第34話

 突然鳴り響いた衝撃による轟音は俺が彼に囮を頼んだ鉄塔の方角から聞こえたモノだ。


「アスタ、彼は無事かい……?」

『私の現世に滞在する時間は残されていないし、保護観察対象は現在貴様に移っているため私はあ奴の下へはいけない。だが、生きていることだけはよくわかる。激しい戦闘だよまったく……数か月のうちに見違えるほど強くなっている』

「そうか……」


 お姫様が言った通り俺やメイドが避難民から離れることは彼らを危険に晒すこととなるが、囮をお願いしておいて安全な場所にずっと居座り続けるというのも気が引ける。

 それに俺はこの島にリッパーが侵入していることを知っているがどこに潜んでいるかまではわかっていない。先日はお姫様をヤツが狙っていたって話じゃないか、猶更俺はここを離れることができない。


「精々死なない程度に頑張ってくれよ……」


 一方その頃、ソラの方はと言うと包帯のソイツと激しい戦闘を繰り返していた。

 戦う理由も何もない二人がなぜ戦うのか、ソレは二人にも理解できないがなぜかお互いはお互いの能力を知っていた。

 二人は似ていたのだ。


「なぜ戦う!誰の命令でここへ来た!」

「お前に言う義理はない!」


 地面に存在する影が意思を持ち動き始め僕の影が掴まれると体から自由が奪われる。

 やっぱりコイツも影を利用する力を持っている。そのとき確信に変わった。


「シャドー!」


 ソイツから伸びる影に捕まったのであれば、つまり僕とソイツは影によって繋がっている状態だ。影を動き回ることのできるシャドーであれば足元からの奇襲ができるってわけ。

 作戦通りにシャドーは影を伝いソイツの足元から人型に実体化し奇襲を行うが、ソイツは難なくその攻撃を躱し人型となったシャドーの体を手刀一閃で断ち切った。

 読まれていた……?

 シャドーの出現する所にソイツは深紅に染まった瞳を向け冷静に対処していたのだ。ソイツに死角はなくどの方向からでもシャドーの動きを予想し第二撃、第三撃も手刀で対処する。

 無駄のない動きは舞いを舞っているようだった。


『ケッ!ヒラヒラとあの舞いをしやがって……まんまと誘われちまった』

「あの舞いを知っているのか?」


 黒い大蛇に実体化した彼は苛立ちをなぜか隠せない様子で僕の下まで後退する。


『ああ、知ってるも何もあの舞いは俺がある男にだけ教えたとっておきだ……そこらの人間じゃあアレは舞えない』

「その男って誰だよ……まさかアイツがそれなのか」

『いやちげぇ……だが、アイツは似ているだけ。ただそれだけなんだ』

「何をしている。早く来い次はないのか?それとも……」


 ソイツは一息で僕の目の前まで瞬間移動を行った。いや、瞬間移動ではないのかもしれない、ただ単純にヤツの身体能力だ。

 僕よりも頭一つ大きいソイツは僕を見下ろし近づけば攻撃が当たるだろうと挑発しているようにも見えた。だが、まだ力の正体がわかっていないのに秘密兵器であるシャドーを使用してしまった僕は追い詰められている。

 誘いに乗るのはマズイ……。だけど、このままの状態の方がもっとマズイ!

 僕の体は鉛のように重く錆びた歯車のように動きが鈍っていた。

 コイツが怖いとか精神的なモノからくるモノではない、動けないのだ。

 指先から関節、呼吸すらもできなくなっていた。

 首をソイツの大きな手に掴まれている感覚も首元に感じる、いや実際に掴まれているのかもしれない。


「なぜ俺に恐怖する」

「怖くなんてない……」

「なぜ俺に従わなかった。あのとき俺はお前にチャンスを与えたつもりだった。だが、お前は今ここに居る。誰を守りに?あのお嬢さんか、それともメイドか?」

「て、テメェ……」

「シャドー、不意打ちは俺に聞かないことを覚えておけ……お前の行動は手に取る様に俺はわかっている」


 ソイツに噛みつこうとした黒い大蛇であったがソイツは視線を僕から動かすことなく左手で掴んでいた。

 ソイツの言う通り、ソイツには死角はなかった。手に取る様にシャドーの動きを感知し少ない動作で彼を無力化する。


「シャドーを……シャドーを知っているのかお前……」

「ああ、よく知っているとも。お前よりもよくな」


 ソイツは僕よりも僕を知っているようにシャドーのこともよく知っていた。

 いったいなぜ?


