第9話 町の生活

 ハリソンはランの背後にいる二人の怯えに気が付いたのか、優しく微笑みながら言った。

「お帰りなさい」

 彼の気遣いにランは元気よく応えた。

「ただいま!」

 ここが、双子の帰る場所であるように願いを込めて。

 食堂の札は先程のまま、休業中、となっている。

(なるほど、新体制になってメニューも決めないといけないしね)

 手際が良い。やはり駄目なのは料理の腕だけだ。

 扉をハリソンが開けてくれたので、3人は中へ入る。

「そちらが友人の方ですね。私はハリソンです。父はハリー。2階にいます」

「はい、聞きました。私は薬師ですので、後ほど診察させて下さい。モニクです」

 そう言ってモニクは頭巾を外した。

 ハリソンは少し眉をあげただけ、エドワードを見慣れているせいか大丈夫なようだ。

「犬獣人と言えば、通りますね」

 さすが飲み込みが早い。ランはジゼルの腕を引っ張った。

「こっちがジゼル。ジゼル、ハリソンさんには事情を話してあるよ」

「ゔ…わかった」

 やっぱりビクビクしながら、ジゼルは頭巾を外す。

 現れた豚頭に、さすがのハリソンも目を見開く。

「なるほど…僕は人間の見た目でも人間相手に苦労してますが…貴女も大変に苦労したのでしょうね」

 過去形で、労うように声を掛けられて、やっぱりジゼルは泣いてしまった。

 ランは2枚目の手拭いをそっと渡す。

「豚獣人ということになりました」

「そうですね。見たことはないですが、この町では、です。どこかに居てもおかしくないし、ジゼルさんは話せますからそのうち馴染むでしょう」

 それに、と、ちょっと伏せ目がちにしてハリソンは言った。

「2人とも、お可愛らしいです」

「「え!?」」

 これには双子は目をひん剥いて驚いていた。

「だって、肌も毛もツヤツヤですよ!お手入れを欠かさないんでしょう?…実は、祖父が犬獣人の犬よりでしたが、いっつもボサボサでしたから!」

 ニコッと笑うと、双子はモジモジしだした。

(…そうだよねぇ、私しか褒めてないしねぇ)

 しかも自分は同性だ。異性から言われるなら効果抜群だろう。

「さ、お二方の部屋を整えました。今日は寝るだけかもしれませんが…荷物は明日ですか?」

「はい。森に行って聖女に入れて持ってきますよ」

「もーにーくー」

 むにっと頬をつねるとハリソンは笑う。

「あははっ!…では、夕食は我が家で…あの、僕の料理ですみませんが」

「あ、それだけど。ジゼル修正できるかな?」

 涙を拭いていたジゼルに尋ねると、見せて、と言うのでハリソンにキッチンへ案内してもらう。

「香辛料は?…こっちね。ミルクはある、と」

 鍋の中身を見て味見をし、パパパッと香辛料を幾つか揃えると、ミルクも出してもらう。

 魔石のコンロで火事の心配がなさそうだと思いつつジゼルの手際の良さを見ていると、すぐに良い香りが漂ってきた。

「エッ!」

 ハリソンは驚いた顔だが、ランも元の味を知っているだけにナンデ??と思った。

「これ、猪肉よね?臭み消し使った?」

「…使っていません。香辛料ってどう使えばよいか、分からなくて」

「そりゃ、ああなるわね」

 先まで泣いていたというのに、料理になると人格が変わる。

(ジゼル、容赦ない)

 ハリソンはちょっとしょんぼりしていた。

「少し煮込めば匂いも完全に消えて食べれるようになるよ」

「ありがとうございます!!」

「あっ、パンはカチカチ酸っぱい黒パンだよ」

 こちらは予想通り、パン屋から以前と違う安いものを購入したそうだ。しかも大量にある。

「これかぁ…」

 ジゼルも微妙な顔をした。彼女はパンを自分で作っているが、酵母なしでもこんな状態にしない。

「甘くないフレンチトーストにしようよ」

「…そーね」

 ランが提案すると他に思いつかなかったのか、ジゼルも賛成した。

「ふれ…?」

「後のお楽しみ!」

 徐々に調子が戻ってきたようで、バチンとウィンクをしながらジゼルが言うと、ハリソンの顔が赤くなる。

(いいねいいね、可愛いよ2人ともー!)

