その日が来るよ!

 輝がお願いされた実験とは、ただ、真夜中のラジオを聴く、それだけだった。しかしそれには条件が幾つかあった。毎日必ず違うチャンネルを聴くこと、気分が高ぶってきたらその番組を聴くのをやめて、すぐにそのチャンネルをメモすること。そして、何か途中で分かったことがあったら、必ず報告をすること。

 輝は、その依頼を受けた。

 やることがそんなに難しくなかったし、ちゃんと輝のことも考えていてくれたからだ。

 その晩はフォーラが輝を家まで送ってくれた。その車中で輝は彼女にこんなことを言われた。

「輝くん、町子ちゃんをお願いね。この子、素直じゃないところがあって、私たち夫婦もちょっと手を焼いているの」

 フォーラは、苦笑いをして森高を見た。すると、彼女は急に顔を赤らめた。

「そんなんじゃないよ! 私は私で自分に正直だもん! 変なこと言わないでよ!」

 森高は顔を赤らめたまま膨れていた。輝はそれを見て安心した。どうしてかは分からない。先ほどからだが、町子は輝に対して心を開いてきている、そんな気がしたからかもしれない。

 そんな話をしているうちに、フォーラの車は輝の住む家に着いた。明かりがついている。母はまだ起きているのだろう。

 外に出てフォーラと森高に挨拶をすると、輝はすぐに家に向かった。いい香りがする。夕飯を作っているか、食べているか、そんなところだろう。久しぶりに母と二人で起きていられる時間が恋しくて、輝は急いで家に入った。

 ただいま、と言って玄関のドアを開けると、母が出迎えてくれた。よく見ると少し痩せただろうか。もともと太っているほうではないが、今日はずいぶん痩せて見えた。そんな母は、輝が早く帰ると知って、手の込んだハンバーグを作っておいてくれた。久しぶりに食べる温かいご飯も、冷めていないおかずも、母と会話をしながら食べると格別だった。今日は深夜のラジオがかかる前まで、いや、母が寝る前までしばらくここにいて、母と話していよう。輝はそう思った。

 夕食が始まると、最近のサッカー部の様子やアルバイト先での経験談など、母は輝にいろいろなことを聞いてきた。そう言えば母も輝と同じで、ラジオやテレビの影響を受けていない。凶暴になっているわけでもなければ疑心暗鬼になっているわけでもない。なぜだろう。母がテレビをあまり見ないで新聞で情報を得ているのと関係あるのだろうか。

 そんなことを疑問に思いながら母と話していると、母が寝る時間が来てしまった。少し寂しそうに、母は寝室に入っていった。それを見送っていると、輝は寂しくなって、すぐに二階にある自分の部屋に上っていった。

 寂しい。

 忙しくしている時にはこんなことを感じないのに、いざ家族の暖かさに触れると、寂しさに身震いまでしてしまう。そこに住んでいる弱い自分に触れた輝は、そんな弱い自分をどうにかしたくて、ラジオをつけた。

 明日の分の授業の予習と、今日やった授業の復習をしなければならない。輝は、自分でも、自分のことを随分な頑張り屋だと思っていた。いや、頑張り屋とは少し違う。

 臆病なのだ。

 勉強しなくてもある程度はどうにかなるという考えはなかった。むしろ、ちゃんとやっておかないで留年でもしたらどうする? そちらの方が怖かった。テストで赤点さえ取らなければ怖くはない。ちゃんと授業に出席して単位を取得して、そのうち自分の得意分野を見つけて就職するなり進学するなり、進路を決めていく。そんな、無難な道を進んでいくことで安心しているだけだ。