「ああ、そうか……そういうことか、だからお前が僕の前に現れたのか」

「分かっただろ。お前は世界を救う英雄にはなれないんだ……」


 鉄塔の方から聞こえた衝撃と轟音は再び島中に轟いた。だが、さっきと違うことがあるとすれば……それは位置であろう。

 鉄塔とは程遠い、鉄塔を見る俺達のすぐそばでその衝撃は伝わったのだから。

 屋敷の屋根を塀を破壊し裏庭に落下してきたのは隕石ではなく人間。白目を剥いて全身に黒い液体が付着し弱った男の姿。

 それは彼だった。

 白髪の少年は体中を痙攣させながら何かに抵抗をするがひっくり返った亀が自力で起き上がろうとしている光景にしか見えなかった。

 そんな彼を見て真っ先に走り寄っていったのはお姫様とメイドだ。


「セナ!しっかりして!」


 お姫様が必死に声を掛けるが幻覚からそして現実から逃げ出そうとしている彼の耳に届く言葉はない。

 体は傷つかず精神を破壊するえげつない方法を使用され彼は意識が戻ってもそこに魂はなく、空っぽとなった体だけが残り廃人となるだろう。


「ソラさん!いったいどうすれば……」

「無理だ……この黒い液体を俺は知っている。精神だけを侵すえげつない物だ」

「アナタの……アナタの所為でソラさんが!」

「最終的に選んだのは彼だ!お前らを助けるために彼が選んだ道だ!」


 二人の言い分は間違っていなかった。間違っていなかったからこその怒り、お互いがお互いの言い分を理解しているが認められないのだ。

 だが、感情的になってはいけないということも二人はよく知っている。この島は今、敵に包囲され安全な地帯と言うが敵地のど真ん中であることには違いない。

 だからこそ、こんな所で争いを生むのは得策ではない。

 冷静になろうとするが予想外なことが次々と起こるのは避難民にとっても同じで突如、空から降ってきたボロボロの少年に対して恐怖を感じないわけでもなかった。

 この状況で冷静になれるのはイカレた人間だけ、イカレているからこそこういう状況でよく周りが見えたりする。

 しかし、彼らは純粋で長い間すぐそばで死を感じることはなかった。彼らの眼前に現れた白髪の少年を見て次は自分であると理解した。


「ああ!神はやはり我らを見捨てられたのだ!救いはなく、導きはない!」

「待ってください!皆さん落ち着いて……騒いだってなにも解決しないんですよ!」


 島民の恐怖は伝染する。

 何も理解できず大人の取り乱した様子に恐怖を感じる子供、現実に起きた状況が未だ理解できずすすり泣くことしかできない女、戦いから目を逸らしバケモノに食われることを望み生きることを諦めた男。

 その反応は多種多様であった。錯乱し無差別殺人は発生していないだけ幸運なのかもしれない。


「アルトさん!彼を治すことはできないんでしょうか?」

「…………火だ。おいメイド、火持っていないか?」

「火ならここに」


 クロエはもう一人の彼女がいつも入れる胸ポケットのライターをアルトに手渡す。

 小さい炎であったがそれで十分だ。

 アルトはそう呟くと手のひらをポケットに隠していたナイフで傷つけ血で紋章を描く。ソレは龍のようにも見え、そして同時にモモカの描く魔方陣にも酷似していたが、ソレを知る者はここにはいない。


 地と外界を介する我が祖、我が友なる霊に祈る。

 天裂き大地轟かせそのさまを降臨させば我が体を持ちてし我が願ひを叶へよ。


 彼の家に代々伝わる神への祈り、その代償は彼の血と身体。

 神聖なるものはその体を顕現させるため血を欲し、その願いを叶えるには清き体を必要とする。

 すると彼の願いは彼の友人に届いた。手の甲に描いた紋章は輝き始め彼を取り巻くように地面からはしずくが浮かび始める。

 本来交わることのできない火と水はこのとき融合を果たす。水の中で揺らめく温かい炎が雫と共にソラの体と彼を覆う黒く汚れた液体に飛び込むと内側からその汚れを浄化するよう次々に蒸発する。

