2.少女と童女の憂鬱
「一般的に『泥棒猫』とは、恋人や意中の人を横から掻っ攫う悪女を表現する言葉です」
「いや店長、そのくだりはもうやった」
「あらそうですか。……ともかく、小口――――
「すんませんっす……」
さて。
あれからちょっとして、落ち着いて。
カフェテリアスペースにて、私と店長は彼女の話を聞くことになった。
本日二人目の来訪者である彼女、小口 弓弦。高校一年生。
彼女も近くの高校に通っているらしく、バレー選手なのだそうだ。が、先日試合にて右足を負傷。松葉杖を使って出歩けるようになったのは、つい二日前、ようやくとのこと。
「千鶴はうちの兄貴の娘なんす。共働きで、奥さんは一年間海外に出張中。兄貴もかなり夜遅いんです」
「ふむふむ」
「だからおじいちゃんたちが面倒見てて、部活無い日はアタシが面倒見てるんす。だけど千鶴ってば、最近はすげー動き回るんすよ。で、アタシもこの足だから。どっか飛び出して行っちまっても、すぐには追いかけられなくて……」
「なるほどな。で、近くの店に一軒一軒聞いて回ってて、ここに来るまでも時間がかかったと」
「そうっす、天地の姐さん」
「誰が姐さんか」
ともかく。悪いヤツではなさそうだ。
……が、それはそれとして、不可解な単語はどういうことだ。
「泥棒猫ってのは……、兄貴の嫁さんが言ってたんすよね……」
「それでつい口をついてしまったと」
「はい……。すんません……!」
「まぁ店長も、それくらいでいいだろ? ちょっと喜んでたじゃねぇかよアンタ」
「えへへ……」
「えぇ……、何なんすかこの人……」
「物語性が絡むとちょっとおかしいんだコイツ」
さて、話を前に進めよう。泥棒猫の由来である。
どうして店長が、本人とは縁遠い単語を使われているのか。その理由とは。
「兄貴の嫁さんはなんていうか、アタシに似たタイプで、けっこう気が強いんすよ。かつ、一度思い込んだらなかなか考えを変えない人でして」
「ふぅん? つまり千鶴の母親が何らかの理由で、この色恋とは全く縁の無さそうな店長を、泥棒猫呼ばわりしていると」
「……そういうことっす」
「ううん、困りましたねぇ」
腕組みをして「うーん」と考える
まぁ私も
「そもそもさぁ店長。千鶴の父親……えーと、
「さんをつけなさい天地くん。……そうですねえ、名前は聞いたことありません。ですが、もしかすると
「う~ん……。正直考えづらいっすねぇ。読書が嫌いなわけではないでしょうけど、兄貴は基本的に多忙だから、こういったところでのんびりしてるイメージが無いっす」
「なるほど……。証券会社にお勤めとのことですものね。確かにお忙しそうです」
「なんつーか……、エリートサラリーマンってイメージがあるな。昼も夜も働いてる、みたいな」
「まさしくそうっすね。かつ、最近ちょっとイイ立場になったらしく、家に帰ってこないことも増えたんす。……だけど」
「ははぁ。それで、外で女性を作ってると思われた、と」
「たぶんっすけど……」
「だいぶ全容が分かって来たな……」
家になかなか帰って来なくなった夫。つまり外で愛人と合っているのかと疑う妻。
それが一緒に住んでいる親戚の弓弦と、娘の千鶴に伝播して、この状況であると。
……でも、それならなおさらだ。何でその相手が店長なんだ?
