2:僕の獣

「俺としてはあの女が依頼を選別してるのが気に入らないのですがね」


 分厚い雲が月を覆い隠し、雨音がざあざあと大きく広がった葉を打ってばらばらと柔らかい音を響かせている。

 俺のものになった血を吸う獣ヴァンパイアのメルは木の陰から半身だけ覗かせながら、魔物の気配を探しているようだった。

 近くに魔物はいないのか、血を吸う獣ヴァンパイアは独り言の用にぽつりと呟いた。


「それに……鮮血の宝玉飾当主の証である耳飾りを坊ちゃんに渡さないだなんて」


 邪魔にならないように短く切りそろえている自分の髪をフードで更に隠しながら、僕はメルの言葉に溜め息を吐いた。


「お前は我が家に飼われている従順な獣だろう。継母おかあ様の選ぶ依頼も僕が選ぶ依頼もそう違いはないはずだ」


 父上が急病で倒れ、命を失ってから一年。

 まともな引き継ぎもできぬまま始めた家業も依頼をこなすことや、血を吸う獣こいつを使って魔物を狩ることには慣れてきた。

 しかし、まだ依頼を選別することや家の管理、使用人への采配などには気が回らない。なので継母おかあ様が代行をしているのだが、そのことにメルは良い顔をしなかった。


「俺にとっては、貴方があの女にいいようにされている方が問題ですがね」


 父上といるとき見ていたこいつの姿は、寡黙で恐ろしくも美しい獣そのものだったが、こうして今俺に見せているのは目を細めて柔らかく微笑む表情や、不満そうに唇を尖らせて拗ねるような……まるで人間のように振る舞う獣の姿だった。


「坊ちゃんが月色の髪当主の証の半分を持ち、あの女が鮮血の宝玉飾もう半分の証を持っているなんて中途半端なこと、今までなかったっていうのに」


 腰まで伸ばした黒い髪を揺らしながら、メルはこちらへ向き直る。

 僕が幼かった頃から変わらない美しい見た目以外は、本当に人間と変わらないように思えるが、口から覗いている鋭い牙や、長く伸びた鋭利な爪を見ると「こいつは獣なのだ」と実感する。

 血のように赤い瞳に写る自分の表情が緩んでいることに気が付いて、思わず口元を押さえながら、俺は手の甲をメルに向けて「しっし」と手払いした。


「……ならば坊ちゃん呼びはいい加減やめてくれ。ほら、さっさと獲物を探すぞ、血を吸う獣メル


「はいはい。承知しましたセオドア様」


 魔法使いも、魔術師も騎士達も単独で魔物を狩ることは出来ない。

 だが、僕たちの一族……ルベル家の当主ならば一人と一匹で強力な魔物の群を排除することが出来る。

 だから、侯爵家という地位を与えられているが、それは国政に影響を及ぼすような物ではなく、役立てなければいつでも剥奪されかねないという危ういものだとも自覚している。


「……おそらくこちらの方に獲物はいるはずですが」


 いつのまにか雨は止んでいた。

 背丈ほどまで伸びた草を掻き分けながらメルに導かれるまま、夜の道を進んでいくと腐臭が漂ってきた。

 血を吸う獣ヴァンパイアは陽の光を浴びると皮膚は焼けただれ長い時間外にいれば死ぬ場合もあるらしい。しかし、夜になれば不老不死の美しい獣としての真価を発揮する。

 夜目が効き、嗅覚も鋭い。そして、メルは一見女性とも見間違えるほど細身だが、筋骨隆々の男や人狼ウェアウルフすらも圧巻するほどの高い身体能力を持っている。

 血を吸う獣ヴァンパイアという種族は、生き物から血を吸えば更に強力な能力を発揮できると聞いているが、僕はあいつが血を吸っているところを目にしたことはない。

 他の血を吸う獣ヴァンパイアを見たことが無いが通常ならばあいつらは人の血も魔物の血も見境無く吸うのだという。

 しかし、メルはというと、僕たち一族の当主が死んだ時に、当主の血だけを吸うという誓約をかけているらしいと、祖父から聞いたことがある。

 何故、そのようなことをしているのかを聞く前に祖父も父も死んでしまった。それに……メルに聞いても笑ってはぐらかされるだけだった。

 

