2:二人きりの時間

◆◆◆


「もわ、つーさんのお弁当かわよ~!」

「そうですか……? ほとんど、冷凍食品とか詰めただけですけど」


 学食のテーブルに広げたお弁当箱を、急に近い距離感でのぞき込まれて、ちょっとびっくりしちゃったけど……そういえば、揺花以外にこんなにまじまじとお弁当見られたの、初めてかも。

 というか、色白の綺麗なおでこに目を奪われていて、一瞬気付かなかったけど、おうどんすすりながら席移動してくるの、自由だな……。


「あれ、露璃って、いつも自分で作ってるんだっけ?」


 その横から、もっと近くに割り込むように、揺花も身を乗り出してくる。

 シルクのスカートみたいにさらりと揺れて艶めく髪と一緒に、今日もデザートみたいな甘い存在感がこぼれて躍る。


「えっと、今日はたまたま。母と交代で作ったりしてます」

「へ~、そうなんだ。でもすご、めっちゃおいしそうだよね」

「あ……ありがとう、ございます」


 この話、いつかの昼休みにもしたような気がするんだけど……揺花的にはやっぱり、自分でお弁当作るって、意外なことなのかな……?

 高校に入ってからはずっとこうで、慣れてるというか、そんなに大したことじゃないと思ってたけど……でも、こうやって褒められると、普通に嬉しいかも。


「ね、ひとくちもらってもよかったりしない?」

「はい、いいですよ」

「やたっ。じゃ、あ~~……」

「え……」


 食べさせる理由を訪ねたり、所作を確認する暇なんてないまま、揺花の口はおねだりモード。

 長いまつげが下りきった無防備な表情は、私があーんするだろうって完全に信じていて、疑いのかけらも感じられない。それを前にすると、もう後には引けないわけで。


「あ、あ~ん……」


 咄嗟に、自分で作った卵焼きを選んで、片手を添えながら揺花の口へと箸先を運ぶ。

 いつもの三人に見守られて、なんだったら、学食中の視線が集まってるんじゃないかっていう緊張感がある一方で……。

 元気と笑顔が音になったみたいな、キラキラした声が飛び出す揺花の口も、こうして見ると、意外とちっちゃいんだ……なんて思っちゃう。

 そうこうしている内に、カサつきひとつない、花びらみたいな唇の合間に、箸先が吸い込まれて戻ってくる。


「んむんむ……んー! うま!」

「……よかったです」


 正直、そんなに料理は上手なわけじゃないと思うんだけど……これぐらいで喜んでもらえるなら、揺花にもお弁当、作ってあげたりしても、いいのかな……。

 丸いおにぎりに色の違うふりかけをまぶしたり、卵焼きやウインナーに飾り切りを入れるの、かわいくできると、楽しいし。こういうことしてあげられたら、きっと、付き合ってるっぽいよね。

 ただ、さすがに毎回こうだと、料理そのものとは別のプレッシャーを感じちゃいそうだけど……。


「やば~、なんかてぇじゃん」

「ね~。なこちゃんも、パンあーんする?」

「いいよ、しねえよ」


 あぁ、そうだ、見られてたんだった……揺花に集中してないと、やっぱり恥ずかしさは誤魔化せないよ……。


「てかい~ね~、つーさん料理もできるんだ~。コンビニメシばっかのさかなとは大違いじゃんね」


 ……でも別に、これ以上追求されたりはしないんだ。こういうのって、割と普通のことなのかな……?


