第36話

 その時代、北大陸は荒れていた。

 一人の少女は初めて人を殺めた。

 自分よりも大きな男をナイフで刺し殺し、傷口から口から唾液とともに流れ落ちる人のぬくもり残った血潮を浴びて命を奪う感覚を当時6歳の彼女は知った。

 人は簡単に殺せて簡単に死ぬ。

 その動機は何だったのだろうか?生まれた時から兄と自分に対して日常的に振るわれてきた暴力に対してか、それとも今まで一度も自分に対して愛を与えられなかったことへの不満なのか、彼女は明確な殺意を持っていなかった。

 彼女は革命家であった実の父親を殺害し逃亡する。

 しかし北大陸の冬は長く厳しかった。

 雪山での生きる術、獣から身を守る方法など彼女は何も知らず無謀とも言えるその逃亡はわずか一日であったが、幼い彼女にとっては一生分の出来事であっただろう。

 雪山の中で彼女は飢えた狼に追いかけられていた。

 それもそのはず、ヤツらは戦争がはじまり老中院派のばら撒いた生物兵器によって多くの草食動物が死に私と同じく生きるために何かを食わなければいけなかった。

 弱肉強食の世界で獣は人を食べてはいけないというルールは存在せず、常に弱き存在は強者に食われることが当たり前の世界だ。

 私もヤツらを超えなければ食い殺されるか、飢えて死ぬ……。しかし、私にはヤツらと違って仲間はいない、おまけに武器も持っていない。

 群れのリーダー格の一匹が遠吠えをあげたときヤツらは一斉に私にとびかかってきた。

 この時私は狩られる側になってしまったのだ。

 一匹が私の腕に噛みつくと食い込んだ牙は私を絶対にはなさない、私は内心死ぬことを覚悟……いや、覚悟ではなく諦めたのだ。自然の法則には逆らえない、山の中で一人の私は弱い……だから死ぬんだ。そこに何もおかしいことはない。

 私が殺したあの男は最後どんな気持ちで私に殺されたのだろうか?私を恨んだのか……それとも初めて愛を感じたかもしれない。私はあの男を殺したとき、あの男の最期の表情をよく覚えている。

 ヤツは泣いていた。

 私も今、泣きたい。泣き叫んで許しを請いて生きたい……だが、ヤツらは人間の言葉を理解していない……獲物が悲鳴をあげることにヤツらは何も感じない。

 誰か助けてほしかった……。

 誰か私を見つけてほしかった……。

 兄でもいい、誰でもいい、ただ私を見つけて救ってほしかった。


 そんな幼い哀れな彼女の願いは幸運なことに存在するかしないか誰も証明できない神のもとに届いていた。

 「キャゥン!」という狼の情けない鳴き声でヤツらの動きは止まった。

 ヤツらはヤツらよりもはるかに強い存在、自分たちを狩る者の存在に気が付いたのだ。

 そこに現れた幼い兄が手を引っ張り連れてきた若い女性は拳に付いた狼の血を舐めとりながら「次はどれにしようか」と、おしとやかな優しい声であったがそこには強者の余裕があり狼の選別を始める。

 弱肉強食の世界に生きる彼らだからこそ、その女の出現に本能が反応し各々脳が判断すよりも先に散らばって逃げはじめていた。


「よく頑張ったね」


 私はこの言葉が大好きだ。

 初めて私を褒めてくれた、私を認めてくれた彼女の第一声を私は生涯忘れないだろう。

 片目に掛かった髪をかきあげて私と同じ目線にしゃがみこんだ彼女は美しく、自分をこの地獄から救ってくれる女神にも見えた。

 そこからの記憶は彼女も曖昧であったが数日後、兄が連れてきたその女性が私と戦争孤児をまとめて養子にしたことは覚えている。


「あなたには新しい名前が必要ね……クロエってどうかしら?」


 新しい母親は革命家の子供である私たちに名前をくれた。私たちは新しい人生を与えられた。

 強くて優しくて美しい母親の名前は『マルメア』、普段は教会を孤児院に改めてシスターをしている。シスターといっても彼女は平気で人殺しを行うけど……。

 しかし、彼女は子供と美しい物にはすごく優しい。


「今日もきれいなお花を頂いたのよー」


 定期的に彼女はどこかからきれいなお花をもらってくる。

 特に黄色に染まった百合の花だ。

 彼女は黄色の百合の花を好み私たちが住んでいた教会の一室に飾ってくれていたが北大陸に百合の花は咲かない。「どこでその花を摘んできたのか」と尋ねても彼女はいつも話を逸らして答えてくれたためしはない。

