第10話 小さなもやもや(1)


 ◇


 結局、妹のために買ったお守りは勇気がなくて机の中にしまったまま。冬休みは終わり、新学期が始まった。


「あーあ。あっという間に冬休み終わっちゃったね」


 冬休みは、二週間ほどしかない。だから、バイトをしていたらほどんど一瞬のように過ぎ去った。


「美月は冬休み、何してた?」

「あ、えっと……バイトかな」

「そっかぁ。俺はお正月ぐーたらしてたら気がつけば冬休み終わってたって感じ」


 いつものように笑う千聖くん。


 まるで〝あの日〟のことは何事もなかったかのように振る舞っている。


「お正月ってなんかダラダラしちゃうよね」


 だから、私も千聖くんに合わせて何も尋ねられない。


「そーそー。しかもおもち食べすぎてさぁ、正月太りしちゃったかも」

「あ、うん、私も……」

「えー、美月は全然体型変わらないよ?」

「か、隠れてるところにお肉ついちゃうから」

「そうは見えないけどなぁ」


 けれど、ほんとはすごく気になる。


 大晦日のあの日からずっと、私の心の中を占めているのは、〝神木さん〟の存在。


 千聖くんに一番近い存在に感じたの。


 私のことを彼女だって嘘までつくのは、多分千聖くんにとって神木さんのことがまだ特別だから。


「でも、お正月のときくらいはぐーたらしていいと思う!」

「え?」

「一年中のたった数日だけ好きなように過ごすこと神様だって許してくれるだろうし」

「な、なにそれ……」

「なにって、神様の許可があればお正月くらいぐーたらしてもいいかなって」


 こうやって見たら千聖くんは、いつも通り。


 何も変わらない。


「まーでも、家でダラダラするんだったら美月に会いに行けばよかったなぁ」


 相変わらず明るくて元気で楽しそうにしゃべる千聖くん。


 やっぱり、知りたい。


 このまま何もなかったみたいに過ごすのは、私には無理だから。


 それに今なら聞けそうな気がする。


「あのさ、千聖くん」


 一度息を飲んだあと、


「神木さん……とは、どういう関係なの?」


 恐る恐る尋ねてみると、楽しそうに笑っていた顔が一瞬でなくなった。そして、「え」困惑した声を漏らした千聖くん。


 動揺するのは、何か理由があるから。


「あのときの千聖くん……なんだか表情が曇ったし、それに私の手を掴んですぐに逃げたでしょ? だから何かあるのかなって思って……」


 真っ直ぐ瞳を見据えると、かすかに揺れる彼の瞳。そこには、困惑の色が浮かんでいるようで。


「何かってなに?」


 今度は、あの日みたいに逃げられなかった。


「それは……前に神木さんと付き合ってた……とか」


 だから私は、思い当たるふしだけを単刀直入に尋ねる。


「え、付き合って……?」

「う、うん。二人の関係がよそよそしかったから、そうなのかなって」


 中学の同級生だけなら、そんなに動揺しないはずだもん。


「違うよ、付き合ってないよ」


 私の言葉に呆れたように笑ったあと、そう答えた。


「え、でも……」


 私には、そういう関係に見えた。


「ほんとに何も、ないよ」


 私の言葉を遮って千聖くんは笑ったあと、目を逸らす。


「この前の子は中学の同級生。それ以上でもそれ以下でもないから」


 淡々と告げる声は、しっかりとしているのに。

 やっぱり私には、何かが引っかかって。


「だけど、神木さん……〝よかった、伏見くんが元気で〟って言ってたよ。それって何かあったからそんなこと言うんだよね?」


 何もなければ、そんなこと言わない。


 何かあるから、そんなことを言う。


「ううん、ほんとに何もないよ」


 けれど、彼はそれしか言わなくて。


「久しぶりに会ったからそんなこと言ったんだよ」


 吐く息が次々と空へ浮かぶ。間隔を空けずに。

 その息が、慌てているように感じて。


「で、でも……」


 問い詰めようと思った矢先、


「それより、あのお守り妹さんに渡せた?」


 矢継ぎ早に現れた言葉によって私の声は遮られる。


「え、あ……」


 わざと、話を逸らされた。


 これ以上踏み込んで来るな、と千聖くんなりの小さな拒絶。


 〝人間誰しも触れられたくない部分があって当たり前〟


 だから、きっと千聖くんにとっても触れられたくないことで。彼への問いをごくりと飲み込んで。


「それが、まだ……」


 これ以上、踏み込んでしまえば私は嫌われるかもしれない。


 嫌われたら私、またひとりぼっちになっちゃう。


 それだけは嫌だったから。


「タイミングがなかなか見つからなくて……」


 合わせていた視線を今度は私が逸らすと、そっかぁ、と相槌を打った彼は、


「一度距離ができるとそれを埋めようとするのは、かなり難しいよなぁ。何かキッカケでもあればいいんだろうけど」


 踏み込んでこないのを知ると、饒舌になる千聖くんの口。


 これでよかったのかもしれない。


「キッカケ……」


 今度は私の話に切り替わる。


「そうすればあと一歩踏み込むことができるんだけどね」


 まるでその言葉は、私と千聖くんの関係を表しているようだと思ったけれど、きっと違う。


 だって千聖くんは、私に踏み込まれたくないから小さな拒絶を示しているわけで。


「うーん……」


 タイミングを見計らっているだけでは何も進めない。時間だけがどんどん過ぎて、あのお守りは必要なくなってしまうかもしれない。


 あと一歩踏み込めない私は、愚かで。


 それでいて。


「弱虫だよね、私」


 全然変われてない。


 何も、何ひとつ。


「お姉ちゃんなのに全然ダメ」


 妹よりも一年早く生まれているのに全然姉らしいことなんかできていない。おまけに妹を突き放して、そして傷つけて。今さら元通りになれたら、なんてそんなのは都合がよすぎる。


「そんなことないよ」


 その言葉とともに、頭に感じた温もり。


 それは。


「そうやって自分のこと責めるのよくないよ」


 千聖くんが私の頭を優しく撫でていた。


「美月はちゃんと前進してる。たとえその一歩が数センチだったとしても、確実に進んでる。だから、落ち込む必要なんかないんだよ」


 真剣に話を聞いて、返事をくれる。


「焦る必要はない。自分のペースで少しずつでいい」


 私のことを慰めてくれる。勇気づけてくれる。


「……うん」


 それなのに私の頭を支配しているのは、神木さんの存在。


 中学の同級生だという神木さんは、背もスラッとしていて女の子らしくて、それでいて綺麗で。私なんかとは全然違って。


 もしかすると、神木さんは千聖くんの元恋人で、よりを戻したいから声をかけたのかもしれない。


 そう思うと、胸がぎゅっと苦しくなったんだ。

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