第35話

 風が冷たくなり始めた時期だというのに男はサンダルとステテコ、そして金色の狼の刺繍が施されたタンクトップを身に纏い一人公園のベンチに腰を下ろしボンヤリと子供たちの元気な姿を眺めていた。

 彼の守るべき優先順位は常に彼らであった。

 何気ない毎日、守られているということを知らなくていい世界というのが彼の目指す世界。


「すまないなホムラ……待たせた」


 背後から声をかけてきた若い男はこの大陸の政治家、その男の上司の秘書である。

 彼はホムラと接触されることを誰にも悟られてはいけなかった。そのため逆向きに置かれた二つのベンチにはお互い背を向ける形で座ることとなる。


「先日の件だが……ご苦労様。ロムたちや新人君に直接言いたかったものだがな」


 先日の件とは東大陸の宮殿で発生した治安部隊とある武装組織の衝突のことでウチはロム部隊が直接関わっていた。

 お嬢様の護衛という任務がいつの間にか薔薇の傭兵との戦闘、そして薔薇に紛れ地下帝国の親衛隊が掛かっていることが判明し現在政治家たちは頭を抱えながら今後の展開を予想し、そのための兵力の補強を会議しているところだった。当然、彼もその会議には出席しているが、それ以上に重要な情報を持っていた為ホムラとこうして密談することとなっている。

 そして彼はフロッピーディスクを俺の座るベンチに封筒を滑らせた。受け取った封筒の中身を確認するとそこには一つフロッピーディスクと写真が入っていた。


「これは?」

「例の議員が持ち出した物だ……私がキミとこうして密談するしかない理由と言ってもいいな」

「なるほどな。確かにコレは悟られちゃいけないな」


 受け取ったフロッピーディスクには『ω計画』、そして古い写真には二人の人物が写っていた。


「フロッピーディスクの方はモモカさんに処分しておけと言われたが、私自身ソレに何が入っているのか気になってな。キミ達に解析を任せたい」

「で、この写真は」

「私が宮殿の資料室から抜き取ってきた面白い物だ」


 封筒から写真を取り出すと埃まみれであったがチェキであることが分かった。それも今から数百年前、西暦の時代であることは確かだ。

 般若の頬当てを付けた若い女性が白髪の男に抱き着いているだけの一見唯のカップルの記念写真にも見えるが、その二人の面影は誰かに似ている気がした。二人の特徴ある顔のパーツを足せばある人物が浮かび上がるのだ。


「こいつはどこにあったって?」

「宮殿の資料室……それも禁書指定『アルナカートの古文書』が保管されていると思われる場所でだ。モモカさんと入る機会があってな……あの人も何かを回収していたようだが」


 写真の裏側には消えかけの文字、しかも見たことのない文字であった。文字一つ一つに丸みがあったり角があったり法則性がありそうだが、ぱっと見ではソレを解読できそうにはなかった。

 だが、二人は彼に似ている。

 他人の空似とは思えないほどに似ていたが、時代を考えれば彼の生まれた時代は今から数百年前と言うことになってしまう。


「アルナカートの古文書とその写真がどう関係あるのかわからないが、彼はなにか関係があるんじゃないかな?」

「いや、しかし……それだと矛盾が発生する。なぜ彼は俺達よりも若いのかとか……彼の先祖であるというなら納得もいくが、それにしては血が濃すぎる」


 するとウエムラの電話に着信があった。画面を見ると彼の顔から血の気が引いた様子を見るにあの女からの電話であることが画面を見ずにも理解できる。

 終始「はい、はい」と相槌を打つウエムラであったが電話を切ると肺が裏返るかと心配になる程の深いため息をつく。


「恐らくキミとの接触にあの人は気が付いているが直接触れることは無かった……が、キミ達に仕事があると伝言を頼まれてしまったよ」

「あんたは従う人間をそろそろよく見極めた方がいいんじゃないか?」

「ハハッ……そうかもしれないな。だが、常に強い方に味方していた方が何かと有利になる。媚びを売って損はない……お互い利用し合うウィンウィンだ」




 全ての命を育む自然へと捧げる『舞い』、出雲の島に代々続く死者を弔う儀式であるソレは避難する住民総出で行われていた。

 命の母である海と父である大地、そして人類最初の発明と言っても過言ではない島の守り神でもある炎の神に彼らは祈りを捧げる。

 今回はいつもと違って大陸の宗教も混ざっているがそこは自由の島であった。宗教、人種、言語が違えど皆命を持った同じ生き物でありそこに違いはない。島では古くから『死ねば皆、英霊となり同じ場所に到着する』、そう考えられてきた。