 幼い彼女でもそれが違う大陸から持ち込まれていることぐらいすぐに理解するも単純な兄たちはそれに気が付くことは恐らく最後までなかっただろう。

 私一人だけは母親が北大陸出身ではないことに気が付いた。

 それから母親が東大陸が内戦を続ける北大陸に干渉するために送り込んできた能力者であったことはすぐに分かったが、少女は初めて受ける愛を前にそんなことはどうでもよくなっていた。

 数か月、彼女は一生懸命私たちに沢山の愛を注いでくれた。私も兄も彼女が大好きだったし、本当の家族であると思っていた。

 あの女が現れるまでは――


「あの時約束したはずですよね。私の仕事はこの大陸で起きた内戦による孤児を保護することだって……能力者が居れば大陸に報告することだって守っていました」


 いつものように花の水を変えるため花瓶の置かれた部屋の前を前を歩いていると私は偶然教会の一室、絶対に入ってはいけないと釘刺されたある部屋から聞こえてきた母親と誰かの会話が気になり盗み聞きしていた。

 悪いことだとわかっていたはずなのに彼女はその場から離れることもできずその場で母親ともう一人の女性の話を聞き続けた。


「あなたが送ってきた能力者はみんな使い物にならなかった……既に血は回収したから問題ないんだけどね」

「血は回収した……役立たずになった?まさかあの子たちを」

「そんな顔しないでよ。この戦争は能力者による力を彼らに見せつけるためでもあるんだから戦場の最前線で戦ってもらわないと困るの。それに私だってお気に入りの子たちを戦場に出しているのよ?」

「ホムラとレオですか」

「そう、彼らはあの人と同じ特別な存在よ。強いし命令は絶対聞くし、それに顔がいい」


 レオとホムラ、二人の存在は彼女もよく知っている。

 北大陸の革命軍側のレオ・カーバインと中央政府側のホムラ、二人は能力者でこの戦争に彼らが参戦した瞬間両陣営の被害が増したって話を教会が受け入れている負傷者から聞いた。

 戦場で戦う私の兄も優秀で革命軍の中でも戦果を挙げている方ではあったが、二人の参戦以来能力者を毛嫌いするような発言が増えていた。口癖は「能力者は人の道を外れた愚か者だ」と、何かと彼らを目の敵にしている。それは敵側のホムラだけでなく味方であるはずのレオに対してもだ。

 しかし、母親の話すもう一人の女性はその二人をお気に入りと評している。これは彼女にも引っかかる言葉で、彼女は必死に何かを探ろうとその場を離れることができなくなってしまった。


「マルメア……あなたのやるべきことはわかっているでしょう?あの人の理想を私は受け継いだ。あの人の願いは私たちの叶えるべきことなのよ」

「ならば猶更、子供を巻き込むことは許容されない。その二人だってまだ10代でしょ?この戦いに関わる必要はなかった……!能力者の力をただ誇示するつもりならモモカ一人で十分でしょ!?」


 この時、勘のいい少女は一瞬だが部屋の中に充満する空気の変化を感じ取った。それは扉の外で必死に耳を当てる彼女の膝をがたがた震わせ失禁させるには十分なほどに濃い殺意。


「マルメア……これはあの人の作りたがっていた『すべての人類が平等な世界』を作るための一歩なのよ。そのためには多くの犠牲を払わないといけない……あの人だってその夢のために犠牲になった」


 そして彼女が耳を当てる扉が開かれた。彼女は初めてその女と顔を合わせることとなるが、その瞬間目が合ったというのに記憶が曖昧ではっきりとした顔のパーツを一つも覚えていなかった。