「うっせ、学食ばっかだと飽きるだろ」

「はぁ~? うちとゆっかにケンカ売ってんのか~!」

「いや、あたしもママが作ってくれる日はお弁当だけど」

「大体、自分のバイト代だし、自分の好きなもの食いてーだろ」

「それはたしかし!」

「るなの手の平ドリルかよ……」


 私は大抵、いつもお弁当だし、食事中に騒がしいのは苦手だったから、学食にはあんまり来ることがなかったけど……。

 揺花たち、学食でもやっぱり、教室と同じ感じなんだ。

 周りの騒がしさに負けない、いつも通りの空間というか、仲のいい友達同士の世界というか、そういう雰囲気があって、逆に周りの喧噪があんまり気にならないかも。

 ……だけど、私はそこに、ちゃんと入り込めているのかな。揺花と同じ場所に、馴染めているのかな。

 揺花と二人きりでいる時とは、また違う。だけど、ここにいる友達みんな、私にとっては、揺花の存在の延長線でもあるわけで……。

 それでも、どういうふうに合わせればいいのかわからなくて、結局また、様子を伺うだけになってしまう。


「で、パンちゃんは、今日もパン?」

「へへへ~、今日はね~、サンドイッチ~」

「え、パンじゃん」

「デザートに、プチパンケーキもあるんだよ~♪」

「やっぱパンじゃん!」

「ぶわははっ、ウケる~! パンにゃつよ~」

「ピザとか、ナンとか、ケーキの日もあったしな」

「あ~、なこちゃんよく憶えてるねぇ~」

「にゃごのメシがクセ強すぎんだよ」

「……ふふっ」

「ん? あ、ね~! おもろいよね、つーさんもウケるよねっ」

「あ……えっと、はい」


 つい、笑っちゃった。失礼じゃなかったかな……?


「てかつーさん、昼メシ急に誘っちゃってごめんね~」

「いえ、全然、嬉しいです。あんまり学食には来ないので、新鮮というか、たまにはいいなというか」

「あのね~、ゆっかちゃんがね、わたしたちと食べるか、みみちゃんと食べるか、迷ってたから~」

「え、ちょ、やめてよ、バラされるとなんか恥ず……!」

「そうなんですね」

「そうなんだけど~!」


 ここ最近は、揺花と二人でお昼を食べるか、そうじゃない日は、いつも通り一人で食べてて。

 だから見かねて、今日は誘ってくれたっていう感じなのかも。

 私は、揺花と二人きりのお昼がいいかなって思っちゃってたけど、わがままかな……。

 みんなと一緒が嫌ってわけじゃないけれど、まだちょっと、緊張するし……距離感もわからないし……。


「ふんふん、そんでつーさんはご飯、均等に食べる派なんだ。性格ぽい」

「そんな派閥があるんですか……?」

「え~、わかんない」

「え……?」

「ちな、あたしはね~、最初と最後に、好きなもの食べる派だよ」

「あわかる~、るなも~」

「おいしい口で始まって、おいしい口で終わりたいじゃんね」

「それな~!」

「もくもく……ゆっかちゃんもるなちゃんも、欲張りだねぇ~」

「にゃごは人のこと言えねぇからな。両手でパン二刀流してんのは、どう見ても欲深いんだわ」

「えへへ~」

「…………」


 なんだか、すごいな。私がお弁当と向き合ってる間も、みんなずっと喋ってる。

 こんなに喋って、みんないつ食べてるんだろう……。私からすると、素朴な疑問。

 それに、私はまだ、揺花とこんなふうには話せない。

 嘘をついているつもりはないけれど、本音に踏み込めているとも思えない。

 そうする必要があるのかも、そうしていいのかもわからない。

 私の外にあるこの関係が、羨ましいのかな……。

 友達としての距離感も、恋人としての距離感も、私にはまだよくわかってなくて、なんだかちょっと、難しいな。

 このままじゃダメかもっていうのも、わかってるんだけど……。


●●●


「ぁあ~、午後イチ体育とか、だる……」


 体育館の隅っこでさかなこが、スマホの代わりにパンちゃんのお団子いじってる。


「なこちゃん、体育嫌いだもんねぇ~」


 そんでパンちゃんは、足開いて体育座りしたさかなこの、ハーパンの長さ足りてなく見えるくらい細くて長っげぇ足の間に挟まって、だら~って手足伸ばしてリラックス。

 この二人、体育の時は大体いつも合体してる。かわちぃ生き物だ。でも冬は暖かそうでよき。あたしも露璃とやってみよっかな……!


「まぁ、別にそこまでじゃないけど……汗かきたくねーし、メシの後だし」

「でもさ、朝からもしんどくない?」

「それな。しかも今日バレーとか、ネイル禿げそう」

「あぁ~? 誰がハゲだ~!」


 チャイム鳴ってるのにだべってるあたしたちの後ろから、るなちのチャイムよりでけぇ声がする。


「言ってねえよ。てかるな、何やってんだ……?」

「んんん~みてて~……さかだ、っち~! からの~っ……ブリッジぃ~!」

「うわキモ、ホラー映画かよ、こわ。元気すぎだろ」

「え~やば、るなち身体柔らか~」

「でっしょ~!」


 びたーん! って四本足に変形したるなちは、髪ばっさーってなったまま、けたけた笑いながら他の友達のとこにも這い寄っていく。やっぱ体育の時が一番生き生きしてんね。あの体力はうらやま。


