甘いショートケーキの魔法(3)


***



「美月、お疲れ様」


 バイトが終わり、公園のテラス席で二人。


 街灯が明るく、おまけに公園の周りにはお店があり、夜なのにそこまで暗くはなくて。


「……うん」


 なんだかそわそわして、目線を下げる。


 いつもと変わらないはずなのに、こんなに動揺してしまうのは、きっと原さんに言われた言葉が頭に残ったままだから。


「じゃじゃーん」


 ふいに大きな声で効果音を言った彼に驚いて、「な、なに」恐る恐る顔を上げると、テーブルの上には。


「……け、ケーキ?」


 が、あったのだった。


 丸い形の小さなショートケーキが、二つ。


「クリスマスにバイト頑張った、美月へのご褒美」


 そう言って、はい、と私にフォークを手向ける。


「美月が頑張ってるの知ってたからサンタさんがおいしいケーキ食べなさいって言ってたよ」


 なんて千聖くんは、子どもじみた説明をするから。


「な、なにそれ……」


 おかしくなって少しだけクスッと笑みが漏れる。


 千聖くんは、私が想像もしないような行動を取るから気が抜ける。それに見た目とは裏腹に子どもっぽいし。


「ちょ、せっかく俺が真剣に考えたのに笑うのなしだって!」


 すると、分かりやすく挙動不審になった。


 もしかしてこれは、照れているのかもしれない。なんだかそれが新鮮で、さらに声を漏らして笑う。


「千聖くんって、意外とおかしいことするよね」

「おかしなことって……俺にとってはかなり真剣なんだけど」

「真剣って、サンタさんが……っ」


 気を抜けば、声を漏らして笑ってしまう。


 千聖くんに出会う前の私は、こうやって自然と笑うことなんか全然できなくて。この世界にずっと絶望して、どん底みたいな顔してた。


「ちょっと美月、笑いすぎ……!」


 ──だから、これは不意をつかれた。


 バイト終わりじゃなくたって、これは嬉しいに決まってる。


「……ありがとう」


 私がそう言うと、「え」拍子抜けしたように千聖くんは目を白黒させる。


 目の前に置かれた丸い形の小さなショートケーキは、食べてないのにいい匂いがして。


「千聖くんのその気持ちがすごく嬉しいよ」


 一人じゃないクリスマスは、とても暖かくて。


 今までぽっかりと空いていた心の穴が、幸福感で満たされていくようだ。


「そっか、よかった」


 安堵したように口元を緩めた千聖くん。


 もしかしたら彼もまた不安だったのかもしれない。内緒で私にこんなことをして、私がどういう反応をするのか。


 それから二人して、ショートケーキを食べた。


「ん、おいしい……」

「ほんと?」


 甘党よりも辛党派の私は、普段滅多に甘いものを食べない。ケーキだっていつもクリスマスしか食べないほどで、それなのにこのケーキの甘さはすごく優しくて。まるで全身を優しく包み込まれているみたいに錯覚する。


「甘すぎず程よい感じで口溶けが滑らかだし、私こんなにおいしいの初めてかも」


 あっという間に食べ終わってしまった。


「美月がそんなに褒めてくれるなら毎日でもケーキ買ってきてあげたいなぁ」

「気持ちは嬉しいけどそれは遠慮しておく」

「なんで?」


 ……なんで、って。そんなの聞かなくても分かるでしょ。


「毎日ケーキばっかり食べてたら私がデブになっちゃうじゃん。そんなの嫌だよ」

「えー、でもさぁ少し丸い方が幸せそうでよくない?」

「全然よくない!」

「俺は美月が少し丸くてもいいと思う!」

「私が嫌だから!」


 子どもみたいに売り言葉に買い言葉で言い返してしまった私。


 少し前までの私が、こうなることを予想できただろうか。


「ほんと、よかった」


 しみじみと感慨深くつぶやいた千聖くんは、そんな言葉を残したあと微笑むから。


「だ、だから、よくないって……」


 ムッとなって、反論しようと思った矢先、


「──そうじゃなくて」


 彼の言葉が私の声を遮って。


「美月が笑ってくれてよかったってこと」


 予想外の言葉が現れるから、え、と困惑した声を漏らすと、


「この前、初めて美月の過去を打ち明けてもらってすごく苦しかった。多分、俺がそう思ったんだから美月はもっと今まで苦しかったんだろうなって思って。どうやったら美月のこと笑顔にできるんだろうって、元気づけてあげられるんだろうって」


 夜風に攫われないように力強く、けれど優しく。


「無理に笑ってもらう必要はないけど、笑顔って想像以上に薬になるんだ。すぐには無理かもしれない。でも少しずつ笑うことで、美月の心が癒されるんじゃないかって思ってさ」


 大切に言葉を息でくるむように告げられる。


「だから、クリスマスの今日、絶対美月を一人にしたくないって思った。強引ではあったけど、これが間違いだったとは思ってないよ」


 千聖くんは、私のことをそんなに考えてくれていたなんて。知らなかった。


 私よりも、私のことを考えてくれている。


 この世界に優しい人が、他にいるだろうか?


