第9話 見え隠れする心(1)

 


 十二月三十一日。時刻は、二十三時二十分。今年もあと四十分で終わろうとしていた。


 コンコンッとノックされたあと、「お母さんだけど」とドア越しに声がくぐもった。

 ベッドから立ち上がり、ドアノブを捻って開ける。


「もう少ししたらおそば食べるからリビングに来てね」


 いつも年越しそばを食べる習慣がある。


 もしかしたら私が来ないかもしれないと思ったのか、お母さんは念のため言いに来たのかもしれない。


「うん、分かった」


 クリスマスに少しだけ歩み寄ることができた。そのおかげもあってか、心なしか気分が落ち着いていた。


 それだけを言うと、お母さんはいそいそとリビングへ戻る。


「そういえば……」


 去年の大晦日は、受験勉強で忙しくて年越しそばも自分の部屋で食べたっけ。海老天がぷりぷりでおいしかったなぁ、なんて一年前の記憶がつい昨日のことのように思い出される。


 受験勉強中の私は、なにかとピリピリしていたことも追加で思い出して少し苦い思いが広がった。


 ──ピコンッ


 ふいにスマホが鳴る。ベッドに置きっぱなしだったのを掴み、画面を操作する。差し出し人は、〝千聖くん〟だった。


「ど、どうしたんだろう……」


 あけましておめでとうメッセージなんて、まだ早すぎるし。かといって、彼がそういうことをするとは……いや、可能性はゼロではない。


「……え?」


 トーク画面を開くと、そこに書かれていた言葉は。


【今から初詣に行かない?】


 ──だった。


「え、今からって今から……?」


 盛大にひとりごとをつぶやきながら困惑して、慌ててそれを文字に起こす。

 すると、すぐに既読がつき、一分も経たないうちに返信が返ってくる。


【うん、今から。ていうか、前に一度美月を送ったところまで来てるんだけど、そのまま真っ直ぐ進めばいい?】


 なんて、今度はわけの分からないことを聞き返されて。


「えっ、はぁ……?」


 素っ頓狂な声を漏らしてしまう。


 〝前に一度美月を送ったところまで来てるんだけど、そのまま真っ直ぐ進めばいい?〟


 それって私の意思関係なしに初めから初詣に連れて行く気じゃん……!


【とにかくそこで待ってて。すぐ行くから】


 私は慌ててそれだけを打ち込むと、部屋着だったそれらを脱ぎ捨てて着替える。そして小さなカバンにスマホとサイフだけを突っ込んで、部屋を出た。


「ごめん、お母さん。ちょっと急用で、今から出てくる」


 リビングを通る際、ほんの一瞬だけ立ち止まって声をかけたあと、玄関に向かう私。


「え、え?」慌てたお母さんの声が微かにリビングで聞こえた。

 玄関でブーツを履いていると、「お母さんどうしたの?」追いかけるように尋ねる妹の声も聞こえてきた。


 それはもうすぐ近くから。


「ちょっと美月、どういうこと? 今からって何かあったの?」


 スリッパを鳴らしながら、二人して駆け寄ったのだ。


 お母さんの少し後ろに理緒がいる。あれからいまだに話せていなくて、まだ気まずい。


「ちょっと用事を思い出して……」


 逃げるように視線を明後日の方へ向ける。

 

「用事って、こんな夜遅くに? まさかバイト?」

「え、あっ、いや、そういうわけじゃないんだけど……」

「じゃあ何の用事?」


 否定したあとに、やっぱり頷いてたらよかったかなってすぐに後悔するはめになって。目を右に左に動かして、考えた挙句。


「コンビニでノート買いに行くだけだから」


 理由にしてはなんとも薄いものだった。


 だから、当然お母さんは、


「ノートならべつに今からじゃなくてもいいんじゃないの?」


 もっともなことを言われてぐうの音も出ない。


 けれど、今はここで時間を費やしている暇はない。早くしなければ、千聖くんがここまでたどり着いてしまうかもしれないのだ。


「どうしても必要だから買いに行って来る。すぐ帰って来るから心配しないで!」


 口早に告げて玄関のドアを押し開けると、「えっ、ちょっと美月?」困惑するお母さんの声が聞こえたが、開いたドアへと逃げ込んだ。


 直後、バタンッと閉まったドア。代わりに私に纏わりつく冷たい夜風。コートを羽織っていても、顔や耳が痛くなる。


「もっと厚着してくればよかった……」


 ひゅうっと夜風は寒くて、突き刺すような痛みが走るが、もたもたしていると千聖くんがここまで迎えに来そうな予感がして、かじかむ手をコートの中にしまって走った。



 ***



 突き当たりを右へ曲がってしばらくすると、街灯の下でかじかむ手を口元へ寄せて、はーっと息を吹きかける人影が見えた。


 段々と近づくたびにぼんやりとしていた姿が、はっきりと街灯で照らされる。


 ──間違いない、千聖くんだ。


「遅くなって、ごめん……!」


 私の声に気がつくと、口元へ寄せていた手を軽く持ち上げた。


 そばへ寄ると、千聖くんの鼻先は真っ赤に染まっていた。


 どれだけ待たせてしまったんだろう。


「俺こそいきなりごめんね。急に美月に会いたくなっちゃって」


 心配も杞憂に終わった。相変わらず彼は、歯の浮きそうな言葉を軽々と告げるから、


「な、何言ってるの……バカなんじゃないの」


 胸が早鐘を打った。それを隠すように目線を下げる。


 どうせ千聖くんにとってそんなこと言うのは、簡単で。言うなれば、息を吸うのと同じくらい容易いに決まってる。


「なにって俺の本音?」


 千聖くんにとって、べつに深い意味はない。


 だから、私が意識する必要もない。


「まぁ会いに来たのは、べつに理由もあるんだけど」

「……え?」

「うん。まぁとにかくここじゃああれだし行こうか」


 一言も説明してはくれなくて、


「え、だから、どういうこと……」


 私が尋ねたって一切答えるつもりはないらしく、その代わり突然私の手を取るから、ますます困惑して。


「え、あの、ちょっと待って……」


 振り解こうと試みるが、男の子の力に敵うはずもなくて。


「一緒に行ったら分かるから。ほら、早く行こうよ」


 少し強引な千聖くんに、ますますどきどきが止まらなくなる。


 どこへ連れて行かれるのか分からなくて不安がある一方で、千聖くんなら大丈夫だという安心感もあって。対照的な感情が混在している。


「……千聖くんってば、ほんとに勝手な人なんだから……」


 俯きがちに、ぽつりと呟くが、


「ん? なにか言った?」


 一瞬聞こえてしまったのかとドキッとするが、夜風のおかげで彼に聞こえてはいなかった。


 それからしばらくそのまま歩いた。


 繋がれた手のひらは優しく私を包み込み、一度も手放すことなく私を導いてゆく。


 夜風はすごく冷えるはずなのに、寒さなんて感じられないほどに、私の鼓動はうるさくて、まるで全力疾走しているようだった。

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