 ついつい、おせっかいおばちゃんのように応援したくなったが、首を突っ込まないようにしようと思った。

 長くなりそうな気配にモニクが釘を刺す。

「私はハリーさんを診察したいのですが」

「あっまずい」

 待たせてた、と呟くとハリソンはキッチンの隅にあった階段を慌てて駆け上がっていく。

「…ここの住民はお人好しが多いのでしょうか」

「えーっと、特にハリソンさんとジャックさんがそうだと思う」

 それはランも思ったことだった。エドワードが異端に見えるほど。元々は住んでいなかったのだから、彼の態度が普通なのかもしれない。今度キッチリと話してみようと思った。

 バタバタとハリソンが下りてきて、3人に上へとうぞ!といざなう。

 ハリーの部屋へ行くと、モニクに少しだけ懐かしい目を向けて、ジゼルにはニカッと笑いかけた。

「おう、可愛らしい嬢ちゃんだな。ハリーだ。これからよろしくな」

 流石に3人目で慣れてきたのか、ジゼルは涙をこらえると元気よく返事をした。

「まかせてっ!」

 ハリーの父親は犬獣人の犬よりとのことで、モニクにはなんの抵抗もないようだ。

「俺は親父から鼻を受け継いだんだがな。2人からは魔物の匂いはせんよ。うちにいれば町の皆も、町長も大丈夫だ」

 そうも言ってくれた。

(ハリーさん、グッジョブ!)

 ランは二人の後ろでニコニコが止まらなかった。

 双子にはなんの罪もないというのに、苦労しすぎなのだ。

 これから幸せになるために、なんとしてでも例の計画を進めようと思うが。

(まずは、食堂から。2人がこの町に馴染んでからだね)

 モニクにもよく言われるが、焦って急ぐのは良くない。そういう時の仕事は大抵失敗する。

「では診察しますね」

「胸の中が良くないと言われたが…」

 呼吸を司る臓器が病気になっていると言われたそうだ。

「その病気ではとっくに亡くなってますよ。おそらく違います」

 モニクはあっさりと告げて、3人を追い出した。

「…夕飯作ろうか」

「そうね!きっともうハリーさんは大丈夫!」

「ありがとうございます」

「お礼は治ってからよ!」

 ジゼルは笑いながら食堂のキッチンへ行くと、とても良い香りが漂っていた。

「あ、できたかな」

「あれがなんでこうなる…?」

 ランは首を傾げたが、ハリソンも腕を組んで考えている。

 ジゼルは味見をして更にニンニクを炙って潰したものを足してスープを完成させた。

 次はパンだ。

「卵とミルクくれる?」

「少々お待ち下さい」

 ハリソンが二つを手にして持ってくると、ジゼルは言った。

「あのさ、敬語なしでいーよ」

「え?でも」

「これから一緒に仕事やるし、住む所も一緒だし。堅苦しいのナシにしようよ!」

 ニッコリ笑うとハリソンも釣られて笑顔になる。

「わかりま…わかった。と言っても普段からあまり変わらないんだ。父さんと話す時しか敬語取らないから…」

「客商売だもんねー」

 あはは、と笑いながらもジゼルの手は動いてボウルに卵を片手で割り入れ、もう片方の手はミルクを入れている。ハリソンも話しながらボウル、泡立て器などサッと渡してサポートしていた。

(出番ないな…)

 そう思いつつ、二人をちゃっかり観察する。

 今まではジゼルの大きさがよく分からなかったが、今日、ごつい門衛のジャックと並んだら同じくらいだった。横幅もおなじくらい。

 ハリソンも背は高いが並ぶと少しだけジゼルのほうが大きかった。

(元のジゼルは私より少し大きいくらいって言ってたから、ハリソンさんよりは絶対小さくなる)

 全く関係ないことをぼーっと考えていると、ジゼルから指示が飛んだ。

「ランー!フライパンも一個出して焼いて!」

「うんっ」

 慌てて返事をすると、既にハリソンがフライパンを出していてくれた。

 お礼を言いつつバターを垂らして卵液につけ込んだパンを焼く。

「塩振っていい?」

「うん。これも」

 ジゼルは香辛料を二つほど手渡してくる。

(コリアンダーとクミンか…)

