第二話 どろぼうねこ

1.天地 栞の憂鬱



 唐突だが。

 うちの店長はちょっとおかしいと思う。

 そんなことをふと考える、天地てんち しおり、二十歳の秋。


「おい店長」

「あぁ……、何度読んでもいいですねぇ。三原みつはら 太刀魚たちうお先生の『煙に巻く恋文』は……」

「おい店長」

「ラストシーンで窓の外を見ながら葉巻を吸い、手紙を書くシーン……。そこで綴った恋文を、けむりに巻くというロマンティックな一文。素晴らしい完成度です……!」

「……いつものことながら聞いてねぇ」


 いきどおりを通り越して呆れに変わる。私ははぁとため息をついた。


「はぁ~……。流石の文章力……。圧巻の表現力……。こちらの欲しいタイミングで、的確な単語を書いてくれますね~……」

「…………」


 本屋ほんや 店子たなこ

 あの、レジカウンターで本を読み、悦に入っているのが、何を隠そううちの店主。

 このブックカフェの店長であり、ビブリ狂いオマニアであり、悲しきかな、私に給金を払う全権を持っている人物だ。

 ちなみに給金を払うための収入元、つまりは客と呼べる人間は、今のところゼロ。

 そろそろ午後に差し掛かるというのに、今日は一人の客も来ていない。読書の秋が聞いてあきれる。


「おい、年中読書の秋ヤロウ。そろそろ真面目に何か対策立てねぇと、マジでこの店つぶれるぞ!」

「待ってください天地くん。今いいところなので! 今丁度、月岡さんが父親からの最後の手紙を読み、これまでの気持ちを清算している心情パートなんです! この後語られる祖父の死因が肺がんだったことで、物語の根底が全てひっくり返るという超重要なシーンの真っ最中ですので、何卒!」

「とんでもねぇネタバレ食らったんだが⁉ そしてそれ、すでに何回も読んでるやつだろ! だから今すぐ本を置け!」

「出来ませんよ!」

「何でだよ! 同じことしか書いてないだろうが!」

「では天地くん。天地くんはバイクでよくツーリングに行っていますけど、いつも同じ風景ではないですか? それでも走りに行くのは何でです?」

「いやそれは……、季節によって風景は違ったり、その日の気分によって見えるモンも違うっつーか……、」

「それと同じですよ! 私の、『今日の気分』で読む月岡さんの心情は、二度と同じことを感じることは出来ないのです!

 秋口に読むこの切ない心情描写……。それは今日この日。夏も過ぎ去り、やや肌寒くなってきた季節だからこそ、揺さぶられる快感があるのです……!」

「わかったわかった! 近い! 近いよ!」


 ゼロ距離にまで詰められ、言いくるめられる私。

 しかしながら、バイクの風景に例えるとは知恵が回りやがる。ツーリングを引き合いに出されると、嫌が応にも納得しちまうだろうが。


「そしてそもそもこれは、今度の書評用だったりもするんです」

「だったら初めからそう言えよ……」


 うちの店長はその膨大な書籍の知識を買われて、世話になっている出版社の雑誌に書評コーナーを持っていたりする。

 ちなみに顔出しでやれと提案したのは私だ。語っているときの楽しそうな表情は、その中身とは裏腹に、非常に絵になる。売り上げに少しでも繋がってくれるといい。


「……つーか、何で私の方が経営について頭を悩ませねぇといけないんだよ」


 午前のうちからずっと動かず。締め切られた扉を見やる。

 外の涼しい空気でも取り入れりゃ、少しは変わるかもしれねえなと思ったのだが、一向に開きやしない。

 本日何度目かのため息をついた、ところで、

 瞬間。幻覚が見えていた。

 諦めが脳を支配していたのか、あの扉は、もう今日は開かないものだと半ば決めつけていたからだろう。

 一瞬だけは、締まっている扉を目にしていた。

 けれど事実は、違っていて。その扉は開いていた。その証拠に、数人の通行人が目に入ってくる。


「は――――」


 けれど扉には誰もいない。

 風で開くような軽いものではない以上、誰かが開ける、もしくは何かの力がかからなければ、あの扉は開きようがない。


「あら、お客様ですね」

「え?」


 私が動揺していると同時。店長が書店員モードになって、扉の方へと歩いていった。

 その先を見る。

 すると、視線は、下へ。

 私が普段目にするよりも、遥か下に、その姿はあった。


「どうかしたのかな? お嬢ちゃん?」

「…………、」

「……子供?」


 うちの扉は、押すことも引くことも出来る扉だ。

 だからきっと、その小さな体を持ってして、全力で前に押したのだろう。

 店長との言い合いに夢中で、その音に気付かなかったのは不覚だったな……。


「あなた、お名前は?」


 扉を抑えながら店長は、約一メートルほどの女の子に、柔らかく声をかける。

 すると女の子は、きっと目じりを強めて、店長に名乗りを上げた。


「わたしは、こぐち ちづる」


 たどたどしい喋りだ。おそらく小学校に上がったかどうかという年齢。

 ひらがなだけで喋っているような言葉遣いの女児は、しかし次の瞬間、驚くべき言葉を言い放った。


「ぱぱをかえしなさい! この、どろぼうねこ!」

「……………………はい?」


 さてさて。

 また今日も、トラブルが舞い込んできやがったぞ?





