第2話 捨てられて
「ええ……」
放り出された場所で周囲を見回せば、様々な大きさのレンガ作りの建物がある。
場所的に言えば裏通り的な感じだ。
そこで胡乱な目をしてこちらを見ている人たちの身なりと、自分の身なりがかなり違う。じっと見られていることもわかった。
背中に嫌な汗が流れた。
これはマズイと蘭は立ち上がり、歩き出した。
(ヤバイヤバイヤバイ…)
本心でヤバイと思ったことは先にも後にもない。
冷や汗をかきつつ、顔はなんでもないですよーと鉄面皮を張り付かせて、明るい方へ、身なりが少しでも整った人がいる方へと路地を突っ切って歩く。
30分ほど歩き続けた所で、ようやく蘭の見た目でも大丈夫そうな通りに出た。
「はぁ…はぁ…。怖かった…」
恐ろしくて後ろは振り返れない。
歩きすぎて汗だくになった蘭は、モスグリーンのカーディガンを脱いで手に持つ。
「あ、そう言えば…」
さっき、異界人は収納を持つ、と言っていた。
左手を見ればまだ紋様はある。じっと見ていると、頭の中に像が浮かび上がった。
「!」
中身は先程の頑丈そうなチェストと、金貨と宝石が個数付きで表示されていた。
(なるほど…金貨…1000枚!?)
ライトノベルなどでは、異世界トリップした主人公が金貨一枚を稼ぐのに汗と血と涙にまみれて努力をしていた。
(一部チートな能力を持つ人はソッコー稼いでたけど…あ、じゃあこれが金運のスキルの結果!?)
正確には違うのだが、この世界の住民ではない蘭は知らない。しかし彼女はそれで納得した。
「さて、どうしよう…」
カーディガンを収納して金貨を一枚出す。目についた古着屋に入った彼女は、大きめの革の肩掛け鞄や下着類、換えの服と靴を買い求めた。
それでも大小の銀貨や銅貨で相当なお釣りがくる。金貨一枚にいったいどれくらいの価値があるのかイマイチよく分からなかったが、日本円に換算すると少なくとも五万円以上だなと感じられた。
「アレ、美味しそうだな」
露店で目についた串焼き肉買って食べ、よく分からない果物ジュースを買って飲む。
口にする物すべてが美味しい。ついつい買いすぎてしまった。
通りには木陰とテーブルと椅子、ベンチがところどころにセットされていたので、空いている一つに座ってデザートの揚げ菓子を食べながらため息をついた。
「はぁ…困った…」
きっともう城の中には入れないだろう。
あの王子がいる限りは行きたくないが、清子が心配だ。
(でも、あのメイドさんなら大丈夫そう。他の使用人たちも王子の味方っぽくなかったし)
見えない相手を心配してもしょうがないので、今は自分の心配をしよう、と思う。
家も職もないのだ。
「鉄板は冒険者ギルドだよね…」
しかし小さくて太った自分に出来る仕事があるとは思えないし、そもそも日本での職種がプログラマのためこの世界では全く需要がないだろう。
自分たちを召喚した魔法があるので、きっと他の魔法もあるだろうが、どうやって覚えるのかも現時点で分からない。
「うーん…本屋行って、宿を取るかな」
今は太陽が真上にあるのでお昼頃だ。見知らぬ街で夜の独り歩きはしたくない。
本屋で魔法書や信仰系の本を購入して、宿を取ろうと決めた。
金貨が1000枚あるのだ。当分は宿で生活しても過ごせるだろうと思う。
「よし、まずは探そう」
露店で小さな果実を袋で買い求め、ついでに店主に本屋の場所を聞くと通りの先にあることが分かった。
そのまま歩いて目的の店へたどり着くと、薄暗い店内に入る。
(おお…すごい…本の匂い…)
正確には古本屋の匂いだ。紙と埃とインクの匂い。ついでに、獣臭いのはところどころに羊皮紙があるからだろう。
(ハリー◯ッターだ)
そんな事を思いつつ、若干テンションが上った蘭は小さな店内を見てみたが、本はどれも一冊ずつで紐で縛られており中身が見えないので、正解か分からない。
(文字は読めるのに…)
異世界トリップのお約束か文字はどんな文字でも読めたが、困った蘭は奥に居た店主に尋ねた。
「子供でも分かる宗教の本に、魔法書?属性は?全部??…ちょっと待ちな」
丁寧に尋ねたのが良かったらしい。老婆は立ち上がると数冊の本を持ってきた。
「これが子供用の経典。こっちは初級の魔法の教本だ。それぞれ属性ごとに書いたやつが違うから、内容が被ってる可能性もある」
経典とやらは本の厚さがあるが10ページもない。他はそれぞれ3センチ以上あって読み応えがありそうだ。
「お値段は?」
「全部で金貨1枚だ」
「高い〜!」
カマを掛けてみると、当然だろう、と苦笑する。
「同じ本は書き写さないとないからな。…まぁ、あんた用に選んだのは割と普及している写本だ。オマケしてやるよ」
「やった!ありがとうございます!」
金運スキルが良いのか、大銀貨7枚まで下がった。察するに大銀貨10枚で金貨1枚なのだろう。
支払いを済ませると本を鞄に入れて、老婆にお礼を言って店を出る。歩きながらさり気なく鞄に左手を入れて本を全て”収納”した。
(アイテムボックスとか、ストレージって呼んだほうが格好いいかなぁ)
しかし男が”収納”と言っていたし、この世界流にしよう、と思い”収納スキル”と呼ぶことにした。
(次は、お宿〜)
そのまま歩いて宿屋へ向かう。本屋の老婆に訪ねたら、10軒先に女性でも安全な宿があると教えてもらったからだ。その言葉に、女性では安全じゃない宿屋もあるのか、と不安になってしまった。
(王都だよねぇここ…)
ビルのない街だ。見上げれば丘の上に先程までいた城がそびえ立つように見える。
(全くあのデブ、人のことデブデブ言いやがって!)