 その日から母親はあの時の……あの日私が初めて殺したあの男と同じ目をしながら私に戦い方を教えた。

 目の前に現れる者はみんな敵、兄も自分さえも敵であると母親は教えた。


「あなたは強い子よ……私の自慢の娘ですもの」

「お母さん……何を言っているの?」

「あなたはこの戦争に勝って自由になるの……そのために私の血を」


 彼女は自分の血を注射器で私の中に注射する。

 その日からだっただろうか……私はアタシというもう一人の自分、破壊衝動を抑えることのできない『悪魔』をその体に宿したのは……。

それから母親は孤児が全員が12歳を超え北大陸では自立できる年齢になったとともに突然私たちの目の前から姿を消した。部屋に残された置手紙には『東大陸で行方の分からなかった残された家族を見つけた』とだけ記されていた。




 そのときは突然だった。

 朝早く避難した者たちが何者かに盛られた毒から目覚め始めたころ、避難する屋敷の壁が破壊される音が彼らの不安を掻き立てる。

 当然、島の英雄と大陸のお姫様はその破壊された壁の位置を知っていて、その部屋に一直線に向かったさ。結果は誰もが予想していた通り彼が居なくなっていた。


「これは見事な大穴を開けて行ってしまいましたね」

「…………これが彼の癇癪であれば叱ることもできたのに」


 破壊された壁とは別の方向、入り口からではわからなかった壁側を見て冷静に状況を理解したアルトはソレがソラの癇癪でないことを理解し、彼のずっと悩み続けていた天秤が揺れ動いた。


「お姫様……これが」

「…………ッ!?まさかこれクロエの」


 壁には『鉄塔で待つ』の文字と彼女のメイドが身につけていたブレスレットがナイフで貼り付けられていた。これを見たソラは怒り狂って誰にも相談することなく考えるより先に行動してしまったのだろう、とアルトは推測する。

 すると壊された壁の向こう側、丁度鉄塔のある方角からだった。突如、光輝いた空を見上げたアルトは自身の今までずっと揺れ動くだけだった曖昧な天秤が遂に決まる。

 彼はようやく後者を選ぶ覚悟を得た。

 チャンスは今しかない。




『お、おいレオ・カーバイン……お前これから何をするつもりなんだ』

「キミが気にすることは無い。ただこの島である実験をしたいだけだよ……ああ、そうそう、キミのデスクに置いてある書類だが今すぐ処分してもらいたいんだ。あの女に勘付かれた」

『な、なんだって!?わわわ……わ、私はお前に協力した覚えはない!私は無実だ』

「もう無駄だよ。早く燃やして胃の中に入れないと我々との関係があの女と大陸だけでなく中央にもバレてしまうよ」


 電話の向こう側で怯える議員は本来我々とは敵対するはずの中央が推薦する男であったが、彼も人間であった。我々と敵対しようが彼にも生活がある……家族を養うことやいい生活をするには金なくしては叶わない。

 彼は悪魔に魂を売り、中央と我々にいい顔をし続けた。そして今そのツケが回ってきたのだ。

 彼は今ここで選ばなければいけない。我々にこのまま付くのか、それとも中央に今までのことと私の目的を話すのか……どちらを選ぼうと彼が無傷で助かる方法はない。

 私は彼が向こうに戻るというなら口外されてはいけない情報を教えていたので消さなければいけない。彼のデスクに置いてある物というのも見える場所にわざと置き、見てしまったからにはこちらに付かなければいけない状況を作り出した。


『わ、私を守ってくれるのではな―』


 電話相手はこの島を私に提供してくれた優しい人であったが、私は彼を生理的に嫌っていた。どうも彼と喋っていると帝国の貴族たちを思い出してしまう。

 しかし、により私は漸くうるさい電話を切るきっかけができた。電話の向こうの彼も爆発音の様なモノが聞こえて察していてくれれば助かるが、彼にそんな余裕があるだろうか?

