1.本屋書房・1



 パーキングに車を止め、急いで坂道を駆け降りる。

 ガードレール越しに吹いてくる海沿いの風は、どこか潮の香りが混ざっていて、焦る私の心を少しだけ緩和させてくれた。

 坂を降りて平道をしばらく歩くと、大通りに面したところに、広い一画の敷地が見えた。

「なんか……、思ったよりも大きいな。二階建てだし」

 遠目からでも分かるほどには、大きな建物だった。

 個人商店というから、もっと小さな、地元の駄菓子屋のようなところを想像していたが、下手な系列店よりも何倍も大きい。

「そう言えば昔は。有名な人が住んでいたとか何とか……」

 そんな噂を聞いたことがある。

 そもそもこのN県出身の有名人なんて、数えるくらいしかいないと思うのだが。

「おっと。そんなことより、本を探さないと……!」

 敷地と建物の大きさに圧倒され、一度止めてしまった足を再び動かす。正面玄関をくぐると、そこには書店に続く道と、いくつかのテーブルが設置されていた。

「え……? あ、あぁ、なるほど。ブックカフェなのか……」

 看板を見るとそのように書いてあった。

 古書店 貸本屋 ブックカフェ  本屋書房

 なるほど確かに。このテーブルはそういった用途のものみたいだな――――

「って、だから本を……」

 不思議なことに。この穏やかな空間の一つ一つに、目を奪われてしまう自分が居た。

 何の変哲もないテーブルやイスだが、どこか懐かしさを感じてしまうからだろうか。

 海風の香りが丁度吹き込んでくる立地だからかもしれない。土地柄という奴か、妙に落ち着けるような、そんな空間だった。

 気を取り直して、私は正面玄関へと向かう。

「おっと」

「ん? ども~」

 カランカランとドアを開け、客と思われる女性と会釈しつつすれ違う。するとこれまで締めっぱなしだったドアは開け放たれたままになっていた。

 もしかしたら今の客がガサツだったのか、もしくは本来なら開けっ放しなのが正解なのか。何にせよそこから、店内の灯りが目に飛び込んでくる。

 そこには、二人の従業員と思しき女性が、二人立っていた。

「あざっしたー」

 一人は、百七十センチくらいの、乱雑な言葉尻の、二十歳くらいの女性。しなやかな立ち姿で、レジカウンターに体重を預けていた。

 明るめに染められた髪に鋭い目つき。何だか噛みつかれそうな印象を抱くのは、私がやや臆病だからというだけではないだろう。

「今日は穏やかでしたねえ」

「まぁそりゃあな。毎日何か起こってたら、こっちの身ももたねぇよ」

「ここのところはずっと、穏やかな日が続いていますよねぇ。いいことです」

 もう一人は、奥の方に座っている百六十センチ未満くらいの小柄な女性だった。年齢はやや離れているのか、二十代中盤くらいの妙齢だろう。

 レジの彼女とは対照的に、穏やかな空気を纏っている。私は先ほどの、この店を訪れたさいに感じた、独特の空気感を思い出した。

「いやいや、つい三日前も犬探ししたんだが? 野山を市役所職員と駆け回るはめになったんだが!?」

「そんなの日常茶飯事じゃないですか」

「いやふざけんなよ!? そんなの日常茶飯事にされてたまるか!」

 穏やかに返す女性に、鋭い目つきの女性は食ってかかる。

 確かに市役所職員と野山を駆け回るのは、書店員の仕事ではないような……。というか、いったいどういう店なんだ。

 剣幕にやや押される私に気づかず、二人の会話は続いていく。

「最近は何かと、便利屋みたいな扱い受けてねえかぁ? 多少の謝礼金じゃあ、割に合わなくなってきたぞ?」

「まぁまぁ。人の役に立てるのは良い事ですよ。それにほら、市役所や警察の方も言ってましたよ? 『あの天地 栞(てんち しおり)が更生して、人さまの役に立つ活動をしているとは……!』って」

「よ、余計なお世話だよ……!」

 ……どうやらカウンターに立っている、鋭い目つきの彼女は、『あの』とか言われるくらいの『何か』があったという人物らしい。

「……、」

 どうしようか。そんな危なげな店に入るのは、やめておこうか。

 いやしかし、先ほども客とはすれ違っている。本当に危険な店なのであれば、そもそも客は寄り付かないと思うし、経営自体も成り立っていないだろう。

「まぁ、からかうのはこれくらいにしておきましょう。ふふ。いつも助かってますよ、天地くん」

「ふん。どーいたしまして」

 それにどうやら、穏やかなほうの女性が、手綱を握っているようにも見える。なので、もしかしたらそこに安全を見いだせるのかもしれない……と、まだ話したこともない人物に対して、酷いことを思う私だった。

 しかしながらこの二人、いったいどういう関係なのだろうか? というか、曰く付きであったらしい彼女(天地と言われていたか?)をいさめられるとは、パワーバランスとかも、どうなっているのだろうか。