 伝統技法を用いた龍の描かれる扇子を両手に持ち奇怪な面を着け舞いを踊るのはこの島の英雄。

 彼に合わせ揺らめく炎は勢いを増しているようにも見えた。

 カレンは妖艶な美しさを秘めた可憐で儚い蝶のように舞う彼から一秒たりとも目が離せなかった。ハッキリ言って普段の陽気なイメージとはかけ離れたギャップにかなり困惑している。


「凄い……」


 圧巻だった。それ以上の言葉を探すが、どれも上辺だけのキレイごとへと成り下がってしまうほどに彼の舞いには形容しがたい美しさがあった。


「お姫様、俺だって真面目な時は真面目にやれますよ」

「いや、でも……凄く、すごかったんだもん」

「これ以上ない御言葉ありがとうございます……それより」


 普段から伝統よりも最先端な新しい物に興味を持つ彼女が彼の舞いに興味を持ったのは何かの大きな第一歩となるかもしれない。

 舞いを終え近づいてきた彼にこれ以上ない語彙力で迎え入れるが、すぐに話題は他のモノへと変わった。もっと舞いの話で盛り上がりたかったカレンは複雑な気持ちで会話を続ける。


「それより……ソラくんはまだあの状態なんで?」

「舞いを見ても何してもあの状態じゃどうすることもできない……」


 屋敷の縁側に座るクロエの肩に静かに凭れもたれ掛かるソラの目には覇気どころか生気すら感じることはできなかった。ただ瞳に移るのは松明から散る火の粉、それ以上の何かを彼から感じることはできない。

 生きる屍、死人のようになってしまった彼は今や何もすることができない。戦うことも逃げることも……。


「そのうち立ち直ることを願うしかないな……俺は彼を信じている。この島から脱出するには彼の力が必ず必要だからね」


 そういうと彼は服を着替えると言って屋敷の中へと姿を消す。

 だが、アルトの向かった先は屋敷の門であった。外は完全に暗闇が島を包み星が瞬く澄んだ夜空の日だった。

 門に近づくとアルトは周りに人が居ないことを確認しそこに居るであろう男に話しかける。


「何をしに来た……場合によってはここでアンタを殺さなければいけない。ソレが契約だからな」


 クスクスと笑う声が門の外から聞こえてきた。

 門の向こう側に居るヤツ、俺達がここに避難することとなってしまった元凶と言ってもいいヤツの存在は俺にしか感知できず、ソラを看病するメイドでも気が付くことはできなかった。


「まあ、なに……女神の活動限界を見計らって様子を見に来ただけさ。正直なことを言えばお前は戦える人間が居ないここで私と戦いたくはないだろう?だから私はこの中に入るつもりはない」

「そんな気を遣えるってなら大人しくこの島から出て行って欲しいモノだな……あの胡散臭い議員がアンタらを匿っていたことに気が付かなかった俺は馬鹿だった」

「それより彼の様子はどうなんだい?目覚めたのかい」

「ああ、お陰様で精神が崩壊した状態での目覚めだ。だが、回復すれば今度こそアンタら本当に死ぬぞ……今の内に野望を捨てて政府にごめんなさいすれば命だけは助かるんじゃないのか?」


 それは忠告であるが、地下帝国の住民全てが助かるための助言でもあった。

 しかし、その男にはソレが響くことは無い。一笑するとその忠告を一蹴した。


「アレの目覚めはもう時期、いやすぐだ……それまでに彼を復活させることをオススメするよ。今、私を止められるのはお前でもホムラでもなく彼だけだからな」

「そんなことを俺に教えちゃってもいいのかな……」

「良いから教えている」

「後悔しても遅いぞ」


 既に門の向こう側に居る男は居なくなっていた。

 そよ風を残し音もなく去っていった男は自分に勝つための最大のヒントを残していったがアルトにはそのヒントを活用する術を持たなかった。

 頼みの綱であるソラは今や死人と同類、精神を破壊された人間が立ち直るにはどんなに長い時間があっても無理な可能性がある。

 一昨夜、目覚めた彼は部屋で暴れメイドを襲おうとしていたが、残された理性で堪え自分を『アイザワ クオン』の息子であると名乗ったがクオンとは誰だ?お姫様の話じゃ彼は両親の記憶が無いって話じゃないか……では、育ての親のことを言ったのか?