 折り畳み式の携帯を投げ捨てたリッパーはようやく表れた主役に笑みを浮かべる。


「まさか……もうキミがここまで来るとは思わなかったよ。その傷、まだ寝ていた方がいいんじゃないか?」


 約束の場所とも言える鉄塔に現れた少年は私の煽りに反応することなく、未だ目を合わせずただ立ち尽くすだけだった。

 だが、これからここで何が行われるかは彼も勘づいている様子で何かを数えているようにも見えた。恐らくは彼を狙う私の部下、ミレイネを筆頭に集まった対悪魔専門部隊……一人一人の位置と数を確認している。


「彼女はどこだ……」

「彼女は今ここにはいない」

「今すぐ出せ。さもなくばお前をここで殺す」

「…………怖いねぇ。あまり品性の欠けた乱暴な言葉を使うもんじゃないよ」


 しかし、彼の言葉は本気であった。望みの人間、彼女を今すぐ差し出さなければ私含めここにスタンバイする私の部下にまで手を出すような……そんな雰囲気だ。

 だが私は彼の要求を呑むつもりはない。私は今、彼に対して一番有効なカードを持っているのだ。それなのにこんな早くからいい手札を切っていたら一番効果的なタイミングで彼を負かすことができなくなってしまう。


「彼女は無事だ……まあ、キミもその目で見たら安心することができるだろう。出てくるんだ」


 男の呼びかけに人の背丈ほどまで伸び散らかした草の生い茂る鉄塔の裏から彼女は現れた。

 まるで最初から抵抗しないとわかっているかのように彼女を拘束する物もなしに彼女は男の傍までゆっくりと歩み寄ってきた。

 いつもの丸眼鏡はソラが持っているため彼女は掛けていなかったが、吹き始めた風に煽られた前髪は相変わらず柔らかい金色の絹糸のように細く繊細なものであった。しかし、その下の表情にはいつもの柔らかさを感じられない。


「……なんでここまで来たんですか」

「…………」

「なんか言ったらどうなんですか……お嬢様からの命令、それともあの男がまた時間を稼げと」

「無事でよかった……」


 演技をする彼女は思わず「は?」と素で言葉が漏れてしまう。それもそのはず、彼女は彼女であるがソラの気に入るメイドとしてのクロエではなかった。


「アンタ……アタシがあのいい子ちゃんの私だと思ってんのか?アタシはアンタをお嬢さんを裏切ってここにいるんだぞ?」

「それがどうした」

「だから……アタシは帰る気はないって言ってんだ。宮殿で起きたあの日から……いや、それよりもずっと前からコイツとアタシは計画を立てていた!それなのにアタシを連れ戻す?」

「そう言った……キミのいるべき場所はここではなく彼女の傍だ」

「バカなんじゃねぇの!?自分を見つけられないアンタにアタシがいるべき場所なんて分かるわけねぇだろ!」


 そんな罵声を浴びせられても彼は引き下がる様子を見せなかった。本当に彼女を連れ帰るためだけにここへ来たのか?

 リッパーはすこし焦りを感じていた。

 彼の目的はソラを利用しある儀式を完成させるつもりだった……その儀式は彼と同じ境遇、同じ絶対者に魅入られた者であれば誰でも察知できるものだった。だから、彼がこの場にそれを感じることなくただ彼女のためにここへ来たというなら計画をまた変えなくてはいけなくなる。