 パンは香りがいまいちだったから足すのだろう。パラパラと振るとたちまち良い香りが立ち上った。

「ああ…父さんが作るのとまた違うが…良い香りだ…」

 ハリソンが傍らで感動している。

 自分が作る料理はこんな香りはしないのだから、当然だろう。

 香辛料というのは組み合わせが無限だが、相性もあるから難しいのだ。

「ハリーさんも食べるかしら?」

「今日は食べる気がする」

 ハリソンが恥ずかしそうに言うと、ジゼルは彼の背を叩きながら笑い飛ばした。

「料理は真心!だよ。今日食べそうなのは、心配事が減ったからだって!…早く治さなくちゃいけないしねっ」

「は、はい…」

 ちょっとむせながらもよろけていない。食堂内の清掃、調理、父親の介護をこなしていただけあって、インナーマッスルあるな、とランは再びどうでも良いことを考えていた。

「じゃあ、パンを刻んでスープに浸して食べやすくしておけばいいかな」

 卵液に付けていないパンを炙ってサイコロ状にカットして、肉を避けたスープに入れる。

「これ、持っていってくれる?」

「分かりました」

 つい敬語が出てしまっているが、顔はリラックスしていてにこやかだ。

 木のボウルを持つと2階へ上がっていく。

「…いい人でしょ?」

「そうね!!それにこの食堂、思った以上に設備しっかりしてるよ!広くて私の大きさでも大丈夫だし…作りがいがあるぅ〜!」

(ありゃ、そっちね)

 仕方ない。森の家では他のものを倒さないように気をつけて動いていたのだ。

 思う存分料理を出来るとあって、気合十分なジゼルに少し苦笑する。

「食堂のメニュー、ハリーさんが調子良さそうな時に考えようか」

「そーね。プリンは出したい」

「はいはい」

 ジゼルが食べたいだけな気もするが、自分も食べたいからよしとしよう。

「こっちって、どういうメニューが鉄板?」

「ん〜…パンとスープにサラダ」

 ハリソンが作っていたのは味はともかく鉄板を実現していたようだ。

「それ以外に単品で肉料理、これは絶対ね。あとはお腹の貯まる芋系、それと酒のつまみ、あとはデザート。デザートは得意な人が居なければフルーツだねー」

 これもハリソンがやっていた。マニュアル通りである。

「つまみ…ハッ…酒か!!」

「そうそう、町には酒もあるんだよ…?」

 ジゼルがニヤリと笑う。モニクがザルと言ってた気がする。

「の、飲み過ぎは駄目だよ?」

「大丈夫だって。仕事中は飲まないから!」

 という事は、仕事が終わったら飲む気満々だ。

 仕方ない、明日は美味しいお酒を買って来ようと思うランだった。

 広い食堂に配膳をしていると、2階へ行ったハリソンはモニクとともに戻ってきた。

「どうー?」

「もう大丈夫です。食欲も出てきましたから、すぐ治るでしょう」

 何より本人の意思が大事なんです、とモニクは言う。

 薬も手持ちのもので十分だったらしい。

 町の薬師の腕を疑ったが、そもそも大きい病気を診察できるような人ではなくって、とハリソンがフォローしていた。

「いただきます!」

 日本流の手合わせの後、ランは食べ始める。

 ちょっとハリソンが不思議そうな顔をしていたが、双子も同じ動作をしているので彼も真似して食べ始める。

「真似しなくていいですよ?」

「いえ、そう言えば昔はよくやっていたのに、最近はやってなかったなぁ、と…」

 両手を組む方法で女神に感謝をする祈りをしていたが、母親が亡くなり忙しくなってから食卓を囲むことがなく、ハリソンはキッチンで立ち食い、ハリーは食欲がない、という事で食前の祈りも忘れていたようだ。