「坊ちゃん、いましたよ」


 立ち止まり、声を一段低くしたメルが、耳元で囁くと背筋がぞわりとして小さな悲鳴が漏れそうになる。

 僕は、昔からこいつのこういう声に弱いのだ。

 しかし、主人として取り乱す姿をみせるわけにはいかない。

 平静を装いながら木の陰に身体を隠し、メルが指差した方向を見てみると、青みを帯びたけむくじゃらの魔物が数匹たむろしていた。

 二足歩行で歩いているこいつらは森の野人ウッドワスと呼ばれている。

 魔力を帯びている毛皮は硬く、さらにその下にある脂肪も分厚いので刃物も魔法も通じにくい危険な魔物の一種だ。


「狩ってこい」


「畏まりました」


 針の様に細い瞳孔が、一回り細くなる。すぅと息を吸い込んだメルは夜の闇の中へ溶けるように姿を消した。

 すぐさま、森の野人ウッドワスたちのぎゃあぎゃあという低いわめき声と血の匂いが強くなる。

 素手で僕たち人間の二回りも三周りも大きな魔物の手足を軽々と引きちぎってしまう姿は、恐ろしいというよりも美しいと感じてしまう。

 腐臭の混じる魔物特有の血の匂いが濃くなり、がさがさと周囲に獣の気配が増えてきた。死んだ魔物達の肉にありつくつもりなのだろう。

 そろそろと狩りが終わるか……と思ったところで、どすどすと重い足音が近付いてくる。


「<kDV1NマY#a」


 聞き取れないが、こちらに敵意を向けているのがわかる。

 魔物は知能がないわけではない。おそらく僕たちの一族のことや、メルのことを知らないわけではないのだろう。


「……人間側を狙えばいいと思ったか?」


 身体を僅かに反らすと、丸太のように太い森の野人ウッドワスの腕が頬を掠めた。

 僕の体格はメルよりも少したくましいくらいで常人の域を出ない程度だが、よく同じ人間にも侮られる。しかし、血を吸う獣ヴァンパイアの獣が、ただの人間のはずはないだろう……。


「僕も、ただの人とは違うらしい」


 何故なのかはわからない。生まれた時からそうだった。

 僕は不老不死ではないし、日光を浴びても火傷はしないし、死にもしない。しかし、何故か血を吸う獣ヴァンパイアに似た力が備わっている。

 よく利く夜目と、メルほどではないにしてもそれなりに優れた身体能力は、どうやら父上と同じ赤みを帯びた銀髪を持つ僕だけにあるものらしかった。

 継母おかあ様と弟たちはただの人間と同じで、夜目も利かないし、力も貧弱なのだということはそれなりに成長をしてから知った。

 魔物狩りで、魔物に存在を気付かれてから襲われるのはいつものことだ。腰にぶらさげていた湾刀サーベルを手早く抜き様に、森の野人ウッドワスの目元を切り付ける。

 硬く丈夫な毛皮に覆われた森の野人ウッドワスの腕を切り落とすのは難しいが、これなら時間が稼げるだろう。

 僕が剣をクルリと回し、柄で魔物の鼻っ柱を殴ると、両手で目を覆って呻き声を上げていた森の野人ウッドワスが身体を大きくのけぞらせた。

 倒れそうになった大きな魔物を、背後から抱きかかえるような位置に黒い影が物音一つさせずに忍び寄っていた。

 紅く伸びた爪が森の野人ウッドワスの両肩を掴むと、まるで柔らかい白パンでもちぎるようにひきちぎられた。魔物の両肩からはおびただしい量の血が噴き出して腐臭をあたりにまき散らせている。