「話しすぎだ……」


 リッパーの苛立ちはその声色によく表れていた。その場に居合わせた誰もが彼の放つドス黒い何かに勘付き身構える。

 それは二人も同じだが、ソラだけは少し特殊だった。


「ウッド……キミの目的は彼女の救出だけなのかな」


 彼はすぐさま瞬発的にリッパーから後ろに飛び下がり鉄塔のちょうど真下に不自然に置かれた植木鉢に視線を向ける。

 ソレを見てリッパーは心の底から安心していた。


「やっぱりか。キミは彼女を助け出すというのは本心なのだろうが、目覚めた理由は別なんだろ……誰にこのことを教えられた?」

「お前に話す義理はない」

「アルトではなさそうだ……まさかまた夢で彼らの歴史を見たのか」


 よかった。彼は魅入られた人間であった……。


「さて、ここに来たということは私が今から行う儀式のことも当然知っているな」

「ヤツを呼び出して何をするつもりだ……」

「世界を変える。そのためにはまずヤツの復活が必要不可欠なんだよ」


 リッパーの呼び出そうとする世界樹の降臨には儀式を必要とした。

 彼がこの世界、いや世界を管理するようになってから彼はまず二人の王を生み出した。

 二人は相反する存在。お互いに反発しあい、そして魅かれ合う唯一であった。

 世界樹の復活には『正義』と『悪』、『原初』と『終焉』と彼らのように相反する存在が必要不可欠。

 そのためリッパーは自分の対極に位置する者がホムラであると考えていた。いまだにそう思っている。

 しかし、世界樹を復活させるうえで一番必要なのは世界を巻き込んででも叶えたい野望を持っていることであった。けれどもホムラの持つ正義は『自己犠牲』から成り立つモノで世界樹からすればつまらない野望である。

 だから一度私は世界樹の復活に失敗している。

 だが、今回は違う。

 目的も夢もすべてが謎に包まれる異質な存在である彼は特別だ。


「私はここでヤツを復活させ世界を変える……すべての歴史を修正しすべての人間は今ここで平等の存在となるのだよ」

「力でしか世界を変えられない男が平等を作る……馬鹿言うんじゃないよ」

「ならば止めてみるか?」


 その問いへの答えはわずか数秒、お互いの能力が発動され最初の攻撃を仕掛けたのはソラだった。

 リッパーの腹部を貫いた植物の根、そしてソラの胸元を切り裂いた鎌鼬はほぼ同時でほんの僅かにどちらかがどちらかを超えていたらここでこの戦いだけでなく物語は終わったであろう。

 ソラの戦闘面の成長は確実に伸びていた。だが、それでもソラはリッパーを超えることができなかった。


「素晴らしい……敵でなければ純粋にキミを褒めてやれたというのに敵であるが故に利用し終わればここで殺さなければいけない。まったく残念だ」


 男は自らの腕を噛みながらゆっくりと腹部を貫いた植物の根を抜く。根が筋肉に擦れるたびに腕を噛む力は増し、抜いた後も流れ続ける血は鉄臭く着ていた衣服が肌にくっつき嫌な感覚を覚える。

 久しく流した血を見て彼はまだ自分が人間であることを実感するとともに苛立ちを感じていた。


「能力と同化する私の本体を的確に狙うとはあっぱれ……と言っておこう。だが、最後まで立っていたのは私で貴様は私に負けたのだ。これより儀式の最終工程へと移る」


 その呼びかけに合わせ現れたのは14人の男たち、全員が身に着けているのは白装飾。一人一人の手には刻印入りのナイフ、人の腕を簡単に切り落とせるほど手入れされこの時のためだけに用意された特別な物だった。

 クロエはこれより先に起こることを知らされていない。対悪魔専用の部隊である彼らがなぜ装備を外し白装飾を身にまとい現れたのか見当もつかなかったが、その光景を見るだけで何か嫌な雰囲気だけは感じとれる。


「世界樹は罪人の魂と体を欲する……14の魂と肉体だ。悪魔を殺すために地獄へ一度降りた彼らは罪人と同じ魂を持つ。私は世界樹への供物として彼らの魂を昇華させる」


 すると14人の男たちは同時に自ら喉を切り裂いた。

 その動きには迷いはなく死を望んでいた。


「な、なにやってんだ!?」


 これには彼女は困惑することしかできなかった。目の前でいきなり集団自決を行い魂の質量をもたないマネキンのように転がった男たちが不気味でしょうがなかった。

 やがて地面に広がる彼らの血だまりから無数の血でできた赤い鎖が現れる。それは連なり見方によっては何かの魔法陣のような模様に見えるようでもあった。


「そして今ここに我が血の契りよって絶対なる我らが祖はここに顕現する!」


 その瞬間、男は自らの右腕を切り落としその陣に向かって血をまき散らす。

 すると同時に島中が揺れ始めた。

 血で描かれた紋章はまるで意思を持ったかのように地面で蠢きどこかへ行こうとあがき始める。

 彼女は本能で何かマズいってことは理解した。だが、動けるか動けないかというのは別問題だ。完全に動くことをやめてしまった足は意識だけでは動かすことはできず、上半身すらも石化するように自由を奪われる。


