第5話 森での生活
「ラン、いますか」
「はーい、ちょっと待ってー」
「急がなくていいですよ」
今日はモニクと一緒に森へ行く日だ。
昼食の下ごしらえをジゼルとしていたランは、あとを任せてエプロンを椅子に掛けて部屋に行くと、マントを取って出てくる。
「おまたせ!」
「鞄もメモ帳もありますね」
「うん、あるよ」
双子の希望もあり、10歳年上なんだからと敬語は禁止された。
モニクの言葉遣いは妹のジゼルに対しても同じなので、そのままだ。
「じゃあ行きましょう。ジゼル、お留守番をお願いします」
「うーい!行ってらっしゃい!」
「行ってきます〜」
3人のかしましい声が森に反響した。
ランはモニクについて森の中へ入る。拾ってもらってから1ヶ月の月日が経過しているが、まだ森の中はどこも同じに見えるため、一人では歩けなかった。
「今日は単体では使えず、加工して液状の薬にする薬草を教えます」
「はい」
単体で、傷・毒・麻痺などの症状に効く薬草は既に教えてもらっている。
今日はポーションなどの原料になる薬草を教えてくれるそうだ。
ランは草をスケッチし何に使うかなどをメモしている。
「これって、図鑑とかはないの」
「図鑑?」
それ自体の説明をすると、「あります」という返答だった。
「しかし…貴族お抱えの薬師ぐらいにならないと、作らないでしょうねぇ」
「そういうもん?」
「絵の上手い下手もありますが、間違った物を使うと事故が起きますし…町の薬師などは患者対応などでそのような暇はないと思います」
「でも、薬師の弟子なら覚えやすくない?」
「賛否あります」
少し考え、ランは気がつく。
「…そっか。図鑑があると必死で覚えないってことか…」
「人によりますが、そういう人もいます。もしくは盗まれたりすることを危惧している、ですね。ただ、町に薬師が一人しか居ない状況だと、採取の時間も限られますし…図鑑を作成したほうがいいのでは?と私は思いますね」
「なるほどねぇ」
もしギルドを起こすなら、自分で書いているメモもそうだがモニクに手伝ってもらおうと思う。
(やること増えた!)
「…楽しそうですね」
「そりゃもう!…私たちの世界では、ポーションとか小説や漫画の世界だったからねぇ」
「娯楽が多そうで羨ましいです」
小説は通じるが、漫画は説明しないと駄目だったが2人とも興味深げに聞いてくれた。
「私は食べるほうが好きだったから、こんなになっちゃった」
お腹をムニッとやると、モニクは苦笑する。
「ジゼルと一緒です。あの子は動き回るせいか、太りませんけどね」
そう、オークというのにガタイはいいがお腹が出ていないのだ。
「羨ましい…」
と言うより恨めしいという顔をするので、モニクは笑った。
無理やりではなく自然に、こんなに笑ったのはいつぶりだろう、と思う。
「いや〜、やっぱ可愛い、モニク」
背が低いため、ジゼルにもたまに撫でられるがランにも撫でられてしまった。
しかし可愛いとは。
疑問に感じたモニクは質問する。
「ランは、私もジゼルの姿も可愛いと言いますが、どうしてでしょう?」
「どうしてって…あ、そうか。こっちには柴犬っていないのかな」
「しばいぬ??」
ランは日本にいた柴犬の姿と生態を説明する。
モニクの見た目は成犬になる前の、少しふくふくした子犬のように見えるのだ。
「つい、撫でたくなる」
「…構いませんよ。ジゼルはよく頬を引っ張りますし」
「いやいや、年頃の女の子の顔を撫でくりまわすのは駄目だって…」
犬の顔が可愛いというのに、ちゃんと娘扱いしてくれるランはやっぱりオカンのようだった。
「ジゼルはどのように見えますか?」
