第二話 どろぼうねこ
1.天地 栞の憂鬱
唐突だが。
うちの店長はちょっとおかしいと思う。
そんなことをふと考える、
「おい店長」
「あぁ……、何度読んでもいいですねぇ。
「おい店長」
「ラストシーンで窓の外を見ながら葉巻を吸い、手紙を書くシーン……。そこで綴った恋文を、
「……いつものことながら聞いてねぇ」
「はぁ~……。流石の文章力……。圧巻の表現力……。こちらの欲しいタイミングで、的確な単語を書いてくれますね~……」
「…………」
あの、レジカウンターで本を読み、悦に入っているのが、何を隠そううちの店主。
このブックカフェの店長であり、
ちなみに給金を払うための収入元、つまりは客と呼べる人間は、今のところゼロ。
そろそろ午後に差し掛かるというのに、今日は一人の客も来ていない。読書の秋が聞いてあきれる。
「おい、年中読書の秋ヤロウ。そろそろ真面目に何か対策立てねぇと、マジでこの店つぶれるぞ!」
「待ってください天地くん。今いいところなので! 今丁度、月岡さんが父親からの最後の手紙を読み、これまでの気持ちを清算している心情パートなんです! この後語られる祖父の死因が肺がんだったことで、物語の根底が全てひっくり返るという超重要なシーンの真っ最中ですので、何卒!」
「とんでもねぇネタバレ食らったんだが⁉ そしてそれ、すでに何回も読んでるやつだろ! だから今すぐ本を置け!」
「出来ませんよ!」
「何でだよ! 同じことしか書いてないだろうが!」
「では天地くん。天地くんはバイクでよくツーリングに行っていますけど、いつも同じ風景ではないですか? それでも走りに行くのは何でです?」
「いやそれは……、季節によって風景は違ったり、その日の気分によって見えるモンも違うっつーか……、」
「それと同じですよ! 私の、『今日の気分』で読む月岡さんの心情は、二度と同じことを感じることは出来ないのです!
秋口に読むこの切ない心情描写……。それは今日この日。夏も過ぎ去り、やや肌寒くなってきた季節だからこそ、揺さぶられる快感があるのです……!」
「わかったわかった! 近い! 近いよ!」
ゼロ距離にまで詰められ、言いくるめられる私。
しかしながら、バイクの風景に例えるとは知恵が回りやがる。ツーリングを引き合いに出されると、嫌が応にも納得しちまうだろうが。
「そしてそもそもこれは、今度の書評用だったりもするんです」
「だったら初めからそう言えよ……」
うちの店長はその膨大な書籍の知識を買われて、世話になっている出版社の雑誌に書評コーナーを持っていたりする。
ちなみに顔出しでやれと提案したのは私だ。語っているときの楽しそうな表情は、その中身とは裏腹に、非常に絵になる。売り上げに少しでも繋がってくれるといい。
「……つーか、何で私の方が経営について頭を悩ませねぇといけないんだよ」
午前のうちからずっと動かず。締め切られた扉を見やる。
外の涼しい空気でも取り入れりゃ、少しは変わるかもしれねえなと思ったのだが、一向に開きやしない。
本日何度目かのため息をついた、ところで、
瞬間。幻覚が見えていた。
諦めが脳を支配していたのか、あの扉は、もう今日は開かないものだと半ば決めつけていたからだろう。
一瞬だけは、締まっている扉を目にしていた。
けれど事実は、違っていて。その扉は開いていた。その証拠に、数人の通行人が目に入ってくる。
「は――――」
けれど扉には誰もいない。
風で開くような軽いものではない以上、誰かが開ける、もしくは何かの力がかからなければ、あの扉は開きようがない。
「あら、お客様ですね」
「え?」
私が動揺していると同時。店長が書店員モードになって、扉の方へと歩いていった。
その先を見る。
すると、視線は、下へ。
私が普段目にするよりも、遥か下に、その姿はあった。
「どうかしたのかな? お嬢ちゃん?」
「…………、」
「……子供?」
うちの扉は、押すことも引くことも出来る扉だ。
だからきっと、その小さな体を持ってして、全力で前に押したのだろう。
店長との言い合いに夢中で、その音に気付かなかったのは不覚だったな……。
「あなた、お名前は?」
扉を抑えながら店長は、約一メートルほどの女の子に、柔らかく声をかける。
すると女の子は、きっと目じりを強めて、店長に名乗りを上げた。
「わたしは、こぐち ちづる」
たどたどしい喋りだ。おそらく小学校に上がったかどうかという年齢。
ひらがなだけで喋っているような言葉遣いの女児は、しかし次の瞬間、驚くべき言葉を言い放った。
「ぱぱをかえしなさい! この、どろぼうねこ!」
「……………………はい?」
さてさて。
また今日も、トラブルが舞い込んできやがったぞ?
