第26話 平穏

「おはようございます、ラン。起きる時間ですよ」

「うう…はい」

 黒鹿亭の朝は早い。ランは明け方にモニクのノックと声で起きて準備をする。

 階下へ行くと、シャンメリー以外は皆テーブルについていた。

 ハリーの弟子であるロイドが作ったまかないの朝食だ。いつもながら良い香りがしていて、幸せだと思える。

「おはようございます」

「おはようございます。昨日は遅くまで仕事だったんですか?」

 ハリソンがいつものように穏やかな笑顔で、お茶を淹れてくれる。モニクのハーブティーだ。

「辺境伯が視察に来てて…接待で飲んでた」

 食堂経営の面々は朝が早いので早々に寝てしまう。ランが帰るのが彼等が寝た後という事もあった。

「あー、女性に代替わりしたってやつ?」

「あの無茶振りをしていたゴードン殿の娘のアリッサ様ですね」

 ジゼルとモニクは辺境伯が治めるこの地域の、東の方にある大きな港町出身だ。そこに辺境伯の館もある。

 昨日は試験的に行っている町の施策を見学という名目で訪れていた。

「アリッサが、2人へ”申し訳ない”って伝えてくれって」

 そう言うと2人は目を見合わせた。ジゼルは人型で、モニクはコボルトの姿だ。

 双子に「魔法使いの存在確認をしてこい」と言ったのは前辺境伯ゴードン。シャンタルを、あわよくば自分の食客に…部下にと思っていたらしい。

「今更だな!!変わって正解だ」

 ハリーがムスッとしつつ言う。横で弟子のロイドもウンウンと頷いていた。

「そういうのは、自分で言いに来ないと駄目ですね!」

 彼は18歳になる灰色の髪に薄い緑色の目をしているぽっちゃりな元貴族。どうせ家督が継げないならと家を飛び出し放浪していたが、旅の途中で黒鹿亭の食事に魅入られてハリーの元へ着の身着のままで弟子入りしたツワモノである。

「依頼不達成のペナルティはなしだって。見舞金も払うって言ってたけど、どうする?」

「いらない」

「いりません。…繋がりを持たれても困りますから」

 新領主のあけすけな下心を双子はアッサリと拒否した。そう言うと思ってたのでもちろんランは「不要です」と断っている。

「…了解。モニクの方は大丈夫?困ったことはない?」

 町の広場に近い場所に、彼女が店主の大きな薬局があるのだ。もちろん、建てたのはエドワード。

 今では7人くらい弟子がいる。

「今の所は。エディも気にかけてくれますので」

「ねー。グレースさんもいるからさ、毎日すごいの!」

「何が?」

「男よ!!ものっそい群がってんの。バカみたい」

 ハーブティー売り場も黒鹿亭から薬局へ移動している。接客をグレースとモニクの一番弟子であるマリーが行っているが、彼女たち目的の男も多いようだ。

 あんまり多いので、購入以外の入店をお断りしているし護衛も数人置いているという。

「いいのですよ、ジゼル。お金を使ってくれますし」

 グレースは笑顔で適当にあしらえるし、マリーはみんなの小さいマリーなので手を出そうものなら他の客が締め出していた。

「…その中でモニクには手を出されないってのが、エディの怖さよね!」

 ジゼルの言葉にモニクは苦笑している。

 彼女も美女なのだが、コボルトの姿をしていることが多い上にエドワードが恋をしている相手なので、皆は彼の報復を恐れて手を出さない。商売をしている者は特にそうだった。

「ごめんねぇ。広がっちゃったから中々帰れてないみたいね」

「恋人ではありませんから。…彼は今、生き生きとしていますし、それを見るのが楽しいです」

(それってもう妻の域に入ってない?)

 そう思ったが、ランは口にパンを詰め込んだ。人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死ぬ。

 こちらにも同じことわざがあるのだ。

「…今日あたり戻るんじゃないですかね。隣町でエディに会ったと話していたお客さんがいましたから」

 ハリソンの言葉にモニクの耳がしっかりと反応している。

「そうですか。では、ハーブティーを用意しましょう」

「りんごパイも持ってっていいよ!昨日採れすぎた!ってたくさんもらったから、ジャムとパイにしたんだよねー」

 流通面はまだ課題があり、作物が採れすぎるとおすそわけ大会が始まるのだ。

 そのうち何か特産品を考えなければと思っている。

「どおりでめっちゃいい匂いがすると思った」

 夜に帰った時、とても甘い匂いがしてお腹が空いて辛かった。

「でしょう?シナモンもエディが持ってきてくれたし、会心の出来だよ!」

 ランのレシピを元に、今ではジゼルがスイーツ担当だ。

 彼女は冒険者ギルドと黒鹿亭、半々で仕事をしている。

「これ以上、他の男性の胃袋を掴むのはやめてほしいです」

 ハリソンが悩ましそうに言うが、ジゼルは笑い飛ばした。

「大丈夫よ!!私はハリソン一筋だから!!」

 自分から話を振ったくせに、自滅して真っ赤になるハリソンに皆で大笑いした。

 彼等は夏頃に婚約し、来年の春に結婚することが決まっている。

(いやもー…楽しい…)