「可愛い。お肌が薄ピンクでツヤツヤで表面に生えてる白い毛は産毛で柔らかだし…あ、日本にはミニブタっていう小さい豚さんの種類があって、その子たちの子供の頃に似てるかも」
ニホンの民は、犬はともかく豚もペットとして飼っているらしい。食べるためではないという。
「私もジゼルは可愛いと思います」
本物のオークとは一線を引きたい。
「だよね!」
「ランはオークを見たことは?」
「漫画でしかない。一日半でここに来たし…」
「そうでしたね。まぁ、私達がいますから見ることも無いと思いますよ」
木こり小屋を拠点に決めたあとは、ジゼルが魔法で片っ端から周辺の魔物のねぐらを潰して回ったらしい。
ストレス発散にしていたと言う。
「そりゃあ…近寄らないね…」
「ええ。出てこなくて助かります。私もショートソードくらいは使えますが、今の姿だと小さいし体重もないので致命傷にならないんですよね」
可愛い顔からけっこう怖い言葉が出てくる。
ここはこういう世界だ、とランは飲み込んだ。
「…大丈夫です。私なんて、まだ何も使えません」
「ふふ。異界人は特殊なスキルはあっても、勇者以外の称号だと戦闘スキルはないと聞きますから。これからおいおい覚えていきましょう」
「はい!師匠!」
そう言うとモニクは苦笑した。
「…モニクでいいですよ」
沢や崖などを巡り薬草を集めると、家に戻る。煙突からは煙が出ていた。
「ただいま〜!」
「おかえり!!」
土を払った後にランがドアを開けつつ言うと、キッチンから元気な声が飛んでくる。
「マントを脱いで靴を変えてから、ダイニングへ来て下さいね」
「了解」
モニクと別れて部屋に戻ると、壁の釘にコートを掛けた。
「あっそうか…魔法があった…すぐ忘れるなぁ」
革のブーツも脱ぐと<浄化>で綺麗にしてマントの下に揃える。
内履きに履き替えてダイニングへ行くと、既にモニクが配膳し始めていた。彼女は合理的でいつも手早い。
「スープ、どう?」
「バッチリ!!!ミルクスープなんて久々〜」
王都で大量に買っておいて良かったと、本当に思う。
バターでベーコンとニンニクや野菜を炒めて水を入れて煮込み、最後にミルクを入れて完成する簡単野菜チャウダーだ。
ランも会社勤めで疲れた時は大量に作って、3日位食べ続けていた。
パンはジゼルに「無くなっちゃうと悲しいから!!」と言われて、1週間に一度だけ王都で買ったパンを出している。
今日のパンは、ジゼルが作ってくれた黒パンだ。森の中に野生のぶどうがあると聞いたので王都で買った瓶に”ぶどう”と、”浄化で異物を取り除いた水”を入れて常温で放置して作った酵母を使ってもらっている。
よく膨れるので、黒パンのような風体だけど固くないし少し甘い。保存が効かないのが難点だがすぐに食べてしまうので問題ない。
「後はハムでも食べる?」
ランが言うとジゼルは顔を輝かせたが、モニクに止められた。
「スープにベーコンが入っていますから必要ありません」
「ええ〜…」
文句ありそうなジゼルにモニクは言う。
「ハムも食べたら塩分取りすぎですよ。ハムになりたいのですか?」
ヒッと声を漏らしてジゼルは体を抱きしめた。
「…スープだけいいです」
「よろしい」
加工肉はやっぱり美味しい。塩も購入してあるので、後日猪ベーコンを作る予定だ。
今日のお昼は、野菜ミルクチャウダーに黒パン、森で採れた酸味の強いリンゴを焼いたもの。
(健康的〜…)
ランは社食がある会社に勤めていた。お昼はもっぱらそこを利用していたせいか、給仕のおばちゃんに顔を覚えられていて、いつも大盛りにしてもらっていた。
女性には少し大きいお茶碗に盛られた、ツヤツヤの米の山を思い出してついヨダレが出てきてしまった。
(そっか、炭水化物が少ないんだ…)