一般的に『泥棒猫』とは、恋人や意中の人を横から掻っ攫う悪女を表現する言葉である。
一定の本以外はそこまで書籍をたしなまない私でも、聞いたことがあるくらいには一般的な言葉で。
……だからと言って、年端も行かない童女がおいそれと使って良いかというと、そうではなくてだな。
「ど……泥棒猫、ですか?」
「そうよ! ぱぱをかえしてよ!」
「ぱぱって……、それはあなたのぱぱ?」
「こぐち あきとしよ! かえしなさいよ~っ!」
「あらあら……」
癇癪を起し、地団太を踏みながら騒ぎ立てる童女。その様子にすっかり私も店長も参ってしまった。そして、開け放たれた扉の向こうから、通行人が何だ何だとこちらを見ている。
「と……ともかく、中に入ってもらおうぜ」
「そうですね。では、ちづるちゃん? こっちに」
「わぁぁぁぁん!」
感情が昂って泣き出す彼女の手を引き、なんとかカフェテーブルに連れて行く。
監禁とかにならないよう、念のため扉は開けっ放しにしておいた。
「
「大変だった……」
ぎゃーぎゃーと騒ぎまくる小口 千鶴を何とか落ち着かせ、かろうじて名前と学校を聞くことが出来た。私の右腕に出来た小傷は、名誉の勲章と思うことにしよう。
「なるほど。小学一年生ってことは、もう下校時刻過ぎてるのか」
壁の時計を見ると、午後三時に差し掛かっていた。小学一年生だから、昼の二時半くらいで下校だった気がする。
わめき散らして疲れたのか、ホットミルクに少し口をつけたあと、ソファーですやすやと寝息を立てている。
「ランドセルが無いってことは、わざわざ一度家に帰ってからここに来たのか?」
「そうですねぇ。学校に置いてくるとも思えませんし」
「つまりよっぽどここに来て、文句言いたかったんだな。……店長に」
「ううん、泥棒猫、ですかぁ……」
「なんで嬉しそうにする」
「いやぁ。まるで物語の登場人物になれたみたいで。えへへ……」
「危機感がねぇなぁ……」
と呆れはするものの。まぁ、危機感が湧きづらいのも分かる。十中八九、彼女の勘違いだろうからだ。
相手が子供だからというわけではなく。物理的な問題の話。
年中この本屋書房にいるうちの店長が、泥棒猫ムーブを行えるはずがないのだ。出るとしても、銀行とか役所とか、公的機関に少し出て行くだけ。たまの休みに大型書店を巡るのだが……、この本好きの店長が、本を漁ることよりも男を優先するはずがない。
「なんだか失礼なこと考えていませんか?」
「いや、むしろ信頼してるってハナシ」
書店に出向く、イコール、店長のアリバイは成立する。それくらいには読書中毒だ。
そして長年の付き合いにより、店長の好みのタイプは把握している。……詳しくは語らないけれど。
「しかしどーすんだ? 今のところ客はまだ来てねぇけど、夕方の時間になったら流石に誰か来るだろ? そのときにまたギャン泣きされたら商売にならねぇぞ」
「まぁうちに来る常連さんは、トラブルの一つや二つでは動揺しないと思いますが……」
「それはそれでどうなんだよ」
ともかく。
「確かにこのままではよくありませんね。仮に千鶴ちゃんが、この時間は家に居るのだとしたら、親御さんは慌てるでしょうから」
「確かに。……つーか、普段はアイツの家に誰かいるのかな?」
「さぁ……。共働きの可能性もありますし、祖父母の家に行くという可能性もあります」
何にせよ、普段とは違う場所を訪れているワケだ。
小口 千鶴の親族に、どうにか無事を連絡しなければならない。
これくらい小さい子の場合。緊急連絡できるようなメモを持っている、もしくは忍ばされているものなのだが、所持品はゼロときた。
もしかしたら家に着いてランドセルを置き、その足でここへやってきたのかもしれない。鍵も持っていないところを見ると、家は開け放たれたままなのではという予感もしてくる。
「二重三重の被害が出るかもしれませんねぇ。これは思った以上の出来事です」
うーんと、店長と頭を悩ませる。
まぁ最悪、警察に相談だろう。
ちょっと大事になってしまうかもしれないが、本当に変なことになる前に、届け出を出した方がいいのかもしれない――――
「あ……あの……」
そう思った直後だった。
開け放たれたドアから、再び声が聞こえる。
「いらっしゃいませ。あら、お足のほう、大丈夫ですか?」
店長が駆け寄る。見るとその来店者は、右足に包帯を巻き、松葉杖をついていた。
「女の子を……、女の子を見なかったっすか? 小口 千鶴という、七歳の子なんですけど……!」
彼女の髪は短く、目にかかっていない。なので嫌という程その必死さが伝わってくる。
なるほど、おそらく彼女が千鶴の母親か? もしくは、やや年齢が若く見えるから姉か親戚かもしれないが、何にせよ、保護者であると見て間違いないだろう。
「千鶴ちゃんですね。安心してください、うちで預かっていますよ」
「本当っすか……⁉」
「えぇ。そこのソファーで寝ています」
「良かった……! ……え、あなた、もしかして、本屋 店子、さん……?」
「はい? そう、ですけど……」
はたと、目を合わせた途端。
松葉杖の彼女は、ぽそりと呟いた。
「ど……、泥棒猫……」
「いやお前もかよ⁉」
なんつーか。
秋口だってのに、全く落ちつかねぇなこの店。
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