「モップがけかよ、また髪傷むぞ……」

「あ、ねぇさかなこ、あたしの髪も結んで~」

「ん、おう、ヘアゴム貸しな。ポニテとわっかお団子、どっちがいい?」

「おまかせで~」


 さかなこってば、メイクやネイルだけじゃなくて、髪のセットも上手くて、手際もいい。

 いつもは大体ツーサイドアップのかわいい感じのことが多いけど、ちょくちょくいろんなヘアアレンジ試してて、ちゃんと自分磨きしてるって感じがパない。

 あたしもそれに乗っかって、たまに髪いじってもらうけど、そういやパンちゃんの髪も、さかなこが結ってるんだよね。そりゃモフり心地いいわけだ。


「ほいよ、玉ねぎポニテ」

「お~、遊んでくれるじゃん、あんがとっ」


 やっぱ自分でまとめるより、さかなこにやってもらった方がきれいに仕上がって、気分上がるね!

 そんでやっとやる気出てきて立ち上がったところに、露璃がパタパタと駆け寄ってきた。


「あの……整列の号令かかってますけど。先生待ってますよ?」

「わ、やば。露璃ありがとっ」

「いえ」


 露璃に、髪似合ってるかなって訊きたかったけど……ま、いっか。

 なんなら、露璃の髪も結んであげたかったけどな。露璃ぐらいのセミロングだと、ふんわり二つ結びとかにしてあげるとかわいいかも。うん、次はやったげよ。

 てか、そんなことばっか考えてたら、もう授業始まってたわ。先生心広くて感謝。


「……ね、揺花」

「ん、なに、どしたの?」


 準備運動も終わって、まずは二人一組でボール回しの練習ってことで。相手探そうと思ってたら、露璃が声をかけてくれる。


「トス練習、一緒にやらない?」

「えっ、いいよ~! やろやろっ。てか、なんか珍しくない? こういう時、露璃の方から誘ってくれるなんて」

「そう、かな……そうかも」

「えへへ、嬉しっ」


 さっきまでなんとなく面倒だった体育の授業も、露璃とペアってだけで、ちょっと楽しくなってきちゃうの、不思議。

 つい張り切って、ボール高くまで上げちゃうよ!


「露璃は、下もジャージ履く派だよね」

「うん……それも、派閥があるの?」

「え、わかんないけど。足スラッとしてるとさ、なんかどっちも似合って得だなって思った」

「そうかな……? ありがと」


 オーバーハンドのゆるいパス。その合間に、思いつき会話のゆるいパス。

 ボールを見たり、露璃を見たり、忙しくって、なんか楽しくなってきた。


「……揺花も、足、きれいだと思うよ」

「えっ、やだ~、見ないでよ、ハムみてぇなの気にしてんのっ」

「えぇ……」


 露璃と向き合って、なんでもないやり取りするの、別にフツーのことのはずなのに。なんかずっと続けてたくなっちゃう。

 いや、いつも話してる時も、大体こんな感じだっけ?

 てかこれ、この方法なら、バレーめっちゃ上手くなっちゃうんじゃない!? 天才か!


「見てみて~! お姫様だっこ~!」

「おい、バカやめろ、ハゲ! 下ろせるな!」

「てかヤバ、さかなかっる!」

「ったりめーだぁ!」


 あぁ、向こうでまたなんかやってる。パンちゃん、ふわふわ笑ってないで止めてあげなよ……。


「揺花っ」

「え? あっ、やべっ」


 ついいつもの条件反射で、るなちたちの方によそ見してたら、ボールが変な方向に上がっちゃってた。


「っしゃらーーっ!」


 でもこう見えてあたし、ハムの割には結構動ける方なんで!

 全力ダッシュ~、からのヘッドスライディングで、露璃からトスされたボールをばっちしキャッチ!

 その勢いのまま、ボール抱えて床で転がってたら、露璃がすぐに駆け寄ってきてくれる。


「揺花、大丈夫? そんなに無理しなくても……」

「えへへ~、へーきへーき!」


 露璃とのやり取りは、なんか全部受け取りたい。いっこも落としたくないから。なんて言ったら、また意味分からないって言われちゃうかな。今のはただのボールなのに、って。


「てか……あ~……やば、急に走ったら、なんか、お腹痛くなってきたかも……」


 露璃に手を引かれて、ちゃんと立ち上がってみたら、思ったよりもダメだった。

 露璃のお弁当のおかずだけじゃなくて、るなちのうどんのつゆと、パンちゃんのカレーパンとたらこパンと、さかなこのアイスも、ちょっとずつもらったせいかな……。


「ほら、いきなり無理するから……」

「んぁ~、ごめ……ちょっと、保健室行って薬もらってくる……」

「……じゃあ、私も付き添うよ」

「えっ、いーよいーよ、一人で行けるって」

「でも……」


 そうやってまごまごしてたら、あたしの様子を見てたらしいさかなこたちが、ぞろぞろやってきて。


「捻挫か突き指だろ? 先生、保健室行ってきていいってよ」

「で、そんままサボらないように、つーさん付き添ってってさ~」

「ありがとうございます」

「信用ねえ!」


 変なとこでフッ軽な友情には、一応感謝だけどな!