「ハハハッ……!やっぱりか、やっぱりキミが鍵だったんだな……だから私の前に現れた。だから私と敵対する!」


 地面が血と同じ赤く光輝いたときヤツの失った左腕が再生しはじめ新たな紋章と無数に枝分かれする緑色の痣、何かがその中を流動する新たな腕を手に入れた。

 その新しい腕をなでながら男はこちらに顔を向ける。

 その瞬間ヤツはアタシを殺すつもりだって勘のいいアタシは悟った……。

 体に自由はない、鉛のように重くなった足は動くことを拒否して、体はびくともしない。戦うことを決意するもその意思はいつの間にか『無』へと上書きされる。

 戦うことができない……。

 再び人生において生きることを諦めかけたそのときだ。

 ヤツがこちらに手を向けると体にぶつかるような強い衝撃が感じられた。アタシの脳は完全にヤツからの攻撃か何かかと錯覚していたが、その衝撃を受けた部分から人間と同じ体温を感じて始めて彼に気が付く。

 ヤツと同じく枝分かれした緑色に輝く痣が全身に現れた彼、死にかけのソラはアタシを抱え鉄塔から遠ざかっていた。

 見る見るうちに離れていく鉄塔を視界に入れながらあの光から離れたことで自由を手に入れたアタシはソラの背中を叩き続ける。

 無性に悔しくて、腹立たしくて涙が止まらなかった。


「なんでアタシを助ける!アンタ一人で逃げればいいのに……そうすれば簡単に逃げられる。アタシはどういうわけか戦えない……足手まといだ!」

「それ僕には関係ないだろ。僕は自分に従ってキミを助けたんだ」

「アタシはアンタに頼んでない!」

「だから僕は勝手にキミを助けたんだ。キミの意志なんざ関係ない」


 彼はアタシがスピードで腕から離れないように強く抱きしめさらに加速する。

 彼に抱かれると誰かに似た安心感がある。アタシを離さないという強い意志と優しい『何か』が彼の腕にはあった。


「なんでアタシに干渉するんだ……アタシはアンタを殺そうとしたし、アンタらを裏切っていたってのに」

「ならばキミはどうしたい……ぜひ、キミの答えを教えてくれ」


 アタシはどうしたい……?

 アタシはどうしたいんだ……?

 ソラの問いに対しての答えをアタシは持っていなかった。

 生きたいわけでもなく、死にたいわけでもない。お嬢様から離れたい……こんな裏切っていたことを彼女に知られることはすごい嫌だから今すぐ彼女のいない場所に逃げたい、だけどこの体は、私はソレを望んでいない。

 アタシもそれは嫌だ。

 アタシには生きる目的はない……叶えたい夢もない、未来もない、過去も存在しない、好きな物もない、嫌いなものもない、誰かを好きになったこともない、戦いしかアタシを肯定するモノがない。

 なんの取柄もない、それがアタシだ。

 そんなアタシがあのお人よしのお嬢さんから離れれば本当に生きる意味を失ってしまう。

 なんて情けないんだ。


「…………アタシはどうしたいんだ」

「答えがないなら僕に従ってもらうよ。僕はキミを守る……」


 山を駆け下りやっと街の方まで出られたころ鉄塔のある方角から光り輝く巨大樹、宮殿に現れたあの巨大樹よりも数倍は大きいソレは背伸びをするよう枝を広げては島の空に代わる新たな天井を作り出す。

 一本の巨大樹によって空を奪われた島であったが、その巨大樹の放つ光によって暗闇は存在しなかった。


「あれはアンタの出した物か?」

「違う、アレがヤツの復活させたかったモノだ……僕はアレの復活を阻止できなかった」

「アレって?」

「世界樹……あの眩しい巨大樹が認めた人間の願いをなんでも叶えてくれる権力者がこぞって欲しがる万能な物だよ。宮殿に現れたものと違って今回のは本物のようだしね」

「じゃあリッパーの願いが叶うってことか!?」

「いや……わからない。僕の体にもヤツと同じような痣が全身に現れている。これが成功なのか失敗なのか判断することはできないが、新たな世界樹がこの世界にまた現れてしまったのは事実だ。あとはこれから何が起きるかを観察――」


