呪われた幸運の羅針盤

@himagari

第1話


「人生の羅針盤?」


 埃が舞い、カビの匂いが鼻につく骨董品店で見かけたとある小さな羅針盤。

 装飾はシンプルだが品があり、作りは精巧であるのが素人目にもわかる。

 しかし私が目を惹かれたのはその羅針盤の作りにではなく、値段とポップのふれ込みだった。

 値段は千二百円。

 商品紹介のポップには店に似つかわしくないポップな文字で『人生の羅針盤』と書かれていた。


「店主、これはどうしてこんなに安いんだい?」

「あぁ、あんちゃん、それはやめときな」


 私が声を上げて呼びかけると、古臭い商品達に似合った古臭い老爺がカウンターの奥からそう声をかけてきた。


「そいつは壊れてる上に曰く付きなんだよ」


 老爺は眉間に皺を寄せながら椅子から立ち上がり、杖をつきながらこちらへと歩いてくる。

 途中で台の上に並べられていた骨董品を一つ手に取って私の側までやってきた老爺は、その手の中にあるこれまた古い羅針盤を見せてくれた。


「こいつは古いが壊れちゃいない羅針盤だ。ちゃんと針が北を向いている」

「ではこちらは完全に狂っているな」


 二つの羅針盤を見比べてみると、針の先端が向いている方角が違っていた。

 しかも私の手の中にある羅針盤はほんの僅かながら針が指し示す方角が変化している。

 どうやら店主が言うように狂ってしまっているようだ。

 しかしこれほどの細工ならば羅針盤としての役には立たずとも装飾品として飾るのは悪くない。


「では曰くとは何のことなんだ?」

「あぁ……そうかい」


 私の問いかけを聞いて店主は酷く気の毒そうに私の顔を見た。

 

「何を納得しているんだ?曰くとやらは教えてくれないのか?」

「いいや、教えるとも。その羅針盤は所有者を幸せに導くと言われている」

「それが曰くか?随分と良い物のように思えるが?」


 私の疑問に店主は小さく首を振った。


「そいつは所有者を幸せへと導くが、所有者は必ず短命になると言う呪いを持っておる。それ故に決しておすすめはしない。早死にしたくなければ元の場所に戻して帰りなさい」


 老爺は眉間に皺を寄せたままそう言ったが、私は既にその羅針盤をかなり気に入ってしまっていた。

 羅針盤から不思議な魅力を感じ、手放すことができなくなっていたのだ。


「いいや店主、私はこれを買おう」

「……ワシは忠告したからの」


 酷く渋い顔をした老爺に代金を支払い、私は人生の羅針盤を持って骨董品店を後にした。


「いい買い物をした。家に帰ったら棚に飾って保管しよう」


 私は手に持った羅針盤を眺めながらニヤニヤと頬を緩める。

 偶然にも羅針盤の針が指し示す方向は自宅方面であり、なんだか運命のようなものさえ感じられた。

 そうして歩いていた時、これまでゆっくりと指し示す方向を変えていた羅針盤の針が突然180度回転した。


「おや?」


 何かあるのかと顔を上げ、羅針盤の指す道路をふと見ると、一人の女性が立っていた。

 信号の無い横断歩道を渡ろうとしているその女性は手に持っていたスマホに着信があったらしく、道路の中程で視線をスマホへと落とした。

 真横から迫り来る大型車の存在にすら気づかずに。


「危ない!!!」


 私は思わず飛び出していた。

 革靴の底がアスファルトを蹴飛ばし、女性の体を抱きしめて道路へと転がる。

 甲高いブレーキの音が鳴り響き、自動車の運転手が寸前でハンドルを切ったことで私と女性はかろうじて車との接触を避けることができた。


「あっ、ありがとう、ございます」


 突然の事で動揺する女性は気を動転させながらも私に礼を言った。

 しかし私の耳にはそんなお礼の言葉など耳に残ってはいなかった。

 本日二度目の運命の出会い。

 それは私といずれ妻になる女性との出会いだった。



「この羅針盤は本当に凄い!!!」


 私はあの日以降何をするにも羅針盤に従った。

 するとどうだろう。

 行く先々で運命の出会い。

 そして度重なる幸運の連続だった。


 最高の女性、使い切れない大金、人生の友と言える人との出会い。

 加えて地位、名声、人望。

 平凡な人間ならば一生を掛けて手に入れるありとあらゆるものがほんの数年で手に入った。


「……ねぇアナタ、もうその羅針盤に頼るのはやめにしない?私なんだか怖いわ」


 妻は最近になってよくそんなことを言うようになったが、私は心配のしすぎだと笑った。

 そして今日もまた羅針盤が指す場所へと私は歩き出す。

 その場所は初めて妻と出会ったあの横断歩道だった。


「今度はいったいどんな出会いをくれるんだ?」


 そう言って横断歩道へと踏み出した私は、いつのまにか宙を舞っていた。

 甲高い叫び声、鳴り響くクラクションの音、赤く染まる視界。

 最後に見た羅針盤は私の血溜まりの中で、ゆっくりとその針を上に向けた。



「はい、買い取りですね」


 ある骨董品店へ一人の女性が羅針盤を持ってやってきた。

 端金にしかならない羅針盤を女性は憎々し気に売り払い、女性が去ると店主は一人、


「間違いや寄り道も人生。最短で進めば短くなるのが道理。また、とめられなかったなぁ」


と、呟いた。

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