 無難な道を行くのだから、おそらく輝は無難で平凡な人生を過ごして終わるだろう。それならそれで良かった。危ない橋を渡ってギャンブルのような職業に就いて、日々金欠に怯えながら生きるよりずっとましだ。そう考えていた。アルバイトをやっているのは、就職に有利だからという理由からだった。もちろん、輝が持っている携帯の料金は自分のバイト代から払っている。そうやって徐々に独立していこうという考えは、輝自身も、石橋を叩いて渡ろうとしているようなものだと感じていた。とにかく怖い。人生で失敗を冒すのが怖かったのだ。

 ラジオからはいつもの軽快な音楽と、音楽をリクエストしたリスナーの手紙が読み上げられていた。パーソナリティーの男性が淡々と語りを始めると、ゲストの女性が随分と高いテンションでこう言った。

「リスナーのみんな、聞いているかなー? 明日だよ。ついに明日、その日が来るよ!」

 訳のわからないセリフだった。

 その日、とはいったい何なのだろう。

 しかもそれが明日来るという。

 輝は、はっと思い起こし、今のおかしな状況をノートに書いた。明日、その日が来る。ラジオのゲストの女性がそう言っていた。ただそれだけのことだが、輝の違和感はそれを危険なことだと警告していた。

 明日、何かが起こるのではないだろうか。ならば、明日になってからでは遅い。今、森高は起きているだろうか。帰りに聞いた彼女の携帯番号を確認する。寝ていたとしても、これはきっと起こして伝えなければならないことなのだろうから。

 輝は、震える手で森高町子の携帯に電話をかけた。

 すると、すぐに彼女は出た。眠そうな声ではなかった。輝が先程のことを告げると、森高は少し考えて、こう返してきた。

「それは確かに気になるね。伯母さんにも一応報告しておくけど、私たちも明日、みんなの動きに注意した方がいいかもしれない。高橋くん、明日もバイトと部活、休めるかな」

「部活はどうにでもなるけど、バイトはな。二日も休むと、流石に給料に響くよ」

 そっか、と、電話口で残念そうな声が聞こえた。

 心が痛んだが、こればかりは仕方がない。これ以上シフトを空けると店長にもいい顔をされなくなるだろう。それも怖い。

 つくづく自分は臆病者だな、そう思った。もしかして自分の周りの人間がおかしくなって、何か事件でも起こすかもしれないのに、こんな些細なことを心配しているなんて。

 森高は、そのあと輝に、今回は報告してくれてありがとう、そう言って通話を切った。失望しているかもしれない。そんな彼女の顔が目に浮かんだ。このままで本当に良かったのだろうか、そう思いながら早めにベッドについた。自分の保身のために、臆病のために、彼女に迷惑をかけるかもしれない。バイトは休んでもいいような気がした。だが、いざ携帯に手をかけるとそれができない。

 自分でも、どうしたらいいのか分からない。

 そうやって迷っていると、そのまま輝はベッドの中で寝てしまっていた。バイトはシフト制で、週三日は休みをもらっている。それでも疲れは出る。部活もバイトもしない日など、テスト期間中くらいなものだ。輝は夢の中で、店長やバイト先の先輩の冷たい視線を受けていた。その中には、森高町子もいた。

 次の朝、輝は何だかスッキリしない気分で起きた。支度をして朝食を食べる。いつものように忙しい朝ご飯に会話はほとんどなく、いつもと同じように時間は過ぎていった。

 学校に行くと、部活の朝練は休みになっていた。部員のうち数人が部室でタバコを吸っていたため、一ヶ月の活動停止になってしまっていたのだ。輝は、昨日部活を休んでいたためそんなことは知らなかった。部室に行ったらそんな張り紙があって、教室に行ってもその話でもちきりだった。最近そういったことで部活が活動できなくなることが多い。それも、例のラジオの影響なのだろうか。

 そうこうしているうちに担任の教師が来てホームルームがはじまった。みんなが席につき、先生が日直と掃除当番の確認をする。

 その時だった。

 先生が、おかしなことを言い出したのだ。

「わかっているとは思うが、みんな、今日がその日だ。忘れるなよ。忘れ物もするなよ。それぞれに与えられたものを必ず持って、あの家に行き、家主を確実に殺すんだぞ」

 家主を殺す?