 これが日常なのだ。ついこんな風景がずっと続けばいいと思っているが、自分の寿命は長い。

(うん、今を楽しもう)

 ”今”は一瞬しかない。悔いのないように精一杯生きて楽しめばいい。

 ランはそう考えると、頭を切り替えて皆の話に参加した。



「おはよう!ギルドマスター!」

「おはようございます。ランでいいですよ?」

 出勤のために町を歩いていると、町民に声を掛けられる事が増えた。

 ギルド員でもないのに、ギルドマスターと呼んでくる。それほど冒険者ギルドは身近な存在になっていた。

(これ、目立つかなぁ)

 モスグリーンの髪色は町に居なかったので、今までランを知らなかった人にもすぐに覚えられてしまったからだ。

 王都から戻りあっという間に3ヶ月ほどが過ぎていて今は10月。紅葉していた木々は葉を落とし始めている。

(月日が経つのが早いな…)

 日本で働いていた時もそうだったが、今の充足感には程遠い。

 1つ終わればまた達成感もそこそこに次がまた1つ2つ。無限ループのような状態に陥っていたが、自分は全く気がついてなかったと思う。

 それくらい、今が満ち足りていて昔が”ちょっとおかしい”と思えるまでになっていた。

 噴水広場までくると朝から露店が出ていて、そこかしこに置いてある木のテーブルと椅子に若者たちが座って朝食を食べている。

(おお、この風景だ…)

 格好は粗末ながらも、胸当てをつけて剣を下げていたりロッドをテーブルに立てかけていたりする。

 自分がずっと見たかった、冒険者たちが談笑している姿だ。

「あっ、ランさん、おはようございます!!」

「おはよー。今日も一日、頑張ってね」

「はい!」

 声を掛けてきたのは農家の5男坊だったか。

 肩身の狭い思いをしていた場所から抜け出て、やっと自分だけの仕事にありつけた嬉しさからなのか、とても張り切っているようだ。

 怪我をしないようにと注意して、ギルドへと足を向ける。

(しっかし…ぶわぁっ!て広まったなぁ…)

 開業から半年強、全ての町とはいかないがレーベの町以外での主要な街と王都に冒険者ギルドの支社が誕生し根付いた。王家のバックアップのお陰でもあるのだが、仕事を与えるとまではいかないが何かに困っている者と、生きる目的を無くし時間を持て余していた者を繋げた冒険者ギルドは、その仕組みは、国民にとても歓迎されたからだ。

 また、ランが王様から勲章を貰った事で、世の中の流れが変わりつつあった。

(あ。学校の子だ。けっこう朝早いんだなぁ)

 今は朝の7時くらいだ。ランを見つけて手を振ってくれるので、振り返す。

 5歳くらいから12、3歳くらいまでの子供で、町長の屋敷の離れを改造した小さな学校へ通っている。

(流行りというか…ゲンキンだよね、親も)

 武功ではない事で報奨金がもらえた事実に、今まで平民…特に女性には必要ないと考えられていた勉強を重視する親が増えて冒険者ギルドと共に学校も各地へ建設されているとか。

 その提案はきっとセイだろう、と思っている。

 そして、叙勲と聖女認定のついでに冒険者ギルドという名前が国中に知れ渡った。

 ギルドとともに町の商店などが活性化し、商業ギルドからも非常にありがたいと、お礼を言われている。

 中でも、女性の起用が増えたことで経済が伸びやかに発達中だという。

(女性の雇用問題が解消してよかった) 

 昭和初期のように結婚したら家の中に入っていた人も出てくるようになり、一般家庭の収入も上がったという。

 当然、出生率もあがり、町長のラッドマンは「過疎の原因は女性を疎かにしていたからか」と目からウロコが落ちたようだ。

 なお、子供のいる家庭は何かと物入りだ。12歳までの子供がいる家庭の税金を収入に応じて下げてなおかつ子育て支援金を渡すように話をつけてある。

 ”聖女”という面倒だが箔が付いたお陰か、物事がスムーズに進むようになった。

(…今まで、そこまでの壁もなかったけど、ちゃんと話を聞いてもらえるようにはなったかな)

 以前はアレックスとシャール、そしてエドワードが後ろにいないとアポも取れない状況だったが、今は一人でも気軽に町長屋敷に行けるようになった。元商家の娘だという同じ年の町長の奥方と仲良くなったのもあるが。