仕事の合間のクッキーやチョコのようなおやつもなし、家に帰ってからのコンビニスイーツ(だいたいクリームが入ったものが3個)もなし。
最初は腹が減るし口が寂しくて仕方なかったが、1ヶ月もすれば流石に慣れてきた。
(胃が小さくなってるんだ、きっと)
ランは椅子に座りながら思う。事実、胴回りは勢いよく減り始めていた。
「まだまだですよ」
お腹を見ていたランに、モニクがあっさりと言う。
「そうだね…」
つまめばまだまだ厚みがある。広辞苑から少し厚めの国語辞典になったくらいだ。
「こんなトコに居ればそのうち痩せるって!早く食べよ!」
「私達を匿ってくれた家に失礼ですよ」
「まぁまぁ。私もお腹空いたよ〜」
喧嘩しそうになった2人をなだめて、食事を摂り始める。
(塩コショウも買っておいて正解だった〜)
減塩生活もよいが、森を歩き回って汗もかいている。今こそ塩!!と思う瞬間だ。
「さすがジゼル。味付けバッチリだよ」
「でしょ!…はぁ〜…美味しい…」
ジゼルもうっとりとしつつ食べている。モニクは黒パンを片手に不思議そうだ。
「酵母というのは面白いです」
「知らなかった?」
王都にはパンもあるし、てっきり酵母パンは普通のものだと思っていたが。
「大きな町のパンは、異界人が広めたものだと聞いています。地方では、蜂蜜を溶かした水に小麦粉を浸してしばらく置いたものを練って作ったり、パン屋がパン種を継いで作ったものがほとんどですね」
「へぇぇぇぇ…どおりで…」
王都のパンはバターや小麦の風味が強いが、ジゼルのパンは酸っぱくて硬かった。
今は酵母を使っているので、麦の味がよく感じられる。
「アタシは酵母パンがいい!」
「私もです。一度こちらを知ると、戻れませんね」
「……」
(泣きそう)
そんな2人に、日本の甘いパンやお惣菜パンをお腹いっぱい食べさせてあげたい、と思ったランだ。
食後、モニク特製のハーブティーに蜂蜜を入れて飲みながら、談笑する。
以前は会話が途切れがちだったそうだが、ランがいるので2人とも退屈しないようだ。
今日は、ライトノベルによくある異世界召喚の話をしてみると、非常にウケた。
勇者や聖女召喚に巻き込まれた自分みたいなオマケが、成り上がるストーリーだ。
「大抵は追い出された後で、女性なら…他国の王子と出会って結婚とか…とにかくイケメンに拾われるんだよ」
「イケメンねぇ…こんな森の中にいたらおかしくない?」
考えてみればそうかもしれないが、そこは女性向けライトノベルだ。
「ああいうのはご都合主義なの。うーんと…森で出会った木こりが実は隣国の王子様とかね!」
頭ボサボサで髭もある人に助けられて一緒に森で生活していたら、追い出した人たちが本当の聖女はあの女だった!と気が付き攫われて、危険な目に逢いそうになった時に、木こりが髪を整えて髭を剃ったあとの超美形な状態で助けに来る、と話すとモニクも苦笑した。
「突拍子もない設定ですね」
「そうだけどさ、あんな最悪な王子もいるんだし、逆がいても良くない?」
最悪な王子とは、もちろんチャービルのことだ。
「確かに…」
「ねぇねぇ、あの王子…そのうち脱皮すんじゃない?」
ジゼルは自分で言って大笑いし始めた。
ランもつい想像したが、チャービルからイケメンが想像できない。
「う〜ん…イケメンより、蛙が出てきそう」
そう言うと、ジゼルは笑いすぎて椅子から転げ落ちてしまった。
ジゼルの笑いがなんとか収まると、こういうパターンもある、と自分がなし得なかった設定を語る。
「ヒーローに助けてもらえない主人公の場合は、冒険者ギルドっていう所に所属して自分を鍛えるの」
「「冒険者ギルド??」」
双子はキョトンとしている。体格差はあるのに、こういう動作はピタリと一致する。