 彼には謎が多い。だから自分を倒す可能性を秘めている、というヤツの助言には信ぴょう性があった。

 しかし、今の彼をヤツにぶつけるのは得策ではない。彼は今、潜在的に安らぎを求めている……メイドから離れないのが何よりの証拠だ。

 彼は自分の居場所がようやく見つけられたかもしれないというのにソレを破壊するのは酷く気が引ける。だが、彼には戦ってもらわなければ島民もお姫様もこの島から脱出させることができない。

 究極の選択を迫られていた。

 一人の幸福を優先するか、大多数の命を優先するか……天秤にかければ一発の重さを持っていても彼にはソレを即決する程の勇気と度胸はなかった。

 しかし選ばなくてはいけないのは圧倒的後者、どんな状況でも大多数を選ばなければこの世は成り立たない。同じ相談をここに避難した彼らにすれば自分たちを選んでくれと言うだろう。


「どうすれば良いものか……大陸の人間を呼べないなら誰を頼ればいい」


 そしてまた一日が過ぎようとしていた。

 彼はベッドの上に座り既に暗闇に包まれた窓の外を静かに見つめていた。

 そこに何が見えるのだろうか?アルトは不思議に思いながらソラの体を濡れたタオルで拭く彼女に質問をしてみた。


「何が見えているんだ?いったい……」

「さぁ……私には何も見えませんよ」


 そしてまた静かな時間が生まれた。

 苦痛でもなく心地いい時間でもない。誰もそこに言葉を求めず、ここに居る誰もこの静寂を破壊することは望んでいない。

 戦いを知る彼らはこの時間が好きだった。

 何もない、何も生まないこんな時間が彼らにとっての幸せだった。


「また光が消えた」


 ソラはこのとき初めて口を開いた。

 恐らく誰もいないと思っている。

 だから誰も返事はしないし、彼は返事を求めなかった。

 光が消えた場所なんて一つもないし、彼の見る景色は何も変わっていなかった。


「幻覚なのか?」

「幻覚じゃないよ……アルト」


 彼は俺の言葉に返事をした。


「お前はいったいどういう状況なんだ?」


 しかし、返ってきたのは沈黙だった。答えられないのか、それとも答えたくないのか……誰にもわからない。

 正直に言って不気味だった。


「僕はまた人を救えなかった……いや、人を救うだなんて僕らしくない。僕は何がしたいんだ?誰かを助けるのか……いいや、僕は人から何かを奪って生きてきたんだ。じゃあ、何のために僕は傷ついて誰かを助けようとしているんだ?」

「お、おい……少し落ち着け」

「ハハッ……そうかお前か……お前たちが僕に干渉を。なぜ僕に干渉する!僕は僕だお前じゃない……誰なんだいったい。なぜ僕にその責任を押し付ける!」


 一人ではなく複数人だ。彼は複数人を相手に何かを探している。


「やめてくれ……僕は、僕は……」


 蹲り布団に包まり外界から身を守ろうと必死になっていたが彼の聞こえる幻聴は止むことが無いようだ。

 喘ぎ藻掻き悲痛の叫びをあげながら何かから逃げ出す彼は救いを求めていた。手を伸ばしそこに救いがあることを信じてただ自らが生み出す幻覚、拷問に耐え何とか自我を保っている。

 悲しいことにその幻覚による拷問こそが彼の意識を繋ぐ重要なモノだった。

 彼女はこうなった彼に優しく触れ何かを囁く。俺には聞こえない彼だけに向けた何かを囁くと決まって彼は落ち着きを保ちまた深い眠りにつくのだった。

 何を言ったのかを聞いても彼女は答えない。俺も深くは聞くつもりもない。


「明日、俺はヤツらの行動を探りに行く……お前はお姫様と彼を頼む」

「……ソラさんはまだ戦わないといけないのでしょうか」

「戦ってもらわないと俺らが助からない」


 ならばどうやって彼を立ち直らせるのか……そんな疑問はアルトにも浮かぶが、それ以外に住民をここより安全な場所へ避難させることはできない。

 住民に紛れたあっち側が居ることはわかっているから無理やり聞き出すことは可能であるものの戦力が二人でどうこうできる問題ではない。だから彼が必要なんだ。


「とにかく彼には復活してもらわないといけない」


 そうしなければこの島に眠るアレの復活を止めることができない……。



 そこには何もないが存在していた。

 残留する誰かの思念、怨念、呪怨と人の思う何かが形となって、或いは霧のように視界を妨げない程度にそこに滞留しその後悔を表しているようにも見える。

 そして彼らは僕にソレを押し付けようとしていた。

 初めて世界樹を見たあの日、フルフェイスの男と崩壊した世界で見たあの日から彼らが僕の中で、いや僕がこの場所に住みついているのかもしれない。

 彼らは僕を操ろうとしていた。自分の理想を叶えることのできなかった者たちが僕の体を使ってソレを達成しようとしていた。

 時折、僕は僕らしくない言動を行ってしまう。その中で人が死んで悲しいと感じるのは初めての経験だった……。

 沢山の人間が発する魂の叫び、悲鳴は喘ぎに近く僕の耳にへばり付いては離れない不快な感覚。

 ソレがいつしか敏感に感じるようになっていた。

 世界樹を狙う目的だってソレを知りたいという『好奇心』がいつの間にか人を助けたいというヒーロー的思考に置き換わっていた。いったいいつからなのだろうか?