◆◆◆


「お薬、ちゃんと飲めた?」

「あい、ばぶ~」

「ふふ、おっきな赤ちゃんだね」


 保健の先生、ちょうど保健室を空けてるみたいで、勝手にお薬もらっちゃったけど……揺花をそのまま待たせてるわけにもいかないし、大丈夫だよね……!


「うひょ~、ベッド占領~! なんか得した気分っ!」


 薬箱を棚に仕舞ってから戻ってくると、揺花は腰掛けていた保健室のベッドに、そのまま身体を投げ出していて。なんだか、全然平気そう。


「元気なの……? 保健の先生戻ってきたら、怒られちゃうよ」

「大丈夫大丈夫~、や、まだだいじょばないかも~……」

「もう……」


 さっきまであんなにしんどそうな顔してたのに。もしかしたら、そんなに慌てなくてもよかったのかも。それはちょっと安心。

 でも、それでも、多分私は、こうして付き添うって、言い出してたような気がする。

 揺花が心配だったっていうのは、勿論そうなんだけど……それだけじゃないだろうって、自分で自分に、もやもやしてて。

 さっきの授業でのペアもそうだけど、早く、揺花と二人きりになりたかったのかな。独占欲、強いとかなのかな……。

 そもそも、無理矢理付き添って、揺花は迷惑じゃなかったかな……。


「はぁ~、露璃が一緒に来てくれてよかった~。一人だと薬の場所わかんなかったわ」

「……そっか、よかった」


 揺花がそう言ってくれるなら、私にとってはそう。そう以外にない。

 やっぱり揺花は、考えすぎてくよくよしちゃう私を、勇気づけてくれる。ほんの些細なことでも、自分が調子の悪い時でも、そうなんだもん。やっぱりすごい。


「ね~露璃~、お腹さすって~」

「えっ……もぅ、まだ赤ちゃん?」


 気がつけば、揺花はジャージの前を完全に開いていて。私の返答なんて関係なしに、もうすっかりおねだりモード。

 なんだか、甘やかし待ちの猫みたい。うちの猫よりは、積極的かな。


「しょうがないんだから……」


 揺花の隣に腰掛けて、一瞬、戸惑いはしたけれど……揺花がそれで元気になってくれるならっていうのもあるし、ちょっとだけ好奇心もあって。要望通り、揺花のお腹にそっと手を添えてみる。


「あぁぁ~……なんか、よくなってきた気がする……!」

「そう? そんなにすぐ効くんだ」

「てか露璃、手ぇあったかいね~」


 満足そうに身体をくねらせた揺花は、そのまま私の手に自分の指を絡めてきて……結局、揺花のお腹の上で、お互いの手をにぎにぎしているだけみたいになる。揺花の手も、あったかいよ。


「へへ……お礼に、あたしもなでなでしてあげよっか」

「いいよ……」

「いいの?」

「そっちじゃなくて……まぁ、いいけど……」

「じゃあほら、露璃も寝なよ。一緒に寝よっ」

「私は別に、体調悪くないのに……」

「いいからいいから~」


 仕方なくというか、半ば揺花に引き倒される形で、私も揺花と並んで寝転がる。

 同じベッドに二人で肩を寄せ合って、保健室の天井を見上げるなんて、なんだか結構変な感じ。

 当たり前だけど、こんな経験初めてだし、こんなことしちゃっていいのかなって、また思っちゃうし。だけど、揺花が隣にいてくれるだけで、無条件に心強いというか、落ち着くというか……。