「そうだなぁ、傭兵と探索者を足して割って…そこにワクワク感を足したギルドかな」
「日本にはあるの?」
「ないない。あっちは剣は大昔に廃れて、魔法はそもそもない」
剣こそ残っているが銃刀法という法律があって、日本では持つことが規制されていると話すと驚かれた。
国中どこへ行っても歩く時に武器を持っていないというのが、不思議なようだ。
「平和なのですね」
「まぁ、戦争で色々あってそうなったんだけどね。…だから、話しているのは全て想像の産物だよ」
自分でも、本当に日本人は想像力がたくましいな、と思う。
「…で、冒険者ギルドってどんな?」
「えーとね、街の人からの依頼を集めて、ギルド員にこなしてもらい報酬を渡したり、魔物やダンジョン情報を共有したり、若手を育てたり…。騎士や警備隊なんかがやらない事をするって感じかな」
「へぇぇ、面白そう」
「探索者ギルドに似ていますね」
「うん。探索だけでなく、強い魔物を探して討伐しに行ったり、ギルドが集めてくる依頼だけでなく、色んな事に頭を突っ込む、そんな冒険者を纏めるのが冒険者ギルドだよ。自助でもあり、互助でもあるっていうか…」
少し考えてからジゼルが言う。
「子供や女性でも、金さえあれば頼める感じ?」
「あ、そうだね。傭兵と違うから…受付窓口は、大抵可愛らしい女の子だし」
宿屋の少女をふと思い出す。
あんな子が受付をしていたら、誰も強く出れないだろう。
宿代は払ったものの、自分が戻らず心配しているだろうなぁと思う。
「…いいですね、それは」
珍しく冷静なモニクは賛同する。
「いやでも、そのうちだから。モニクたちが討伐されたら泣いちゃうよ」
2人は顔を見合わせて笑う。
「大丈夫だって!最近、この格好でも自信がついてきたんだよね!」
「私もです」
ランは気がつく。
(そうか、本当は町に行きたいんだ…)
そりゃそうだろう。年頃の娘だし、自分一人増えただけで喜んで話を聞いてくれる。
(なんとか、力になりたい)
先生になってもらって自分は着々と力をつけていると思う。
(2人が過ごせる町をまずは探そう)
そうしてこの世界のことをもっと知ったら、冒険者ギルドを立ち上げようと思った。
『ないなら作ればいい』
仕事を教えてくれたせっかち先輩の言葉を反芻する。話がたまに裏返ったり、忘れっぽい人だったが行動力だけは抜群だった。
ギルドを作ったら情報を集め、双子の体を持ち去った魔法使いを探してとっちめればいい。
ランが密かにそう決意していると、モニクがそっと手に手を重ねてきた。
小さな子供のような手のひらだ。
「…焦っては駄目です。私達も、ね。ジゼル」
「うんまぁ、3年経ってるしねー。今更、焦らないよ」
どうやらランの考えは見抜かれてたらしい。
「分かった。…町に行く時はちゃんと相談するから」
「ええ、そうして下さい」
「攻撃魔法も、教えなくちゃね!!」
その言葉にランは自分も何か提供しようと考える。
2人はいつも無償で色々と教えてくれるが、食べ物は受け取ってくれるので食べ物で返せばいい。
「そうだ。日本にね、プリンっていう食べ物があって…」
卵と砂糖とミルクで作る素朴な味わい、と言うと早速ジゼルが食いついた。
「ナニソレ!?」
「落ち着きなさい、ジゼル」
「材料はあるし、一緒に明日作ろうよ」
「モチロン!!!異界スイーツ…ウッソ、どうしよう…!」
既に心ここにあらず、といった風のジゼルだが、その夜は楽しみすぎて一睡も出来なかったらしく次の日は爆睡してお昼まで起きてこなかった。
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