第14話 なにげない約束(1)
◇
妹が受けた受験は、見事に合格した。
あれほど嫌悪感をあらわにしていた私だったけれど、今は素直に妹を祝福してあげることができた。
そうしたら妹は嬉しそうな顔をして笑いながら泣いていた。
おそらく、相当のプレッシャーと闘っていたのだろう。あの頃の自分がそうだったからと、重なる部分があった。
けれど、一番泣いていたのはお母さん。
私と妹が顔を見合わせて笑ってしまうくらい、お母さんは大人気ないほどに泣いていたのだ。
***
「あと一ヶ月もすれば新年度になるね」
バイト中、ふいに原さんがそんなことをポツリとつぶやいた。
「もうそんな時期なんですね。早いなぁ」
あれほど苦しくて長かった時間が、千聖くんと出会ってから一定のリズムを刻むようになった。
春、四月は別れと出会いの季節。
私は、あまり好きではなかった。それは、やっぱり受験に失敗して行きたくもない高校に行くハメになったからで。
けれど、今はそれほど嫌いだと思わなかった。
今の高校に入学したからこそ、千聖くんと出会えたわけだし。
「クリスマスもお正月もあっという間だったなぁ。ほんとはもっとゆっくりしたかったのに!」
お客さんがいないとはいえ、かなりのため息に、思わずクスッと笑ってしまった。
こうやって自然と笑えちゃうのは、ほんとに久しぶりすぎて。だけど、人間らしくなれたのかなって少し嬉しくて、頬が緩む。
「──あっ、そういえば、クリスマスに美月ちゃんのこと迎えに来てくれた男の子とはどうなったの?」
なんの脈絡もなく尋ねられたそれに困惑した私は「へっ?!」素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
「なんか前に一度相談に乗ったことあったでしょ。あのとき美月ちゃん、彼と仲直りしたいとか言ってたよなぁと思って」
そうだ、私。原さんに相談したんだった。
「えーっと、それが……」
だからといって、自分のプライベートをオープンにできるわけではないのだけれど。原さんには今までたくさんお世話になっているから。
「……つ、付き合うように、なりました……」
自らこういう話題を提供するのがくすぐったくて、すべての内容を弾いて結末だけを言ってしまった私。
「え、付き合った……?」
「……は、はい」
なにを隠そう。私と千聖くんは、〝恋人同士〟になったのです。
困惑して固まった原さんは、瞬きを数回してから、「ええ〜…?!」今度は目を見開いて、分かりやすく表情が明るくなる。
「そうだったの? 付き合ったの?! えー、全然分からなかった! いつのまにそんな関係になってたの〜……私、知らなかったじゃない!」
「あ、あの、原さ……ちょっとボリュームを……」
いくらお客さんがいないからってこんな大声で話をされたら、どこで誰が聞いているか分からなくて恥ずかしい。
「だってこれが落ち着いていられる?! 恋愛のレの字もなかった美月ちゃんが…! あのイケメン男子とお付き合い!?」
「いや、あの……」
「しかも顔面偏差値高すぎるイケメン男子と付き合えるなんて……いいなぁ、すごく羨ましい……!」
「が、顔面偏差値……?」
「あ、すっごくイケメンってことね! もうそこらへんの男子とはレベルが違うっていうか、次元が違うみたいな」
原さんのテンションに押され気味になって、「は、はあ……」と気の抜けた返事をしてしまう。
最近の若い人ってそんなふうに言うのかな。
それにしても原さんってテンション上がるとこんなふうになるんだ。普段は落ち着いて大人っぽくて頼れるお姉さんって感じなのに。
「いやー、でもそっかぁ。ついに美月ちゃんにも春がやってきたのかぁ」
しみじみと感慨深く頷きながら、そんなことを言うからそれが少し照れくさくなって、気を紛らわせるようにレジ袋の補充をする。
「これからどんどん美月ちゃんに楽しいことが待ってると思うよ」
誰かと恋バナをするなんて考えたこともなかったから、これが普通の女子高生なのかなぁなんて思ったり。それをわくわくしてみたり。知らなかった感情が膨らんでくる。
「楽しい……ですか?」
「うん。だって彼氏できたら世界が変わるって言うでしょ。些細なことでも嬉しくなったり幸せだったりそういうことが増えてくると思うんだ」
彼氏ができたら世界が変わる。
些細なことでも幸せに。
そんなこと想像してみたことなんか一度だってなかったけれど。
「私、幸せになれますかね」
不安だった、ずっと。
私は、この世界に必要のない人間だと思っていたから。
〝今まで苦しんだ分、幸せになろう〟
──と千聖くんが言ってくれた。
「うん、きっと幸せになれるよ」
原さんは満面の笑みを浮かべていた。
私も嬉しくなって、口元を緩めると、
「いつでも私は美月ちゃんの味方だから、一人だなんて思わないでね」
子どもをなだめるように優しい声が落ちてきて。
「……ありがとう、ございます」
胸の奥がじんわりと熱くなった。
──ぴろりろりーん。
店内が開いた音がした瞬間、幸せだった空気がシャボン玉のように弾け飛んだ。「いらっしゃいませ〜」原さんが通常対応を始めるから、私もそれを復唱した。
「……あっ」
が、真っ先に視界に映り込んだ光景に驚いて固まっていると、私と彼を交互に見つめて「ごゆっくり〜」と原さんはレジから出て品出しへと向かった。
「美月に会いたくて来ちゃった」
入り口から入ってきたのは、千聖くんだった。
私の恋人である、千聖くんだった。
「な、なに、言ってるの……」
元々ストレートに気持ちを伝える千聖くんは、なんの躊躇いもなくそんなことを言ってしまうから聞いてる方が恥ずかしくなってしまう。
「実は美月に連絡しようとしたんだ。でももしかしたらバイトかなぁって思って。しばらく連絡しようかしないか悩んだんだよね。でも、やっぱ美月に会いたくなってさ」
千聖くんの私に対する気持ちは、とてつもなく大きくて温かい。
それがすごく伝わってきて、嬉しい。
「……うん」
けれど、素直になれない私は、頷くだけで精一杯だった。
それから「あ、ちょっと待ってて」と告げられて、少し千聖くんがレジから離れたかと思えばすぐに戻ってきた。
「……それ飲み切れるの?」
彼の手には、二つ飲み物があった。
「ああ、これ? 俺が二つ飲むわけじゃないよ。こっちは美月のぶん」
「……へ、私?」
「美月、あと十分でバイト終わるでしょ。外で待ってるから一緒帰ろう」
レジ会計の間に進む会話に戸惑って、途中手が止まってしまう。
「外、真っ暗だし女の子一人で帰るの危ないじゃん。だから送るよ」
「え、でもそれじゃあ千聖くんに迷惑かけちゃうんじゃ……」
こんな寒空の下、待っていたら寒くて風邪ひいちゃうかもしれないし。
「迷惑じゃないって」
会計を終えた千聖くんが、「それに」と少し鼻先をさすりながら、
「俺、美月の彼氏だから、送るの当然だし」
そう言った彼の耳は、ほんのりとピンク色に染まっていた。
「千聖く……」
「じゃあそういうことだから外で待ってる」
慌てたように袋を受け取ると、店内の外へと出て行った。
いつもは余裕たっぷりの千聖くんが今日は少しだけ動揺してるみたいで、私と立場が好転してるみたい。
ふいに感じた視線にちら、と顔を向けると、原さんがパン棚の方からニヤニヤと私を見て。
「青春だねぇ」
と、笑っていたのだった。
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