第13話 溢れる想い


 ◇


 翌日、朝早くにメッセージが届く。


「んー……こんな朝早くに誰……」


 もぞもぞと布団から手を伸ばし、ベッドサイドに置いているはずのそれを掴み画面を操作する。


 千聖くん:【大事な話があるんだけど、今日の放課後、時間ある?】


 ──だった。


 「えっ……!」


 今が何時なのかすら忘れて、慌てて飛び起きた。


 今日……放課後、大事な話?! なにそれ! ま、まさか告は……いやいやいや、それは絶対にありえない。だって千聖くんだもん。きっと好きな人いる…よね……


 ……神木さんとヨリを戻すとか?


「じゃなくて! まずは返信!!」


 えーっと、えーっと何て返せばいいのかな。聞きたいような聞きたくないような。……ん? あれでも、もしかしたらまだ過去に話してなかったことかもしれないし。いや、うん。その可能性の方がきっと多いよね。


「大丈夫だよ、っと……」


 ──送信。


 すると、すぐに返信が来る。


【じゃあ今日の放課後に公園で】


 とすぐに返信が来る。ホッ。それだけだと油断していると、すぐにピコンッと通知が鳴り。


【大事な話だから、忘れずに来てね】


 念を押されて、面食らった私。


「……だ、だから大事な話って、なに」


 午前五時五十分。あたりはまだ真っ暗で、朝と呼ぶには早すぎるけれど、たしかに今この時間をお互い別々のところで共有していた。



 ***



 学校が終わり、放課後公園までの道のりを緊張する面持ちで歩いた。途中、緊張しすぎて心臓が口から出てきそうだと思った。


 午後十六時すぎ。公園の入り口に着くと、ベンチにはすでに人影があった。それが千聖くんだということはすぐに分かり、またそわそわして落ち着かなくなる。


「どうしよう、どうしよう……やっぱり聞きたくない」


 ここまで来たのに怖気付いて、冬なのに冷や汗が背中を流れる。


 まだ千聖くん、私に気づいてないみたいだし、用事ができたって言って帰れば問題ないのでは……


 ──ブブーッ


 瞬間、かばんの中のスマホが鳴りビクッとして、背筋が伸びるが、慌ててスマホを探しだし、画面をタップする。


「もっ、もしもし?!」


 思わず声が上擦ってしまう。


『あ、繋がってよかった。美月、遅いから心配したよ』

「ご、ごめんね」

『ううん、それは大丈夫だけど今日来れそう? それとも用事でもできた? それなら無理にとは言わないけど』


 何かとんでもなく嫌なことを言われるんじゃないかと予想して勝手に怖がって一人、怖気付いて、逃げようとすら考えている私。なんて意気地なしなの。


「全然大丈夫! 今日来れるから!」


 ここがどこだかを忘れて声を張り上げると、スマホ越しに「あ」声が聞こえた。


 ……〝あ〟?


