第5話 思い出したくない過去(1)


 千聖くんと少しの距離ができてから、公園に行くことはなくなって。学校とバイトと家の往復の日々が続いた。


「う〜、外寒かったぁ」


 掃除を終えた原さんが、店内へ入って来た。身体を抱きこむようにさすりながら。鼻先を真っ赤に染めて。


「あ、フライヤーが結構減ってきてるね。これから混むかもしれないから準備してもらってもいい?」

「はい、分かりました」


 夕方を中心に揚げ物がよく売れる。夕ご飯にする人が多いからだ。一番人気のからあげと春巻きとコロッケを四つずつ順番に揚げる。

 店内は、揚げ物の匂いで充満する。食欲をそそる匂いだ。


 帰りに一つ買って帰ろうかな。寒い中、食べたらおいしいだろうなぁ。千聖くんと一緒に食べたあんまんも……ううん、やめやめ。なに思い出してるんだろう。自分で距離をとったくせに。


 ぴろりろりろーん。


「いらっしゃいませ〜」


 原さんの声が聞こえて、慌てて復唱する。


 フライヤーのそばで背を向けていた私は、店内へと顔を向けた。


 …あっ、あの、制服私が受験に失敗したところのだ。合格したら今頃あの制服を着てるはずだったのに。


 思わず、目を逸らしてしまう。


 もう一年も前のことなのにまだ過去を引きずっている私は、今も傷ついたままだ。


 キャッキャとおしゃべりする声が近づいて来る。


「いらっしゃいませ」


 レジに来た女の子二人が持っていた商品のバーコードを通そうと思った矢先、


「……あれ、美月……だよね?」


 そのとき私の名前を呼ぶ声が聞こえて「え」と声を漏らす。


 そこには、見覚えのある顔が二つあった。


「……梨生、華菜」


 中学生のときいつも一緒にいた友人二人だった。


 ──ドクンッ


 なんでこんなときに限って出会ってしまうんだろう。神様はなんて残酷なんだろう。


「美月、元気してた?」

「う、うん…」


 なんて、全部嘘。元気なはずがない。


 レジ上に置かれた商品をピッ、ピッとレジ打ちしていく。黙々と。


「そ、そっか、うん」


 気まずそうに口ごもる二人。


 黙り込むから、その間に私は商品をスキャンして「合計で六四〇円になります」と言う。袋詰めをして、あとはお会計を済ませるだけ。


 早く、帰って。じゃなきゃ私……


「美月は、今高校って……」


 ふいに華菜が尋ねてくる。


「あ…えっと……智ヶ野高校だよ」


 みんなで同じ高校を受験して、私だけが不合格で、そのあとどこに行ったかなんて知っているはずなのに。


「あー…そっか、あそこの高校だったっけ」


 二人で顔を見合わせてうんうんと頷き合う。その二人が着ている制服は、私が行きたいと望んでいた高校の制服。私が着ることのできなかった制服。


 それなのに二人は、それに身を纏っている。


「美月、卒業してから連絡ないから元気にしてるかなって梨生と言ってたんだけど。ここでバイトしてたんだね、知らなかった」


 華菜がそう言うと、隣にいた梨生と顔を合わせて「ね」と困惑したように頷き合う。


 連絡ないから、って言うけどそっちだって連絡しなかったじゃん。落ちた私が連絡しにくいなんて普通考えたらすぐに分かるはずなのに。


 まるで私が悪いとでも言いたげな様子。


「いろいろと忙しくて、連絡できなかった。ごめん…ね」


 どうして私が謝るんだろう、心の中で疑問が浮かぶ。


「う、ううん、大丈夫。こうやって元気な姿見れただけでも安心したし」


 〝──元気な姿〟?


 二人に私はそう見えているの?


 私がどれだけ受験に失敗したことが悔しかったか、惨めだったか、二人は知っているはずなのに。どうしてそんなことか言えるの。


 やり場のない苛立ちで、頭の芯がチリチリと音を立てる。


「そ、そうだ。美月がバイトない日、また中学の頃みたいに一緒に遊んだりしない?」


 今度は華菜が提案する。ぱっと花が咲いたように梨生に笑いかける。当然、いいねいいね、と頷いて、答えを求めるように私へと顔を向けた。


「あ、えっと…」


 これで一緒に遊べば中学の頃のように元通りになるのかもしれない。楽しいのかもしれない。

 けれど、二人がその制服を着ている限り、きっと私だけが傷ついて、焼けるように胸が苦しくなる。


 今まで通りなんて、不可能で。


「──ごめん。まだバイト慣れてなくて休みも疲れてたりするから、今はちょっと……」


 だから私は、断った。


 これ以上、自分が傷つかないために。苦しまないために。


 きっとこれが最善の策なのだと、そう思った。


「そ、そっか、うん。じゃあ……また連絡するよ。美月が大丈夫なとき教えて。そのとき遊ぼうね」


 せっかくの笑顔が曇る。まるで雲間に入ったような表情を浮かべて困惑した。私は、その言葉に小さく頷くことしかできなくて。


「──おーい、梨生。まだ?」


 店内に入って来た男の子は、二人の元にやって来る。同じ制服着てる。


「…あ、慶くん」

「タカもまだかって待ってんぞ」


 親指を後ろの方へ向けながら、苦い笑みを浮かべる。「そういうことだからこれ以上待たせるなよー」と付け足すと、


「あ、うん。分かった」


 男の子に返事をして。


「そ、そういうことだから、そろそろ行くね……美月またね」


 二人がこちらへ手を振るから、軽く小さく振り返す。


 背を向けた梨生の元へ男の子が寄り添い「今の知り合い?」小声で尋ねて、「あ、うん、ちょっとね」とぎこちなく答える。そのあとも何かをしゃべっていたようだけれど、うまく聞き取れなくて。


 店内を出るメロディーが流れ。また、いつものようにあいさつをした。


 心にもやもやを抱えながら。


「今の知り合い?」


 私のそばへ駆け寄った原さんが、コソッと声をかける。


「あー…はい、まあ……」


 今の見られてたのかな。嫌だな。私の嫌な部分がどんどん晒されている気分。


 ──ぴろりろりろーん。


 店内に流れるメロディー。


「いらっしゃいませ〜」


 お客さんが入って来てくれたおかげで、難を凌げた。ホッと肩で安堵する。


 これ以上聞かれたくなかった。思い出したくなかった。


 私は、こんなに苦しい思いをして楽しめずにいるのに、受験に合格した二人は高校生活を満喫していた。さっきの男の子は恋人かもしれない。今から四人で遊びに行くんだ。


 私ができなかったことを、二人はやって、どんどん私を置いて離れてゆく。それはあの日から続いていた。


 それが悔しくて妬ましくて。嫉妬、絶望、虚無感、それらが私を支配してゆく。


 私は、もう昔の私ではいられない。いい子の私ではいられない。

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