確かに80キロはあるがまだまだ大台までは遠い。あの王子は120キロ以上あるように思えた。
王太子と言っていたが、あんなのが将来この国を治めたら終わりのような気がする。
(まぁ、私には関係ないな。なんとか、丸尾さんを取り返してこの国から逃げよう…)
通りを歩いてパン屋を見つけては買い、粉屋、チーズ屋を見つけては買い、お茶や香辛料や塩なども買い込んで全て左手にしまい込む。
(うう、すごい便利…)
あとは収納された空間の時間が経過しなければ完璧だ。その事を考えて、熱々のバゲットを一つだけ買って入れてある。
(野菜も買うか…)
さっきからタンパク質と炭水化物、糖質しか買ってない。しぶしぶ、調理せずに食べられる野菜を八百屋らしき店の店主にたずねて果物と一緒に買い込んだ。
「あ、ここか。銀の兎亭」
看板には丸餅に長い耳が生えた、兎の顔をデフォルメした絵が描かれている。店の前では10代くらいの女の子が掃き掃除をしていた。
「すみません、空きはありますか?一人ですが」
女の子はパッと顔をあげると嬉しそうに伝えた。
「ありますよ!お一人様何泊ですか?3泊ですね。了解しました!」
ママ、お客さん〜!と言いながら店の中に案内してくれる。
木造で新しくはないけども、さすが女性が店主だけあって埃がない。
「3日で銀貨3枚ですよ。朝食つきです。夕食が必要な場合は、朝に声を掛けて下さいね」
「わかりました。よろしくお願いします」
前金制だと言うので、銀貨3枚を取り出して払うと少女が鍵を取り部屋へ案内してくれる。
「裏庭に井戸があるのでご自由にお使い下さい。体を拭くお湯が入用でしたら、お申し付け下さい」
「あ、じゃあ、お湯がほしいです…」
色々あってもう汗だくだ。服を着替えてしまいたい。
「わかりました!ちょっとお時間下さいね」
少女は鍵を渡すと、部屋を出ていく。
「ふぅ…」
部屋は2.5畳くらいの大きさだ。ベッドしかない。窓はガラスがはめ込まれているが、すりガラスで外は全然見えない。夜は真っ暗になりそうだ。
「ランプもない…どうするんだろう?」
少女がタライに張った湯を持ってきてくれた時に尋ねると、夜はランプをお持ちします、との事だった。
「使い終わりましたら、裏庭の井戸の横に排水口があるので流して横の小屋に立てかけておいて下さい」
「はい、わかりました。ありがとう」
そう言って銅貨を3枚渡すと嬉しそうにお礼を言って出ていった。
「見た感じ小学生だけど…もう仕事してるんだねぇ…」
王都だからもっと高級な店ばかりだと思っていたが、今いるのは庶民的なエリアらしい。
露店も店も宿も、良心的な価格のように思える。
今日一日お金を使って、だいたい銅貨1枚が100円くらいだと感じたが、服や本は高い。
きっと紡績技術や印刷技術が発展してないのだろうと思った。
「さて、お湯を温かいうちに使いますか」
蘭は服を脱ぐとすぐに収納し、古着屋で買っておいた手ぬぐいをお湯に浸して体を拭こうとしたところで思い出す。
「グエッ…外れない!」
首にあるチョーカーの後ろがちょうちょ結びになっているようなので引っ張ったが、首が締まるだけだ。
なんとか外そうと試みたがちっとも外れない。
「外せない魔法でも掛かってるのかな…」
諦めて体を拭き始める。
お風呂が恋しいが、ひとまずはさっぱりした。
替えの下着と服に着替えると、人心地がついた。
「髪も…洗うか」
またお湯を持ってきてもらうのも申し訳ないかなと思い、髪を解く。肩過ぎまで頑張って伸ばしたのに、王子が灰色でいい!と言った通り本当に灰色だ。元の栄養状態が良かったせいか、艶のある灰色なのが救いだが。
「…アッシュブルーとか、モスグリーンとかが良かったなぁ」
美容院で染める際に色見本を見せてもらうのだが、白髪になったらやってみよう候補の一つだ。
「カスタマイズ可能なら、今も出来たら面白いんだけど」