 ソラの体を温める炎は淡い緑色に輝き彼を包み込む。


「何をしたんですか……?」

「久しぶりにこの方法を使ったから失敗するかと思ってヒヤヒヤしたよ……成功してよかった」


 そういうアルトの額にはさっきの戦闘では一切流すことのなかった濁流のような汗が、そして荒く肩を揺らす程の息切れを起こしていた。


「彼を部屋で寝かしてあげるんだ……今、非常に落ち着いているが目覚めたときどうなることか、絶対に一人にしちゃいけない」


 そう言うとアルトはよろつく体でバランスを取りながら避難民の下へ行くと彼らを落ち着かせるように説得を始める。

 お嬢さんも大陸の王女として、そして彼らの信仰する宗教の教祖である父の代わりに仕事を全うする。

 残されたクロエは屋敷の寝室でソラを寝かせアルトに言われた通り常に彼の傍に。




 私は誰で私以外の私は本当にソレが私であるのか果たして私は本当に私として存在しているのか私は知りたい。

 誰も僕を僕であると証明できる者は居ないように僕は僕を否定することもできない。

 僕は無力であった。

 そう、僕には力は無く何かを成し遂げる勇気はない。

 そうやって逃げてきた。

 誰から?誰でもない僕自身、僕という最強にして最大の敵である僕から僕は逃げ続けてきた。

 認めることは負けを意味し、敗北を認めることは僕が僕を否定することとなる。

 ソイツが僕であったように僕はソイツであった。

 何も成し遂げられず逃げ続けた愚かで臆病なソイツは僕であった。

 彼らが紡いできた全てを彼は受け止められなかったのだ。


「怖いのか……」


 そう、僕は怖いんだ。


「逃げ出したいのか、何もかもを捨てて自分だけ楽になろうとしているのか」


 ああ、できるものならそうしたい。

 誰が僕にソレを強制できる。僕以外にも変わりは居たはずだ。


 拷問の様な自問自答は永久に続いた。

 彼は僕が認めるまでその質問を繰り返す。彼が誰であるのか僕は知らない、知りたくない。

 全てを知ることは苦痛が伴い、そして責任がある。

 全てを受け入れる責任、全てを受け止める痛み。ただの少年、17という大人になりかける彼にとってソレは試練以外の何者でもなかった。

 誰がこれを仕組んだのだろうか。ソイツは恐らく笑っている。僕を見てソイツは嘲笑する。


 いい余興だ。もっと苦しめ。もっと絶望を享楽に変え俺の為に道化を演じろ。


 ソイツは僕にそう命じた。


 ソイツを僕は追い続けたが、その手が彼に触れることはなかった。


 僕は誰で誰が僕を生み、誰が僕を生かした。


 僕は安息を求めたいた。

 僕は家族を欲していた。

 僕は愛が……。



「父さん!母さん!」


 虚空に向かって手を伸ばしたが当然何も得ることはできなかった。顔も知らぬ父親と母親を思い出し、僕は部屋のベッドの上で一人涙を流していた。

 ベッドの先に、床に置かれた姿見は月灯りに照らされ白く反射した僕の涙と傍でベッドにもたれかかり眠る彼女だけを写していた。

 いったい僕は誰なんだ……。

 わからない。


「誰なんだ……。わかるなら教えてくれよ」


 ベッドを降りながら僕はその『わからない』という何かを知る為にソレを教えてくれる鏡に近づき問い続けた。

 狂っていたに違いない。その光景は狂気、誰が僕を見ても僕が頭の逝ったイカレ野郎であると言うだろう。

 しかし、僕は知りたかったのだ。

 ソイツに出会って僕は僕を否定することしかできなかった。


「ソラさん……気が付いたんですね」


 先程まで傍で眠っていた彼女は動き出した僕に気が付き声を掛けた。

 鏡越しに僕は背後に立つ彼女に対して質問を行う。ソレは僕が僕という存在を知る為の質問であった。


「僕は誰なのかキミは知っているのか?」

「いいえ。貴方があまり自分のことを語ってくれないので私は貴方のことをよく知りません」

「そうか。誰も僕を知らない、のか……」

「ええそうですね。でも私は貴方のことで一つだけ知っていることがあります。貴方の名前はアイザワ ソラ……貴方が唯一私に教えてくれた貴方の情報です」


 彼女は背後から僕を強く抱きしめた。


「この四日間何度も同じことを聞かれ同じことを答えましたが……どうですか?自分が誰かわかりましたか?」



 クロエはその日からずっとソラの傍で待っていた。

 いつ目が覚めてもいいように傍に居ろと命令されて彼女は傍にいた。そこに感情が無かったわけではないが、カレンからの命令であった為ソレは絶対で彼女はソレに従った。

 幸い屋敷に対しての攻撃は無かった。監視は居たのだろうが、すぐにその気配が消えて攻撃がある様子もない。

 彼女は安心して彼の傍に居れた。