 すると目の前に突如現れた包帯のソイツは何も語らず、何もせず、ただこちらをその包帯から覗く深紅の瞳で睨みつける。

 ひどく不気味で、その場から逃げたしたい気分であったが、僕自身が彼らと同じ思念が煙となったように逃げる足を持たず、抵抗する腕を持たなかった。

 ソイツが天井を見上げればそこには一面に水が張り巡らされた水面、ガラスはなくどのようにしてソレを保っているのだろうか。これが心象風景であるというなら現実離れしていても納得がいく。

 その物理法則を無視した水面に映るソイツは白髪の良く知る顔であった。

 何も成し遂げられなかった……無力で臆病なソイツは水面に浮かぶ彼と入れ替わり目の前に現れる。


 出来損ないのヒーロー。


 僕に干渉を続けるのは彼だ。


―私には夢があった……。

―未来ある子供を守るという夢、

―この手で誰かの笑顔を守るという夢、

―凄惨な涙がない全ての人間が平等に安らぎを感じることのできる世界、


 彼から流れ込む過去の歴史、黒いポンチョを纏い豪雨の中をひたすらに走り何かを追いかける。

 走る度に口から洩れ吐く息は白く、裸足で走り抜けているためか彼の走った後は赤い痕跡が残っていた。彼の血はまだ赤かった、人間と同じ赤く体温を感じることができる。


―そして、私は心から『平穏』を望んでいた。


 暗闇が包む街の中、雨に打たれながらも一点だけを見つめる彼の目の前に現れたのは顔中に傷を負うも端正な顔立ちには一切の影響を受けない完成した仮面をつけたヤツの姿。

 その男の傍に拘束され立たされている美しいブロンドヘアーの彼女も僕はよく知っている。何よりの証拠は左目を潰すように縫われた傷だ。

 彼女はコチラに向かって微笑むと次の瞬間、男によって腹を貫かれただのマネキンが倒れるように魂の質量を感じなく崩れ落ちた。

 僕は不倶戴天と言うべきその男に対し憎悪の念を抱き、怒り飛び掛かる。馬乗りになってはその男の顔面が、傷だけでは崩れることのなかったその仮面を破壊するまで殴り、殴り、殴り、殴り続けた。

 ヤツの血も僕のと同じく人間の物であった。ソレには体温があり、粘度があり、そして赤かった。

 僕とヤツは人間ではないというのにヤツも……僕も未だ人間であった。


―私は『平穏』を望む。


 ソレは僕の望みであった。 

 人を助けるでもなく、知識を得ることでもなく、笑顔を守るでもなく、世界樹を知ることでもなかった。

 僕は心からの『平穏』。

 戦いを捨て、過去を捨て、何もかもから逃げ出して得たかったものは最初から決まっていたんだ。



 避難した島の住民たちが寝静まりそこには静寂だけが存在した。

 不自然なほどに静かな空間というのは空気の流れ、虫の羽音や呼吸一つと普段感知することが難しいどんなに静かなモノでも目立ってしまう。

 そんな中で動く影が一つ彼の傍で動いていた。

 見張りは当番制であったがその時ばかりはどういうわけか誰もいなかった。


「アタシはコイツを殺す……アタシは今からコイツを殺す……」


 彼女が彼女であることを否定するため丸眼鏡を外し棚の上に置く。

 ずっとこの時の為に彼の傍にいた。

 彼女は自分に下された命令を反芻しながらソラが眠るベッドに近寄ると胸元のポケットに入れた箱とライターを取り出し、新しい煙草に火をつけた。この煙の臭いで目覚めてくれないだろうか、心の中で考えるが現実はそう上手くいかなかった。