 一般的に『泥棒猫』とは、恋人や意中の人を横から掻っ攫う悪女を表現する言葉である。

 一定の本以外はそこまで書籍をたしなまない私でも、聞いたことがあるくらいには一般的な言葉で。

 ……だからと言って、年端も行かない童女がおいそれと使って良いかというと、そうではなくてだな。


「ど……泥棒猫、ですか?」

「そうよ! ぱぱをかえしてよ!」

「ぱぱって……、それはあなたのぱぱ?」

「こぐち あきとしよ! かえしなさいよ~っ!」

「あらあら……」


 癇癪を起し、地団太を踏みながら騒ぎ立てる童女。その様子にすっかり私も店長も参ってしまった。そして、開け放たれた扉の向こうから、通行人が何だ何だとこちらを見ている。


「と……ともかく、中に入ってもらおうぜ」

「そうですね。では、ちづるちゃん? こっちに」

「わぁぁぁぁん!」


 感情が昂って泣き出す彼女の手を引き、なんとかカフェテーブルに連れて行く。

 監禁とかにならないよう、念のため扉は開けっ放しにしておいた。






小口こぐち 千鶴ちづるちゃん、七歳。近くにある小学校の一年生ですね」

「大変だった……」


 ぎゃーぎゃーと騒ぎまくる小口 千鶴を何とか落ち着かせ、かろうじて名前と学校を聞くことが出来た。私の右腕に出来た小傷は、名誉の勲章と思うことにしよう。


「なるほど。小学一年生ってことは、もう下校時刻過ぎてるのか」


 壁の時計を見ると、午後三時に差し掛かっていた。小学一年生だから、昼の二時半くらいで下校だった気がする。

 わめき散らして疲れたのか、ホットミルクに少し口をつけたあと、ソファーですやすやと寝息を立てている。


「ランドセルが無いってことは、わざわざ一度家に帰ってからここに来たのか?」

「そうですねぇ。学校に置いてくるとも思えませんし」

「つまりよっぽどここに来て、文句言いたかったんだな。……店長に」

「ううん、泥棒猫、ですかぁ……」

「なんで嬉しそうにする」

「いやぁ。まるで物語の登場人物になれたみたいで。えへへ……」

「危機感がねぇなぁ……」


 と呆れはするものの。まぁ、危機感が湧きづらいのも分かる。十中八九、彼女の勘違いだろうからだ。

 相手が子供だからというわけではなく。物理的な問題の話。

 年中この本屋書房にいるうちの店長が、泥棒猫ムーブを行えるはずがないのだ。出るとしても、銀行とか役所とか、公的機関に少し出て行くだけ。たまの休みに大型書店を巡るのだが……、この本好きの店長が、本を漁ることよりも男を優先するはずがない。


「なんだか失礼なこと考えていませんか?」

「いや、むしろ信頼してるってハナシ」


 書店に出向く、イコール、店長のアリバイは成立する。それくらいには読書中毒だ。

 そして長年の付き合いにより、店長の好みのタイプは把握している。……詳しくは語らないけれど。


「しかしどーすんだ? 今のところ客はまだ来てねぇけど、夕方の時間になったら流石に誰か来るだろ? そのときにまたギャン泣きされたら商売にならねぇぞ」

「まぁうちに来る常連さんは、トラブルの一つや二つでは動揺しないと思いますが……」

「それはそれでどうなんだよ」


 ともかく。


「確かにこのままではよくありませんね。仮に千鶴ちゃんが、この時間は家に居るのだとしたら、親御さんは慌てるでしょうから」

「確かに。……つーか、普段はアイツの家に誰かいるのかな?」

「さぁ……。共働きの可能性もありますし、祖父母の家に行くという可能性もあります」


 何にせよ、普段とは違う場所を訪れているワケだ。

 小口 千鶴の親族に、どうにか無事を連絡しなければならない。

 これくらい小さい子の場合。緊急連絡できるようなメモを持っている、もしくは忍ばされているものなのだが、所持品はゼロときた。

 もしかしたら家に着いてランドセルを置き、その足でここへやってきたのかもしれない。鍵も持っていないところを見ると、家は開け放たれたままなのではという予感もしてくる。


「二重三重の被害が出るかもしれませんねぇ。これは思った以上の出来事です」


 うーんと、店長と頭を悩ませる。

 まぁ最悪、警察に相談だろう。

 ちょっと大事になってしまうかもしれないが、本当に変なことになる前に、届け出を出した方がいいのかもしれない――――


「あ……あの……」


 そう思った直後だった。

 開け放たれたドアから、再び声が聞こえる。


「いらっしゃいませ。あら、お足のほう、大丈夫ですか?」


 店長が駆け寄る。見るとその来店者は、右足に包帯を巻き、松葉杖をついていた。


「女の子を……、女の子を見なかったっすか? 小口 千鶴という、七歳の子なんですけど……!」


 彼女の髪は短く、目にかかっていない。なので嫌という程その必死さが伝わってくる。

 なるほど、おそらく彼女が千鶴の母親か? もしくは、やや年齢が若く見えるから姉か親戚かもしれないが、何にせよ、保護者であると見て間違いないだろう。


「千鶴ちゃんですね。安心してください、うちで預かっていますよ」

「本当っすか……⁉」

「えぇ。そこのソファーで寝ています」

「良かった……! ……え、あなた、もしかして、本屋 店子、さん……?」

「はい? そう、ですけど……」


 はたと、目を合わせた途端。

 松葉杖の彼女は、ぽそりと呟いた。


「ど……、泥棒猫……」

「いやお前もかよ⁉」


 なんつーか。

 秋口だってのに、全く落ちつかねぇなこの店。






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