3.解決編・1
古い大時計がこちこちと時間を刻んでいる。
現在十九時三十分。先ほどまではギリギリ見えていた海辺も、もうすっかり夜の闇に包まれてしまっていた。
「すみませんお待たせいたしまして」
「いえこちらこそ。お手間をとらせまして……」
戻って話を聞いてみたところ。
どうやら私が探している書籍『不機嫌な怪談』は、見つからなかったとのことだった。
「今天地くんにも探してもらっているのですが……」
ちらと本屋さんが見たところ、奥の方から彼女もやって来て言った。
「一応、児童書向けも探したんだけどな。やっぱり無かったぜ」
「うーむ、そうですかぁ……」
顎に手を当てて二人して考え込む。
本屋さんの方が真剣に悩むのは分かるが、正直天地さんの方も、真面目に探してくれているのは意外だった。
「いかん……、失礼だな……」
「なんだ?」
「いえ何でも……」
センニュウカン、ヨクナイ。
過去に『何か』をしていたとしても、今は真面目な書店員なのだろう。その、めっちゃ元ヤンみたいに見えていても、だ。
私は気持ちを切り替えて二人に告げた。
「まぁ仕方ない……ですかね」
「申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらず! 他の書店でも、同じように見つからなかった物でしたので……」
「そうですか……」
しかしそんな私の言葉を聞いて、天地さんは「ふーん?」と言葉を割り込ませた。
「天地くん?」
「いや珍しいなと思ってさ。店長が知らない本ってのが」
「え、そうなんですか?」
「かなりの蔵書を読んでるからさ。それこそ、物語に限らず、哲学書から絵本まで」
「それはすごい」
そこまでいくと、本好きというよりは活字中毒だ。
世の中には文字を追うだけで楽しいと言う人種がいると聞いたことがあるが、彼女もそう言った類の方なのかもしれない。
「いえいえ。私だって、世界中の本を知ってるわけではないですよ」
「それでもチェックはしてるじゃねえか?」
「まぁ、話題作や物語系の作品は、できるだけタイトルを覚えるようにはしていますねえ。お客様にも聞かれますので」
「それは凄い」
「いえいえ半分は趣味みたいなもので」
謙遜する本屋さんに、天地さんは続ける。
「そうなんだけどさ。ただ、検索システムにも引っかからなかったのは気になるよな」
彼女の言葉に私は、「検索システム?」と首をひねると、本屋さんが言葉を引き継いだ。
「えぇ。半年くらい前から導入したんです。かなり貯蔵も増えてきましたし」
「うちの店はレンタルもしてれば販売、買取もする。入れ替わり激しいからな」
言いながらぽんぽんと、彼女はパソコンのデスクトップの角を触った。先ほども本屋さんが使用していたものだ。
「しかし、この店に一度も入荷していないのであれば、そもそも検索に引っかからないのでは?」
「そうかもしれませんが、一応近年出版されたものであれば、データだけなら登録してあるんです。もしかしたらお客様に質問されるかもしれませんから」
「あぁ、さっきも言っていましたね」
「えぇ」
私たちの様子を見て、言葉では伝わりづらいと思ったのか。天地さんは「そうだな」と言ってパソコンをいじる。
「例えばさっきの、じいさんの棚の本。え……、『むしばみタランテラ』って検索すると、棚の番号が出てくるようになってンだ」
ディスプレイには数字で、『16』と表示されていた。
「けど、うちに無いもの。えー……、店長~、なんかない?」
「あぁそれでしたら。まだ買えてない、『ちゃがぎる』シリーズなんてどうでしょう?」
「あーなんだっけ……。なんか、ラノベだったよな……」
天地さんが意外にも可愛らしく首をひねっている。こういうところは年相応っぽく見えるから面白い。
「正式名称くれー。さすがに思い出せねえ」
「確か……、『言っちゃあなんだが俺の青春は遅すぎる』……でしたかね」
すごいタイトルだった。いや、時代的にはむしろ普通なのか? それともやや古いのか?