「あったことも無い方と愛人関係と言われても、困りますねぇ。それにこの噂が広まりでもしたら、このお店の客足にも関わるかもしれません」
「そうだなぁ。私としても、あんまり売上が落ちてもらったら困るんだよな……」
趣味のバイクは金がかかるのだ。ガソリン代も上がったし。
この店と運命共同体な以上、乗り気かどうかおいておき、店は存続しなければなるまい。
私と店長が頭を抱えていると、弓弦は何かを思い出したように、「あっ」と声を上げた。
「思い出したっす。そういえば嫁さんが泥棒猫を連呼する前、めっちゃドはまりしてた小説があったんすよ」
「小説ですか?」
「そうっす。あー……、この店にあるかな……」
言うと弓弦は棚を見て回り、「あったっす」と指をさす。
指定のものを取ると、
「あらこれは」
「光原 太刀魚か。さっき店長が読んでた、『煙に巻く恋文』の作者のじゃねーか」
タイトルは、『かげふみの星』。
幼馴染だった二人が長い年月をかけて結ばれる、大王道の恋愛小説……だとあらすじには書いてある。
「ふむふむ。いいですよね『かげふみの星』。ストーリーは一本道で分かりやすく、ほとんど二人に焦点を当てて書かれているため余計な情報が入らない。かつ、光原先生の素晴らしい文章力で、二人の心情が手に取るように描かれているため、ずっとドキドキさせられっぱなしの物語となっています」
「――――、」
「どうした弓弦?」
「い、いや……、何でそんなすらすら物語の内容が出てくるのかなって……」
「あぁ、店長は本が好きすぎるからな。この店にあるもので、かつ物語だったら、だいたい内容は頭に入ってんじゃねーかな」
「さすがに全部はどうでしょうねぇ」
「んでさ店長。この『かげふみの星』だけど。二人の恋愛話ってことは、特に『泥棒猫』要素は無いんだろ?」
「そうですねぇ。横恋慕をしてくるキャラクターも居なかったと記憶しています。二人の障害になるのは確か、進路だったり親だったり、金銭面もだったかな? たしかそういう面だけだったかと」
「マジで覚えてるんだ……」
弓弦はちょっと引いていた。説明していて、私もちょっと引いたかもしれない。考えてみれば異常だ。
「店長のおかしな部分は置いといてだ。この小説にドはまりしてたとしても、泥棒猫って言葉が出てくるとは到底思えないみたいだが?」
「そうっすね……。……あ、千鶴? 起きた?」
「んん……、はっ⁉ ここは……⁉」
「まったくもう。ほら謝りな。……迷惑かけたんだから」
「で、でもゆづる……! こいつが!」
「こいつじゃなくて本屋さんって言え!」
「うぅ……、ご、ごめんなさい……」
「ったく……。なぁ、頼むから大人しくしてくれよ。アタシも今、こんな足なんだからさ。……帰るぞ」
「……はぁい」
言うと弓弦は、千円札を二枚出してテーブルに置いた。流石にミルク一杯でこれは高すぎる。迷惑料ということなのだろうが、高校生からそんな金は受け取れない。
「じゃあ……、この本貰って行きますんで」
「はぁ……」
「それじゃあその、すんませんっした! ……行くぞ千鶴」
そうして、瞬く間に嵐は去った。
遠のいていく、松葉杖と小さな足音。
しばらくの静寂の後。食器の片づけをしながら、店長がぽつりとつぶやく。
「それにしても弓弦さん」
「ん? どうかしたか?」
「いえ……。目が良いんだなと思って」
「目?」
「はい。彼女は足を怪我しています。だから『かげふみの星』を見つける時も、あのテーブルに座ったまま、本を指さした」
「そういえば……」
ここから棚を見回して、「あったっす」と指をさす弓弦を思い出す。
「天地くんなら出来ます? このテーブルの位置から、目当ての本を見つけて、指をさすなんてこと」
「確かにな……。しかも指定したのは、細い文庫の背表紙だ。バカでかい辞典の背表紙ならともかく。こんな大量の本が並んでる中から、ピンポイントで文庫のタイトルを見つけるなんて、普通は出来っこないよな……」
スポーツをやっているからとんでもなく視力が良いのか。
あるいは……。
「これは、何かありそうですね」
「だな。……はぁ、厄介ごとしかやって来ねえのかこの店は」
「今に始まったことじゃないでしょ」
「こりゃ解決したら、どこかから報奨金でも貰わねえとな」
私たちは。
解決に向けて、推理を始めた。
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