「さて天地くん。そろそろ閉店準備でもしましょうか」

 私が入店するかどうかを迷っている間にも、彼女らの時間は進んでいく。

「あぁ、もうそんな時間か……。いつもより早めに閉めるってなると、ちょっと変なカンジするよな」

「こればかりは仕方ありません。でも、お店のためですから」

「ま、そうだな。さーて、それじゃ。ちゃっちゃとやっちまうか~」

 ぱきぱきと身体を鳴らしながら、レジテーブルから体重を離す目つきの鋭い女性。

 穏やかな方もそれに続き、椅子から腰を浮かせた。

「それでは私は、書店スペースの片付けをやっちゃいますね」

「へーい。なら、キッチンの方片付けてくるわ」

「よろしくお願いしますー」

 いかん、迷っている時間はない。

 腕時計を確認すると、すでに時刻は十九時を十分も過ぎていた。

 駄目もとで聞くだけ聞いてみて、ここに無かったら諦めよう。そう思い、私は意を決して彼女に声をかけた。

「す、すみません!」

「あら? はい、いらっしゃいませ」

「まだ大丈夫でしょうか……? どうしても、探してほしい本があるのですが!」

「えぇ。少しでしたら大丈夫ですよ」

 閉店間際だというのにもかかわらず、柔らかな笑顔で店員の女性は対応してくれた。

 目をはっきりと見かえしてくる、柔らかさの中にも、独特の『芯』を持つ女性だと、そう思った。

 私が「ありがとうございます」と礼を告げると、「それではタイトルをどうぞ」と彼女は続けた。

「はい。タイトルは……、『不機嫌な怪談』というものなのですが」

「不機嫌な怪談……と」

 彼女は脇に置いてあった紙にさっとタイトルを書くと、検索用と思われるパソコンの方へと身を移した。

「『かいだん』は、ホラーの怪談、でしょうか?」

「えぇ、おそらく……。『ふきげん』は、感情表現の不機嫌……、だと思います」

「ふむ。だと思います、というのは……、」

「はい。頼まれたものなんです。急いでいたもので、口伝(くちづて)で」

「なるほど」

 そんなやりとりをして調べてもらっていると、奥の方から足音が聞こえてきた。

 見るとそれは、先ほどの目つきの鋭い女性だった。

「店長ー、終わったぜー」

 小脇に片付け用と思しきバックを抱えており、それをやや乱雑にテーブルの上へ置く。やはり思った通り、ぞんざいな性格のようだ。つくづく小柄な女性とは対照的である。

「って、なんだ。客来てるのか」

「こら、お客様でしょう。すみません、口が悪くてうちの狂犬」

 狂犬……。しかしなるほど。言いえて妙である。

 首輪をつけておかないと、ふとした拍子に噛みつかれてもおかしくないような、そんな気性の荒さが見え隠れしている。

「い、いえ……。こちらこそ、閉店間際にお邪魔してしまいすみません。閉店作業ありましたら、続けていただいて結構ですので……」

「だってさ。どうする店長?」

「そうですねぇ……」

 唇の下に人差し指を当てて彼女はやや考え込み、「それでは」と続けた。

「お言葉に甘えて、施錠関係だけはしてしまいましょう。天地くん、お願いできますか?」

「へーい」

 言うと彼女はバッグを再び(男らしく)抱え、てきぱきとした動きで二階へと登って行った。

 あらためて思う。

 一階だけでも相当の広さがあるにも関わらず、それが二階にも続いているのか。

 そして店内は、所狭しと本棚が敷き詰められている。これが更に上階にもあるとなると、ここの古書店の蔵書量は、かなりの冊数になるのではないだろうか。

「止めてしまって申し訳ありません。それでは、引き続きお探しいたしますね」

「ありがとうございます」

「もしよろしければ、店内をご覧になっていてください。検索には引っかからないので、もしかするとお時間かかってしまうかもしれないので」

「そう……なんですか」

「本当はお飲み物も提供できれば良かったんですけどね。あいにく入れ替わりでキッチンの方は片付けてしまって」

「いえいえ、そこはお気になさらず。それではお言葉に甘えて、少し見させていただきます」

 言って私はレジカウンターから離れようとしたとき、そういえばとふと気になることを思い出した。

「あの、ここって『本屋書房』って言うんですよね? お名前が、『本屋』さんだからなんですか?」

 私の質問に「あぁそうですね」と、穏やかな女性は笑って応えた。

「申し遅れました。私、本屋 店子(ほんや たなこ)と申します。

 この本屋書房の、店長を務めさせてもらっております」

 すっと差し出された名刺には、この書店のロゴと、名前が簡素に書かれていた。

 私は彼女と、この本屋書房の持つ不思議な空気に引っ張られ、探し物のことを一瞬忘れてしまい、店内を見て回ていた。

 幼い時分に、在りもしない宝探しをしに探検に出かけたときのことを、何故だかふと思い出していた。



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