ともかく。そんな、明らかに男性向けタイトルであろう書籍まで網羅しているとは、確かに彼女に知らない作品は無いのかもしれない。
「まぁこれを検索すると……だな。こういう風に、『在庫ゼロ』って出るんだよな」
「本当ですね。書籍の情報は出ているけど、在庫はゼロだと……」
「そ。だけど、『不機嫌な怪談』って入力すると……、この通り」
「あ、検索に引っかからないって出ますね……」
「だろ?」
なるほど。どうやら『在庫ゼロ』ではなく、そもそも書籍の情報自体が出てこない……か。確かにこれでは調べようがない。もしかすると他の書店でも、同じようなことが起こっていたのかもしれない。
顎に手を当てて考えていると、横合いから本屋さんが口を挟んでくれた。
「まぁ……と言っても。まだまだ全部は登録できてないんですけどね。手動ですし」
「そうなんですか」
「休店日や空いた時間を使って進めてはいるんですが、なかなか終わらずといったところです。大物以外は登録出来て無いのも事実ですので」
「店内在庫すらも、まだ登録終わってないしなァ」
「まぁ……、この蔵書量ですもんねぇ……」
あらためて店内を見回すが、視界が全て本棚で埋まっている。考えてみればこれは、けっこう非日常な光景かもしれない。
「この広い家の敷地すべてが、膨大な量の本で埋まっているなんて、ちょっと想像できませんね……」
「倉庫にもまだまだあるしな。改装前なんか、足の踏み場もないくらいに本が散乱してたんだぜ?」
「もう、天地くん」
「事実だろ? ここに住むことが決まって、自分の私物持ち運んだと思ったら、朝から晩までずーっと本読んでたじゃん」
「休憩! 休憩だっただけだから!」
「改装業者が来る一日前まで読みふけることの、どこが休憩なんだよ!」
まるで姉妹喧嘩のような光景だった。
最初の二人の印象とは違い、ちょっと微笑ましくも感じる。
「まったくもう、お客様の前で……」
「ハ、さっきからかわれたからな。仕返しだ」
ふふんと天地さんは腰に手を当てて笑う。本屋さんは頬に手を当てて困ったふうにため息を吐いた。もしかしてこういう光景が、割と日常なのかもしれない。
「しかし改装ですかぁ」
先ほども説明してもらったが、私は改めて聞いてみることにした。
「この家、天地 晴太郎先生のお宅だったとお聞きしたんですが……」
あのアンティークめいた棚が当時のものだったとするならば、同じ時代からこの家は存在していたということになる。
「つまりさっきの改装っていうのは、補修工事か何かってことですか?」
私の質問に対して、本屋さんは首を縦に振った。
「えぇそうなんです。先生がお亡くなりになってからは、私とこの子が土地と家を引き継ぎまして」
「元々じいさんの蔵書量がめちゃくちゃ多かったからなー。古くて貴重なものもあったから、それも商売に出来ないかと思ってさ」
「それで古書店にした、と」
「そういうことです」
つまりこの本屋にある古い書籍の何割かは、大作家が元々持っていた私物である可能性もあるということか。
そう聞くと少しロマンを刺激される。
「ではあのコーナーにあった書籍とかも、もしかして献本用のものだったりします?」
「え――――えぇ。中にはそういったものもあるかと思います」
私の言葉に、やや変な間を空けて、彼女は続けた。
「それに、出版社さんにも協力いただいておりまして、出来る限り現存しているものも集めているんです。もう絶版になったものもあるんですよ」
「じいさんですら、手元に持ってなかったヤツとかもあったからなぁ」
「へぇ、それはすごいなあ」
本格的に今度時間を作って読みに来よう。私がそう思った直後だった。
突然スイッチが入ったかのように、本屋さんがずいっと身体を寄せてきて、まくしたてるように口を開く。
「そうだ! お時間よろしければ、ぜひ晴太郎コーナーをご紹介しますよ!」
「は、はい!?」
