第12話 姉妹の絆
◇
「理緒、ちょっといい?」
お風呂上がりの妹に声をかける。今までは、そんなこと不可能だったのに。
千聖くんの過去を聞いて、自分の奥底に芽生えていた感情に気がついた私は、かつてないほどの自信でみなぎっているようだった。今の自分にならなんでもできる、そう思った。
「う、うん、大丈夫」
理緒は、一瞬動揺したあと、きゅっと唇を結んでゆっくりと頷いた。まるでそれは、小さな決意のように見えた。
そのまま私の部屋へと案内する。
自分から声をかけたのはいつぶりだろう。自分から話があると引き止めたのはいつぶりだろう。そんなことを考えながら、ぼーっと立ち尽くしていると。
「……お姉ちゃん?」
そんな私を心配してか、理緒が声をかける。
「あ、ごめん。なんでもない」
いけないいけない。自分で引き止めたのに黙り込むってダメでしょ、と気持ちを切り替えて引き出しを開ける。
そこに入っていたのは、もう渡すことができないと思っていたお守りだった。
手に取って小さく握りしめる。
私は深く悩みすぎていて目の前の大切なものを見失っていた。この一年間、それに気づかないまま周りを傷つけて、自分が一番苦しいのだと思っていた。まるで悲劇のヒロインのように。
「理緒にこれ、渡したくて」
だからこれは、私なりのけじめ。私なりの現実との向き合い方。たくさん悩んだ。嫌になった、世界に。だけど、見失いたくないものは、大事にしたいことは見つかった。
「え、お姉ちゃん、これ……」
私の手からそれを受け取ると、困惑したような顔で私を見つめた。
「もうすぐ受験でしょ。だから、お守り買っておいたの」
初めは、なんでわざわざ私が落ちた志望校を受験するんだって憎んで突き放した。散々酷いことも言った。
「で、でも、お姉ちゃん……」
今更、優しくされたって困ることも知っている。
「うん、ほんとは許せなかった」
理緒が何を言いたかったのか理解できた私は、
「もっといい学校なんてたくさんあったのに、なんでわざわざ私が落ちた志望校に行くんだろうって、ずっと理緒のこと憎んだこともあった」
一言一句丁寧に息でくるむように言葉を紡いでゆく。
「……うん、そうだよね。お姉ちゃんがそう思って当然だよね」
悲しそうに顔を歪めたあと、目線を下げる理緒。
今までなら、こんな些細なことさえも苛立ちの種にしかならなかったのに。今はそんな顔をさせているのが申し訳なくて情けなくて。
「理緒は何も言ってくれなかったけど……」
〝なぜ〟今の志望校に行きたいのか今も理緒は言ってくれない。説明を、弁解を、何も言わない。それはまるで、自分が悪いことを肯定しているようで。
──そうじゃないんだよ、って言えない代わりに。
「この前、お母さんに聞いた。理緒、学校の先生になりたいんだって?」
そう言えば、「え」と弾けたように顔をあげる。困惑したように、引け目を感じているような弱々しい表情とともに。
「しかも理由が、昔私がよく勉強を教えてくれてたからって聞いた」
目を逸らさずに、真っ直ぐ彼女を見据えて。
「そ、それは……」
すると、妹は弱々しく唇を結ぶ。
私が切り出さなければ最後まで言うつもりはなかったのだろうか。ずっと私に引け目を感じて過ごすつもりだったのだろうか。姉妹として過ごすことを諦めていたのだろうか。
「なんでもっと早くに言ってくれなかったの?」
けれど、そうさせてしまったのは他でもない私。
言えない空気を作ったのは、私だ。
「言ってくれたらもしかしたら私だって、あんなふうに……突き放すようなこと……」
言わなかったかもしれないのに。
「私が受験に失敗したから? 私がバカだから? それとも私に同情してくれたの?」
自分自身に苛立つのに、言葉は妹を攻撃しているようで。感情が一方的に暴れてゆく。
「勉強の教え方がうまかったからって言うけど、ほんとは理緒、そんなこと全然思ってないんじゃ……」
「──そんなことないからっ……!」
暴走する私の言葉を遮ったのは、妹の声だった。
