3.心の小窓



 せっかくだから光原 太刀魚作、『かげふみの星』を読んでみようと試みた。気づけば熟睡していた。


「天地くん……」

「し、仕方ねえだろ! 合わないものは合わないんだからよ! アクション小説とかの方が読み慣れてる私にとっては、心の機微がどーたらって小説はとっつきにくいっつーかなんつーか……」

「まぁそんなことだろうとは思いましたけどねぇ。しかし天地くんも小説家を目指しているのなら、心の機微の描写はしたりするでしょう?」

「するけど、恋愛重視のものはほとんど書いたことがねぇなぁ。敵の罠を搔い潜るとか、戦略の読み合いとかの心理描写は書きたいんだけど……」


 いやそれも、この間編集にダメ出しされたっけ。勢いで論破しようと思ったが、どうにもあの編集ヤロウは理論的に言いくるめて来やがる。今度会ったら覚えておけよ。


「勢いといやあ、昨日のチビはすげえ権幕だったな」

「そうですねぇ。普通に本を読みに来てくれるのなら大歓迎なんですが」

「店長が泥棒猫ねぇ。喉元過ぎて思い返してみると、ちょっと面白ぇな」

「まったくもう。私は逆に、ちょっと不本意になってきましたよ。昨日は『登場人物みたいで面白いかも』なんて思っていましたが、よくよく考えると泥棒猫キャラっていいイメージありませんもんね」

