったんだよ!寝るつもりは!」
「涎まで垂らしていた癖にか……?」
ようやく式が終わり、各々が事前に割り振られた学教クラスの教室へ移動し始めた時。
紡の隣に座っていた、くるくるの天然パーマが特徴的な青年は能天気そうな笑顔を浮かべて、紡の肩をぽんぽんと叩いた。
青年の眠たげな眼差しは、どうやら睡魔が原因ではなく、元々そういう顔つきをしているらしい。
紡が足下に置いていた鞄を持ち上げて歩き出すと、さも当然といった態度で青年はその後ろに続く。
「ったく、やってらんねぇよな!あんなに長々喋っても、どうせみんな明日には忘れてるのにさ〜」
「私語が多いぞ」
「今は休憩時間だから、問題なし!」
「他に喋っている者はいないだろ」
「みんな緊張してるだけだって、その内喧しくなんだから」
紡は、初日から厄介な人間に目をつけられてしまった、と思いながら頭をかく。
だが先に干渉したのは自分なのだから、これは自業自得というやつである。
紡はこの皇宮警察学校に入った目的のため……余り、悪目立ちする訳にはいかないのだ。
振り返りもしない紡の態度など全く意に介さない様子で、青年は少し足を早めてその隣に立つ。
「
「……?」
「オレん名前。あんたは?」
へらへらと笑いながら、青年は名乗った。
柴田という姓には、紡も聞き覚えがある。
朝夕と直接的な関わりこそないが……帝都の中でも大きな商家に、そういった家があったはずだ。
皇宮警察学校に入学するほとんどの人間には、経済的に大きな後ろ盾があると考えて良い。
つまりは瓢助と名乗ったこの青年も、例外なく名家の御曹司なのだろう。
兎も角、人間として名乗られたのならばそれを無視するわけにはいかない。
紡は、ようやく瓢助と顔を合わせた。
「……朝夕紡だ。」
「へー、朝夕っていうと通りにある武家屋敷の!」
「知っているのか?」
「まぁ、親父に色々連れ回されてるから。地理やそこそこのお家事情は嫌でも頭に入ってくるもんだ」
にっと歯をみせて笑う瓢助は、無邪気な子供のようである。
紡はそんな彼の様子に、毒気を抜かれてしまうようだった。
「朝夕、クラスは?」
「確か、ろ組だったと思う」
「マジ?オレと一緒じゃん!」
何の因果か、学年に五組ある筈のクラスの中で、二人はクラスメイトだったらしい。
紡は馴れ馴れしく肩を組んでくる瓢助に、かつて通っていた道場の後輩の事を思い出していた。
二人はそんな具合に会話をしながら、一年ろ組の教室に辿り着く。
決められていた座席は出席番号順だったため、紡と瓢助は少し離れた机に着いた。
紡は鞄から筆記用具を取り出しつつ、教室の中を見渡す。
帝都軍に属する学校というと、どのような場所だろうかと思っていたが……教室自体の内装は床が畳敷きでない事以外は寺子屋とそう変わらない。
クラスメイトたちもそわそわと落ち着きなく周りの様子を窺っており、軍人然とした人間は居ないように見えた。
それどころか、紡よりも随分華奢な体躯をしている者や、牛乳瓶の底のようなメガネを掛けている者も少なくない。
帝都軍に所属する将校が全員戦闘に長けているとは思わないが……紡はイメージとは異なる学校の様子に、何となく拍子抜けしていた。
やがて教室の扉が開き、入り口から顔色の悪く、ひょろりと背の高い男が姿を見せる。
彼は手にしていた帳簿のようなものを、教室の前方に設置されていた教壇に置くと、ぐるりと生徒たちを見た。
「えー……まずは入学おめでとう、諸君。私はこの一年ろ組の担任を務める事になった、五木(いつき)だ。以後、よろしく」
にこりともせずにそう名乗って深々と頭を下げる五木に、生徒たちは顔を見合わせながら各々頭を下げる。
「はーい、先生〜質問良いですか?」
そんな風な声と共に、手を挙げる者がいた。
紡がまさかと思って目を向けると、声の主はやはり柴田であった。
「何だね?」
「先生のそれ、指揮刀じゃなくて真刀ですよね?」
「ほう、なぜそう思った?」
「柄の意匠が、松永の物でしょ?前に見たことがあって」
「君は……なる程、柴田商事の。いかにも、見立て通りこれは真刀だよ」