「私のおススメは『類似の銃弾』と『髪結いの方程式』、『ダルタニャンのアクセント』あたりですね! この三つは本当にラストの締め方がロマンチックで、儚げな地の文を読むたびに情緒を揺さぶられる物語となっているんですよ!」
「しまった! ここでスイッチが入ったか!」
突然のマシンガントークが繰り広げられる中。困惑する私を押しのけた天地さんは、本屋さんの身体を押さえつけストップをかける。
「はいはい店長そのへんで!」
「はっ……! あぁすみません。つい……」
あははと頭をかく本屋さんと、脇でため息を吐く天地さん。
「ちょ……、え、なんだったんですか……?」
「店長は基本的には常識人なんだが、時々こうしてスイッチが入って、好きなものを語るモードになっちまうんだよ」
「面目ないです……」
「えぇ……」
狂犬じゃん。
天地さんより、よっぽどこの人の方が狂犬じみていた。
興奮もそこそに、「つうかよ」と天地さんは言う。
「お時間は無ぇだろ? これから店閉めるんだからさ」
「おっと……、そうでした」
「まったく……」
今度は天地さんのほうがため息をつき、場は一旦の収束を見せた。
何だか瞬間風速だけなら、この本屋さんが一番激しかったな……。
「まぁそれでは、また今度寄ったときにでも」
私は仕切り直して店の外を見やる。
「それに、そろそろ本格的に閉店時間でしょうから、このあたりでお暇いたします」
私の言葉に本屋さんは、ぺこりと頭を下げた。
「こちらこそ申し訳ないです。通常であれば、もう少し長く営業しているんですが」
「え、そうなんですか?」
「はい。明日は工事が入るんです。その前準備で」
「それは……、先ほど話題に出た、修繕工事みたいな?」
「いえ、大規模では無いんですけれどね。ただ、小さな棚とかは移動させておいた方が、業者さんも通りやすいかと思いまして」
本屋さんの落ち着いた言葉を遮るように、再び天地さんは彼女をイジりはじめた。
「また読みふけたりしてなァ?」
「もう、今日は大丈夫ですよ!」
「んなこと言ったって前科があるだろうが!」
「……だから早めに閉めるんでしょう?」
「……アンタなァ」
つまり、読んでしまう恐れがあるんだな。
「しかしなるほど。その準備のために、前倒しで閉店……と」
「あはは、そうなんです。晴太郎コーナーの奥に、二階に続く階段があるんですが、そこがもうガタガタで」
「そうだったんですか」
「大量の本持ったまま、行ったり来たりもするからなー」
「そうなんです。なので、もっと頑丈に補修してもらうことにしまして」
「そんなこともあるんですねぇ……。おっと」
いけない。また世間話に花を咲かせるところだった。
私としては、見つからなかったと上司に報告をしなければならないわけだし、この二人も店じまいがあるだろう。
そう思い「それじゃあ」と踵を返そうとし矢先。
天地さんが、「ん?」と斜め上を見上げ、方眉をピクリと上げたのが目に入った。
「階段? かいだん……」
「どうかされましたか?」
「天地くん? ……天地くーん? おーい……?」
口元を抑えて一点を見つめて固まる天地さんに、本屋さんはひらひらと手を振ってみるも、無反応だった。そして少しの魔が開いた後。
「…………あ!?」
「わぁびっくりした!」
天地さんは突如としてカッと目を見開き、店の一方向に目を向けた。
「分かった!」
「分かった?」
「分かったって……、何が分かったんです天地くん?」
私たちからの質問に、彼女は「えーと」と何かを説明したそうにしていた。……が、行動に移した方が早いと思ったのだろう。
「……ちょ、ちょっと待ってろ!」
そう言ったと思いきや、早足で棚の向こうへと消えて行き――――そして三分もしないうちに、再び早足で彼女は戻ってきた。
「何を……。ん?」
「あったぞ! これじゃねぇか!?」
戻ってきた彼女のその手には、一冊の本が握られていた。
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