 二人は自分たちに向かって急速に近づく『何か』に気が付いた。ただでさえ陸上生物が追い付けない速度で移動するソラであるが、彼に近づくソレは彼を優に超えている。

 彼の遥か上空、世界樹による光のなかに一つ黒い点が存在した。

 突如目覚めた常人とはかけ離れる身体能力で逃げるのがソラであるなら、その存在はまだ人間であった。しかし、ただの人間と違う点をあげるなら彼は風を使役する。

 風は彼の体から空気抵抗をなくし、風は彼の前から障害物を除き、風は彼に自由な空というフィールドを与えた。

 空中に空気の層を作り音を置き去る音速の目標は一つ、ソラは自分の体に植物を生み出し盾にすると彼女を抱きかかえ衝撃に備える。

 次の瞬間、背中を貫くような衝撃と背後からかかる圧力は彼の脳を揺さぶった。飛びかける意識であったが地面に叩きつけられたことで辛うじて……嫌でも彼は意識は取り戻すこととなる。

 残った意識でクロエを植物にキャッチさせるとソラの体は勢い殺すことなく付近の建物の壁や家具を破壊しながらやがて停止した。


「人間は常に自分が特別だと思っている……否、そう思わなければこの世界で生き抜くことはできない。だが、私とキミは違う。本当に特別なのだ」


 動け……。

 動け……動け動け…………!


「そうは思わないか少年よ。だから私は私が特別であり続けられるこの世界が好きなんだ……大好きなんだ。愛している。この人間の織り成す世界、大地、自然すべてを愛慕しているのだよ」


 地上に降り立った天使、悪魔かそれとも神であるのか人間を超越しその右半身に刻み込まれた痣は一見刺青のようにも見えるが、それはまさしくこの世界を管理する者によって認められた証だった。

 そんな男に勝てる者はこの地上にはいないだろう。

 彼の良き好敵手ライバルも現在の彼には敵わない。

 ゆっくり……ゆっくりとソラの射程距離に入り込むリッパーは彼が自分を殺せないと理解していた。だからその歩みには余裕がある。


「ま、待ちな……クソッタレ。アンタの相手はアタシだ」


 自分に巻きついたツタや蔓を振りほどきながらメイド服のスカートの下に仕込んでいた一本のナイフを取り出す。

 彼女自身、目の前に現れた男に勝てる確率がゼロであることは何となく予想はできている。勝負を仕掛けたところで無様に負けるのが落ちであることは想像ができていた。

 けれども退けない理由ができてしまった。

 横目で無様に家屋が上にのしかかってきて動けなくなった彼に向かってほほ笑むと彼女の表情は戦うときの獣に似た狩る者のそれに変わる。

 なぜヤツに向かってナイフを向けているのか……今、ヤツの方に付けば私は確実に生きていられるというのにアタシはヤツに対して武器を構えている。

 つまりアタシは今までのヤツとの協力関係を破棄したということで情報や邪魔者が増えることを許さないヤツはアタシを殺す。

 そうなれば逃げるにしてもリッパーに勝つにしても必要なのはソラだ。ソラが居なければ自分が生きる道はないと悟った彼女は最大限の時間を稼ぐことを優先する。


「や、やめろ……僕は」


 いいんだ……これでいい。

 お前もこれでいいだろ?


「ま、待って……くれ」

「ちょうどいい。私が得たこの力を試すには弱すぎず強すぎずなお前が丁度いいんだ……お前の兄とも数度戦い未だ決着はついていないがアレの妹を倒せば少なからずヤツへのダメージはあるだろう」


 シャドー!彼女を守りたい……あの時みたいに力を貸してくれ!

 ソラはいつものように心に住み着く彼に声をかけるが返事はなかった。それどころか、彼のいた場所にはぽっかりと穴が開いたような喪失感がある。

 ソレが世界樹との接触による弊害であるのか前回も世界樹の出現とともに世界樹の中でも彼と会話することができなかった。今回もそれなのだろうか……。

 しかし、今がそれでは困る。シャドーの力がなければリッパーと戦うことはできない。

 そんな彼を置いて二人の戦いはクロエの先制で始まってしまった。

 

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