「へへ……露璃、横顔もかわい」


 ぼんやりしていた私の頬に、揺花の熱っぽい指先が、そっと触れる。


「んっ……」

「あ、ごめん、嫌だった……?」

「ううん……ドキッとしただけ」

「お、させちゃった?」

「……昔、小さかった頃、お母さんがよくこうやって、かわいいね、って言ってくれて……慣れてるはずなんだけど」

「へぇ~、ママ優しいんだ」

「うん」

「あたしのも、触っていいよ」

「やれって言われると、それはそれで、やりづらい、かも……」

「え~……? や、てかそこ、お腹っ、ふふっ、なんか触り方くすぐった~!」

「揺花が、そこにいるなって」

「そりゃそうでしょ」

「……ふふっ」

「えへへ……」


 何が面白いのかもよくわからないまま、二人して、お互いにつられるように笑い合う。

 耳から心までくすぐる、その息遣いが、愛おしく思えて。もっと近くに感じたくて。もう少しだけ肩を寄せながら、視線を傾ければ。同じことを考えていたらしい、隣の揺花と、目が合って。


「……ん~……?」

「……うん……」


 交わる視線の、その合間を縫うように、ほどけた揺花の髪の毛が、ふんわりと広がって。緩やかに波打つ、たくさんの小さな虹が絡み合ったみたいなきらめきが、揺花の眩しさそのもので。

 そのさざ波に身を任せれば、清潔なシーツの匂いを上書きするような、優しい揺花の匂いに包まれる。

 知っているけど知らない匂い。安らぐような、ソワソワするような、甘くて愛しい存在感。


「なに……? あたしの髪、なんかついてた……?」

「ううん。きれいだし……いい匂いするなって思って。私は好き」

「そお? そうかも、あんがとっ。てか今日はね~、実は結構いい匂いすると思うんだ。シャンプー変えたんだよね、なんかおいしい匂いのさ、フルーツっぽいの」


 それを確認してほしいのか、また猫みたいに、すり寄ってきてくれる。

 くすぐったいし、やっぱり恥ずかしいんだけど……もっと撫でてあげたくなる。


「ちな、露璃の方はどうかな~」

「私は、普通だよ……ていうか、体育で動いた後だから、あんまり……」

「ん~……」

「……ねぇ、顔、近いよ……」

「近くで見たら、なんでそんなにかわいいのか、わかるかなって思ったんだけど」

「……それで?」

「めちゃかわいいってことはわかった。髪さらで口つや」

「……確かに、近くで見ると、かわいいのがよくわかるかも」

「あーっ、あたしは見ないで~!」

「なんで、ずるい」

「するのはいいけど、されるのは恥ずいのっ」

「ずるい……」


 それからまた、一緒に仰向けになって。お互いに近い方の手を、なんとなく握り合ったままで……。

 ただ二人でそこにいるだけの、穏やかな時間が過ぎていく。

 さっきまでの授業やお昼の喧噪が、もうずっと前の出来事みたい。


「……昼休みさ、急に誘ったの、ヤだった?」

「……気にしてくれるんだ」

「気になるじゃん」

「……私、揺花の彼女として、どうなのかなって」

「どうって?」

「私が変だと、揺花まで何か言われちゃうんじゃないかな、とか。浦宗さんたちとも、あんまり話したことなかったし」

「あーね。まぁ、るなちはそういう、距離感的なやつ? 全然気にしないし、話しやすいと思うけど。パンちゃんもめっちゃ話聞いてくれるし、さかなこもツッコミキツいの、るなちにだけだし」

「それでも、緊張するよ……私は、面白いこと言えないし」

「みんなそんなこと気にしないよ、大丈夫だって。てか、あたしのことまで、ちゃんと考えてくれてたんだね、嬉し」

「……揺花は、それでいいの?」

「みんなと一緒にいる時間も大事だし、露璃と一緒にいる時間も大事だもん。勿論、露璃が嫌なら、考えるけど……」

「……ううん、揺花のそういうまっすぐなところ、好きだから」


 揺花がこんなに優しいんだから、その友達も、同じように優しいっていうの、なんとなくわかる。

 揺花の友達のことを知れるっていうのは、揺花のことを知れるっていうのと、通じる部分があると思うし。


「それに今日はさ、露璃のこと、あたしが自慢したかったっていうのもあるんだよね~。見せつけたかったっていうかさ」

「どういうこと……?」

「自分でお弁当作ってるんだぞ~、ってさ。あたしが自慢するのも変かもだけど。あとほら、露璃、付き合ってるっぽいことしたいって言ってたからさ、あ~んとか、それっぽいかもって思って」

