見え隠れする心(2)


 手を繋がれたままやって来た場所は、家から十五分ほど離れたところにある神社だった。

 二十三時三十五分を過ぎているというのに、境内の中は人で溢れかえっていた。


「思ったより、人が多いね」

「う、うん……」

「この時間に行けば空いてるかなって思ったんだけど、そううまくはいかないよなぁ」


 こんな夜に神社に訪れたのは初めてだったから、その光景に驚いた。


「千聖くんは、毎年夜に初詣行くの?」

「いや。俺、どちらかといえば空いてる時間に行きたいタイプだから」


 ……空いてる時間に? でも今は、その真逆。すごい人で溢れてる。それなのにどうして……


「じゃあ早速、お参りからしよ」


 そう言って千聖くんは進もうとするが、私が動かずにいると、


「どうしたの?」


 困惑したように私を見据えた。


 千聖くん、全然気がついてない。


 ここは私の地元で、だからもしかしたら中学の同級生とかに会う可能性だってあるわけ。そんな中、私が男の子と手を繋いでたところを見られたら変な噂が一人歩きしそうだ。


「……そろそろ、手を離してほしい……」


 彼の視線から逃げるように俯きがちにつぶやくが、返事がない。


「……あの、聞いてる?」


 この人の多さで聞こえなかったのかな?


 手を解かれる気配すらない。


 恐る恐る顔をあげて、「千聖くん」と彼の名前を呼ぶと、


「あ、ああ、ごめん、すっかり忘れてた」


 おどけたように笑うから、てっきり離してもらえるのかと安堵しかけたそのとき。


「でもさ、この人の多さだし手を繋いでた方が迷子にならなくてよくない?」


 なんてわけのわからない言い訳が飛び交うから。


「よくない! 全然よくない!」

「えー、なんで?」

「なんでって……」


 言われても、困るのに。


「せっかく右手が暖まったのに、今離したら寒くなるよ」


 繋がれたままの手をさらにぎゅっと優しく握りしめるから、どきっと鼓動が波打って一瞬言葉に詰まってしまう。


「こんな中、迷子になっちゃったらそれこそ大変だし。ね?」


 まるで甘い誘惑のように聞こえる声。


 こんな人混みなのに千聖くんの声がしっかりと聞こえるのは、それだけお互いの距離が近いから。


 でも、ここで私が負けたら千聖くんの思い通りになる。それだけは絶対に阻止したい。


「この歳で迷子なんてならないから!」

「えー、それは分からないじゃん」

「それでもダメ!」


 人目もはばからずしばらく攻防が続いて、先に折れたのは。


「ちえー、仕方ないなぁ」


 もちろん、千聖くんだった。


「美月の手、カイロみたいに暖かくて快適だったのに」


 唇を尖らせながら、パッと手を離す彼。


「人の手をカイロ扱いしないで……っ」


 文句をついてみるけれど、男の子と手を繋いだのなんて初めてで平常心ではいられなかった私の心。


 全力疾走する鼓動を落ち着かせるように、冷たい空気を身体の中に取り込んだ。おかげで肺が凍ってしまいそうだった。


 それから二人でお参りの長蛇の列に並ぶこと十分。


 ──パンッパンッ。


 手を合わせて、目をつぶる。


 私の願いは、たったひとつ。


 それは──……


「美月、なんてお願いしたの?」


 参拝が終わったあと、千聖くんが真っ先に尋ねてきた。


 でも、これは誰にも。


「秘密」


 そう答えると、「えー」と不満そうにしながらも笑っていた千聖くん。


 私の願いは、〝家族と少しずつ仲直りできますように〟だった。


 勘の鋭い彼のことだ。もしかしたら私がなにをお願いしたのか分かったのかもしれない。


 だから、笑っているのかも。


「千聖くんはなんてお願いしたの?」


 尋ね返すと、「え」困惑したような表情を浮かべて固まった。


 あまり聞かれたくなかったのかな。


「やっぱり──…」


 いいや、と聞かないでおこうと思った矢先、


「俺も秘密!」


 いつものような笑顔を浮かべて、ニカッと笑って答えた千聖くん。


 さっき一瞬固まったのは気のせいだったのかな。


「……私の真似しないでよ」

「してないよ。でも、神様にお願いした事って秘密にしてた方が効果あるって言うし」

「じゃあなんでさっき聞いたの」

「んー、だって人のお願いってなんか気になるじゃん?」


 私が千聖くんに願い事を話してしまっていたら、神様は叶えてくれなかったのかな。


「……私が答えちゃってたらどうしてたの」


 それともこういうのは、自力でなんとかするべき?


 神様に願うことじゃない?