 死んだように眠るソラの腕は冷たかった。

 本当に死んでいるのかと心配になる程、彼の呼吸は静かだった。

 胸元を触れると感じる微かな心臓の鼓動、呼吸に合わせ動く胸骨の浮き沈みを感じ彼の命を感じる。

 日中はずっと彼は寝ていた。

 しかし夜中、島が暗闇に包まれた頃彼は震えはじめた。呼吸が荒く大量の汗を流し何かから逃げているかのように彼は怯え始める。

 手を握るとソレは次第に収まりそして、彼は涙を流した。


 二日目の朝も昨日と同じく彼は眠り続けた。

 食事を必要としないのかと不安にはなるがどうすることもできなかったので、今日も彼が目覚めるのを待つことにした。

 濡れたタオルで彼の傷だらけの体を拭くが目覚める様子はない。しかし、背中に描かれた蛇の様な紋章は黒く蠢いているようにも見えた。

 拭いても落ちないそれは彼曰く刺青として掘った記憶も現れた日も不明だそうだ。

 そして今日もまた夜の暗闇に包まれた頃、彼は震えはじめた。

 手を握ると今日も落ち着き始めたが少し様子が違う。瞼を閉じながら彼は何かを呟く。


「私は誰で私以外の私は本当にソレが私であるのか果たして私は本当に私として存在しているのか私は知りたい」


 そして彼は自問自答を繰り返す。

 ひどく苦しそうだった。彼は、また汗を掻きながら私の手を強く握るがその呼吸が落ち着くことは無い。

 ただひたすら何かを呼びそして「来るな、来るな」と何度も何度も藻掻いていた。

 いったい何から逃げているのか不思議に思っていたが彼は自分を探していた。


「僕は誰なんだ……」


 その問いは他人である自分には答えられないモノ、いや自分自身その問いは永遠の課題であると考えていた為に彼女は反射的に彼から遠ざかっていた。

 クロエ自身、彼女ではない人格が存在する。ソレは勝手に動き自分とは違う感情を持ち人を殺めることも厭わない魔獣と呼ばれる所以となったもう一人。

 彼女は自分であるのか一つの体に住まうもう一人の人間、はたまた自分がこの体を借りている人間なのではないのかと考えるがいつも答えに到達することは無い。

 顔に入った縫い跡。髪で隠すその傷は彼女との誓いと言ってもいい印。

 そっとソレをなぞると彼女は私に囁いた。


「アタシはアンタだ」


 そうか、私は私であってアナタだったのですね。


 三日目、彼は初めて目を覚ました。完全な目覚めではないが私と目を合わせたのは事実だ。

 だが、彼は私に問いかける。


「僕は誰かキミは知っているのか?」


 知らない。知りたくても知ることのできない。

 彼は私にもお嬢様にも恐らく特科の方々にも自分のことを語ってはいないはず。それが彼らであり、彼はそれによって救われている。


「教えてくれ……僕はいったい何者なんだ」

「どう……答えるのが正解なのでしょうか?」


 縫い目、火傷、失った皮膚、見ているだけで目を塞ぎたくなるような傷の残る彼の体はゆっくりと起き上がり窓に向かって、太陽なのかもしれない。ソレを掴もうとするが触れることはできず彼は不器用に笑いまた涙を流しはじめた。


「なんて無力なんだ。到達できない……僕は僕自身に追いつくことができなかった。キミは僕を知っているのか……」

「ソラさん。安静にしていないと体に響きますよ」

「笑うな!僕はあの人の息子だ!名前はある……僕は、僕は……」


 取り乱したように彼は棚の上に置かれた物を床に投げつけ能力を発動させて部屋を滅茶苦茶にしてしまった。

 この騒ぎに駆け付けたお嬢様やアルトが見た光景は必死に抵抗する彼の姿。全身に蛇の痣が現れ肌の色は褐色に変色し左右色の違う瞳の彼は私に襲い掛かろうとしていたが、理性がソレをなんとか抑え込んでいた。

 私に向けて伸ばした右腕を自らの左腕で制し、火傷によって皮膚が失われた右腕は脆くすぐに肉に指が食い込み血が噴き出ている。

 飛び散った血は温かく彼が生きていることを実感する。


「やめなさいセナ!」

「お嬢様!今は彼に任せてください……」


 彼の判断を待つ。

 自分を見失い、自問自答を繰り返す彼が何を選び何を得るのか。

 これは試練であった。


「貴方は結局誰なんですか」

「僕はソラだ……アイザワ クオンの息子だ。名もなき者ではない」


 そして彼は背中から床に倒れ再び眠りについた。


「ソラさん思い出しましたか?自分が何者なのか……」

「わからない……」

「それもいいんじゃないですか?ゆっくりと自分を見つけるで良いんですよ」


 今は恐れも安らぎも感じなくていい。

 今は眠りの時だ。

 眠れる奴隷よ、運命の奴隷たちよ、

 我はまだ……。

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