 森の野人ウッドワスが小さな目がグルリとひっくり返しながら、地面に両膝を着くと、ちょうどいい位置に頭が来たと言わんばかりにメルは最後に生き残っていたそいつの頭をもぎ取った。

 魔物の首から勢い良く真上に噴出した血が、僕の全身をあますことなく濡らしていく。ああ、今日こそは汚れずに帰れると思っていたのだが……。

 メルは血を吸いはしないが、こうして浴びることを好む。昔、父上がやけに血まみれになって帰ってくると思っていたが、まさかこんな理由とは思いもしなかった。


「……たまには綺麗な身体で帰宅したいものだが」


「血を飲むのをずっと耐えてるんです。これくらいの戯れは許していただきたいですね」


 父上もきっと同じことを返されていたのだろう。こうやってへらへらと笑って楽しそうな表情を浮かべているメルは、僕だけが知っていると思いたいが……。

 醜い嫉妬を隠そうと顔を袖で拭う時に、頬を触ってみる。思った通り、先ほど魔物の拳が頬を掠った時に出来た切り傷は、いつの間にか癒えていた。

 これも優れた身体能力のうちの一つなのだという。

 弟たちを殴ったり、切り付けてみるわけにもいかないので、本当かどうかは知らないが……ただ、この低くて柔らかい声で「あなたには特別な力があるのです」と言われると、それを信じたくなる。

 自信がないところを見せるわけにはいかない……と慌てて思い直し、袖で顔を拭った。

 顔を上げる前に表情を引き締めてから、森の野人ウッドワスのごわごわとした頭部の毛を掴んで笑顔を浮かべているメルを軽く睨み付ける。

 こいつが犬だったなら、きっと主人に褒められたくて尾を左右に振っているのだろうと思うくらいわかりやすい。

 仕事をうまくやった獣は褒めてやるべきだ。僕はコホンと咳払いをしてから当主らしく貫禄があるようにゆっくりと笑みを作る。


「よくやった。助かったよ」


「坊ちゃんの獣として当たり前のことをしたまでです」


 うやうやしく腰を折り曲げて、頭を下げたメルは腐臭の漂う血を全身に浴びているにも拘わらず、所作が美しすぎて見とれてしまいそうになる。


「帰るぞ。魔物の頭を袋に詰めろ」


「はい」


 低く柔らかい声で短く返事をしたメルは、無造作に転がっている森の野人ウッドワスの頭部を次々とずたぶくろに放り込んでいく。

 これらは討伐の証拠に城に差し出すものだ。

 頭部を詰め終わったメルは、鋭い爪で自分の手首を軽く引っ掻いた。

 甘い花に似た香りと共に鮮やかな紅い雫が数滴地面に落ちると、ふわりと紅い霧が円形に広がっていく。

 どうやら、これは血を吸う獣ヴァンパイアが使うナワバリを示す印らしい。

 魔物の中でも上位種である彼らの血は、腐臭もしない上に、他の魔物や同種を退ける効果があるのだという。


「では、参りましょうか」


 両腕を差し出されて、僕はメルの手首に黒い金属で作られた枷を嵌める。狩猟の時以外は、この特別な鎖で獣の両腕を縛らなければいけないという城との間に決められた規則があるのだ。

 どんな素材で出来ているかわからない冷たいこの枷は、こいつが本気になればきっとすぐに壊せてしまうのだろうなとなんとなく思いながらも、規則は規則なのでしっかりとメルの両手に付けた枷に鍵をかけた。

 この枷を付ける度に、僕の心は僅かにほの暗い気持ちになるのだが、メルは何百年もこの枷を使っているのだから慣れたものなのだろう。

 獣を哀れだと思うようでは、当主としてまだまだだな……と自戒しながら、彼の両手首と繋がった鎖を手にして、僕は城へ向かうために歩き出した。

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