チョーカーに触れながら、アッシュブルーになあれ!と願ってみる。
何も変化がない。
「ならないよねぇ…」
苦笑しつつ髪を浸してよく絞り、手ぬぐいで拭く。
良い香りの石鹸は一応購入したが、すすげないので今回は断念した。
「うう、タオルじゃないからあんまり水分が取れない…」
パイル織りではなく、平織りだから当然かも知れない。
家ではふかふかバスタオルと、強風のドライヤーがあったのですぐ乾いたが長い髪は中々乾きそうもない。
「まぁいっか。食料はたんとあるし」
宿の2階、3階が宿泊者用エリアだが、必ず給湯室のようなものがある。
買った茶葉もあるし、お茶はそこで淹れればいいだろう。
「お湯、捨てに行こう」
クセのある髪を結って後ろでお団子にすると、どこに行ったのか随分とお湯が減ったタライを持ち上げて廊下を歩き階段を下りる。
(やばい、さっきの子軽く持ってたけど…?)
中々重労働だ。階下に居たらしい少女が慌てたようにサポートにやって来た。
「お姉さん、タライ下さい!」
「ご、ごめんね…」
恥ずかしくなりつつ、そっとタライを渡すと少女は軽々と持って歩いて行く。
後についていくと、裏庭へのドアがあり器用に足で開けて出ていった。
(あれが排水溝か)
見慣れた井戸の近くの地面に、格子のはまった穴がある。少女はお湯をそこへ入れた。
(井戸の近くなのに、いいのかな…)
あまりにも気になったので聞いてみることにした。
「ねぇ、この捨てた水はどこに行くの?」
「この下に石造りの水路があって、水を綺麗にする所に集められて…魔法で綺麗にしてから、川に流すそうです」
浄化水槽があるらしい。
「へぇぇぇ、凄い。さすが王都ね」
「そうですよね〜、私もこっちきて始めて見ました」
うふふ、と少女が笑う。この手の設備は地方に行くと無いらしい。
なんとなく自分と同じ異世界人が施した技術じゃなかろうか、と思う。
「井戸はこっちです。たらいくらいの水をお湯にしたい時は、魔石で温めるので声を掛けて下さいね」
「うん、ありがとう」
お礼を言うと少女はチップはもう頂いたのでいいですよ!と笑顔で言い去った。
(なんていい子…!)
王宮でデブ王子と強引な男たちに追い出された蘭には、天使のように映った。
部屋に戻ると、ベッドに腰掛ける。
「…藁、かな?」
白いシーツで覆っているが、モショモショと音がする。
しかし素っ気ない木だけじゃなくて良かったと蘭はホッとした。
「あとは…夜まで本でも読むか」
持っていたはずの通勤バッグや時計は無くなっていたので時間は分からない。
しかし時折遠くから聞こえてくる鐘の音から、午後4時くらいかな、とあたりをつけた。
「暗くならないうちに、と」
”収納”から魔法書を取り出す。
神様の情報も気になるが、まずは異世界トリップにおける重要なスキル、”浄化”を覚えたい。
そもそもそんな魔法があるのかも分からないが、あってくれと切実に思う。
(あのタライ重すぎる…毎度あの子にサポートしてもらうのは嫌だ…)
31歳としてちょっと情けない。
取り出した魔法書は地水火風光闇の5種類。真っ先に光魔法を見る。
「写本って言ってたけど…紙が新品じゃないのか…」
一応、光の魔法書は紙に描かれていたが、端がかなり茶色になっている。
だから本屋の店主も値引きしてくれたのかも知れない。
(定価で買わなくて良かった)
そう思いつつ目を走らせると、第一ステップとして魔力を感じること、とある。
「まぁそうだよね」
魔法を使ったことがない自分には魔力すら分からない。
しかし召喚された場所…あの部屋に満ちていた何か、ならなんとなく分かる。
限りなく薄いシフォンのスカーフとでも言えばいいのだろうか。
掴めそうで掴めない、しかし何かがある、というもどかしい感じがしたのだ。
「……」
手にシフォンスカーフを乗せている、と想像してみる。
すると、こそばゆいような感覚が手のひらに集まった。
(おお…できてる…!)