 恐ろしい、物騒なことを言う。これは教師が言うことではない。あまりのおかしさに、輝は息を呑んだ。周りの友人やクラスメイトはざわめいていない。頷き合ったり先生のほうをしっかり見ている。

 これは明らかに集団による殺人の予告だ。

 輝は、青ざめた顔でホームルームを終えた。ここで自分一人が違うとバレてしまえば、例の殺人予告をされた家主の前に自分が始末されてしまう。それが怖かった。授業が始まる前に、輝は隣のクラスの森高に会いに行った。すると、輝は森高に手を引っ張られ、そのまま廊下を走らされた。

「高橋くん」

 走りながら、森高が舌打ちする。彼女の足は速い。

「何人か追ってきてる。振り切るよ」

 そう言って、森高は廊下の窓を開け、その縁に手をかけた。そして、窓枠に飛び乗って、輝の手を握ったまま、勢いよく飛び降りた。ここは建物の二階だ。そんなことをすれば普通なら落下して、最悪は死んでしまう。だが、輝も森高も死ぬことはなかった。森高とともに飛び降りた輝は宙に浮き、ものすごいスピードで学校を離れ、空に向かった。勢いがついたまま宙を滑空し、森高と輝は、学校の裏手にある畑の畦道に降り立った。

「森高、これはいったい?」

 言いかけて、言葉を呑んだ。今、森高は輝を連れて恐ろしいスピードで空を翔けた。それも、輝の目から涙が出てしまうくらい速く。森高はどうしてこんなことができるのだろう。

「今はそんなことにかまけている場合じゃない。高橋くん、これもうヤバイ。バイトがどうとか言っていられないんじゃないの? もしかしたら、すでにバイト先の店長さんや仲間だってこうなっているかもしれないよ」

 森高の言い分は正しかった。とりあえず今日のバイトは休むしかない。そう思って、輝は森高を見た。先程のは確かにびっくりしたが、今はそれについて言及している場合ではない。

「分かった。先生は、どこかの家主をみんなで襲って殺すと言っていた。そちらでは何か分かったか?」

 森高は、頷いた。

「これは罰だ、とか言っていた。それと、ターゲットがわかったよ。内山牧師さんっていう人。多分、高橋くんの言っていた家主って、その内山牧師さんのことじゃないかな」

「牧師さんか。じゃあ、キリスト教の教会の人かな」

 町子は、頷いて顎に手を当てた。何かをじっくり考えている。

「内山牧師さん、確か私の家からそう遠くない場所に家があった気がする。場所は、何となくだけど、分かるよ。ここよりちょっと海寄りのほう」

「知り合いなのか?」

「知り合いってほどではないけど、知らないわけじゃないよ。内山牧師さんは、クリスフォード博士の親友なんだから」

 クリスフォード博士。

 知らない名前が出た。輝は全く知らないが、森高からすれば大事な人なのだろう。森高の口からはよく分からない人間の名前が次々と出てくる。彼女の謎は深まるばかりだ。

「クリスフォード博士は今、行方不明。それとなんか関係があるのかな」

 森高はつぶやいて、ふと、輝を見る。

 そして、どう話を繋いだらいいか分からない輝を見て、赤面した。

「あ、ごめん高橋くん。君には関係なかったね。とりあえず今日のバイトはキャンセルしてくれる?」

 輝は頷いた。集団で誰かを襲う計画が行われている以上、部活やバイトをしている場合ではない。

「今回は仕方ない。とりあえず、みんなと同じようなことをするふりをして学校にいて、様子を見るしかないな」

 輝がそう言うと、今度は森高が、もじもじとしだした。どうしたのだろう、疑問を持った輝が何かを聞こうと口を開くと、森高は恥ずかしそうにこう言った。

「教室には、戻れないんだ。もうバレちゃったから」

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