 彼女の意に反し気絶するように眠る彼は瞼も眉一つ動かさずただ静かな寝息が漏れる。

 起きないなら仕方がない。

 彼女は彼の眠る枕元まで近づくと太ももに巻いたベルトからナイフを一本抜き、彼の喉元に体温を持たないソレを当てる。


「なんて顔して寝てるんだ……。アタシの気も知らないで」


 女は手に持つナイフを投げ捨て彼の寝るベッドにダイブしたが、これでも彼は目覚めることは無かった。

 軋むベッドの弾む音は廊下にも響き渡っているはずだが誰もその異変に気が付くことは無い。建物内に充満したガスは島の英雄諸共眠りにつかせ外に居る者たちは一人一人彼女が眠らせていた。

 戦闘兵器とでも言うべき彼女は要領よく全てを熟すが、最後に残された命令は捨てたはずの自我によって邪魔をされていた。

 ソレは本当に自分の自我なのだろうか?もう一人の私に気づかれないようアタシは自問自答を行う。だが、返ってくる答えはない……アタシは答えを持たなかった。


「私はアタシの感情に引っ張られてコイツのことを気にしていると勘違いしちゃうし……なんでこんなガキンチョ一人殺れないんだ!あー!もうムカつく!」


 本来このような時に大声を出すなど考えられない事であるが彼女はそれだけ迷っていた。


「なあ、アンタ死にたいか?今からアタシはアンタを殺さなければいけない……」 


 返事はなかった。


「可哀想なヤツだよ。あのときは偉そうにアタシに説教こいていたってのに今じゃ話す口も持ってねぇてか?アタシ……いや私と同じく自分を見失って自問自答しては苦しんでやがるのか馬鹿みてぇだなお前も……」

「キミは何も迷ったりしないのか……」


 女はソラの眠るベッドから飛び上がり一息で壁際まで後退する。

 毒が作用していない?いや、そんなはずはない……象だってアレを嗅いで三秒で眠ったんだぞ?

 そんな強力な神経毒をこんなチャランポランが耐えられるわけがない。

 だが、ベッドから消えた男は既に背後をとっていて投げ捨てたナイフを回収し、アタシの両腕は掴まれていた。力強く握られた手首は痛いくらいで抵抗しても簡単には解けそうにもなかった。


「……聞こうか。キミは表か」

「ソレを知ってアンタは?アタシが表でなかったとして……アンタはアタシをどう思うんだい」

「僕は答えを知りたいんだ……キミの持つ答えはもしかしたら僕にとってのヒントとなるかもしれない。だから質問させてもらった……」


 答えを知りたい?答えを知りたいのはアタシの方だ……アタシが何者でなんでここに居るのか、アタシが一番知りたいよ。


「残念ながら知らないよ……アタシも私も。どちらが裏でどちらが表でも関係ない」

「…………そうか」


 男は途端に興味をなくし拘束を外すとまたベッドの中へと潜り込み眠りについた。


「なんなのよアイツ……少しビックリしちゃったじゃない」


 彼女は任務を放棄し、外の見張りを代わっていた。代わったというより誰もいないから勝手にやっているだけだが。

 しかし、目的がないわけでもない。定時の連絡、私にはわからないアタシだけが知る連絡を待っていたのだが今日はどういうわけか未だ反応がない。見やすい場所に移動したというのにヤツらは何も知らせない……このまま島からいなくなっているならアタシは何も失うことなく大陸に帰れる。

 どれだけ待っても避難する屋敷の裏山にも港の方にも合図が現れない。だから私が目覚める前に彼の傍に戻ろうとしたそのときだった。


「なぜ果たさなかった」


 聞きなれた男の声だった。彼のではない、酷く虫唾が走る……ヤツの声だ。


「メガネはどうした?彼女は気に入っている物なんだろう」

「アタシは掛けない。邪魔でしょうがないからね……それよりなんでアンタがアタシの前に現れんのさ。約束が違うわよ……」

「安心しろ、アイツはまだ目覚めない」


 アイツとはこの島の英雄のことであるのか、それとも彼のことなのか彼女には判断できなかったがリッパー本人がここへ来たことに不信感はあった。


「契約では彼を殺すことだった……だが、両方殺せなかったのはどういうつもりだ?いや、答えなくていい。最初からキミにやらせるつもりはなかったんだ……こんな計画も元からなかったのだからキミを責めるのは間違っているな」

「黙って消えなさい……もうじき私が目覚める。ここで戦闘を行えばガキンチョは起きなくても英雄さんは起きるわよ。計画が変わったならもっと早く教えて欲しいモノね」

「そうだ計画が変わったんだよ。私は彼を気に入っていてね、ホムラの次にだけど。だから彼には早く立ち直ってほしい……だから粗治療を行うのはどうかと思ってだ。だからキミにぜひ賛成してもらいたいのだよ」

「約束は……?」

「守るさ」

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