「そのときは、俺がなんとかしてた!」


 なんておかしなことを真面目な顔して言うから、


「ふふっ、なにそれ……」


 思わず笑ってしまったんだ。


「美月、それ買うの?」


 それから私たちは、お守り売り場へ向かった。たくさんの種類の中から並んで私が手に取ったのは。


「うん」


【学業祈願】のお守りだった。


「でもなんでそれ……」


 困惑していた千聖くんが何かに気がついたのか、「あっ」声を漏らした。


 勘の鋭い千聖くんには、なんでもお見通し。


「もしかして……」

「うん、妹にあげようと思って」


 もうすぐ受験がある。


 それなのに私が一方的に突き放してしまったせいで、理緒は勉強に集中できていないかもしれない。


「でも、これ渡せるか分からないんだけど……」


 あれから一度も口を聞いていない。だから、当然気まずくて、何かキッカケでもない限りこのお守りは私のそばから離れないだろう。


 ──ふわっ


 おもむろに頭に優しい温もりが落ちてきて、え、と困惑していると、


「美月の渡してあげたいっていう、その気持ちが一番大切なんだと思うよ」


 大きな手のひらで、包み込まれる。


「だから、絶対無駄になんかならない」


 全ての言葉が優しくて、温かくて。


「千聖くん……」


 じんわりと溶け込んで、幸福感で満たされてゆくようだ。


 今まではひとりぼっちで、孤独で、頼る人もいなくて、このままずっとひとりだと思っていた。


 けれど、千聖くんに出会って関わるようになって、少しずつ凍った心が溶かされて。


 私の心の中に、なにかが芽生える。


 ──胸の奥底にある正体不明の感情。


 これは、一体なんだろう。


 いつか答えが見つかるだろうか。


「あ、そうだ。おみくじも引こうよ」


 そう言って突然手を引っ張るから、「えっ、あの……?!」困惑した私は連れて行かれるがままになる。


 シリアスな雰囲気は一体どこえやら。


 息つく暇もなく、二百円を入れると一緒におみくじを引いた。


「せーので開けようね」


 千聖くんがそう提案して、私が頷くと、「せーの」と合図をする。


 その結果、【中吉】と【吉】。


 お互いなんだか。


「微妙……だよねえ」

「う、うん」


 二人そろって中途半端のおみくじに、お互い顔を見合わせてフッと笑った。


「あっ、でも、美月のここすごくいいこと書いてる!」


 そう言って指をさすから、え、と声を漏らして千聖くんの指先をたどると、


「今までの苦難は少しずつ和らぎ、闇のような暗い運勢に一条の光明となって差し初めるでしょう……だって!」

「……ほ、ほんとだ」

「ね! だからきっと大丈夫! 美月の思いは必ず届くよ」


 千聖くんのその言葉ひとつで、【吉】だった私の運勢が、まるで【大吉】にでもなったような気持ちになる。


「そうだと、いいなぁ」


 だから私も素直に願った。


 そうなりますように、と。


「向こうに甘酒もあるみたいだよ。一緒、飲みに行こう」


 ずかずかと心の奥底に踏み込んでこない。一定の距離を保って、様子を伺っている。決して私が嫌がることはしない。


 千聖くんの隣は、すごく居心地がいいの。


 まるでずっとずっと昔から一緒だったような気さえするほどに。


「美月、飲まないの?」


 手渡された紙コップの中には、甘酒が入っていた。


 昔、家族と一緒に行ったときに一口飲んだあの味が記憶に残っていた。甘酒の味が苦手だった思った私は、手渡されたそれを見つめることしかできなくて。


「えっと私、あんまり好きじゃなくて……」


 甘酒といってもお酒が入っているわけじゃなくて、酒粕を使ったジュースみたいなもので。


「ん、おいしい」


 それなのに千聖くんが、ほんとにおいしそうに飲むから錯覚してしまいそうになって、つい一口飲んでしまう。


「どう?」


 苦手だった甘酒の味。


 けれど、記憶の中のそれとは少し違っているよう。


「……おいしい…かも」


 口の中に酒粕のほのかな甘みが広がって、身体の芯からぽかぽかと暖まってくるような感じ。


「でしょ! 甘酒っておいしいだけじゃなくて、身体も芯から温まるからいいよね」


 あれほど甘酒が苦手だったのに、どうしてだろう。


 私も少しは大人になれたってこと? それとも……千聖くんのおかげ?


 いつ見ても、いつ会っても、明るくて前向きな千聖くん。


 彼のおかげで苦手なことが克服できた。


 彼に出会う前までの私は、どうしようもないくらい暗くて、毎日がつらくて、この世界に絶望して生きることを諦めようとしていたほど。


「うん、ほんとにすごく温まる」


 千聖くんに出会えてよかった。


 素直にそう思った。


「ねえ、美月」


 急に真剣な眼差しをする千聖くんの視線と、ぶつかると。


「今すぐ状況が変わるわけじゃないけどさ、美月の一歩は、たしかに確実に進んでいってると思うよ」

「え? 千聖くん……」


 どうして急に、なんて思いながら紙コップを持つ手に力が入る。


「過去を受け入れることは簡単ではないし、つらいことを思い出して嫌になったり怒ったり、泣きたくなったりするけど。でも、自分のことだけは嫌いにならないで」


 寒空の下、紙コップの中から湯気だけがあがる。


「自分だけは、自分のことちゃんと信じてあげて。それができるのは美月だけなんだから」


 空気も、視線も、全て千聖くんに集中する。


 千聖くんの言葉に胸がきゅっとなっていると、


「もちろん俺は美月の味方。いつだって美月を支える。だから、自分の人生を諦めたりしないで、またここからスタートしよう」


 これが冗談なんかじゃないってことは、彼自身が証明していた。


「俺がずっとそばにいる。美月は、一人じゃないってこと覚えててよ」


 だから、目頭が熱くなって、のどの奥が苦しくなって。


 〝ありがとう〟


 その一言さえも言えなくて。


 その代わり、首を小さく何度も縦に振った。


 千聖くんに伝わるように。


 自分に言い聞かせるように。


 そして、泣いてしまわないように。



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