過去と向き合う(2)


***



「すっきりした?」


 どれくらい泣いていたかなんて、分からなかった。時間がどれくらい過ぎたんだろう。


「……ごめん、なさい」


 すん、と鼻をすすりながら、恥ずかしくなって目線を下げていると「いや、いいよ」と頭を撫でられる。


 これでもかと優しく甘やかされているようで、心がざわざわする。


「私……」


 すん、と鼻をすすりながら。


「あのとき千聖くんに、声をかけてもらえなかったら……今どうなってたんだろう……」


 そう考えると、少し身震いした。


 声をかけてもらうのが一秒でも違えば、私はこの世界にいなかったのかもしれない。


「どうもなってなかったよ」


 私の言葉を否定するように、告げられた言葉に、え、と顔を上げると、


「だって俺、美月のこと助けるって決めてたから。何があっても絶対に」


 断言するように言われる。


 絶対って言ったって、そんなの不可能。


 だって。


「絶対って言っても偶然あの場所に遭遇したからであって、いなければ助けられるわけないし……」


「ほんとに偶然だと思う?」


 矢継ぎ早に現れた言葉を聞いて、頭の中は白く抜け落ちる。


「前にも言ったでしょ、美月が何か悩んでることは知ってるって。だから、バイトがある日、美月のこと見守ってた」


 ……え、見守ってたって私のことを心配して?

 ん? いやちょっと待って……聞こえはいいかもしれないけど、それって。


「……ストーカーしてたってこと?」


 一瞬薄寒くなりながら恐る恐る尋ねると、


「いやだなぁ、ストーカーじゃなくて見守りだって」

「そ、それをストーカーって……」

「まあ、この際それはもういいじゃん」


 私が追求しようとすると、一方的にはぐらかされた。もういいじゃんって私が言うなら分かるけれど。


「それよりどう? 泣いて少しはすっきりした?」


 わざとらしく話を逸らされたようで少し納得できずにいたけれど、


「あ、う、うん……」

「そっか。よかった」


 と口元を緩めた彼は、


「美月が人前で泣けるってことは、俺のこと少しは信用してもらえたってことかなー」


 ホッと安堵したように、屋上のアスファルトに腰を下ろした。


「え?」


 人前で泣けたから、信用……?


 ……それってどういう。


「最初の美月、俺のことすごい拒絶してたじゃん。話しかけられるの迷惑そうにしてたし」


 淡々と告げられる言葉で、私の記憶は急速に手繰り寄せられて、


「…あっ、そ、それは……」


 少しだけ申し訳なく思い、目線を下げる。


「あのときは思い切り顔に出てたよね」


 続けてはっきりとそう告げられるから、「うっ…」と言葉に詰まってしまう。


 そんなに顔に嫌悪感が現れていたなんて。


「……ご、ごめん」


 合わせる顔がなくて、顔があげられない。


「べつに美月を責めてるわけじゃないよ。だから、顔あげてよ」

「で、でも…」

「俺は、嬉しいんだよ」


 そう聞こえたあと、え、と困惑して顔を上げると、


「それだけ俺のことを拒絶してた美月が、俺のことを頼ってくれて。嬉しいんだ、今」


 千聖くんの顔は、とても優しそうに緩んでいた。


「美月が俺につらい過去を話してくれたってことは、俺のことを信用してくれたんだよね? 頼ってくれたんだよね? そう思ってもいいんだよね」


 信用していたのは、間違いないし。

 頼ったのも、間違いない。


「……うん」


 私、千聖くんのこと信用してる。


 いつのまにか。


 気づかない間に心は無意識に求めていたのかもしれない。人の温かさを、優しさを。


「よかったぁ」


 口元を弧に描いた千聖くん。


「美月さぁ、前に言ったことあったよね。〝私と千聖くんの住む世界は違うから〟って」


 たしかに、そんなこと言ったことある。


 千聖くんは〝陽〟で、私は〝陰〟だと。


「…あ、うん」


 だから、どこまでいっても交わることはなくて。


 それなのに千聖くんは──


「同じ空気吸って同じ場所にいて、同じ時間を過ごして、しゃべって名前だって知ってるし、住む世界が違うってなんだよ。俺たち一緒のこの世界にいるじゃん──って俺が言ったよね」


 と、私が心の中で思い浮かべたそれと全く同じことを言った。


 まるでそれが、以心伝心のようで。


「うん、覚えてる」


 私が頷くと。


「俺と美月は、住む世界なんて違わない。別世界なんかじゃなくて、同じ場所同じ時間で過ごしてる」


 私の手をとって、優しく包み込むと。


「こうして手を伸ばせば触れられる。言葉だって交わすことができる。だから、一人で生きてるなんて思わないでよ」


 私と千聖くんは住む世界が違うからと彼を一方的に遠ざけて、一方的に傷つけて。許されないことをしてしまったのに、千聖くんはそれを許してくれて。


「これからは、俺がそばにいる。美月は一人なんかじゃない。誰よりも美月の理解者だから、俺のこと信じて。絶対、守るから」


 次々と彼の口からこぼれ落ちる言葉は、私の心をひどく揺らす。


「少しずつ俺と考えていこう、これからどうすればいいのか。一緒に、二人で」


 ──ざわざわして、落ち着かない。

 ──恥ずかしくて、どきどきする。


 千聖くんの口から紡がれる言葉全てが温かくて、優しくて。


「……うん、ありがとう」


 握られたままの手を、ぎゅっと握り返した私。


 一人じゃない心強さ。

 一人じゃない温かさ。

 一人じゃない幸福感。


 一人が二人になっただけで、それは二倍になって私の心を溶かしてゆく。


「ありがとう、千聖くん……っ」


 私の瞳からは、また涙がこぼれた。


 三限目の授業中、私と千聖くんは屋上で過去について話した。

 私の過去は苦しくて重たくて苦いものだったのに、初めて人に打ち明けてみて思った。


 もしかしたら悩みすぎだったのかもしれない、と──。


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