 なんだろう、と思ってあたりを見回すと、ベンチに座っていた彼の視線が、ばっちりこちらを向いていて。


「……あ"」


 しまった、そう思ったときにはすでに遅かった。


『なんだ、美月そこにいたんだ』


 離れていて表情はよく見えないのに、スマホ越しに聞こえる声がクスッと笑っているようで。


「あー……う、うん、今来たところで」


 慌てて言葉を取り繕うと、スマホを耳元から下ろして、プッと通話を終了させると彼のいるベンチへと足を進める。


「遅くなって……ごめんね」


 嘘をついたことがいたたまれなくなって、ベンチの端に腰を下ろした。


「いや、全然大丈夫。美月に何もなくてよかった」


 予定時間に遅れたのに、それを咎めもせずに私のことを心配してくれた。


「……あの、それで私に話ってのは」


 笑った表情は、まるで陽だまりのようで、ここまで来る道中悩んでいたのがアホらしく思ってしまうくらい彼の笑顔を見ると心がぽうっと暖かくなる。


「ああうん、その前に一つ聞いておきたいことがあって」


 それって一体、何だろう。


 ゴクリと固唾を飲んで、ピシリと背筋に緊張が走る。


「妹さんにおまもり渡せた?」


 想像していない方向から矢が飛んできて「……へ」思わず声が漏れた。


「初詣行ったときお守り買ったでしょ? どうだったかなぁと思って」


 そういえば、この前まだ渡せてないって説明したんだったっけ。でもそれから色々あってお守りは、もう渡せないかもしれないと机の中に閉まっておいたんだけれど。


「……じ、実は、数日前に理緒と……妹と話すことができて…そのときにお守りも渡せたよ」

「え、ほんとに?」

「う、うん。ちゃんと今までの分、妹と話すことができたと思う」


 一年前の思い出したくもなかった〝過去〟の扉を、ようやく〝今〟開くことができて、そして少しだけ溝を埋めることができた。


「まだ少しわだかまりはあるけど……でも、ちゃんと姉妹に戻れるような気が、するの……」


 自信のない声で細々と告げると、そっか、と穏やかな表情を浮かべて、おもむろに私の方へと手を伸ばすから、驚いてぎゅっと目を閉じる。


「美月、頑張ったんだね」


 ふわり、と頭に落ちた優しい温もりが、何なのかすぐに見当がついて、胸の奥に熱いものが広がった。


 ──少しでも気を抜いてしまえば、泣いてしまいそうで。グッと唇を噛みしめて耐えた。


 そして、顔を上げて。


「千聖くんの、おかげだよ」


 結んでいた唇をといて言葉を紡ぐ。


「ほんとに…ありがとう」


 泣く姿は、もう見せたくなかったから、精一杯の笑顔を見せた。


 そうしたら。


「よかった、美月が笑ってくれて」


 千聖くんは、安堵したような表情を浮かべていた。


 ──そのとき、思った。


 もう自分の気持ちに嘘をつくことはできないし、気づかないフリもできない。一度気づいてしまえばそこから先は感情がどんどん加速していくばかり。


 私、千聖くんのこと好きみたいだ。


「俺、ずっと美月が笑ってくれるのを待ってたんだ」


 空を見上げて、白い息をあげながら彼が言った。


「え……私、今までも何度か」


 笑ったような気がするけれど。


 すると、「うん」と言って顔を私へ向けると、


「笑ってたけど自然じゃないっていうか、何かを胸に秘めたまま笑ってるような感じがして」


 たしかに私は、心から笑えてはいなかったかもしれない。


「俺が見たかったのは、心の底からの笑顔だったんだ。でもそれを今、見れた。美月が心から自然と、感情がもれたような笑顔を」


 けれど、千聖くんと過ごすようになって少しずつ本物の笑顔を取り戻すことができたようで。


「よかった、ほんとによかった」


 千聖くんの優しい声が、私の心を解きほぐす。


 二人でいるこの時間がかけがえのない特別な時間。

 これからも穏やかな時間を一緒に過ごしていきたい。


 けれど、これから言われることは私の感情を地に突き落とすようなこと。今朝のメッセージを見て嫌な予感しかしなかった。

 せっかく仲良くなれた千聖くんとお別れをしなくてはならなくなる。


 傷つくなら、いっそのこと自分から突き放した方がいい。


 だから、私は息を飲んで。


「……話があるんだったよね。だったら気を持たせるようなことしないで、きっぱり言ってくれないかな」


 穏やかな空気を一変させて、冷気のように冷える声を紡ぐ。


「きっぱりって?」


 私の言葉に戸惑った彼は、頭を傾げる。


「これから良くないこと言うんでしょ。だからもったいぶってないで早く言ってよ……」


 私の傷が深くならないうちに、一瞬で撃ち抜いて。


 優しさも、温もりもいらない。


 そのかわり、心に芽生えた〝好き〟だけはもう少しだけ私にちょうだい。


「ちょ、何言ってるの? それによくないことって何で一方的に決めつけてるの」

「え? そ、それは、千聖くんの雰囲気で、なんとなく…」

「それ誤解だから」


 私の言葉に被せるように告げられた彼の声は、少しだけ焦っているように聞こえた。


 私の誤解って、じゃあ一体大事な話ってなに? もしかしてお守りの話だったのかな。


「これから俺が言うことを聞いて美月は驚くかもしれない」


 そう前置きをしたあと、私の方へ視線を向けてわずかに、切なそうに微笑んで。


「でも、もう隠すことはやめたから、言うよ。美月に」


 少しだけ怖くなり、息を飲む。


 冷たい風がひやりと頬を撫でる。


 彼の視線に見据えられて、逸らせずにどきどきと早鐘を打つ──


「俺、美月のことが好きだよ」


 鼓動の音にもかき消されることなく、私の耳へと入り込んだ言葉。


「……へ?」


 あまりにも予想外のもので、瞬きを数回繰り返し、頭の中で処理できずにクルクルと思考停止する。


 そんな私を見て、「だからね」と子どもをなだめるような優しい声色で。


「俺は美月のことが好きなんだ。誰よりも」


 今度は勘違いされないように〝好き〟を強調して、誰よりもをプラスする。


「──ええっ…?」


 千聖くんが…私のことを?