「おはよう、ランさん」

「おはよう!」

 道行く女性が気軽に挨拶をしてくれる。

 以前の「ああもう朝が始まってしまった」という雰囲気のあった通りと違い、色が増えて爽やかになったように思えた。

(前は明け方まで飲んでた酔っぱらいが歩いてたからなぁ)

 女性が歩いていると不思議と男性も身なりをちゃんとするし、ゴミのポイ捨てもしない。

 そういう妙な効果もあり、婚姻率も上がったというから笑ってしまう。

(ギルド職員だと、女性は50人中…30人か)

 シフト制の人もいるのでフルタイムだと10人だが、それでも他の業種に比べたらとても多い。

(並列作業が出来るのがいいんだよなぁ)

 事務だけでなく掃除もしてくれるし、細かいことに気がついて提案してくれたりもする。

 力作業だって獣人ともなれば女性だって出来る。

 今も目の前で、ポーションの入った木箱を熊獣人のナディアが持ち上げてギルドの中へ運び入れていた。

「おはよう、ナディア。それがあるってことは、エディが来た?」

「おはようございます、マスター。そうよー。来てコレを置いてすぐ出て行っちゃったけど」

「相変わらず、忙しそうだなぁ」

 ギルドの支社があるところには、必ず御用達として狐マークのエドワード商会がある。

 今では貴族からも取引の打診があるそうで、宰相と相談しつつ取引相手を決めていると言っていた。

「そりゃ、マスターのせいでしょう?」

「いやいや、キッカケを作っただけだしー」

 笑うナディアの背中をポンとたたき、ギルドの中へ裏から入る。

「おはよう、みんな」

「おはようございます!マスター」

「ランちゃん、おはよう!」

 人によってはマスターと言ってたり、呼び捨てだったり、ちゃんづけだったり、様々だ。

 背が低いせいでグラスランナーというエルフの亜種にあたる種族に見えるらしい。

 緑系統の髪色というのもその種族に多いと後で聞いた。

「おはようございますぅ〜…」

 後ろからまだ寝ぼけているような声がして振り返ると、シャンメリーだった。

「起きてる?」

「起きてます…」

 黒鹿亭に住んではいるが、朝が弱いのでいつも置いてくるのだ。きっとモニクに叩き起こされたのだろう。

 キメラのような容貌に金色の目は最初は少し怖がられたが、人型だ。可愛らしい顔立ちもあいまって、シャンちゃん、メリーさんと呼ばれて受付嬢のトップの座を勝ち取っている。

(ウサ耳だけどメリー…まぁ、いっか)

 手のひらの”収納”からドーナツの入った袋を出して目の前にぶら下げると、金の目がカッと開いた。

「食べて起きて」

「起きてますって!」

 嬉しそうに袋を受け取り、いそいそと受付の方へ歩いていった。

「ルイスー、アルテミスは?」

 丁度通りかかったギルド職員にたずねると、親指を突き出した。

「順調です。春には生まれるでしょう」

「やった!…何か必要な物があれば言ってね」

「了解です」

 馬獣人のルイスはニコニコしながら、外へ出て行く。

 アポロンとアルテミスの厩へ行くのだろう。

 彼は王宮からペガサスの世話をするためにやってきている、アポロンの世話係だ。

 2頭のペガサスとともにレーベの町へ来ている。

(どうしようと思ってたけど、アルテミスがいて良かった)

 アルテミスは、神聖王国の神殿が権威を示すために王族からふんだくったメスのペガサスだ。

 セイが神聖王国へ囚われたのち脱出する際に、王族が乗っていってくれと差し出した。

 陸路だと1ヶ月以上かかる隣国の王都から一瞬で帰ってくれる訳である。

 双方とも随分と長く生きているようなので、おそらく、大昔にやってきた異界人が名前を付けたのだろう。

 太陽と月の神様の名前ですよ、とゼナン王やソフィア王女に言うと、非常に驚いていた。

 期せずしてアポロンのお嫁さんが見つかった。

 神聖王国からは賠償金の一部としてアルテミスが正式に献上されたので、2頭はいつも一緒にいるし、もしかしたら子供が出来るかも?という期待で、騒がしく自然があまりない王都からランのいるレーベの町の外壁沿いに急遽大きな厩が建設されて、そこへ引っ越してきた。

(まぁ、私っつうより結界があるからだろうけど…)

 しかしアルテミスはよい環境だと思ってくれたのか、子供を身籠った。

 長い歴史の中でも雌雄のペガサスが揃うことはほとんどなく、神聖王国もリフタニアも、周辺諸国もかなり期待を寄せている。

(そのうち、あちこちの国の空をペガサスが飛ぶとか、あるのかなー)

 そんな光景が見れたら楽しいな、とランは思った。

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