「それで……」

「あっ、誰かの前ではダメだった……?」

「ううん……いいよ、気にしない」


 そういうの、全部ちゃんと、憶えてくれてたんだね。

 やっぱり揺花、そういうところ、かわいいと思う。そういうところなんだよ。


「あ……そういえば、どうして多喜田さんのこと、みんなパンちゃんって呼んでるの……?」

「ん? あぁ、パンばっか食べてるから」

「え、あぁ……そんな、シンプルな感じなんだ」

「そうそう。露璃もさ、もっと簡単でいいんだよ。特にあたしたちは、細かいこと気にしないから。あたしたちで練習してってよ、難しく考えないこと」

「できるかな……」

「大丈夫っ、露璃もいつも通りでいーのいーの」

「うん……」

「露璃はさ、言わなきゃいけないことはちゃんと言うし、無理に人に合わせたりしないし、ときとばで態度違うとかもないし」

「それは、そういうふうにしか、できないだけだよ……」

「あたしは露璃のそーいうとこも好きなの。あとかわいいとこも。ね?」

「……うん。ありがと」

「うんっ」


 そうやって、私に向き合って、真剣に気持ちを投げかけてくれる揺花に、もう一度ちゃんと向き合いたいな、と思ったところで。遠くから、授業の終わりを告げるチャイムが響く。


「あっ、やべ、授業終わっちゃった」

「……揺花、お腹は?」

「ん~……多分大丈夫っ」

「じゃあ……戻ろっか」

「だねっ」


 少し乱れた髪を手ぐしで梳きながら、二人揃って身体を起こす。

 この二人きりの時間が、ちょっと名残惜しい、なんて思っちゃうのは、いけないことかな……。


「あ、ごめん、ちょい髪なおしてから行くわ。先行ってて」

「わかった」


 身支度する様子を見てるのも悪いかなと思って、先に保健室を出る。


「あれ、委員長?」

「あ……榊さん……!」


 私を信じて送り出してくれたであろうクラスメイトと、廊下に出たところでばったり顔を合わせてしまって、さすがに一瞬気まずくなる。相手も不審な顔をする。

 そうだよね、私と揺花、授業の途中から最後まで、ずっと抜け出してたってことだもんね……。


「へぇ……なんか意外」

「え……?」

「いや、委員長でも、サボったりするんだな、って思ってさ」


 榊さんが、にやっ、と口角をつり上げるのにあわせて、攻撃的な歯並びがちらりと覗く。

 何に噛みつかれても、さすがに言い訳できないかも……!


「えっと……」

「あぁ、別に悪く言いたいわけじゃなくてさ」

「……?」

「まぁあれだ、とりあえずゆっかのこと、よろしく任せた、って感じのこと言いたいわけ」

「は、はい……任され、ましたっ」

「……ははっ。委員長、意外とおもれーのな。頼りにしてんぜ」


 今のは、その……私が揺花の隣にいること、認めてもらえた……っていう解釈で、いいのかな……?

 だとしたら、揺花本人に認めてもらえるのと同じくらい、嬉しいことで。

 まだ、よくわかってないけれど……きっとそうなんだって、思いたがってる自分がいる。

 それくらい、揺花と同じくらい、揺花の周りの環境も、人間関係も、私にとっては大事なものなんだ……!


「あれっ、さかなこじゃん。どしたん?」


 遅れて保健室から出てきた揺花は、特に気後れする様子もなくて。すっかりいつも通りの、頼れる太陽みたいな笑顔。


「どしたんじゃねーよ。戻ってくんのおせーから様子見に来たんだよ」

「あっはは、ごめーん。全然調子よくなんなくてさ」

「アタシとにゃごじゃ、るながうっせぇの止めらんねぇから、どうにかしてくれよ」

「え、それはあたしも無理」


 そう。そうやって、揺花はいつも通りに振る舞って。

 私にも、こうやっていつも通りにやればいいんだよって、言ってくれてるみたいに感じられて。

 いつもはやらない、いつも通りを、やってみてもいいのかもしれないって、思えたから。


「あ……あの、次、家庭科だから、教室移動ですよ」

「え、やばっ、走れ~っ! 着替え間に合わね~!」

「おい、ゆっか待てって」

「あっ、廊下は走っちゃ……もうっ」


 揺花の勢いにあてられて、私も一緒に走り出す。

 今ならちょっとだけ、先に駆け出した揺花の速度に、追いつけるような気がして。

 揺花の隣に、いてもいいんだなって、思えたような気がして。

 だから、今だけは、走り出しちゃうのを、止められなかったの。

 こんなに気持ちが弾んじゃうの……揺花のせい、だからね。


☆つづく!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る