4.芽生えの責任



 高校が終わる時間にはだいぶ早い。おそらく早退してきたのだろう。

 程なくして千鶴の爺さんが車でやってきて、千鶴だけを連れて帰った。

 話があるなら終わるまで待ってるぞという祖父からの提案を、弓弦はやんわりと断った。その様子を見るに、おそらく観念したということなのだろう。


「色々紐解いていくと、弓弦、お前の発言には矛盾――――粗が多すぎる」

「…………」


 客の居なくなったタイミングを見計らい、臨時休業の札をかけ、私と店長は弓弦と相対した。


「お前はまず、何らかの嘘をついている。そして、嘘が嘘を呼び、発言に矛盾が生じた。違うか?」

「…………」


 こちらからの問いかけに、弓弦は黙ったままだ。俯いたまま、青ざめた顔をしている。


「続けるぞ。……で、嘘の内容なんだけど。これ、どっから説明した方が良いのかね……」

「天地くん、『解決編だ』なんて格好つけた割には、言うことが整理できていませんね」

「仕方ねぇだろ。そもそも何かを説明すること自体、慣れてねーんだよ」

「小説家志望としては致命的ですねえ」


 店長は呆れて「では」と続けた。


「最初の問題から紐解いていきましょう。というよりも、今回の一番の疑問点、『泥棒猫』という言葉についてです」

「…………」

「その単語を何故、千鶴ちゃんが私に使ってきたのか」


 そう。全てはそこに集約される。

 年端も行かない童女が、どうしてそんな単語を正しく使ってきたのか。

 私は千鶴に問いただす。


「教えたのはお前――――もしくは、お前の看病に来た、部活の友達、だろ?」

「…………はい」


 この席について、初めての彼女からの返答だった。

 その声は、昨日の活発さからは想像もできないほど曇り、震えていた。





 小口家に起こった現象を並べてみると、こういうことである。

 まずあの小口家には、両親(千鶴から見たら祖父母)の二人と、長女の弓弦の三人が住んでいた。

 そこに、互いの仕事が多忙になり、子育てを手伝ってほしいということで、長男・安芸俊あきとしと、その娘・千鶴がやって来た。それが丁度一年前だったという。

 安芸俊は夜遅くに帰ってくるので、千鶴の面倒を見てやれない。だから千鶴を見てやれるのは、祖父母の二人と弓弦だけ。もちろん弓弦はいいヤツみたいだから、実の妹のように可愛がり、楽しく過ごしていた。しかし、そこでトラブルが起こった。


『ちづる。あれってなにしてるの?』


 それは、単なるドラマのワンシーン。高校生の自分にとっては、特に何でもないシーンだった。

 男女の恋愛を描いた大衆ドラマ。たまたま自分がつけっぱなしにしていたテレビに、男女が仲睦まじくしているシーンが映っていたのだ。……が、そのときの弓弦は、一気に血の気が引いたらしい。

 子供の情操教育は繊細だ。兄からも注意するよう言われていたらしい。特に、恋愛描写のあるようなものは注意するようにと。

 そんなもの分かっていた。分かっていたつもりだった。だけど、テレビドラマのワンシーンなんて、高校生の自分にとっては日常風景の一部だったのだ。


「……そのときは慌ててテレビを消して、事なきを得ました。父さんたちにも謝って、気を付けるようにした。だけど、その後部活で怪我をしちゃって……、そのときに、『事件』は起こったんです」


 所謂いわゆる、悪友というやつだ。

 どこの学校にも、もしくはどこのコミュニティにも一人はいるであろう、斜に構えた、もしくはマセている、友人。

 私にはほとんど友達は居なかったが、グレていたい時期もあったので、そういう輩というのは想像がつきやすい。

 ヤンキーとか、そういうのではないのだ。ただちょっと、イタズラ心や好奇心が強いだけのやつ。だけど、情操教育に気を付けている家庭にとっては、毒にもなり得る。


『どろぼうねこ……?』

『そ~。こ~いうレンアイってのを~、ドロボウネコって言うんだって~。ウケるよね~』


 弓弦も全容は知らないらしい。

 自分が手洗いに立ったタイミングで、見舞いに来た悪友と千鶴は二人きりになった。そして、たまたま悪友はテレビをつけたのだろう。そこでは、昔のドラマが再放送されていた。