「そんなこと、ない……あるはず、ないじゃん……」
もう一度、私の言葉を否定して。
「お姉ちゃんをバカになんてしてない……お姉ちゃんを同情なんかしてない……するわけないでしょ……っ」
──ポタッ、一粒の涙が落ちた。
たしかにそれは存在して、光を落として。
「私はずっと……お姉ちゃんのこと、尊敬してた……お姉ちゃんの背中をずっと…追いかけてた……っ!」
途切れ途切れになる声は、かすれていて、けれど力強くて。
「お姉ちゃんのこと大好きなのに……嫌いになるはず、ないじゃん……っ!!」
理緒の切ない感情が、胸の奥に棘を刺すように次々と痛みが広がった。
「……理緒」
なんでもっと早くに気がつかなかったんだろう。妹が私のことをバカにするはずがないし、見下すわけでもないし、同情するわけでもない。妹が私のことをどう思っていたか、なんて知っていたはずなのに……
──バカは私だ。
「前から学校の先生になりたいって思ってた…嘘じゃないよ、ほんとに……そう思ったきっかけは、間違いなくお姉ちゃんなの……」
鼻をすん、とすすりながら涙を袖で拭いながら。
「お姉ちゃんみたいに勉強教えるのうまくなりたいって……そしたら嫌いな勉強だって覚えるの楽しくなるし、みんなの役に立てるし、だから……」
子どものように泣く理緒は、やっぱり私の妹で。ひとつしか違わないけど、私はお姉ちゃんで。
そのことに何も変わりはないのに、どこで私はそれを見失ってしまったんだろう。
「ごめん、理緒。間違ってたのは、私の方だったね」
私の言葉を聞いて、すん、と鼻をすすりながら顔をあげる理緒。
「どうしてこんなに私だけがうまくいかないのかなって、どうしてみんな幸せそうなんだろうって憎んで……自分だけが悲しい、苦しい、そんなふうに思ってた」
──それは、悲劇のヒロインだった。
「……お姉ちゃん」
けれど、実際はそんなことなくて。
「理緒も、お母さんもみんな……苦しんでいたのに、そのことに気づいてあげられなくて、ごめん」
静かに、深く、頭を下げた。
「理緒をたくさん傷つけて、ごめん」
一年先に生まれたら、お姉ちゃん。
一年後に生まれたら、妹。
世界でたった一人の大切な妹なのに。
後から生まれる兄妹を私は守る立場にあったはずなのに、全然守ってあげることができなくて。
「……私、お姉ちゃん失格だね」
ほんとにどうしようもない、情けない私。
「そんなことない……っ!」
声を張り上げた理緒に驚いて顔をあげると、「そんなことない」何度もその言葉を繰り返して。
「お姉ちゃんは、私にとって……世界一のお姉ちゃんだよ……!」
なんで、そこまで言ってくれるの。私は、たくさん理緒のこと傷つけたのに、どうして。
「私のお姉ちゃんのこと悪く言ったら…絶対に……絶対に許さないんだから……!!」
止まっていたはずの涙は、また溢れ、目尻からたくさんの涙がこぼれ落ちる。それは、とめどなく次々と。
「……理緒、ほんとにごめんね」
今までの分の謝罪を、言葉にできなかった分を。
「お姉ちゃん、さっきから謝ってばっかり……」
すん、と鼻をすすって涙を拭う。
「だって、ほんとに悪いと思ってるから」
どれだけ言っても足りなくて。どれだけ過去に後悔しても時は戻せない。
それなら、前に進むしか道はなくて。
「ねえ、理緒……私のことを嫌いにならないでくれて、ほんとに、ありがとう」
たくさんの〝ごめんね〟の代わりに、言えなかった分の〝ありがとう〟を。これから日々で紡いでいこう。
「ううん、私こそ……お守り、ありがとう。大事にするね」
ぎゅっと握りしめたそれに、悲しみの涙が滲んで、少し色が濃くなっているようだった。
けれど、きっとその涙は、糧になる。
もうすぐある受験に、理緒は負けない。
だって私なんかよりも、うんとうんと強いんだから。
姉である私が、それを一番そばで知っている。昔から、ずっと──。
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