 ううん、きっといない。千聖くんが、一番。誰よりも優しいってこと、私が知っている。


「……笑えば、過去のこと忘れることできるのかな。笑えば、全部なかったことにできるのかな」


 〝過去〟(トラウマ)のことを全部忘れて、ゼロからやり直すことが可能なのだろうか。


「全部なかったことにするのは無理かな」


 ──千聖くんは、あっさりと私の言葉に否定をした。


 それに落ち込みそうになっていると、


「美月は全部に悩みすぎだし難しく考えすぎ」

「え……」

「もうちょい肩の力抜いていいんだよ。みんな完璧じゃないし、一つくらい悩みだってある。美月だけじゃない、俺だってそうだ」


 自分が悩みすぎとか考えたことなかった。


 受験さえ失敗しなければ、こんなに苦しむことなんてなかった。あの頃の私は何がダメだったんだろう。何が間違っていたんだろうって。そう思うと、悩むことも考えることもどんどん多くなっていった。


「過去に縛られたまま今を無駄にするなんてもったいない。今ある時間を大切に、一秒だって無駄にはできない」


 私は、過去に縛られてばかりで今を生きようと考えたことがなかった。何をしたって無駄にしかならないんじゃないかって思った。


 不安で、孤独で、そして絶望して。


「人はいつだって変わることができる。前を向くことができる。過去はやり直すことができないけど、気づけた今ならやり直すことができる。自分の力で修復することができる」


 あの日のことを思い出すと、今でも苦しい。


 初めて〝挫折〟を味わってこの世界に絶望して、虚無感に苛まれて、変わることを諦めて。この世界に私は必要ないとさえ思った。


 けれど、今の私なら千聖くんが言いたいこと分かる気がする。


「……失敗した私が、やり直すことなんてできるのかな」


 不安だった。これからの人生が。

 不安だった。一人が、孤独が。


 このまま進めば私は私じゃなくなって、いつか存在が消えてしまうんじゃないかって──。


「美月ならできるよ。変われるし、やり直せる。俺が保証する」


 ──どこにそんな自信があるんだろう。


「でも私、ダメなところばかりだから……」


 自分のことばかりで家族に優しくしてあげられなかった。欠落しているものが多すぎて、人として失敗なんじゃないかと思うほどに。


「ダメで何が悪いの?」


 矢継ぎ早に現れた言葉に困惑して、


「え、いやだって……」


 言い返せずにいると、


「ダメでいいじゃん。てか、欠点が少しくらいある方が人間らしくていいと思う。むしろ俺はその方が好きだなぁ」


 まるで私を肯定するような言葉が現れる。


「好きって……」


 思わず反芻して、目線を下げる。


 そんなこと軽々と言って恥ずかしくないのかな。聞いてる私の方が照れてしまう。


「美月は何も心配しないでこれからを過ごしていけばいい。考えすぎないで自分の思うままにしてみなよ」


 けれど、それと同時に彼の言葉は温かくて、優しくて。


「ここで終わりじゃない。美月の人生はここからが始まりなんだよ」


 次々と私の心を軽くするような言葉が現れて感情が追いつかなくなる。


 ──〝ここからが始まり〟


 胸の奥でホイッスルが鳴ったような感覚を覚えた。


「ここから……?」


 私、変わることができるのかな。


「そうだよ、変わるチャンスはいくらだってある。あとは行動のみ」


 次々と私の存在を肯定するように、彼は言う。


「美月はこれからどうしたい?」


 真っ直ぐ見据えられて、困った。


「私は……」


 どうしたいんだろう、考えた。


 けれど、ほんとはどうしたいなんてもう決まってる気がして。


「……家族と前のように仲良く楽しく過ごせたらいいなって思う」


 自分から突き放して距離を取って、そんなのおこがましいかもしれない。


 ──でも、だからこそ、思った。


 家族と離れている間、どうしても襲ってくる虚無感や孤独感。そのときいつも思い出すのは、楽しかった幼少期。夏になれば妹と一緒にプールに行ったり、秋になればおいしいものたくさん食べたり、冬になれば雪が降って雪だるまを作ったり。それは全部、幸せな思い出ばかり。


「……なんて私が、おこがましいけど」


 恥ずかしくなって、笑って誤魔化した。


「ううん、いいと思う」


 けれど、千聖くんは否定することはせず穏やかに笑って。


「美月が家族のこと大切に思ってるなら、今度こそ絆を結び直すチャンスなんじゃないかな」

「絆を……」

「妹さんのこと後悔してるんでしょ? 家族に申し訳ないと思ってるんでしょ?」

「……うん」


 すごくたくさん迷惑をかけた。今だってたくさん気を使わせて。


「だったら自分のペースでいいから、少しずつ歩み寄らないとね」


 私にできるだろうか。


 じゃなくて。


 ──私がしなくちゃいけない。


 距離をとった私自身が、歩み寄らなければ。


「……うん、そうだよね」


 だから、私は言った。


 その場しのぎの誤魔化しではなく、心の底から頷いて。


「千聖くんがいてくれてよかった」


 きっと私だけでは、ここまで変わることはできなかっただろうから。


「そんなことないよ。美月が変わりたいって思ったから。美月自身の力だよ」


 口元を緩めて笑った。


 寒空の下、公園のテラス席で街灯に包まれる。冷えて身体は氷のように寒いけれど、心の中はぽかぽかと暖かくて。


「──あっ、見て美月! 空がめちゃくちゃ綺麗」


 ふいに声をあげた千聖くん。


 つられて私も空を見上げると、無数の星々が光り輝いていた。


「ほんとだ。すごい、綺麗」


 まるで私の背中を押すように、キラキラと輝いていたのだった──。



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