ちょっと感動したが、日没まで間がない。慌てて数ページすっ飛ばして探すと、目的のものがあった。
「浄化と書いてピュリフィって言うんだ」
アンデットの浄化、不浄なものを取り去る、とある。
埃や垢を取るとは書いてない。光魔法使いという著者のプライドだろうか、それともそういう効果はないのか。
「まぁいいや、やってみれば分かる」
蘭は手のひらにシフォンスカーフ…ではなく魔力を集め、自分に向けて唱えた。
「<浄化>」
すると、淡い光が体を包み込む。
一番乗りのプールで水中に潜ってから水面へ出てきたような爽やかさだ。
「…なんか、スッキリした」
念の為、匂いを嗅いで見るが臭くない。解いた髪も無臭だ。しかし乾いてない。
「…まぁ、そういうのは火魔法か水魔法だろうな」
宿の中で火魔法を使うのは怖いから、水魔法だろうと本を開くと、こちらも最初は同じようなことが書いてあった。
「魔法はイメージで全てが決まる…固定効果は言霊で、か」
先程の<浄化>もそうだろう。なんと便利な言霊だろうか。
「てことは、<ドライヤー>でもいいの?」
蘭がそう言うと、ふわり、と髪が温かい風に浮いた。
「!?」
キョロキョロしたが、誰も居ない。
おそるおそる髪を触ると、しっかりと水分が抜けていた。
叫びそうになり慌てて口を塞いで心のなかで叫ぶ。
(えええ!!凄いよ!!!)
温かい風と、水分が抜ける事をイメージしたが、それが言霊と合わせて嵌ったらしい。
「やった、一つ魔法ゲット!!」
本には固定効果用の言霊が掲載されているが、<着火>や<飲水><微風>などわかりやすい単語以外はよく分からない。魔法使いを紹介してもらって師事する必要がありそうだ。
「…てことは、やっぱり冒険者?」
冒険者ギルドがあれば絶対に魔法使いはいるだろう。そうしたらギルドに依頼を出して、報酬をぶら下げて教えてもらうのも一つの手だ。
幸い、金貨は山ほどある。
「そのほうが安全に魔法を覚えられそうだな」
窓から差し込む日がオレンジ色になっている。召喚されて初めての夕焼けだ。
「はぁ〜…色々ありすぎた…」
思わずたそがれて窓を開き通りを見ていると、様々な人が行き交っている。
城で見た男たちのような風体の者も多い。仕事と言っていたし、何か職業的なものだろう。
その時ノックの音がして少女がランプを持ってきたのでついでに聞いてみた。
「ああ、あの人達は傭兵ですよ。護衛で雇いたければ、傭兵斡旋所に行くといいです」
おすすめしませんけどね、と少女が男たちを半眼で見ている。
どうやら王都の傭兵だと言うのに、信頼されていないようだ。
「評判、良くない?」
「ええと、王都は…お城や貴族エリアは騎士が、街は警備隊が守ってくれるんです。それ以外の私的な護衛をやるのが傭兵ですが、私が前にいた町では…横暴な人が多くて」
そう言って少女は目を伏せる。
なるほど、一歩間違えればゴロツキになりそうな風体だ。
「分かった。教えてくれてありがとう。あんまり近寄らないようにするよ」
「ええ、そうして下さい。依頼の前金を持ち逃げする人も多いそうなので」
「うっわ、最悪!」
「そうなんです。女性の独り歩きは、特に気をつけて下さいねっ」
真剣な顔で言うと、少女は他の部屋に配るランプを腕に下げて部屋を出ていった。
(そうかー…やっぱ独り歩きは危険なのか…)
王都から出るにしても、やはり手に職はつけたほうが良さそうだ。
そうなれば一択しか無い。
「魔法使いになるか!」
冒険者ギルドに登録してある程度ランクが上がったら、別の町に行って…頑張ってランクを上げてギルドマスターとかに会えるようになったら、王子のしでかしたことをチクって清子を救出する。
「よし、それで行こう」
決意した蘭はランプの明かりを頼りに、<治癒>や<目潰し>など簡単で覚えやすい固定魔法を覚えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます