第11話 知られざる過去(1)
◇
結局まだ理緒にお守りを渡せていなかった。
着々と近づく受験日に、焦りが芽生える私はいつ訪れるか分からないタイミングに期待していた。
「はー……どうしよう……」
お昼休み、ジュースを買いに購買へ行った帰り道。ひとり、深いため息がこぼれ落ちた。
「──伏見、久しぶり」
角を曲がろうと思ったそのとき聞き覚えのある名前を聞いて、ピタリと足が止まる。
……伏見って……
足の裏が床に張り付いたようにそこから一歩も動けなくなる。
「あー…うん、久しぶり」
間違いなくその声は〝千聖くん〟だった。
死角にいるせいで彼の姿が確認できなくて、けれど誰と話しているのか気になった私は、床に張り付いていた足の裏に力を入れると、気づかれないように柱に隠れて覗きこんだ。
「元気してた?」
すると、千聖くんの前にいたのは、二人組の男の子だった。
その二人に見覚えはない。が、私自身があまり教室から出歩かないため、知らないのは当然のこと。
おまけにここ最近、彼に〝久しぶり〟と尋ねる人は、これで二人目だ。
もう一人は、神木さん。
「うん、まぁ」
あの日と同じように、伸びの悪い、弾まない声が落ちた。
いつもの千聖くんの声じゃない。なんか、気を遣っているような、冷たさを含むような。そんな気がした。
「階が違うとあまりすれ違わないからさ、どうしてんのかなって気になってさ」
一人がそう言うと、「な」と隣の彼に返事を求める。「うん」お互い見合わせたあと、また千聖くんへと視線が戻る。
「俺らが声かけるの嫌かもしんないけど、やっぱ気になって」
そこに蔓延る空気は、どこかよそよそしく、そしてお互いを探り合うようなもので。
〝階が違う〟ってことは、あの人たちは先輩ってことかぁ……。でも、なんで? 委員会の知り合いとか? でも千聖くんからそんなこと聞いたことないし。だとすると、部活? ううん、だとしたら公園で話すことなんかしてないはず。それに〝俺らが声かけるの嫌かもしれない〟ってどういうことだろう。
千聖くんと仲が悪いってこと?
「なんで。べつに嫌なわけないじゃん」
そう言って、ははっと笑い声を漏らすけれど、その言葉がわずかに棘を含んでいるように感じる。
「いや、でもさ……ほんとはこうやって声かけるのも迷ったんだよ。伏見に悪い気がして」
……悪い気がして?
それって一体、どういう意味。
「一番悔しいのは伏見なのに、ごめん」
二人は、なぜかすごく罪悪感を募らせているような声色を落とす。表情も強張って見えた。
その場の空気も、熱も、感情も、しんっと冷え切っているようで。室内なのに外にいるかのように寒い。
「……やめろよ、もう過ぎたことだろ!」
そんな空気を一掃するかのように千聖くんの声は、明るかった。私にして見せたように元気で色がある。
けれど、私の前とは少し違う口調に、強がっているように感じた。
「そんなこととっくの昔に忘れたよ」
「そんなわけないだろ。伏見がどれだけ本気だったか俺ら一番そばで見てきたわけだし」
「だからってべつに深山たちが謝る必要なんてどこにもないじゃん」
「いや、でもさ……」
忘れたとか本気だとか、そばで見てきたとか謝る必要はないとか、全部〝なに〟について語っているのか、会話の速さで拾い集めることができなくて。
「むしろ俺こそ、ごめん」
突然、謝る千聖くんの声はどこか弱々しく感じて。
「なんで伏見が謝んの」
「そうだよ。伏見悪くねーじゃん」
このまま柱の影で隠れて盗み見している自分に罪悪感を感じつつも、この場から逃げることができないのは、もしかしたら神木さんが言ってた〝元気そうでよかった〟と何か関係しているからかもしれない。
そう思うと、なおさらこの場を離れられなくて。
「うん、でもごめん」
千聖くんの声を聞いて胸がきゅっと締めつけられる。痛くて苦しくて、悲しい声。
いつも明るい千聖くんが、どうしてそんな声になるのか。不思議だった。心配だった。
見つめる視線の先の彼の背中が、いつもより丸まっている気がして見えたから。
なんでだろう。そう思って、彼を見つめていると。
「俺、少し前までは二人に会いたくないって思って過ごしてたから」
〝ごめん〟と謝ったわけが紡ぎ出される。
「二人に会うとどうしても思い出す。忘れようと思っていた現実が、忘れたい過去が。だから、会わないように避けてた」
そう言ったあと、「だからごめん」再度、それを口にする。
ずっと千聖くんは、私とは対照的だと思っていた。教室を明るく照らす太陽みたいな存在で、住む世界が違うと思っていた。
だから、何度も拒絶したし傷つけるような言葉をたくさん言ってきた。
〝忘れようと思っていた現実〟
〝忘れたい過去〟
けれど、その二つを聞いて思った。
千聖くんにも悩んでいた過去があったのだと。
それなのに私は何も知らずに、彼の傷を無意識に抉っていた。
「なんでだよ、それは当然だろ。そう思うのが普通だろ。おまえが一番傷ついてるんだから」
何を傷ついてるのか、分からない。
今の私は、知り得ない。
肝心な言葉が抜けているようで、それともわざと出さないようにしているのか。
「忘れたいって思うのは当然だよな。だって──」
言いかけたそのとき。
「高野、何してるんだ?」
背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえて、驚いた私は咄嗟に持っていたジュースを手放してしまう。
バコッ、床に落ちたそれを拾うことができず、恐る恐る振り向くと、私を呼んだのは担任の先生だった。
けれど、先生には角の向こうが見えていないらしくて。代わりに「やべ、人いた」なんて慌てたような声が聞こえて思わず息を飲む。
やばい、千聖くんに気づかれたかもしれない……!
「高野?」
再度名前を呼ばれてハッとすると、
「な、なんでもありません。それより先生こそどうしたんですか?」
「あー、うん。昼飯食べ終わったあとでいいんだが、次の授業のプリントを取りに来てほしいんだ」
なんだ。そんなこと……。
「……わ、分かりました」
なるべく千聖くんに聞こえないくらい小さな声で返事をすると、「じゃあ頼んだぞ」と軽く手をあげた先生は、パタパタとスリッパの音をたてて廊下を歩いて行った。
私は、落ちたジュースを拾い上げると、通常ルートではなく迂回ルートを通った。
結局、あのあと千聖くんたちがどうなったのか分からなかった──。
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