 そこで刷り込まれる、泥棒猫という言葉の意味。

 もしかしたら例え話として、千鶴の両親を出したのかもしれない。

 悪意はない。悪気もない。だけど確実に刷り込まれていく――――ひとつの言葉どく


「友人はすぐに帰しました。だけど、すでに遅かった。千鶴は明確に『泥棒猫』の意味を理解してて。……しちゃってて」


 しかもその友人が、例え話で使った両親の例が悪かった。


『ぱぱ……、このひとのところに、いるんだって』


 例えばお父さんは~、お母さんのところじゃなくて~……ん~……あっ、このお姉さんのところにいる……みたいなコト~。

 その例え話は、例え話としては伝わっていなかったようで。

 千鶴は本気で、雑誌の写真にうつるお姉さんのところに、父親がいると思い込んでしまったのだ。

 雑誌の写真――――そう、鷲崎出版から出ている情報誌のワンコーナー。写真付きの書評として掲載されていた、本屋 店子の元に居ると。


「昨日帰って、誤解は解いたっす……。あぁいや、そんなこと、どっちでも良くて……。そのとき、それを聞いて、そんなことが起こったって知っちゃって……、アタシ、アタシは……、このままじゃ怒られるって思って……」

「落ち着いてください弓弦さん」

「数日間は何にも起こらなかった。だけどその間、兄貴にも相談できなかった。アタシのミスで千鶴が変な言葉覚えちゃったって、知られたくなかったから。怖かったから」


 涙を落とさないのは、せめてもの意地なのか。

 悲しいという気持ちよりも、悔やむ気持ちの方が強いからなのかもしれない。


「なるほどな。だから弓弦、昨日うちで色々語ったことは、ほとんどがデタラメ。嘘に嘘を重ねて、咄嗟にひねり出した嘘が、『かげふみの星』にその言葉が出て来たっていうものだった」


 おそらく、たまたま指さした小説だったのだろう。

 しかしそこでイレギュラーだったのが、うちの店長がその小説の内容を把握してしまっていたことだ。不運にもその作品は、『泥棒猫』という単語とは、結びつかない純愛の作品だったのである。


「隠し事をするために、嘘が嘘を呼び矛盾が生まれる。……まぁ、よくあることだよな」


 大なり小なり身に覚えがある。誰だって怒られるのは嫌っつーか、面倒だよな。


「……でも、アタシが間違ってたんす。ちゃんと正直に言えばよかった」

「弓弦さん?」


 覗き込む店長の声に、顔を上げ、まるで懺悔のように言葉を溢れさせる弓弦。

 張りつめていた糸が切れたのか。そこでようやく、彼女の目からは涙がこぼれた。


「千鶴の行動力を、甘く見てた……。どこかからこの本屋の場所を知って、一人で行っちゃうなんて思ってなかったっす。もし……、もし車にひかれてたり、変な事故に巻き込まれてたら……! アタシは……アタシ、は……!」


 嘘を隠すために嘘をつき、それが笑い話で済むこともあれば、大事になることもある。

 今回はたまたま、何も起こらなかっただけだ。

 車の問題だけじゃない。もしも本屋 店子が悪い人間だったら。天地 栞が暴力を振るう人間だったら。

 小口 千鶴は今日みたいに明るく喋ることはなく、幼いながらに酷いトラウマを抱えることになっていたかもしれないのだ。


「……そこに考えが至ったんなら、これ以上はもう言わねえよ。な、店長?」

「です……ね。これで本当に、終わり」


 はいとハンカチを渡しながら、店長は弓弦に優しく声をかけた。


「本屋書房に起こったいつもの珍事。情報誌という本から始まった、勘違いが起こっただけの――――本にまつわる一ページです」



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