「フツーはその思考が先に来るんだけどな……」


 そう私たちが話していると、カフェスペースから「お会計」と常連の爺さんがやってきた。そして笑いながら口を開く。


「若いのに泥棒猫なんて単語、よう知っとるのう」

「あらそうですか加山さん? でもそんなに珍しいことではないのでは」

「いやいや、本屋さんは昔の作品も読むからじゃろうなぁ。昔はよう耳にしておったが、最近はめっきり聞かなくなった言葉じゃと思うよ」

「言われてみればそうかもしれねぇなぁ」

「確かに……。地の文の表現としてはまだ目にしますけれど、言葉として耳にすることはほとんどなくなりましたねぇ」


 これも時代の移り変わりによるものか。

 加山の爺さんは「ではまたのう」と言って店を後にした。


「まぁ確かに。店長は本を読むから知ってて、私は爺さん譲りで妙に言葉が古いことがある。だからたまたま泥棒猫って言葉も知ってたけど、若い奴は知らなくても無理ないか」

「そうですね……。あっ! そうですよ! 知らなくても無理はないですよね⁉」

「ん? どうした店長?」

「昨日少しだけ引っかかってたんです。どうして千鶴ちゃんは、泥棒猫なんて単語を知っていたのかって」

「そりゃあ……、母親が口にしてたんだろ?」

「そうですよね。つまり、泥棒猫という単語の説明を、七歳の娘に対して行ったということです。母親が」

「……あ」


 一般的に『泥棒猫』とは、恋人や意中の人を横から掻っ攫う悪女を表現する言葉だ。

 そう……。この下りはもうやった。だが今一度確認しよう。

 元から単語の意味を知っている人間にとっては、わざわざ説明されるまでもない言葉だ。

 だけどどうやら、この単語はやや古めかしいらしい。

 弓弦は十五歳。千鶴に至っては七歳だ。

 高校一年の弓弦はギリギリ分かるかもしれない。だけど千鶴は絶対知らないだろう。児童が知るには、あまりにも道徳観が無さすぎる言葉である。


「国際電話で話す機会があったのでしょうか? でもそんなこと、わざわざ七歳の子供に伝えるでしょうか?」

「仮に父親が他で愛人を作ってたんだとしても……、わざわざ『泥棒猫』って言葉を説明してまで伝えるとは思えないな」

「伝えているのだとしたら何か意図が。そして、仮に母親が伝えていないのだとすると。千鶴ちゃんは違うところから『泥棒猫』の意味を知ったことになる」

「なるほどなぁ。だいぶきな臭くなってきたな」


 腕組みをして私は考える。すると脇から、ひゅぅと秋風が舞い込んできた。

 見ると、昨日のように扉が開かれていて。そこには小さな来訪者が立っていた。


「また来たのか千鶴。今日も一人か?」

「そうよ、てんち」


 生意気そうな目つきが私を見上げる。

 まぁ、そんな視線は。けっこう嫌いじゃない私がいた。





「ままとは、ずっと、話せてないわよ。でもさみしくない。じぃじやばぁばがいるし、ぱぱとも、ときどき会えるもの」

「そうか」


 カフェエリアのテーブルに座らせ、私は千鶴の話を聞く。今日は昨日と違い、客足がある。よって、店長が店番に回ったので聞き込みは私の役目だ。

 怖がらせないようにね、とのことなので、出来るだけ柔らかく言葉を落としてみる。……役割が逆だったんじゃないかと、今更ながら思った。

 昨日のように癇癪を起こすことは無かった。生意気な喋り方も、児童ということを鑑みれば可愛げの範疇だろう。まるで友達に話すかのように、千鶴は話し続ける。

 私は店長から命じられていた、千鶴の一日の時間割を聞くことにした。

 店長曰く。


『――――気になったのは、弓弦さんが面倒を見なければならないというところです。

 部活が休みのときに面倒を見ているとのことでしたが、そうでなくてもやりたいことが多い時期。祖父母が健在であるならば、そっちに預けていても問題無いでしょう』

『たしかに……。それに、部活があろうが無かろうが、家に帰りつくまでのタイムラグは絶対に発生するしな……』

『そうです。それに弓弦さんは足を怪我している。小学一年生の子の面倒を一人で見るのに、適している状況とは思えません』


 そう。既にこの時点で、何らかの違和感――――矛盾が発生している。

 生じたタイムラグの時間だけ祖父母に預けているのか? でもそれなら、そのまま面倒を見てもらった方が効率はいい。そのまま遅れて帰ってきた弓弦自身も、一緒に過ごしてもいいだろう。

 しかし弓弦の発言が全て正しいのであれば、そうしていないことになる。


「…………ってカンジよ」

「なるほど……」


 そして私は聞き出した。

 朝の七時に起きて、集団登校で小学校へ。そしてほとんど同じ時間の、午後二時半くらいに集団下校。家に帰り着く。

 そもそも祖父母も父親も弓弦も、一緒の家に暮らしているのだという。

 それではますます、弓弦の言葉に違和感を覚えずにはいられない。

 そして――――極めつけは、コレだ。


「ままはいっつも、わたしをみて、あらあらってこまるの。でもよくほめてくれてたわ! だからままがだいすき!」


 千鶴の言葉から発された母親像は、弓弦から聞いていた印象とはだいぶ違っていた。

 父親の『証券会社』という単語や、『海外出張』というイメージから、母親の方もキャリアウーマンのような姿を想像していたのだが……、その実は、おっとりした人物のようである。イメージ的には店長寄りなのかもしれない。


「なるほどなァ……」


 千鶴はおそらく嘘をついてはいないだろう。たどたどしさは全くなく、目も泳いでいなかった。

 とすると、少なくとも千鶴と違うことを言っているのは弓弦の方だ。

 彼女は何らかの理由があって、私たちに違う情報を伝えたことになる。

 一つは、自分が面倒を見ていることがあるということ。

 一つは、母親のこと。

 そこにどんな意図があるのかは分からないが、この件における『原因』のピースは、弓弦が握っていると言っていいだろう。


「つーか千鶴。昨日もそうだったけど、お前どうやってここまで来たんだ?」

「え? あるいてよ。いえからここまで。きのうおぼえたもの」

「あるいてって……。それ、誰かに言ってきたか?」

「いってないわ。だって、ちょっとしたお出かけでしょ?」

「バッ――――」


 馬鹿野郎と、叫びたくなる声を瞬間的に抑える。

 昨日弓弦から聞いた住所が本当なら、本屋書房に来るまで、少なからず二か所は道路があったはずだ。そこを一人で来たってのか。しかも、誰にも何も言わないで。


「千鶴、家の電話番号を教えろ。覚えてるか?」

「うん、しってるわ! えっとね……」


 慌てて電話をかける。すると電話口から、人の良さそうな還暦くらいの男性の声が聞こえてきた。おそらく、話に出ていた祖父だろう。

 千鶴が来ているという旨を伝えると、彼は慌てた様子で「すぐ迎えに行く」と言って電話を切った。


「はぁ……」

「でんわ? じぃじに?」

「そうだよ。……なぁ千鶴。おまえ、これまでにも黙って出かけてたのか?」

「ううん……? でも、もうしょうがくせいになったから、いいのかなって」

「あぁ?」

「ゆづるがいってたの。そろそろ、いろんなあそびをしっていいって! しらないことばもいっぱいおしえてくれたの。ゆづるも、ゆづるのおともだちも!」

「友達……」


 そして。そこでピンときた。

 まぁ友達と呼べるやつはほとんど居なかった私だが、なんとなくわかって来た。

 嘘をついているのは弓弦だ。いや、嘘というよりも、隠し事と言った方がいいか。


「店長、ちょっといいか?」

「大丈夫ですよ天地くん。どうかしましたか?」


 私は「あぁ」と頷いて、店長に言った。

 そして……、開いたドアの向こうに居た人物を、見やる。


「解決編だ。聞いていくか? ……小口 弓弦?」

「…………はい」





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