そう言って、五木は腰から刀を抜いて見せる。
しゃらん、と涼しげな音を立てて引き抜かれた刀身は、窓から差し込んだ日光を反射して鈍い輝きを放っていた。
「基本的に、帝都軍に所属する人間が下げているのは全て本物の刀だ。模造刀を使用するのはあくまでも儀礼や祭事だな」
生徒たちは、初めて見た真刀に気圧されているのか、皆一様に黙り込んでその様子を見つめていた。
無理もないだろう。彼らは皆、戦いなどとは縁遠い平穏な暮らしをしてきたのだ。
目の前の人物が、簡単に人の命を奪ってしまえる代物を手にしているというのは初めての経験の筈である。
「いずれ……と言っても、明日には君達にも同じように軍刀が配られることになる。これは自らが守られるべき市民ではなく、人の前に立つ軍人であることを示す物だ。制服の一部だと思い、必ず携帯するように。」
刀を鞘に戻しながらの五木の言葉が終わるや否や、図ったかのように廊下をチャイムの音が響く。
紡には聞き慣れないその音は、この学校で時間の区切りを告げる合図のような物だと、彼は後に知る事になる。
「おや、ちょうど良い時間だ。まずは就学中の諸注意、学則などの説明から行う。机の上に置いてある書類のうち……」
五木の言葉に従い、紡を含めた生徒たちは指示された書類を探し始める。
そして彼らの準備が整うのを待って、紙面に記された内容についての説明が始まった。
紡の皇宮警察学校生活一日目は、このように平穏に過ぎてゆくのであった。
*****
紡の皇宮警察学校生活二日目。
一年の生徒たちは始業するや否や、校庭に集められていた。
一クラスにつき十人ほど、合計五十人の若者たちが制服に身を包み、整列している。
彼らの前には一人の女性が立っていた。
女性の格好はというと、帝都軍のものと思わしきズボンこそ履いているものの、筋肉質な上半身は胸元にサラシを巻いているのみである。
背中にはおおよそ人間が振るえるとは思えない、彼女の身長差よりも丈のある大太刀を背負っており、腰には申し訳程度の小太刀が下げられていた。
彼女は目のやり場に困っているらしい生徒を一人ずつ値踏みするように眺めてから、言った。
「私はお前たちがどのような家の出だろうが、一切興味はない。しかし私は教官を任された以上、そこのクソ青瓢箪にも軍人として最低限の戦闘能力を身につけさせる必要がある」
最前列に立っていたメガネの青年は、青瓢箪と呼ばれてぎくりと肩を窄めた。
紡は教官と名乗った女を見ながら、凡そ人に物事を教える立場の人間とは思えないその言動に呆気に取られる。
「お前たちが先程受け取ったそれは、紛れもない真刀だ。だが、お前たちがそれを抜くのはまだ早い。訓練には別の模擬刀を使用するから安心しろ。」
昨日教室で五木が話した通り、生徒たちは校庭に出る前に担任から刀を受け取っていた。
皆腰に感じる慣れない重みに、どこか落ち着かない様子である。
刀が配られた際に様々な注意を受けたが、当然ながら理由もなく鞘から抜くのは御法度らしい。
許可されるのは基本的に、直面した脅威から自身や市民の身を守る必要がある場合のみだそうだ。
「ああ、名乗り忘れていたな……私は
それから間も無く、生徒たちは逆波と少し距離を空け、一列に並ぶよう指示された。
どうやら戦闘実技の授業は生徒それぞれの体力やセンスから判断し、甲乙丙の三グループに分かれて行われるらしい。
武道も何も経験がない者は基礎体力づくりから、ある程度動ける者は刀の振り方や受け身の取り方などの技術面から学ぶという。
逆波自身から受けた印象に比べると、随分まともなその内容に生徒のほとんどがほっと胸を撫で下ろしていた。
そしてこれから、そのグループ分けを行うとのことだった。
「先頭のお前、前に出ろ」
「はい!」
逆波に指差された生徒は、ギクシャクとした足取りで数歩前に出る。
「名乗れ」
「せ、生徒番号六十一番、
「そうか、三田川。受け取れ」
逆波は三田川と名乗った生徒に対して手にしていた二本の模擬刀のうち一本を投げて寄越す。
三田川はそれを取り落としかけつつも何とか受け取り、困惑した表情で逆波の顔を見た。
「構えろ」
「えっ?」
「どんな風でもいい、私に打ち込んでこい」
「え、えっと……」
逆波は自らの模擬刀を構えるでもなく、棒立ちのままそう言った。
三田川は恐る恐る身体の前で模擬刀を握りしめ、スイカ割りの棒を振り上げるようにして頭上に掲げる。
「やああーっ!」
「……」
次の瞬間、三田川の手から模擬刀が消えた。
生徒たちは皆ぽかん、とした表情でそれを見ている。
やがて一瞬遅れて、上空に打ち上げられていたらしい模擬刀が、くるくると回転しながら逆波の手元に落ちてきた。
それを目を向ける事もなく掴むと、表情ひとつ変えずに言った。
「『丙』だ。お前のそれは、剣ですらないな。分かったらさっさと掃けろ」
「は、はい……」
肩を落としてすごすごと列の脇に退く三田川。
その様子を見ていた生徒たちは、顔を見合わせる。
恐らく、何らかの手段で逆波が三田川の手にしていた模擬刀を弾いたのだろうが……全くその所作が見えなかった。
「次。名乗れ」
「は、はいっ!」
何人かが同じように選別される様子を見る限りでは、どうやら構えが全くなっていない者や隙が大きすぎる者は三田川の様に早々に模擬刀を没収されているらしい。
ある程度剣術の心得がある生徒に関しては逆波がそれを受け、太刀筋を確認しているようであった。
「次。」
「はい。生徒番号二番、朝夕です」
紡は投げて寄越された模擬刀を中段に構える。
それから間を置かず、大きく踏み込むと……打ち込みを行った。
ギィン、と金属同士がぶつかり合う音が響き、刀越しに見える逆波の顔がにやりと歪む。
「朝夕、だったか」
「はい」
紡は残心を行いながら模擬刀を下ろした。
そんな彼の様子を見て、逆波は可笑そうに言った。
「お前、人間を斬ったことがあるな?」
その言葉を聞いて、周りの生徒から騒めきが起こった。
当然だろう。自分と同じ新入生が人斬りだなんて聞けば、驚くに決まっている。
「……長く剣術を習っていましたから。人より筋は良いのかもしれません」
「ほう?お前の習っていた剣術とやらは、生身の人間にこうも躊躇いなく殴り掛かるものなのか」
「教官を信頼しての事です。教官を任されるような方なら、俺の打ち込みなど軽々と受けられる筈ですから」
「ふん、そういうことにしておいてやる。お前は『甲』だ。楽しみにしているぞ、朝夕」
口の端を歪めて鋭い刃のような笑みを浮かべる逆波を見て、背筋に寒いものを感じながら……紡は後ろに並んでいた生徒に模擬刀を渡し、選別を終えた者たちの集団に加わった。
「朝夕、お前すげえな〜。めっちゃ強そうだったぜ」
先に事を済ませていたらしい柴田が、背後から紡の背中にのしかかって来る。
それを適当にあしらいながら紡は、逆波から妙な目の付けられ方をしてしまった事に対して、どうしたものかと頭を悩ませていた。
まさか、星の騎士として迎撃戦で刀を握って戦っているので、などと言える筈もなく……苦しい言い訳が余計に逆波の関心を引いてしまったように思える。
とはいえ適当に手を抜いたとしても見抜かれていただろうし……それを問い詰められることの方が面倒に違いない。
「てか、人斬ったことあるってマジ?」
「そんなわけないだろ……」
実際、紡が戦っている相手は元人間とはいえ、昇華の怪物や凝華の怪物なので……嘘はついていない、はずである。
ただ何となく後ろめたく思った紡は、柴田と目を合わせることはできなかった。
最終的に、別れたグループは七割程度が丙、残りの殆どが乙、紡ともう一人の青年のみが甲という結果になった。
甲に分類された生徒は基本的な訓練自体は乙と共に行うらしく、特殊な扱いとして『就学時間以外、好きな時間に逆波が連れ回すことができる』という。
紡はそれを告げられた時、就学時間後に桜花神社を訪れる事は暫く出来なさそうだと落胆するのであった。
皇宮警察学校 はるより @haruyori
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