「忙しさは心を摩耗させます。…貴方も休憩をお忘れなく」

「は、はい」

 モニクが医者のように言うとハリソンは神妙に頷いた。

「ねぇ、モニクはお茶を作るん?」

「そうですね。あちらの家から持ってきましょう。…この町にお店はございますか?」

 ハリソンが伝える前にランが言う。

「あったよ。雑貨店。頼めば取り寄せてくれそう」

「…それですと、価格が高くなってしまいますね。自前で調達しましょう」

「私が取ってくるよ」

 自分もだいぶ薬草には詳しくなってきているし、町長に太鼓判を貰うまではあまりこの家から出ないほうがいいだろう。モニクは少し渋っていたが、理解してくれたらしい。

「分かりました。貴女は魔物を避けられますしね」

「えっ?」

 ハリソンが驚くので説明をする。

「私は魔物避けのスキルがあるんだよ。…だから、こっちきてまだ魔物って見たことない」

 これは本当のことだ。森の中でも一度も見なかった。

「…すごく良いスキルです。特にこういう土地では」

「ねー。王都じゃそりゃあいらんよね!」

「ジゼル」

 姉の言葉に妹が釘を刺す。

「はは、いいよいいいよ。私もそう思うし」

 分厚い壁に護られたとても広い王都なら…騎士団と警備隊が二段構えで護る土地ならば魔物も襲わないだろう。外壁のない、のどかな町や村を襲ったほうが早い。

 そのまま話は魔物肉の話になった。

「僕はまだ食べたことがないのですが、美味しいのでしょうか?」

「美味しいよ!」

「物により体力、または魔力が回復します」

「「へぇぇぇ」」

 ハリソンとランが同時に声を出す。ハリソンは魔物を遠くから見たことはあるらしい。

「稀に商隊が行商の途中で遭遇して、傭兵が退治したものを持ち込むくらいですね」

 それもご挨拶にと町長に贈呈されて、庶民には回ってこないらしい。

「アタシが外に出れるようになったら、狩ってくるよ」

「えっ!?」

「あ、この人本職は魔法使いだよ」

 そう言えば料理ができるとしか言ってなかった。

「そうだったんですか…通りで」

「通りで??」

「ええ。キッチンで作業をしている時…離れたゴミ箱に卵の殻を投げる時に…床に何もたれずに全て入ったのが信じられなくて」

 そう言えば、そうだ。

 森の家でもゴミ箱に面白いように吸い込まれているように見えた。

 ジゼルは笑う。

「よく見てるねぇ!あれは風の精霊がサポートしてくれてるんだよ」

「ジゼルは火と風に好かれていますから」

 属性魔法は全て使えるが、精霊に好かれると少しの魔力で多大な効果が得られるし、生活面でもさり気なくサポートしてくれるそうだ。その事を教えてもらった時、ランは光と闇、そして土に好かれていると言われた。モニクは風と土と水だ。

「そうだったんだ〜」

 うっかり漏らすとモニクがじろりと見てくる。

「…教えましたよね?」

「あ、う、うん。でもさ、あんな自然に助けてくれるとは思って無くて…」

「まるで手品ですよねぇ」

 ハリソンもなぜかフォローしてくれた。

「まぁ、良いです。明日は森を歩きながら復習ですよ」

「…はい」

 美味しく変身した食事を食べ終えると、これからの事を話した。

 森の中の荷物を持ってきた後は、この町を拠点とする。

 黒鹿亭でジゼルは料理人、モニクは薬師兼ハーブティー作り、ランはスイーツ系料理人とレシピ作成、ハリソンは料理以外の今ままでと同じ仕事、ハリーは病気を治すこと、だ。

 がしかし、ハリーが俺もなにかやる!と言って聞かないので、食堂で提供していた今までの料理を覚えてるだけ書き出してもらうことにした。

 急に味が変わるのも変だしもったいないしね!とジゼルは言い、時折キッチンに様子を見に来るハリーから味を教わることになった。



 町長からのオッケーを貰ったのは、それから一週間後。時間がかかったのは、近々町長が代替わりするそうで隣町に息子を連れて挨拶に行っていたからだった。

 門衛のジャックさん曰く、町長も、その息子にも許可を取ったから大丈夫!とのこと。

 そのうち見に来るかもな、と言っていた。

 ハリー親子を心配していた者たちなら、2人を受け入れてくれるだろうと言う。

 変なやつがいたら、俺を頼れ!とも言ってくれた。彼は町長が作った自衛組織の長らしい。

 主に護っているのは町長の屋敷と壁に門だが心強い。

 とても頼りになる人が味方になってくれて助かったとランは思った。



 黒鹿亭はリニューアルオープンに向けて入り口をバリアフリー化し、メニューは日替わりで7日経ったらそれを繰り返す、それ以外にもジゼルが得意な肉系の料理、ランが得意なデザートも増やした。

 静かな田舎町へ吹き始めた新しい風を感じ、町の人は毎日見に来て開店を心待ちにしてくれた。

 試作プリンやモニクのハーブティーを店頭で味見させたのも功を奏したようで、リニューアルオープンには大勢のお客さんが詰めかけてくれた。

 ハリソンが客をさばくその様子を、カウンター座って眺めながら常連客の話し相手をしていたハリーは、こうしちゃおれない!とみるみる回復していく。

(うん、なんかいいね、こういうの)

 ジゼルはひっきりなしに来る注文にフライパンを忙しく振り、モニクは2階でハーブティーを調合したり、薬師としても活動を開始している。

 自分はというと、同じくフライパンを振りつつ、デザートを盛り付けしたりしていた。

 日本では全く描けない未来だ。

(常連のお客さんもすっかり戻ったって聞いたし、今まで来てなかった人も来てくれてると言うし…)

 キッチンと、時折ホールを手伝いながらランは情報収集に余念がなかった。

 自分たちの目標はあくまでも双子の体を取り戻し、囚われの聖女を助けることだが。

(でも、楽しい!)

 新体制に慣れて客が落ち着くまでになれば、ハリーも復帰できるようになるだろう。

 しばらくは、この忙しさと熱気を満喫しようとランは思ったのだった。

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