「……な、なんで」

「ん?」

「だ、だって私には好きになってもらえる要素なんか一つもないし、そんな素振りだって今までなかったし……」


 いやでも、初対面で〝可愛い〟とか軽い言葉言われたっけ。


 ──けれど、それ以上に私が引っかかっているのは。


「神木さん……とヨリ戻すんじゃ、ないの……?」


 すると、「え」とぽかんと気の抜けた声を漏らす千聖くん。


「大事な話があるって言ってたから……てっきり私はそうなのかと……」


 間が持ちそうになくて自ら視線を逸らす。


「なんでそう思うの?」

「だ、だって、神木さんにあんな嘘ついてたから……千聖くんはまだ好きなのかなぁって……」

「もー、だから付き合ってないって言ったじゃん。それに神木さんはバスケ部のマネージャー」


 どうやら千聖くんは嘘をついているようには見えなくて。


「……じゃあ、私の勘違い?」


 途端に恥ずかしくなって、全身から炎が吹き出しそうになる。


「ほんと、美月ってば可愛い」


 軽い言葉をやすやすと言ってのける彼は、余裕たっぷりで。


 同い年だけれど、実際には彼は一つ年上。


 だからこんなふうに堂々としているのだろうか。それが少し悔しいと思ってしまう私は、まだまだ子どもで。


「千聖くん……そういうところ、ずるいよね」

「なんで?」

「だって……余裕みたいだし……」


 唇を尖らせてそっぽを向くと、


「全然余裕なんかじゃないよ。俺だって精一杯」


 少しだけ声が弱々しくなった言葉が流れてきて、恐る恐る振り向くと。


「どうやって美月を勇気づけてあげたらいいのかとか、どうやって美月を支えてあげたらいいのかなとか。どうやったら美月と一緒にこれからを過ごすことができるのかなとか、たくさん考えた」


 わずかに瞳が揺れていた。


 胸が苦しくて、きゅっと締めつけられる。


「だけど結局一番願ってるのは、美月が今まで苦しんだ分、これからの時間は幸せになってほしいって、そう思ってるんだ」


 ──私が苦しんだ分、幸せに。


 けれど、それは。


「もちろん簡単なことじゃないかもしれない。幸せになるのは、意外と簡単なようで難しいから」


 それを私は、肌で感じてきた。


「……うん、そうだね」


 今まで、ずっと、苦しかった。幸せなんてもの知らなかった。


「でも、美月を幸せにしてあげたいんだ。もっともっと笑ってほしい。世界は明るいんだって、世界はまだまだ広いんだって。それを俺が証明してみせる」

「千聖くん……」

「俺が、美月を幸せにする」


 一度息を整えたあと、落ち着きを取り戻した彼は、「だから──」と続けて、


「俺と一緒にこれからを生きていこう。例え、どんな困難があろうとも、挫折を経験してる俺たちならきっと打ち勝てる。それに美月はもうひとりじゃない。俺がそばにいる。俺と二人で未来を生きよう」


 私がずっと欲しかった言葉を彼は、いともたやすく言ってのける。


 私はこれからもずっとひとりだと思っていた。ひとりで生きていくのだと思っていた。


 そんなとき、彼が私の前に現れた。


 あのときは、千聖くんに冷たく接して距離をとった。信用できないと思ったから。必要ないって思ったから。


 けれど、今思うと千聖くんは私にとってヒーローだったのかもしれない。


 生きるのを諦めかけた私に、神様が同情してくれたのかもしれない。


 でも、同情だって構わない。


 私には、千聖くんが必要で。


 そして彼もまた私を必要としてくれる。


「……私も……」


 それならもう何も迷うことなんかない。


 ひとりじゃない温もり。


 ひとりじゃない安心。


 ひとりじゃない幸福感。


 忘れていたたくさんの感情が蓋を開けて飛び出してくる。


「……私も、千聖くんのことが好き……!」


 溢れる思いを、抑えることができなかった。


 そうしたら、千聖くんは。


「よかった、俺たち両想いだ」


 穏やかな表情で私を見つめる。


 だから私まで嬉しくなって、頬が緩む。


 そうしてゆっくりと私に手を伸ばし、そうっと優しく壊れ物を扱うかのように抱きしめる。


 恥ずかしくて、だけど暖かくて。


 鼓動の音が心地よく感じて。


「──俺、なんて幸せなんだろう」


 ぽっかりと空いていた穴が埋まって、心が満たされてゆく。


 寒いはずなのに、身体はぽかぽかと暖かくて。


「うん、私も」


 未来に希望がもてたとき、私は初めて思ったんだ。


 ──ああ、なんて幸せなんだろう、と。


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